心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

中川一政の書

2007-10-31 | つれづれ


いいなぁ・・やっぱりいつ見ても。 ため息が出ちゃうくらいに。

私が書を始めるきっかけとなった「裸の字」展に出品されていた作品。
1988年。中川氏、当時95歳。
油彩、日本画、書、篆刻、陶芸、随筆と自由な創作活動をされていた。

書の古典はどこまでも奥が深く、一生かかってもそのほんの一部分を
学べるかどうかという世界で、時々先の遠さに途方に暮れることがある。
そんな時は重たい「裸の字」の図録を広げて、心を落ち着かせている。

展覧会の後、習い始めの下手くそな字で、何度か中川さんに手紙を出した。
なんとなく返事を催促している気がして、自分の住所は書かず。
ただ、展覧会を拝見して感動しました!と伝えたかったから。
一方的な恋文だった。

その後、日本橋にある一番星画廊というところで「中川一政書展」があった。
画廊のオーナーらしき方に、お手紙を差し上げていた話をしたら、
「先生はお若い方が大好きなので、きっとお返事頂けたのに」と
一緒になって残念そうにして下さった。

'89年には真鶴に町立中川一政美術館開館、'91年、97歳11ヶ月で他界。

一度お会いしたかったなぁ・・。
今も心の中でずっと恋文送ってます。

じょうずはへたのてほんなり
へたはじょうずのてほん也

いつかこんな境地になれたらいいなぁ。

←ブックマークに、真鶴にある中川一政美術館をリンクしておきます。
木々に囲まれた静かな空間で、ゆったりとした秋の時間を過ごすのにお薦めです。
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もう一人の師匠

2007-10-30 | 
                 もう一人の師匠:みーにゃ
 



書道教室では、そろそろ来春の展覧会に向けた準備が始まる。
来年は15回記念、そして会が始まって20周年記念展。
私も母も、そして皆さんも今から気合は十分!

なので、先週末は参考作品を書き始めた。
本当は作品にお手本なんて必要ないのだけれど・・・。

あれこれ古典を広げてみたりして、その時心地よい音楽を聴きながら
好きな香りのお香も焚いて、白い紙に向かいイメージを膨らませていく。
その時間が、創作の楽しみであり一番ドキドキする瞬間。
だから、これを体感しないなんてもったいない・・。

私の場合、1枚、2枚、3枚と書くうちに、同じ題材であっても、筆も紙も、
書体も書風もどんどん変わっていく。私の書はどちらかというと*率意の書。

書けば書くほど興に乗じて、李白にとっての「一杯一杯復一杯」のお酒のように
時には朝食べたきりで、空腹のあまり目が回っても書くことを止められなくなる。
それで年中、胃酸過多で胃薬のお世話になりっぱなし。

そこまでして書いても書いても、なかなかこれだ!というものは書けない。
だからまた書く。完成なんて永遠にないような気がしてくる。 

そんな時うちの猫たちは、上手に紙と紙の隙間に正座して、書くことに夢中に
なっている私をじーっと眺めていたり、そうかと思えば突然書き終えた作品の下に
潜り込んで、墨だらけになりながらくしゃくしゃにしてくれる。

でもなぜか「あ~!こらっ!」とは思わないの。
みーにゃが、これはだめ~って言ってるんだと思って、あっけなく諦める。
現に、私がこれはちょっといいかもって感じる作品には一度も突進しないのだ。

写真の目、真剣でしょ?


*率意の書:率はにわかという意味もあり、書く意欲が高揚した時に即興的に 
        書き上げた書のこと。
        対して、綿密な構想を練り書き込んでいった書は「刻意の書」。
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温良恭倹譲

2007-10-29 | 論語


論語のおんりょうきょうけんじょう。
五つの徳を備えた孔子の人柄を五つのことばで表した、温(おだやかで)、良(素直で)、
恭(うやうやしく)、倹(つつましく)、譲(ひかえめな)。
ほかに仁・義・礼・智・信というのもある。

そういえば子供の頃、NHKの新八犬伝という人形劇が大好きで欠かさず観ていた。
辻村ジュサブロ-さん製作の人形は、人間の喜怒哀楽を隠し持った不思議な魅力があった。

せっかくだからジュサブローさんのHPを探してみたので、お時間あったら~。
↓ 蜷川幸雄の王女メディアの舞台衣装は、記憶にある方もいるかもしれない。
http://www.konishi.co.jp/html/jusaburo/index.html

