ゴルフィーライフ(New) ~ 尾骨9割で身心を捉え直す

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[ピアノ弾きおじさんへの道] レディ マドンナをチューン・アップした

2017年06月18日 | ツールとしての音楽

大人のピアノサロンコンサート(発表会)が7月初め開催に決まりました。

初回だった昨年はヘイ・ジュードを弾き歌いました。
([ピアノ弾きおじさんへの道] 大人のピアノ発表会でヘイジュードを披露するの巻

今年も当初はGW明け頃の開催見込だったので、
”( ポールの来日に合わせて何とか弾き歌えるようになった ) イエスタディでどうでしょう”と先生に打診してみたら、
”せっかく一生懸命に取り組んだんだから、レディ・マドンナでいきましょう ! ”という返事。

昨年末に取り組み始めるも、のっけから左右のリズムの合わせ方に難儀した曲です。
(プーチンのピアノとロシア民謡とレディマドンナ)

それなりに形になりつつはありましたが、歌を乗せるのはイエスタディよりさらに難しい。。
そこで、歌メロは先生にアンサンブルでサポートして頂くことにして、今回はマイク無しでチャレンジすることにしました。
(歌を聴かせるつもりはないので、ピアノを弾きながら唸るグレン・グールドの路線を狙います。)

先日、67年6月に発表されたサージェント・ペパーズの50周年記念盤が全英1位になり、全米ビルボードでも3位を記録しました。
その後に発売されたのがレディ・マドンナなので、なんだかタイムリーな気もします。
ゴダイゴのタケカワ・ユキヒデさんがこの曲を聴いてピアノを始めた、みたいなことを何かの記事で読んだ記憶があって、憧れの曲のひとつでもありました。


発表会まで残り2レッスンになって、そろそろ演奏を固めに行こうと思っていました。
人前で弾くからには、7割くらいのパフォーマンスでもそれなりに弾けるくらいにしておくと安心です。

ところが、今回お手本にしていない、
イエスタディの時にチュートリアルにしていた方の演奏を見てみたら、Aメロの弾き方が違う。
(Como tocar "Lady Madonna"(The Beatles) - Piano tutorial y partitura 、13:40あたり。)

でも、イントロを元の弾き方で弾いて、歌メロの伴奏をこれで弾くと、なんだか音色がふくよかに聴こえてきて、弾いてても楽しい。

固めに行くはずが迷いが発生、これは困った。

 

イントロの時とは弾き方を変えて、Aメロの伴奏では、左手をE、右手をBに、上昇させて「んぱぱ」を弾く。
そしてその後、今度は右手を(BからAに)下降させてから、A⇒B⇒C#と上昇する。

ちょっとしたことですが、固めにいくつもりが、自ら難度を上げてしまってます。

さらに、省略していた間奏のブラスを追加。

先生も入れた方が楽しくなる ! と賛成意見。

最初は左手の最初のAの音を弱い5の指(小指)で弾いていたのですが3の指(中指)に変えてみては、とのアドバイス。
その後、Dを2,3の指(人さし指、中指)で入れ替えて弾くのが新鮮でした。
同じ音を指を入れ替えて違う指で弾く、という発想がなかったから。
でもそうすることで、後の音がつながっていくのです。素晴らしいアドバイスです。


 

その後に続く間奏も、指使いを工夫することで、音が滑らかにつながりやすくなります。
目からウロコ、グンと弾き易くなった。

でも、やはり、自分にとっては、確実にヒットできるとはまだ言い難い間奏パートが続くので、
何だかフィギュアスケートのトリプル・アクセルみたいな感じ。

ちゃんと成功するかどうかは分からないけど、音楽が豊かに聴こえるから取り組んでみたい。
確実性を高めるには、反復練習が必要だ。

 


発表会は、ミスタッチなく弾くことが目的ではない。

つっかえてもいいから、音楽しようと思います。

 

「皆さんは私をどう思いますか」という不安を伴ったうぬぼれが消え、
「これを皆さんと共有させてください」という広い気持ちになれれば、演奏のエネルギーがつながり、その場の回路が完成する。
目指すべきはそこだ。

