心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

大晦日、それぞれの心の家に帰ろう

2007-12-31 | 禅語・般若心経



今年もいよいよ終わりですね。。
やっとさっき、年賀状を出してきました。これから大掃除です 

本当は、「今日お釜をかけるので、一服お茶でもいかがですか?」とお誘いを
受けていたのですが・・・。

「暮れだからこそ・・初めての試みでしたがなかなかいいものですね」の
おことばに、最後までバタバタで、お恥ずかしい限りです。
来年からは、そんな時間を大事にしていきたいと思います。

さて、皆さんはどんな一年でしたか?

私は、このブログを始めたことで後半は、生活のリズムが変わって、
なんだか日々追われてばかりでした。
でもここ何年か、焦りながらも何も始められなかった自分に、なんとか
始めの一歩を渡せたかなと。。

人は基本は変わらない、けれど変わりたいと思うところは変えていけるよう、
強い心を持てたらと。

今年の締めくくりの書は、また禅語になってしまいましたが、
帰家穏坐(きかおんざ)。
「人が生まれながらにして持っている仏の心に帰り、安らかに」という意味。

私的解釈は・・
不安になったり迷った時は、一人静かに自分の心の家に帰ろう。
そうしたら、忘れていたものを思い出すかも・・穏やかな微笑みとともに。

この夏から、拙いこのブログにおつきあい下さり、ありがとうございました。
来年は、もう少し力を抜いて書けたらと思います 

これからもどうぞ宜しくお願い致します。
そして、どうぞよいお年をお迎え下さいませ 


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今年の迷いは今年のうちに

2007-12-30 | 禅語・般若心経
                  百雑砕(ひゃくざっさい)




なんだか禅語が続いてしまいましたが。。
意味は読んで字の如く、心にある百の(あらゆる)雑念を粉砕すること、
そしてその先の無心を探すこと。

今年も残りあと2日となってしまいましたね。。
年々、まさに光陰矢の如く・・。ほんと早くて怖いくらい。。

今年はどんな年でしたか?
世間では今年を表す一字は「偽」でしたが、私にとってはやっと次の一歩を
踏み出せた年になれたかな・・と。

この夏からブログを始めたことで、生活のリズムが変わって更に時間に追われる
毎日でしたが、改めて感じること、考えること、確認できたこと、出会いもあり。

でも新しい迷いもたくさん。
その迷いの原因の多くは、きっと自信の無さから来るものたち。

今年の迷いは今年のうちに、思い切って「百雑砕!」って振り切ってから、
新しい年を迎えたいものです。


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阿呵呵(あかか)~大笑いの効果

2007-12-29 | 禅語・般若心経



禅語。呵々大笑(かかたいしょう)の意。
声高く大いに笑うこと。

タイの交通整理のおじさん達は、日頃からのストレスのせいか、いつも不機嫌で
評判が悪いらしく、イメージアップの策を考えたそう。

それは10人づつ位で円陣に肩を組み、大声で「わっはっは」と笑うというもの。
そんなことくらいで?と思うなかれ。。
その練習?のお蔭で、おじさん達のストレスも軽減されたとか。。

笑いは免疫力アップの健康のもとっていうのは、最近ではよく聞く話。
健康っていうのは肉体的にもそうだけど、精神的にもってことなんですね。

今は核家族化、高齢者ばかりではなく一人暮らしの人も増えていて、テレビや
ネットだけで、人と話をする機会も、声を出す機会も減ってしまい、
脳も偏った働きしかできなくなってしまうらしいです。

最近新聞で、「切れる中高年」なんて記事が載っていましたが、
それぞれにいろんな人生模様もあるのでしょう・・けれど、やっぱりしあわせは
自分でつかむもの。自分の気持ち次第。ものは考え様。

