心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

黙而識之

2011-09-15 | 論語

                  (半紙)

 

 

 

論語の「黙而識之」 黙シテ之ヲしルス  黙考してさとる、の意。

黙考してさとる、など凡人の私には到底無理だけど。

 

「識」の旁がちょっと読みにくいか。。

論語ってことで、背景は落ちついた配色にしてみたなり。

 

今日午前中は書道教室、午後からはその体験教室があり。

母組がお稽古している行草の半紙のお手本を借りて、私もお稽古をば。

 

ここんとこ、なんだか落ちつかなくて、半紙に向かうこともなかったので

筆の感触を確かめながら、何枚も何枚も。

 

やっぱりちょっとでもいいから、臨書をしていないと

運筆もリズムも、バランス感覚も、閃きも、どんどん鈍ることを実感 

 

鈍るだけでなく、戻らなくなる前に、落ちついて臨書に励も・・っと 

 

 

書道教室 蘭秀会では、10月6日・20日、11月10日・17日の午前10時~午後3時の間、

体験教室と見学会を行います。場所は東京都町田市内です。

詳細は後日ご案内しますが、興味ある方はお気軽にご参加ください

(11月の日程が間違っていたので訂正しました)

蘭秀会展の模様はこちらから→ここをクリック ずずいと下まで関連記事あります。

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好き好き大好き

2011-06-22 | 論語

                     (半紙)

 

 

 

評価されるなんていっさい必要なし!

音が好きならば、音になっていないといわれようと“音”を出す。

これが前提だな。

 

                岡本太郎 『壁を破る言葉』イーストプレスより

 

 

そんな風に、自分を信じられたら。

そんな風に、夢中になれるものに出会えたら 

 

今からでも、どんなことでも、誰にでも。

大事なのは飛び抜けた才能じゃない。

 

好き好き~なんだか大好き~ って、

ごくごく単純なことでないかしらん。

 

 

『忠恕』 ちゅうじょ

自分の良心に忠実であること、の意。

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諦めない気持ちだけは

2010-02-02 | 論語
                             (半紙1/2)

昨夜からこのあたりも雪が降り積もり 
なんだかここのとこ「雪」がつくことばを書いていたからかな、なんて
でも水分が多いから、積もるより今日からは凍結がちょっと心配。。

ところで今日のことば。

變則通 (へんそくつう) 変ずれば通ず。  
改変すれば道は開け、開けば長続きする、このくり返しとな。
*易経(古代中国の書物で、儒学の代表的な5つの経典のひとつ)より


織田信長は人生五十年・・と謡ったというけれど
今の時代の五十歳はまだまだ元気。

それでも、まわりの五十歳を迎えた方々の話を伺うに、
やはり何かひとつの節目となっているらしく。
まずは、体力や記憶力の減退を実感することで、人生改めて考える・・と

考えて、こんなものかって思うもよし、
考えて、まだまだこれからって思うもあり 

たぶん今の時代、それは年令に関係なくなっているような。
それはこの不景気な世の中、職も家さえもない人が増え、
希望も未来も見えない時代であるからに 

そんな中で、このことばがどれほどの説得力を持つのか・・と思いつつ
諦めない気持ちだけは持ち続けたいな・・・という願いを込めて 

思いがけずに積もった雪を眺めつつ・・

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根が怠け者ゆえ

2009-08-22 | 論語
                         (半紙)



中国の熊猫毛(書道具屋さんはパンダの毛って言ってたけどほんとかなぁ・・)で
木簡風にでで~んと大胆に。

この筆、なぜかよく割れる。一度割れたら元に戻らない。
使ったあとよく洗わないと割れると聞いたことがあるけど、いえいえ洗ってても。

でも、その割れを気にせず、やわらかくて弾力ある個性を借りて書くと
自分ではなかなか気持ちよ~く書けるというか 

論語の「従吾所好」 吾ガ好ム所ニ従フ
遠慮気がねせず自分の好むとおりにして行く。

なかなかそうはできないけど
人はどこかに制約がある方が、逆に自分らしさを探し求めるような 

全部が自由で、あり余る時間の中にいると
自分のことにさえ、興味をなくしてしまうような 

根が怠け者の私は、そんな気がする。
だから、思いっきり力強く書いてみたくなって。





左のブックマークに、このブログにもお越し下さっているnisibundoさんの
西分堂日記 を加えました。
是非お立ち寄りくださいませ~




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引き出しを増やさねば・・

2009-06-26 | 論語
                         「三省」 (半紙)




