心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

力強さはどこからくるのか

2007-11-30 | つれづれ

人は隠しているものがあると、不安が生まれ、それをまた隠そうとするから
プライドという壁が高くなるような気がする。
するとどこか不安定で、脆く傷つき易くもなる。

この季節に、蒸かしても揚げても美味しいさつまいも。
(え?はい・・この絵、さつまいもです
その不恰好で無骨な姿を見ていて、ふと思った。

この力強さは何なんだ・・?
しばし、どうぞ召し上がれとばかりに、さらけ出すその姿に惚れ惚れ。

この力強さはどこからくるのか。
・・・見えない所からだ。

「隠している所」と「見えない所」は違う・・かな。
隠してあたかも自分の姿のように見せているのは、実は本当の自分ではない面であり、
見えないところは、本来の自分であるように思う。

人は結局の所、理屈では動いていないんだと思う。
表面的には見えない、それぞれの本能的な好き、嫌い、美味しい、面白い・・といった
感情が、人を動かしているんだと思う。

だから、見えない所を鍛えたいっ
誰かと比較する自分や、誰かに嫌われたくないと思う自分や、
誰かに勝ちたいと思う自分・・・。

そんな脆い他人本位の自分ではなくて、自分で自分を喜べる、
自分を好きと隠さず言える、そんな自分を探していたい。

それを自己中心的じゃない?と言う人は笑顔でかわして、
大地が育てたさつまいものように、力強くおおらかに堂々と。
さあ、どこからでもどうぞって、笑顔で言えるようになりたいなぁ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚だって話せばわかる

2007-11-29 | つれづれ



就職して2年目、初めて自分の働いたお金で海外旅行に行った。
パッケージツアーで、行き先は7000以上の島からなるフィリピンの中の、
シコゴン島という小さな島。

ツアーと言っても、同じ位の年齢の女性ペア組が3組と私の7人。
確かバイクで回っても30分位の島には、豪華なホテルなんてもちろんなくて、
シンプルなコテージがあるだけ。

海は見たこともないようなエメラルドグリーンで、格別の美しさ。
あまりの美しさに、到着してすぐに水着に着替え、飛び込んだ。

しばらく泳いで遠浅の海岸を歩いていたら、現地の子供たちが私を指差して
何やら笑いながらジェスチャーしてる。。
「ん?」と思って胸のあたりを見てみると、水着の肩紐がとれてあらわな姿に・・
「あっ」

でもそれがきっかけで?子供たちと仲良しになり、学校に招かれ一緒に歌を歌い、
誰かの家にも招かれ、お父さんが獲ってきたばかりの生魚を、塩をふっただけで
頂き(実は私は魚はかなり苦手で、その後お腹をこわしたけど)、翌日には
子供たちとまた海に潜り・・・。 ほとんど現地の人たちと過ごしていた。

潜ったのは小学生以来で、しかも透き通る海、魚が目の前を泳ぐ姿を見るのは
初めてだったから、単純な私はずっとここに住みたいなんて思うほど刺激的だった。

魚は人が見えると逃げると思っていたのに、すぐ近くまで寄ってきた。
魚と人が共存しているからなのかな。。

信じられないことに、黄色いグローブの私の指先に、黄色い魚が寄ってきて、
左右に指を振ると、魚が左右に首?頭?をかしげた。
ほんとです、ほんと。

わぁ・・魚も話せばわかるのかも・・って思った。

どうせ話しても通じないって思ってたら、本当に通じないのかも。
相手が誰であれ先入観なく、思い込みもなく向き合えたら
意外と通じるのかも・・ね。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰かのために

2007-11-28 | 山頭火・放哉・良寛
 
          雲がいそいでよい月にする  山頭火の句。       



なんともいいなぁ。

夜空ではやっぱりお月さまが主役なのかしらん・・と思いながらも、
いやいや空と雲と星があってこそ、お月さまの美しさも見えてくるのよね、と。

それにしても月だけに、「さま」とか「さん」がつくんですね。 あ・・星もですね。

ごく稀に、ものすごく大きくて地上に近くてまん丸のお月さまを見たことないですか?
ついでに、その異常な大きさにギョっとしたこと、ありませんか?
あれはなんの自然現象なんですかね。。

そんな時ふとこの句を思い出して、雲の気持ちをおもんぱかったりするわけです。
「月さん月さん、ちょっと頑張り過ぎじゃないですか~」って。
現に、そんな月夜には雲ひとつないってことが多い。

雲にも思いがあって、選ぶ権利があるんです、きっと。
急いで流れて、月さんの今の美しい姿を、遠く地球の人達にみせてあげたいって
思うのは、月さんがさり気なく美しい時なのかな・・なんて思ったり。

お互いを思いやるというか、誰かのためにそっとその場を離れたり、近くにいたり。
そこんとこの粋な美学に憧れます。

ついつい、~してあげたのに・・とか、それに気づいてもらえなかったら
目の前で、お~いって両手を振ってみたり。。。

雲がいそいでよい月にする。

泣かせるじゃありませぬか。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最も大切なもの

2007-11-27 | つれづれ
           秋の色はぽかぽかっと心も温めてくれますね。
           いつも心は秋色でいたいものです。




昔読んだ本で、印象に残る一節がある。
「人が生きていくために最も大切なものは、体温を伝えあう相手とそれを
伝えあえる距離である」

いつだったかネットの海外ニュース欄に、興味深い記事があった。
「アメリカの結婚している夫婦で、夫と手をつなぐ女性の寿命は、つながない女性より
ぐんと高くなるというデータが発表された」というもの。
手をつなぐことで脳に安心感やしあわせ指数が上がり、結果寿命が延びるというのだ。

え~そうなの?と、どこからか声が聞えてきそうだけど。
それってあるかも~って思う。

若い頃できたことでも、年を重ね子供が巣立って行ってからもお互いを、お父さん、
お母さんって呼び合っていると、今更ねぇ・・なんて、思ってませんかぁ?