いやな事があったら「あっかっか~」ってまずは、大きな声で笑ってみませんか。
その一呼吸が、気分を変えることもあるかもしれませぬ。

人前では、変な人~って思われてしまうから、ご注意を~
「笑う」が難しかったら、まずはこのブログでも声に出して読んでみてくださいね。

脳みそは、声に出すことで働きが良くなるらしいですよん。

今年も残り3日! 
大掃除(まだこれから)も、年賀状も(まだ1枚も・・)笑って笑って。。
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小田和正「クリスマスの約束2007」で

2007-12-28 | つれづれ
                     「ぽつぽつ三年 波八年」
             日本画でぽつぽつと点で苔を描けるまでに三年、
             波を上手く描けるまでには八年がかかるという修行のことば




25日深夜~小田和正の恒例「クリスマスの約束」2007ライブの番組があり。
学生時代、友人が好きで時々聴いている位だったけれど、
また最近、小田さん好きの友人の影響で、新譜「自己ベスト2」(←視聴できます
まで買ってしまった。(今品切れで入荷待ち中) 
  
あの♪「ラブ・ストーリーは突然に」は有名だけど、明治生命のCMの曲も
ご存じの方も多いのでは。。

その中でさだまさし作詞、小田和正作曲で一日で作った曲が披露されて。
テーマは、「デビューした頃の自分に手紙を書きません?」

今の自分にタイムリーな曲で・・みんな一緒なんだって思えたら、なんだか
ほっとして、泣けました。
ちょっと長いけど歌詞を書きとめておきます。


        ♪「たとえば」

話したいことがある幾つもある あの頃の僕に会えたら
たとえば迷いながら選んだ道の 辿り着く場所について

伝えたいことは他にもある あの頃の僕に会えたら
たとえば信じていたことの正しさと その過ちについて

それから不安を胸に映し 怯えていたあの夜の闇も
たとえばありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは ひたすら そこから ひたすら歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから ひたすら ただひたすら 生きてゆくこと

尋ねたいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
たとえば傷ついたり愛されたこの命の重さ

尋ねたいことは他にもある 精一杯生きたかどうか
たとえば奇跡的に巡り会えた愛しい人のことを

ここからの僕に言える事も ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
今のままの歩幅でいいから ひたすら ただひたすら 生きてゆくこと
ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
大切なことはひとつだけ 全ては今日のために

話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある 未来の僕に会えたら

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ただ一生懸命生きられたら

2007-12-27 | つれづれ
                   只在(ただある) (45×45cm)



父が生まれたのは広島。 
そしてあの原爆が落ちたのは、中学2年生の時。
その頃、母は東京から栃木に疎開中。

戦後、日本はまさに激動、激変の時代。
戦争を目の前で体験し、不条理極まりない現実を受け入れ、それでも夢を抱き、
家庭を持ち、子供を育て、ものすごい時代の中で一生懸命生きてきたわけで。

改めて振り返ると、ぼんやりといろんなことを思い出す。
子供の頃のあんなこと、こんなこと、忘れていたことまで。

人は時々、誰かと比較したり、こんなはずじゃなかったのに・・と思ったり。
けれど、たとえ思い描いた通りの自分になれなくても、
その人が生きてきた軌跡は、一人一人に確かにある。
そう思えると、人が生きてきた道はどれも、きっといとおしいものになる。

一歩一歩、歩いてきた道のりを自分自身で振り返り、認めるところは認め、
反省すべきところは、苦笑いまじりにでも反省することができたなら、
自分に微笑み返しができるような気がする。

いろんなことがあったね、って 

生きるって、何かの目的を果たすというのも大事かもしれないけれど、
毎日を端々と一生懸命、歩いて重ねて行くことができればいいのかなぁって、
白髪まじりの父母の横顔を見ていて思う。

人生は短いようで長し。
そしてまた長いようで短し。

迷わず惑わされず、ただまっすぐに歩いて行けたらいいのに。。。
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今日、誰かを褒めよう

2007-12-26 | 禅語・般若心経
                   休去(きゅうしさる) (半紙半分)