先日の書道教室で、お一人づつをイメージして書いてみた論語の「三省」。

意味は毎日3つのことを反省するべし。
人に忠、友に信、学に習の3点なり。

前にも書いたこのことば 単純な文字だけど、だからこそ変化がつけ易いような。





活字を見て、何種類の作品が書けるか、時に自分を追い込んでみる。

よく師がおっしゃっておられた。

作品を書くには、引き出しが必要だ。
その引き出しを増やすには、色々な古典を臨書に臨書を重ねるべし・・と

最近また、日々に追われて臨書してないなぁ・・と、反省と焦り 
今年やろうと思っていたことが、どんどん先送りにしているうちにもう6月も後半。。

今のリズムを変えねば・・と、ふと思う 









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ひとつひとつ拾っていけば

2008-08-05 | 論語
                         「知足」  老子のことば



最近、物忘れが進化・・いや進行していて、先が思いやられる。
テレビを見ていてそのとき心に残ったことばも、3分経つと定かでなくなり
いいなぁと思った本の一節も、記憶に留まってくれず 

そんなわけで、お気に入りのノートを何冊かその辺に置いておいて、
なんでもメモることにしている。
紙片や封書の脇に書いたものは、忘れて捨ててしまうなんてこともあるから、
私の場合、やっぱりノートを1冊用意したほうがよさそう
それに書くことで、多少は記憶に残るというわけで。

「知足」 足るを知る者は富む。

意味は・・みずからの分をわきまえて、それ以上のものを求めないこと。
分相応のところで満足すること。

老子は、きっと求めることを否定しているんじゃなくて、
求め過ぎると失うものもあるかもねって言ってるのかな。

あらゆる情報の全てを知る必要なんてない。
自分の心に響いたものを集めていけばいいのさ~ 

浜辺を歩いていて、気に入った貝殻をひとつひとつ拾うみたいに。

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老子の「不言之教」

2008-06-05 | 論語
                            (半紙)




老子のことば「聖人居無為之事、行不言之教」より。
道を体得した聖人(人物)は、何もせず、
何も言わないで人々に教え導く、の意。

今週月曜日から、車通勤をやめて歩いて通勤を始めた。
ずっと前から自転車か徒歩通勤を~と思いつつ、
便利な誘惑に勝てずにいたけど、ガソリンの値上げをよいきっかけに 

歩くと30分、ちょうどいい運動。
道すがら、季節の花やお散歩中の犬やら、車では気づかない
発見や出会いもあって、なんか楽しいかも~と、気分爽快 
ただ・・これからやって来る真夏が少々不安だけど。。

からだは意外と単純で、たった数日歩いただけなのに、
いつも通りの寝不足の日々なのに、なんだか寝起きがいい。

これって、からだの巡りも多少よくなったっていうのと、
「歩いている」っていう、小さな自信と満足感がそうさせているのかも。

なんだかうれしくて、鼻歌を歌いながら歩いてる  
たった「歩いた」だけなのに、気持ちまでウキウキしてる単純なわたし。

不言之教。
からだは正直で単純でエライのだ~

車依存症の方々・・試してみてはいかがですかぁ~




↓別枠で、書展のご案内をしていま~す。

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温良恭倹譲

2007-10-29 | 論語


論語のおんりょうきょうけんじょう。
五つの徳を備えた孔子の人柄を五つのことばで表した、温(おだやかで)、良(素直で)、
恭(うやうやしく)、倹(つつましく)、譲(ひかえめな)。
ほかに仁・義・礼・智・信というのもある。

そういえば子供の頃、NHKの新八犬伝という人形劇が大好きで欠かさず観ていた。
辻村ジュサブロ-さん製作の人形は、人間の喜怒哀楽を隠し持った不思議な魅力があった。

せっかくだからジュサブローさんのHPを探してみたので、お時間あったら~。
↓ 蜷川幸雄の王女メディアの舞台衣装は、記憶にある方もいるかもしれない。
http://www.konishi.co.jp/html/jusaburo/index.html