 

 

 

Lady Madonna(Piano & Vocal Cover 20170617)

 

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スティングの多幸感

2017年06月09日 | 日記

ここでのスティングは、フランスの哲学者ラカンの言う「三界」、
すなわち、「現実界」・「想像界」・「象徴界」を行き来しているように見える。

まるで「多次元境界仮説」のような感じだ。
(人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説))

見倣うべきは、三界を行き来しながらにして、
絶えず、「多幸感」を感じているような落ち着き。

喜怒哀楽を激しく出したまま競技は続けられない。
非常に舞い上がりもしなければ、非常に落ち込みもしないというのは、頭のよい証拠である。
計算や判断に優れているのと同じように、情緒を安定させられるのも、知能の高さを示している。
                    (元気の秘密は超快復/田中誠一・矢澤一良/プレジデント社)

Sting - Fields Of Gold

映画マトリックスに出てくる仮想世界「マトリックス」が想像界だ。
想像界は偽物のイメージの世界であり、マトリックスの内部では、カンフーの達人だったり、飛んでくる弾丸を体を反らしてよけたりもできるようになる。
マトリックスを「現実界」だと思い込んでいたら、こうはいかない。
じゃあ、「象徴界」はどこかって?
主人公ネオの覚醒シーンを思い出してほしい。
一度死んで蘇った救世主ネオの目に映るのは、マトリックスそのものを生み出しているプログラムのコードそのもの。
ネオが見ているコード・システムこそが、象徴界に相当するわけ。
コードさえ読めれば、マトリックスの中でエージェントたちが仕掛けてくる戦闘など、悪戯に等しいものになる。

ただ、現実界・想像界・象徴界という区分は、一つの見方に過ぎない。
三界の区分は、常に位相的な区分でしかないんだから。
位相的っていう意味は、互いの位置関係が常に相対的に決まるっていうこと。
一種の座標軸みたいなイメージかな。
x ,y ,z の三つの軸があるとして、x 軸だけを取り出したい、と言われても、それは無理な話。
この三界の区分も、人間の「認識のモード」として存在するもので、
人間の認識における座標軸の一種と、さしあたりは考えてくれて構わないと思う。
だから、この三界は、それぞれに対応する何らかの実体的な空間や領域を、この世において占めているわけではないんだ。
『ちょっと今から「現実界」に行きたいんだけど、どうすればいい?』とか聞かれてもそれはムリってものだ。

 

人間は年齢と共に、三界の位相を変えていくのかもしれません。
現実界にこだわらなくても、象徴界が豊かになり、それが仮想界にも反映されていく。
年を重ねるというのは、きっとそういうことだ。
愉しみ方や価値を置く世界が、位相をずらすように変わっていく。
私たちの認識する世界は相対的なものであって、それぞれなのだ。
誰もが同じ絶対的世界の下に生きているのではない。

ラカンとスティングを混ぜ合わせて語るのもどうかと思うのですが、
年齢と共に、渋みを増し、哲学的なエスプリを身にまとっていくようなスティングに魅せられる。

GW前にポールのコンサートに行って間もないのですが、
Mr.ケーデーの発案で、スティングを観にまたまた武道館に行って参りました。

ジャズやクラシック、民族音楽に至るまで多彩なアプローチを経て、
新作「57th & 9th」を発表し12年ぶりに本来のロック表現に回帰したとも言われる今回のライブ。

冒頭で一曲演った後に、休憩を挟むまで40分以上も前座の演奏が続いたのですが、
(スティングの息子も歌でとギターで登場、声がそっくり。)
スティングが再登場しての本編は圧巻、音楽が豊かで、いろんなテイストで飽きさせない。
スティングももう65歳とのことですが、声も演奏もソリッドで洗練されている。


ステージがハネた後は、スティングの新作タイトルが黒板に書いてある土佐料理の店で。
白魚に似たどろめ、フライドポテトに似た芋けんぴ。(こんなのを酒のあてにするものなのだ。)