「休し去り歇(けっ)しされば、鉄樹花を開く」 (碧巌録)
8/2のブログの「鉄樹開花」の前の句。

調べてみると・・。
あらゆる妄想や喜怒哀楽さえも一切休め去って「無心」になること、すると、
相手を受け入れる心のゆとりも生まれる、とある。
(だからこの場合の「休」は安らかという意味合いではなく、断ち切るという意味)

そう言われてもなかなか・・・悟りの世界は別世界と思いがちで、
どこか人ごとに聞こえてしまうかもしれないけれど。。
確かに「無心」の境地は、誰もがすぐに得られるものでもないわけで。。。

でも楽になりたい、もっと穏やかでいたいと願う時、このことばを声に出してみる。

「悩めば心を失う。悩まなければ心を得る。」
もう少しわかり易く考えると、このことばになるのかな。

これもまた、そう言われても・・人は悩まずにはいられないし 
ついつい余計な心配も、勝手にたくさん背負い込んでることもある。

けれど・・同じ時間、同じ人生ならば、できれば日々、信頼の中でただやさしく
生きらたらと思う。願う。

この禅語のように、一切を断ち切ることはなかなか難しいけれど、せめて。

自分でない自分を頑張り過ぎず、お互いの欠点を探したり指摘したりする仲ではなく、
お互いの持っている良いところを見つけ、素直に褒め合える仲にいたら、
人は悩んだり苦しんだり、それによって人を傷つけることもないのではないかと・・。

だから・・。
今日、誰かを褒めよう。
そして誰かに褒められたら、素直にありがとうって言えたらいいな・・


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日々是好日

2007-12-25 | つれづれ


今日はキリスト教の聖なる日、クリスマス・イブ。
クリスマスは、家族の絆を取り戻す日と聞いたことがあります。

クリスチャンでもないのに・・なんて夢のないことは言わないで、
街のイルミネーションを楽しみ、誰かのために贈り物を探したり、
一緒にケーキを食べたり・・の時間を楽しむ、それもまた好しかなと

日本人にとって今やこのクリスマスとお正月、そして櫻の季節は、
家族や恋人、友達、みんなの気持ちがひとつになって、一緒に過ごすことを
楽しみ、大事にしているように思います。

でもそれらの時間は、クリスマスまでのカウントダウンカレンダーがあったり
「もういくつ寝ると~♪」って歌もあったり、訪れるまでの時間の方が長く
ワクワクするけれど、過ぎてしまうとあっという間で何となく寂しかったり。

そのにぎやかな時間と、静かな時間のギャップもまた、余韻と共に家族や
仲間との絆を感じる大事な時間なのかもしれませんね

禅語の「日々是好日」は、毎日を楽しく暮らすという意味が一般的だけど、
本来は、どんな日々もかけがえのないものであるという意味だとか。

生きていることへの感謝の気持ちも忘れがちに、何となく過ごす日もある・・
というか多い けれど、人生いつ何が起きるかわからないし、
できれば日々是好日と生きたいものですね。。


それにしてもキリスト様は、お誕生日に宗教とは関係のないところでも、
なんとはなしに人々を幸せな気持ちにさせてしまうお方なのですね。

今日は、大切な人との時間を思い出させて下さるキリスト様に感謝をしつつ
MERRY CHIRSTMAS!









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以心伝心

2007-12-24 | 禅語・般若心経
                       (半紙半分)



このことばも禅語だったんですね。
ことばに出さなくても伝わる気持ち。

書では実際に書く「手習い」と、「目習い」(めならい)というものがあります。

師が目の前で書かれる姿から、筆に貯える墨の量、筆の運び、リズム、呼吸、
間合い、それらを黙して拝見する中で、理屈ではない心の部分を学ぶこと。
また、人の作品を鑑賞することも、目習いと言えます。

私の師は、毎回各人が今勉強している古典のお手本を目の前で書いて下さり、
同じ古典でも、それぞれの好みや個性に合わせて全く違う表情になり、
どれを見てもため息が出るほど魅力的でした。