HPを見ていたら、ジュサブローさんは父と同じ頃広島に住んでいたこともあったり、
私にとって琴線に触れる世界観がどこか似ていたり・・。
そう考えるとやっぱり三つ子の魂百までじゃないけど、人の感性は子供の時から、
あるいは生まれた時から変わらないのかもしれないですね~。

改めて、ジュサブロ-さんの人形に会いたくなりました。
(HPによると、人形町にジュサブロ-館なるものがあるらしいです。)

・ ・・で、話が横丁にずれましたが。。

八犬伝の中では、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉を持つ八犬士が主人公。
この八文字は、毎回番組に出ていたせいで私の記憶にインプットされていて、
何かいやなことがあると、なぜか無意識に呪文のように唱えているんです。

そう考えると、子供の頃見たり聞いたり体験したことは、その後の人生のどこかに
影響するんだなあ・・と、つくづく。

皆さんも子供の頃好きだったもの・こと・場所・・・をたぐり寄せたら、
今まで気づかずにいた自分に、出会えるかもしれませんね。
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答えはひとつじゃない

2007-10-28 | つれづれ



大学時代は、人と話すのは苦手で、友達には根暗と思われていたらしい。
自分でもなぜかその期待というか、貼られたイメージを壊してはいけないんだと
思い込んで、静かで大人しい自分を演出していた。

ある日、父から何気なく言われた「お前は四角四面だなぁ」のことばに、
何となく傷つき、ずっと真面目で「いい子」できた自分がいやでたまらなかった。

そんな私を変えてくれたのは、大学3年の時に始めたアルバイト先の
仲間達との出会い。
それまでの私を知らないから変に演出する必要もなくて、そのまんまの私を
受け入れてくれた。

肩の荷が降りたというか、自分の殻の中にちぢこまっていた「わたし自身」から
開放されて、すごく楽になった。

それからの人生は、怖いもの知らず、人が大好き、よく笑い、よく泣き、
あっけらかんを信条に、四角四面はどこ吹く風ぞとばかり。
今思えば、あの日の父のことばのお蔭もあるのかなぁ。
自分でもわかっていても変えられない部分を指摘されて、目から鱗だったのかも。

人生には、決まった運命があって変えられないと言う人もあるけれど、
私は・・人生は、曖昧でいろんな偶然の糸で繋がっているんだと思う。
どこでどんな出会いから、良くも悪くも変わるかわからない。

人生に「もしあの時~だったら・・」はない。
その時自分で選んだ道が、自分の人生。

自分の人生を占いに託すのも、その人の人生。
でも私は根は怠け者だから、占いに人生を預けると何もする気が無くなってしまいそう。
私の人生は私にお任せくださいと、笑顔でかわしたい。

だって、なんだって答えはひとつじゃないんだもの。だから面白いんだもの~。

写真の「心意適」は、心は俗事にわずらわされず快適である~の意。

書の表現も無限、人生も無限の可能性あり! 
そう思えたら、まさに心ニ意適ス(しんかんいにてきす)。
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形に囚われないで

2007-10-27 | 書の話


書道教室、絵手紙教室それぞれで、毎回一文字を宿題にしている。
同じ文字でも人によって、その意味の捉え方や表現方法が違ってくるから面白い。

たとえばこの魚という文字。
今夏入会したばかりのK氏の文字を、私なりにアレンジして書いてみた。
始めた頃はイメージが湧かないと皆さん悩んでいたようだけど、最近ではそれぞれに
これはイカ、これは秋刀魚、これはマグロとイメージして書いているようで、
以前と比べて発想も柔軟になり、楽しそう。

でも、何かが違う・・・と思いつつ、感覚だけに頼ってしまい、理論に弱い私は
この一文字を書く勉強の意味を、ずっと伝えられずにいた。
その「何かが違う」が、今ふとわかった!

文字は文字で、絵ではないわけで。
いろんな魚をイメージして書いてみて~と言うと、その文字の持つ意味=魚を
イメージして、それがそのまま表現になってしまう。。わけ。
でもそれでは、あくまでも形ある実在する「魚」を書こうとしているわけで、
文字への意識が薄いような気がする。

だから空間を読めなくなる。
絵画と同じで、白い紙全体に文字というか絵をとにかく書き込んでしまう。
空間を読むことは忘れて、単なる説明書きになってしまう。

書と絵の違いは、空間の捉え方、生かし方。
イメージはあくまでもヒントであって、全てになってはいけないわけで。。

そして書は線の芸術とも言われるように、線が命。
絵を意識すると、書の線は書けない。

形に囚われてはだめ。 
絵を描くのではなく文字の意味や形をヒントに、もっと全体を見て
黒白の世界をどう構築していくか、そこに集中するのです。。

あ・・それって、人間関係にも言えるような気がする。
人の噂や思い込みで相手を決めつけないで、もっと視野を広げて
理解しようとすると、意外といい出会いがあったりするかも。。

