心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

無邪(むじゃ)

2007-10-11 | つれづれ


無邪とは、邪心がないこと。
「無邪気」を辞書で調べると、素直で悪気がなく、いつわりや作為がないこと、
素朴で天真爛漫、天衣無縫、ナイーブな、とある。

昨日、POCORINCOさんからコメントを頂いた。
「神様や運命や動物は信じられても「人間を信じる」という事が一番
難しいような気がしていますが、いかがでしょうか。
そもそも人間を信じるってどういうこと??ってグルグル巡ってしまったり・・」

ほんと、「人間を信じること」が一番難しい・・・。
現代人はとにかく仕事も情報集めも忙しくて、ぼけっとしていたら容赦なく
切り捨てられちゃうから、みんな自分を守ることで精一杯。

大人社会の歪みはそのまま、中・高校生の世界でも、今は携帯という仮想空間で、
平気で友達を裏切ったり、仲間はずれにしたり。

でも、誰もが人を信じることを諦めてしまったら、社会は成り立たなくなっちゃう。
私は馬鹿だと言われようが、どこまでも人の良心を信じる。
「信じたい」じゃなくて、「信じる」。

何でも響きあいだと思うから。
人を信じたかったら、まず自分が信じてみるっていのうは、どうでせう。

「信じる」は「期待する」に似ているけどちょっと違う。
「期待する」には、自分のどこか勝手な思い入れが入っちゃうけど、
「信じる」は、その人のそのまんまを受け止めるってことかなって思う。

神様や運命や動物を信じられるのは、相手が無邪であるという安心感から、
無意識にそれらを受け入れられる心が、私たちにもあるからではないかしらん。

動物を信じるように、一人一人がごくごく自然に「人間」も信じられたらいいですね。
「信じる」の輪を身近な友達から~あっけらかんと、おおらかに。
コメント (4)
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