Mr.ケーデーが、実はスティングに激似であることに気づいた。

 

 

 ( ↓ ) セットリスト。(日本公演前のセトリでは外れていたMad About Youも入っていて、個人的には満足なチョイスです。)

動画撮影は禁止だったので、合い間合い間にスマホで撮影した写真を並べてみます。

オープニングの、Heading South,,  民謡のような美しい曲に惹き込まれる。

約40分の前座の後を受けての再登場は、「シンクロニシティⅡ」で幕開け。

音楽に混ぜ合わされるのは、タイトル(synchronicity、共時性) が示すような世界観。
スティングは音楽の持つ力の不思議にも言及している。

 

「イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク」では、
”Be yourself no matter what they say" のフレーズを一緒になって合唱し、
(エイリアンだったか)
「フィールズ・オブ・ゴールド」をスティングの声に寄り添うようにつぶやくように口ずさむ。
([2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。)
「シェイプ・オブ・マイ・ハート」では、
ドミニク・ミラーのギターの音色に耳を澄ます。
(shape of my heart ~ 秘密と水仙と)


ポリス時代の「ロクサーヌ」はもちろん、好きな「マジック」、
そして今回は「So Lonely」がつぼにはまった。こんなにキャッチ―な曲だったっけ、っていうくらいに。
あんまり好みでもない「Desert Rose」も、ライブ映えして、妖艶なラテンの舞曲のよう。
なんだかお祭り映えするマツケンサンバに似たようなところがあるなぁ、というのは下手な喩えでしょうか。

 

EncoreのラストがFragile( 脆さ, 儚さ )というのもどこかスティングらしい。
夢や希望ばかりではなく、血痕や涙や人間の脆さ、怒りや無念も美しい詩や音楽になる。

ブルータートルの夢、ソウル ケイジ、シンクロニシティ、
つかみはポリスだったが、その後のスティングにはどこか哲学的な変容があると思う。

Sting - Fragile (Live From The Cherrytree House)

くつろいだスタイルで、ギターで弾き語るスティング。
私が取り組んでいるのはギターではなくてピアノの弾き歌いなのですが、
そこにある空気を大切に愛おしんで、音楽と身近にバイブレートし合うような態度やニュアンスを見倣えないものか。

スティングのように、落ち着いた「多幸感」をたずさえていたいと思うのであります。

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北参道に舞う蝶々の夜。

2017年05月28日 | 日記

明日香先生のCD発売ライブにお邪魔してきました。

アーティストにピアノを教えてもらうのは、私には敷居が高くてなかなか行けないのですが、
(でも、動画のYesterdayの弾き歌いを褒めてもらえて嬉しかった! )

先日四ツ谷のLIVEにお伺いしたら、アーティスティックな感性のなんと素晴らしいことか。
(夜会、アコーディオンと歌に酔う。

パリのミュゼットとか、これまで私が聴いてこなかったフランスや、中国といった異国音楽の引き出しをお持ちで、
時にえぐるような詩を含めて、ポップスというよりは、芸術、アートを感じます。
日常だけに留まらない、もっと深くて広くて多様な世界。

3曲入りのマキシ・シングルは、全曲オリジナル。

この日は今年の2月から始まった月末金曜日、プレミアム・フライデー。
職場の仲間と、会場「GRAPES Tokyo」のある東京メトロ副都心線「北参道」駅に初めて降りました。

 

木目調の温かい雰囲気のスタインウェイのピアノがプレミアム。

 

奇しくもこの日は、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」の50周年記念盤の発売日。
(Sit back and let the evening Go ! )

たまたまなのでしょうが、途中、「Mr.カイト」風のサイケなライティングに包まれたりして、どこか非日常的な夜。

 

20170526 AsuKA CD release LIVE @北参道 GRAPES TOKYO

2曲目のPull marineが嬉しい選曲でした。
ゲンズブールには、この美しいピアノシーケンスに、
こんなにも耽美的で頽廃的な詩を乗せれる人がいるのか、と驚いたことがある。
(人生はライブである ~ ゲンスブールの違和感とビロードの滑らかさ)