少し・・伝わったかなぁ・・。
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絵手紙あーと

2007-10-26 | 岡本太郎


昨日の絵手紙教室の続き。。。
教室が始まって2年後の’98年に第1回楽画喜会展を開催、翌年に第2回展、
そして写真は第3回展、これは・・何年だったのかな。。

1年間書き溜めたものを中心に、1人につきパネル1枚分(20枚位)の作品を
展示。その数は合計500枚位にはなったかも。
3日間の会期中実にたくさんの方が観に来て下さり、少なくとも私は、
絵手紙という枠を越えた、あーとの世界を楽しんだ。

あーとはそこら辺の日常に、たくさんころがっている。
あーと~芸術とは、岡本太郎が言っていたように爆発!、つまり人を驚かせる
ことだと思う。
当たり前の日常の中で気がつかない、けれど新しい視点や発想や面白いことを
ごく当たり前にやってみせること、衝撃波を送ることだと思う。

「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」「犬も歩けば棒に当たる」
ことわざは、どちらかと言うといい意味では使われない戒めのことばであったり
する。
でも私はいい意味に捉えて「数打てば当たるなら、打ちますよ~」「歩いていれば
いいことあるなら歩きますよ~」の精神で、量や数は多いがいいと思う。

量は、新しい‘個’を創るから。
量は、生きている力を、楽しい!を伝えるエネルギーを持っているから。
量は、観る人に波を起こし、圧倒し、その心を解放するから。

また展覧会やりたいなぁ・・・。
でも教室の皆さまは、なぜだか控えめで?なかなか「やろう」と言ってくれないのだ。。

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楽しく画いて喜ぶ

2007-10-25 | つれづれ


過日絵手紙教室で、13周年のお祝いにと皆さんの手作りランチ会となった。
デザートにはHさんの手作りチョコレートケーキまでついて、レシピの話しや
教室の思い出話しやらで、和やかで楽しい時間だった。

絵手紙は平成6年、書道教室と同じく郵便局主催のカルチャー教室としてスタート。
当時絵手紙がブームになり始めていて、誰か先生を知らないかと聞かれたものの
存じ上げず、ならばやってくれないかという話になり・・・。
戸惑いながらも母と二人、にわかに資料を集め舞台に立つこととなった。

それでも書をやっていたので、と言うより私は怖いもの知らずだったので、
あれこれ構想を練って、ちゃんとカリキュラムも作った。
たまたま昨日部屋を整理していたら、当時書いた「絵手紙のすすめ~沙於里語録」
なるものが出てきた。

*とにかく一日一枚でも描き続けること、継続は力なり。
*描きたい、伝えたいの気持ちさえあれば大丈夫。
*下手でも気に入らなくても、相手を見つけて誰かに送ってみること。
*習うより慣れろ、楽な気持ちで、遊び心を持って、人と比べず、そのまんまで。
*下手な絵も描き続けるうちに他人とは違う‘個性的な下手な絵’が生まれる!
*自分を褒めてあげよう。褒めていい気分になったら誰かのことも褒めてあげよう。
*誰も褒めてくれなかったら、褒めて!と言えるくらいの突き抜けた明るさを持とう。

今読むと、自分に言っていることばだったんだなあって思う。

生きるって、いつでも響き合い。
何かきっかけを与えられた時、楽しんで挑戦してみたら、知らなかった自分を
見つけることができる。
かっこつけず、その時のそのまんまで一生懸命向き合えば、何かを得られる。
生きるって、自分を楽しむこと・・かな。

絵手紙教室の名前は、楽画喜会(らくがきかい)~楽しく画いて喜ぶ会。
我ながら、いいネーミング!
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天真を楽しむ

2007-10-24 | つれづれ
              「酒に陶然と酔いつつ心境の天真を楽しむ」



書を始めるきっかけは人それぞれ。
私はたまたま中川一政氏の「裸の字」展を観て、こんな風にまっすぐに心に届く
書が書きたい!と思ったから。

母に相談すると、私の性格も考慮し、母とは書風も会派も縁遠い、けれどご縁を
頂けたので、前衛書家の第一人者であるI先生の下を訪ねた。

I先生に於かれては、全くの素人は願ご遠慮というのが本当の所だったと思う。
なぜか父に付き添われ、ご自宅の書斎に通されてしばし禅問答のような会話。

「あなたは薬が欲しいのか、それとも処方箋が欲しいのか」
脳天気で怖いもの知らずだった私は、即答した。

「処方箋でいいです」  それに対して大家のI先生は
「はい、わかりました」  と子供を諭すように笑顔でおっしゃった。

「いいです」はないだろう・・って、随分あとになって冷や汗をかいた覚えがある。

けれどその後も世間知らずの私は、雲の上の存在のI先生を何故かライバルと
勘違いして、思うままの作品をあれこれ書いて「見て見て・・どう?」とばかりに
ウキウキしながらお教室に通っていた。