HPを見ていたら、ジュサブローさんは父と同じ頃広島に住んでいたこともあったり、
私にとって琴線に触れる世界観がどこか似ていたり・・。
そう考えるとやっぱり三つ子の魂百までじゃないけど、人の感性は子供の時から、
あるいは生まれた時から変わらないのかもしれないですね~。

改めて、ジュサブロ-さんの人形に会いたくなりました。
(HPによると、人形町にジュサブロ-館なるものがあるらしいです。)

・ ・・で、話が横丁にずれましたが。。

八犬伝の中では、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉を持つ八犬士が主人公。
この八文字は、毎回番組に出ていたせいで私の記憶にインプットされていて、
何かいやなことがあると、なぜか無意識に呪文のように唱えているんです。

そう考えると、子供の頃見たり聞いたり体験したことは、その後の人生のどこかに
影響するんだなあ・・と、つくづく。

皆さんも子供の頃好きだったもの・こと・場所・・・をたぐり寄せたら、
今まで気づかずにいた自分に、出会えるかもしれませんね。
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三省(さんせい)

2007-08-28 | 論語


論語の「吾、日に吾が身を三省す」より。
一日に三度、人に忠、友に信、学に習の三点を反省しましょっ という意味。

そうは言っても、なんだか毎日気ぜわしくてなかなかできないもんです。
でもふと思いました。
反省することも大事だけど、一日に三度反省しようとするほんの短い
その「時間」が大事なのかもって。

絵手紙教室と書道教室どちらにも、遠路はるばるいらして下さっている
Eさんは「一日に百回、声に出して感動する」がモットーだそうです。

Eさんとの出会いは、有難い不思議なご縁でした。
以前私が、ある雑誌に紹介されたことがありました。
たまたまその雑誌をご覧になったEさんは、私ごときに会いたいと念じて下さり、
巡り巡って偶然、年に一度しかないある写経会でお会いしたんです。

その時、初対面にもかかわらず「あ~あなたにお会いしたかったのよ~」と
言って抱きしめて下さいました。
その出会いをきっかけに、もう12年のおつきあい。感謝感謝です。

一日に三度の反省もよし。
一日に百回の感動もよし。

どちらにしても、改めて心に決めて実行してみると、よき出会い、
思わぬ発見や感動にも出会えるかもしれませんね。


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游於藝(芸に遊ぶ)

2007-08-23 | 論語


孔子の「志於道 拠於徳 依於仁 遊於芸」の一節です。  (S様所蔵)
孔子曰く、正しい道を志し、徳を根拠とし、仁に依って芸(教養)のなかに遊べと。

孔子の言う芸とは教養であり、学問と礼儀作法、武芸も含まれていました。
そして人への愛情、仁を大切にしつつ、そういった教養(芸)のなかに遊んで、
人格の幅を広げよと。
「游」の字はもともとは「およぐ」という意味ですが、自由な気持ちで
その中に身を委ねるという意味もあります。

昨日は近所の大きな公園で、毎年開催される薪能を父母と鑑賞してきました。
今年は金春流の方々のご出演。
夕方6時半、ちょうど日も傾き周囲の森は大きく風にそよぎ、
蝉しぐれの中、静かに開演。
火入れの儀式は、観客席も少し緊張。そして無事火が入った瞬間、拍手。

山本東次郎家一門の狂言は若手も多く、声良し、歯切れ良し、
お囃子は、独特のリズムが心地よくなかなか楽しめました。

父は子供の頃から趣味で能に親しみ、還暦記念にと国立能楽堂を借り切って、
船弁慶を演じた経験もあり、最後の演目の船弁慶は楽しみにしていたようです。
生憎の雨で、後ジテ(後半)だけとなりましたが、
舞台を見つめながら、父はどんなことを感じているのかしらんと、
感慨深いものがありました。

芸事を習うということは、人として大事なものをたくさん学ぶ場でもあります。
師匠、諸先輩、同輩、後輩との関係の中で、芸だけではなく、尊敬の念、
謙虚な気持ち、感謝の気持ちを学ぶわけです。

今の教育の現場では、誰が教えるものでもない「常識」が通らない非常事態です。
それは、学校の勉強ばかりに集中して、日常の繰り返しの中で自然と身につく
教養を体得する機会が減っているからではないかな・・、そして教養とは、
学問ができることの以前に、さりげなく相手を尊重し思いやることのできる
心なのかなと、ふと思いました。

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