そして、作った動画では外してしまいましたが、”J'ai bu la tasse, tchin tchin.”ってところが、
不埒ですが、日本人の私の耳につく。
ゲンズブールは日本語を分かっていて、ふざけたのでしょか。

~ Pull marineの歌詞はこちらのサイトが詳しい ⇒ 「マリンブルーのセーターPull marine」)

今、エルトン ジョンの「Your song」の弾き歌いを練習中なのですが、
”水の底だけで輝くのではないマリンブルーの瞳を、視線もくれずに見分けてやって来る”というのは、どこかYour songに似ている。

 

太陽はしばしの間暖かく、この世はかくも素晴らしい。
彼が素晴らしいと語るのは、あなたの居る世界であり、
自分の記憶すらあてにできなくとも、色を忘れてしまっても、
あなたの瞳がかつて見たなかで一番美しかったと語る。これは無私の歌だと思う。
(ヤマハの電子ピアノ P-105)

 

瞳について歌った歌は数あれど、このうえないものがあります。


1st Stageは、新曲の「蝶々」で一旦幕を閉じる。

( ↓ ) 異界から舞い現れた蝶々が食していそうなのは、枝付きの干しブドウ。

二幕目は、「蝶々」が出現して耳元で揺れながら、lentementに、ゆったりとしたピアノで始まります。

そして、足元には、美しくもどこか頽廃的な色合いの花々、

蝶々がひゅるひゅると舞っていく宙に在るのではなく。

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。

2017年05月21日 | 日記

アカデミーの主演男優賞と脚本賞を受賞した「マンチェスター バイ ザ シ―」、
成功譚とかリア充とかではない、もっと人間らしいものに触れたくなって、
深夜24時までのレイトショーへ。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はボストン北東部にある街の名前。マンチェスターとは違う。
 (まるで「港の見える丘公園」みたいなネーミングの街だ。ちゃんと説明書きのついた固有名詞。)
リー・チャンドラーを演じるケイシー アフレックは、スタローンやポールをどこか等身大にしたような感じがあって親近感が湧く。
(アメリカ北部の街や人が醸す空気感みたいなものが、スタローン初期作品のロッキーや、ロック・アップに似ている。)

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観た人の感想、評価、口コミ
に寄せられた人々の声が素晴らしかった、この映画をよく代弁している。

冒頭海のシーンはとっても気持ちよかったのに、リーの今にシーンが移ると居心地の悪さを節々から感じる。
ケイシー・アフレックの演技もすごい。 こんなにアウトプットできない混乱を、整理できない心を演じた人は見たことない。

毎日毎日生き辛さを感じているリー・チャンドラ。
降り注ぐ雪を掻き続けるループが彼に与えられた罰のようであり、彼もそれを受け入れてるようなシーンが印象的。
静けさが彼の壊れた心で失った感情のよう。

幸せにはなれないし、乗り越えられないけど生きていかないといけない、リーの人生に心動かされました。

ケイシー・アフレックの佇まいが特に良い。憂いや悲しみ、自分への怒りをよく表現している。

泣きたいけど泣けない、微妙な感情の表現をしていてそれが現実で人間だよなぁと思った。

様々な人生をそっと見守るような視点の作品。
現代における、孤独や喪失感を丁寧に描いていると思います。

ストーリー自体はシンプルで、淡々と進んでいくけれど、その分登場人物たちの心理描写が際立っていた。
心に大きな傷を負った主人公を演じるケイシーはアカデミー受賞するだけあって、とても上手かったです。
傷を負う前と後の変化のつけ方もだけど、別人の様に心を閉ざしてしまっている状態でもちゃんと同じ人だと感じられる、
根っ子の部分は繋がってるのが感じられて良かったです。

とても淡々とした感じの映画で、派手に盛り上がる雰囲気の映画ではありません。
でも、内容は、愛や死や人の心の傷など描かれており、誰にでも当てはまる部分があったり、
今後、人が生きているなかで、経験するような事だと思いました。