私の人生は、I先生に巡り会えたことで、大きく変わった。
会派の中であるいは師と同じ書風を求める世界にいたら、
私は今頃、書をやめていたと思う。

けれど私ごときの未熟者に対しても、書への情熱と常に新しいものへの探究心を
隠さず惜しまず示して下さったI先生の、どこまでも純粋で天真なお心、
そして愛情の深さのお蔭と、深く深く感謝の日々です。

一生かかっても先生の足元にも及ばないけれど、書への情熱、天真な心だけは
忘れずに、書を通して一人でも多くの方と、関わっていけたらと思っています。
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母と書

2007-10-23 | つれづれ
                  写真:母の作品~五言絶句


 
私が小学校の頃、学校から帰ると、母はよく食卓で書のお稽古をしていた。
専業主婦だった母は、倹約して半紙ではなく新聞広告の裏に何度も何度も
同じ字を練習していた。 その姿は今でもはっきりと覚えている。
楽しいのかなぁと横目で見ながら、どこかひとごとだった。

母は子供の頃から書が好きだったらしく、もう半世紀超以上・・に渡って、
子育ての合間をぬい、幾多の出来事も乗り越え、書と向き合ってきたことになる。
素直に、その才能はすばらしいと思う。
ずっとひとつことを、こつこつと飽きもせず続けられる人はそうたくさんはいない。

私はそんな母の姿を、どこかで見て感じていたのだと思う。
その証拠に、今こうして表現の違いはあっても、一緒に肩を並べて書を学んでいる。

ありがたいなぁ。 母のお蔭で今の自分がある。
この場を借りて・・母よありがとう。

母は私と違って、謙虚で努力家、勉強家。
意外と傷つき易いのに、作品はどちらかと言うと男性的で
力強く闊達でおおらか、そしてほのかに中平先生の匂いがする。

母は何度言っても信じてくれないけれど、私は母の書が大好き。
作品には母そのものが宿っているから。

けれど人も書も生きているから、日々変化していくもの。
残してきた作品はもう過去の自分。
悔やんでも、惜しんでも変わらぬ過去。

母よ、これからもお互い日々前を見て、信じて、刺激し合いながら
新しい自分を探しに行こうではありませぬか。

私たちには飽きることのない、ゴールのない書があるんだもの。


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神奈川書家三十人展

2007-10-22 | 書の話

昨日は横浜そごう美術館での神奈川書家三十人展に出かけた。
第20回特別記念で「神奈川の書~すべてを魅せる百人」と題し、例年だと
30名のところ、104名が出品する実に見ごたえのある展覧会だった。

ちょうど出品作家の解説があるというので、参加。
最初の解説者は、偶然にも母とはかつて同門だったA先生。
その後お二人の先生の解説も、書作の試行錯誤の過程や、作品への思いを
とてもわかり易く解説して下さった。

「何枚書いても、なかなかこれぞというものはできないもの」
「だからこそ、もう1枚、また1枚と挑戦はどこまでも続くのです」
大家の先生がおっしゃることばに、観覧者は驚きの表情を見せていた。

書作は、書き終わった時点でまた新たな課題が見つかる。
何しろ書いては反省、書いては発見の終わりなき自分との戦い。
そこに面白さを感じ、繰り返し繰り返し問い続けることができるか否か。

できることならば、朝から晩まで臨書して臨書して、そこから感じたものを
自分らしく表現する作業に没頭したいけれど、現実はなかなかそうもいかない。

けれど昨日は、それぞれにロマンを持った方々の作品を拝見して、
忘れそうになっていた「夢中になる」力を思い出させて頂き、
自分の中でも何かが動き出したような気がする。

それにしても隣同士全く違う書風という、あれだけの会派を超えた
展覧会は観たことがなかった。
それも、今回の展覧会の魅力のひとつだったと思う。

どこを見ても出生地が同じとわかる作品群の展覧会は、つまらない。
書も芸術であるならば、もっとおおらかにあって欲しいなぁ・・と常々。

写真は、母の師であった故中平南谿先生の「背山臨流」
この余白の境地には、一生かかっても到達できそうにない。。
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