他の教室に通ったことがないので定かではないけれど、目の前で書いて見せる
というのは、書の世界ではおそらく珍しいことだと思います。

でもそんな師のお蔭で、母いわく「あなたの書く姿は先生に似ている」。
もちろん師の域には足元にも及ばないけれど。。。

不思議なことに、そのリズムや呼吸の反復は、書の作品だけではなく、
思考や趣向までも、どこか師の跡を追うようになるものらしいです。

でも私はその反復の途中で、全身全霊「師の色」には染まらなかったけれど、
ありがたい事に私なりに、師の心を感じる部分は今もあります。

よく日本の文化は、察しの文化だなんて言いますが、その背景にはお互いの
理解と信頼関係があってこそなのかもしれませんね。

今の時代は直接的で、察するということばも死語になりつつあるようで、
なんとなく寂しい気もします。
それだけ、人と人との関係も薄くなったということなのでしょうか・・。
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「海へ来なさい」

2007-12-23 | つれづれ


大学時代の友人がよく私に話してくれた。
「自分がこうなりたいって強く思い続けたら、必ず実現するんだって」
彼女はそのことばの通り、夢を叶えて今はアメリカで元気に暮らしている。

ふと、なんか中途半端だな・・わたし・・と思う。
繰り返しの日常を言い訳に、自分を小さな箱の中に押し込んでる。

何となく軽く落ち込んだので、CDの整理をしていたら懐かしいのが出てきた。

井上陽水の「海へ来なさい」 
(↑クリックして視聴できます。曲目とサンプルの10番)
大学生の頃、何度も何度も聴いていた曲。


♪海へ来なさい♪

太陽に敗けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも泳げる力と
いつまでも唄える心と
魚にさわれるような しなやかな指を持ちなさい

※海へ来なさい 海へ来なさい
そして心からしあわせになりなさい

風上へ向かえる足を持ちなさい
貝殻と話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと
星屑を数える瞳と
涙をぬぐえるような しなやかな指を持ちなさい

※繰り返し


う~ん、やっぱり好き。心が安まるなぁ・・
萎縮した自分の中の何かを、この歌のように解放したいです
なんだかまたしばらく、陽水漬けになりそう。

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人間はね・・

2007-12-22 | 山頭火・放哉・良寛
                ** うれてはおちる実をひろふ  山頭火 **




12/15のブログで書いた社長ちゃんとの、思い出話の続き。

会社は池袋にあって、裏にあった南池袋公園にはお昼時になると、
近所のOLさんがランチに来てたり、公園や駅周辺で暮らすおじさん達が
たくさん集まって来て、昼間っからよく円陣を組んで宴会をしていた。

私は時々、社長ちゃんの代理でその公園を通ってサンシャインにある
某百貨店の商品開発部に出向いたのだけど、よくおじさん達に声をかけられた。

「お~。あんたもちょっと一杯やってけ。こんなきれいな桜を見ないでこの
公園を通り過ぎるなんて、人生損してるぞ。」

毎朝会社の前の青い大きなバケツから直接、朝食を摂りながら、
「おはよぉ~。今日は朝からパスタだよ」「今日も元気でがんばれよ」なんて
挨拶してくれる顔見知りのおじさんもいて、「じゃあ仕事の帰りにね」って。

社長ちゃんが、何度か公園に呼びに来た。
「まったく、遅いと思ったらまたここにいたのね」と言いながら、社長ちゃんも
一緒に一杯やったりした。

今は世知辛い世の中だから、信じられないかもしれないけど、あの頃はまだ
みんな気持ちがあったかかった。

当時池袋には、片道切符のお金だけで寝台列車に乗って上野に着いたけれど
行く当てもなく道端で座り込む母子も見かけたりした。

社長ちゃんは会社に戻ると「家に帰りなさいって言って渡して来て」と言って
封筒に入れた電車賃を私に渡した。

その時、社長ちゃんが言ったことばは、今も鮮烈に心に残っている。

人間はね、価値があるから生きるんじゃないの。
生きるから価値があるのよ。

社長ちゃん。思い出すとなんだか涙が出てきちゃいますよ。



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