映画をよく観るほうでもないし、詳しいわけでもないが、
映画をたぶん沢山観ているであろう人達の洞察力に驚く。
一般大衆だからといって、
必ずしも映画や娯楽作品に、分かりやすい起承転結やハッピーエンドだけを求めているわけではない。
上手く人に気持ちを伝えることすら難しくなってしまった、リーの感情を推し量ったり、表現されることのない心を裏打ちするようなコメントを寄せる人々に、温もりを感じたりする。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」特別映像

金曜日の夜の過ごし方は大切だ。
その流れで、ゆっくりした落ち着いた週末を過ごす。
どこか、いつも、ソファに浅く腰掛けて休んでいるようなところがあるのだが、
ソファに深く腰をおろして、もっと休むことに集中してみる。

リョウブの花。
真言密教の経典に、供花には瑞々しい、さらに白花の香しいものを用いよとあり、
白花を良しとする作法は、茶花にも受け継がれてきたという。
ショウマやチンシバイにも通じる涼やかな花姿といい、暑い日に涼を感じさせてくれる。

 

梅花空木(バイカウツギ)の白の不思議。
花の中にまた小さな花みたいなのがあって、ロシアのマトリョーシカ人形みたい。
花によっては、中にあった部分が表面にぶわっと咲き出てきて、どこか艶やかさのある花姿。

マトリョーシカって、いかにもロシア的な響きを、前に思いついたメロディに乗せられないか、ピアノで採譜してみた。
(イエスタディを作った時のポールと同じだ! どこかで聴いたことがあるようなメロディで、本当に自分で作ったのか、記憶の中にある曲のメロディをたどっただけなのか区別がつきません。
今度ピアノ教室で先生に聞いて確かめてみよう、”こんな曲知ってますか?”って。)

マトリョーシカ、マトリョーシカ、って名前を連呼するだけの歌なので、もう少し寝かせておこう。

 

一見複雑な印象のある「ノルウェイの森」だって、メロディ・パターンはたったの二つだ。(マトリョーシカも同じようなものだ。)

要はサウンドなのです。

 

 

ピアノ演奏でも、スポーツや武術でも、「ある一点(芯、スイートスポット)を鮮やかに捉えることが大事」。

” スポーツとは脱力を極めるもの。”

ほどよく力を抜いて、気持ちを込める、相反するように思える二つを両立させるのが人生の極意らしい。

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[2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。)

2017年05月18日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

「正直なミス」に向き合うゴルフへの意識改革、一朝一夕にはならず。

私の場合、大叩きするホールが必ず現れるので、他でいくら良いショットが打てていてもスコアを台無しにしてしまうケースがあまりに多い。

それもまた、向き合わなくては直らない「正直なミス」なのです。

 

さて、GWのお泊りゴルフ初日は赤城の南⇒北コース。

4月29日、30日とポールデンウィークのクライマックスを満喫した後、
5月1日、2日を挟んでの5月3日、関越上り朝7時は渋滞ピークだったので、高速に乗らず、下道を走って順調にコースに到着。

スタートホールでバタバタしてトリを叩くも、続く2番はきっちりしたショットとパットを並べてPar奪取。
3番でまたもバタバタしたが、5番できっちりPar奪取。

この日魔のホールとなったのは、南の8番。長めのショートホールで、左がバンカーと崖。
左に行かないように右手首を固めて右目に打ったら、右へふけ球が出て、そこから木にぶつけたり、バンカーToバンカーがあったりで10の大叩きで崩壊。
昼食を挟んでからの北コース2番では、左方向へ同じような高いフックボールで4発連続OB、
9打目のティーショットからダボで15、崩壊。

 

( ↓ ) ここなんて、絶対左へ打ってはいけない、右ぎりぎりでも傾斜で左の池方面に転がるホールなのだが、
    巻き球を抑えて、右目にストレートボールを打ってFWキープ。飛距離も出ている。

 集中力がうまく乗っていく所とそうでない所の落差が、我ながら激しすぎる。

曜日並びが良くて大型連休になるGWだったので、宿を赤城や伊香保にとれずに前橋泊り。

夜は「歓喜の肉盛り」のキャッチフレーズに惹かれて上州牛と上州麦豚を。
(締めのボロネーゼが美味しかった、かつてない味。)

2日目は上毛へ。

アップダウンや打ち下ろしが多い印象があったのですが、あらためてラウンドしてみるとよいコースでした。

赤城・上毛はまだ桜と冠雪の涼しげな風景をとどめていました。(左は少しルノワール風で。)

 

調子は決して悪くなく、この日もOutスタート1番からPar、ボギー、ボギー。
ところが4番で、” 何年もゴルフをやってきて、まだそんなことやる” 、
の殆ど空振り、ファウルチップ気味のティーショット。

そこから徐々に崩壊。

調子が悪くないのに、これではねぇ。。

ゴルフのやり方が分かったはずでしたが、私には何かが大きく欠落していることを認めざるを得ません。
(ほんとに、普通の人と、たぶんどこかが違っていると思います。)

ところで、もうすぐスティングがやって来ます!
ポール マッカートニーがインタビューの中で、” これは自分が書きたかった、と思うような曲がありますか”と聞かれて、
ビリー ジョエルの「素顔のままで」やスティングの「フィールズ オブ ゴールド」を挙げている。

スティングがこの曲についてこんなことを言っています。

”僕達のイギリスにある家は、大麦畑に囲まれているんだ。
夏になるとね、黄金の海の波のように揺らめいてきらめく表面を、風がそよいで渡るんだ。
それを見るとうっとりする。
この景色はまるで、風が大麦に愛の行為を行っているように見えて、
元からある何か性的なもの、何か原始的なものだ。
恋人達は、ここで約束を交わしてきたんだよ。
きっと、心地よい四季の移り変わりが彼らの絆をより強くしたんだろうね。”

『風が男性を象徴し、大麦(barley)が女性を象徴している』らしい。( 出典はこちら ⇒訳詞の世界~Fields of Gold – Sting(和訳) )

こじつけっぽいが、barleyはballに似ているじゃないか。
フィールドを渡っていくballを大切にしろ。

男なら、風としなやかな身体とクラブ使いで、女を、ボールを、うっとりさせろ。
コースを共に同伴してくれる彼女に失礼なことはするな。

風を読み、ボールと戯れるゴルフには、どこか原始的な、プリミティブな部分がある。
スコアとかそんなのばかりが、ゴルフじゃない。(と、開き直る。)
うっとりするような原始的なものを感じていたい。
18ホール通してうっとり出来たらすごいスコアになるが、
18ホールすべてでは無理でも、時折たしかに、うっとりするような瞬間を感じることがある。

言い訳っぽくなるが、私が、ほんとうに求めているのは、
人間が作ったルールに則った、人工的なスコアゲームとかではなく、
一瞬の刹那であり、断片であり、うっとりするようなプリミティヴな瞬間なのかもしれないと思ったりもする。

Fields Of Gold - Sting (lyrics)

You'll remember me when the west wind moves 君は僕を思い出すだろう
Upon the fields of barley                 大麦畑を西の風がそよぐとき
You'll forget the sun in his jealous sky        嫉妬する空とそれを支配する太陽のことなど忘れてしまえ
As we walk in fields of gold                 僕たちは黄金色に輝く世界を生きたのだ

I never made promises lightly            僕は軽々しい約束など決してしなかった
And there have been some that I've broken    なのに何度か約束を破った
But I swear in the days still left             だけどまだ残された日々の中で僕は誓う
We'll walk in fields of gold                  二人で黄金色に輝く世界を生きていくことを


久しぶりに江戸川ラインのショートコースに行った。
なぜ、これがコースで続けられない と思うほど、私は上手だった。

足元にはアザミと草藤(くさフジ)の紫、
      そして別の日、うっとりするほどだった万世橋の紫。

紫の宵に

また約束したような結果は出せなかったけど、
だけどまだ残された日々の中で、僕は誓う、
共に黄金色に輝く世界を生きていくことを。

 

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