きっと、あれですよ。
「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」の名言と同じ。
好きだから手をつなぐんじゃなくて、手をつなぐから好きになるってことも
あるのではないかしらん。  なんて。。。

やっぱり何でも響きあい。
どうせ同じ時間を過ごすなら、できれば、ぽかぽかっとした気持ちでいたいもの。
相手を変えようと眉間にしわを寄せて頑張るより、まずは自分から・・す~っと
手をつないでみて下さいまし。

 


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳天気で生こう

2007-11-26 | 
           初めてパソコンのツールを使って書いてみた~
           なかなか思うように書けじ。



猫が好きだからというわけでもないけれど、ふと気づくと部屋のそこここで
集めた招き猫が微笑んでいる。

昨日の招き猫作りをきっかけに、ちょっとづつコレクション?が増えた。
そして招き猫について調べてみると、その情報量の多さに驚く。
全国各地の招き猫を載せたサイトや、歴史、由来、ご利益、コレクション、作家物等々・・。
また張子や樹脂、木彫り、焼き物など、あらゆる材料を使った招き猫の作り方まで。

ある九州の招き猫工房では、ご利益があったとの噂から全国各地からその招き猫の
焼き物を求めにやってきて、それなのに一日限定数なので売り切れなんてことも
あるほどの人気らしい。

しんじられな~い。
皆さん縁起物にはお金も時間もいとわないのね。。
その時間とお金があったら・・なんて考えるのは野暮なわけですよ。

日本人はとかくこの手の行動に走りがち。
きっとその招き猫を手に入れた人を羨望の眼差しで眺め、次は私!とばかりに、
気合いも入る。

それだけのエネルギーあったら、いらないんでない?って思ったり。。

しあわせは、執着すればするほどに逃げていくような気がする。
私は基本、来るもの拒まず、去るもの追わず。

私はそれで*生きませう。
そう、能天気に生こう!ってな感じで。


*生こう=行こうが正しいけど、私の造語。



  
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

招き猫

2007-11-25 | 


6年前、縁あって招き猫の絵付けのお手伝いをさせて頂いたことがある。
型抜きした招き猫の張子に、胡粉を塗ったもの、和紙を貼ったもの、
風水で金運にいいと言われる、黄色や金、黒の猫も作った。

写真のは胡粉(カキ殻を粉にして乾かした顔彩)。

お店では、笑っている一本線の目だけだと、丸い目はないの?と聞かれ、
丸い目のを作ると、黄色の猫はないの?と、どんどん種類は増えていって。。。

一度にまとめて、確か30個づつ作っていた。
自分にそんな根気があるとは思わなかったけど、結構楽しかった。

職人さんと違って、どうも同じものを作ることが苦手な私に、
手作りなんだから、ひとうひとつ心を込めて作ればいいですよと声をかけて頂き
似たような顔がこうして揃うと、わが子のようにいとおしさも感じたりして。

そういえば11月23日は二の酉でしたね。
行かれたことありますか?

私は新宿花園神社の酉の市には何度か・・。
そして横浜阪東橋の酉の市には、この招き猫達も一緒に一度だけ参加させて
頂いたことがあります。

色々な屋台も出てあのにぎやかしい中、色々な縁起物を買われた方が手を合わせ
何かを祈る姿と、作り手の威勢のいい掛け声が聞えて、なんだかこちらまで、
幸せのおすそ分けして頂いた気分。
いい経験でした

もう師走が近いんですね~。

昨夜は毎年頼まれている手作りカレンダーを一日中書いていて、寝たのは4時
ブログの更新も遅くなりました


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座禅会 at 常福寺

2007-11-24 | つれづれ
            「どうしようもない私が歩いている」山頭火
         

去年の今頃、友達と近所にあるお寺での早朝座禅会に参加した。

そのお寺は一昨年、初詣に行くのに、近くて混んでなくていい感じのお寺は
ないかなぁと、ネットで検索していてたまたま見つけた禅寺だった。
臨済宗 建長寺派 常福寺  ←クリック

本堂でのライブや寺子屋も行っていて、ご住職様は現代美術への造詣も深いご様子。
ホームページの写真では、なかなかりっぱで格式あるお寺に見えたので、
去年の初詣はそこに詣でた。

ところが行ってみると、思ったよりこじんまりとしていて、人っ子ひとりいない。
少々拍子抜けしたけれど、お庭は程よく自然にさらっと整っていて、
手作りらしきお地蔵様の焼き物がさりげなく置かれていたり、静かでひっそりとした
その空気が、なんだかとても心地よかった。

座禅会は毎週日曜日の朝7時から本堂で。30分後しばし間をおき、更に30分。 
裸足に扉は全開、冷たい空気が心地好く浄化されるような気分。



   奥の間の前にある枯山水        本堂脇の竹やぶ         


座禅が終わると、本堂組とお庭組の2班に別れてお掃除。 私はお庭組。
今どき使うこともない竹箒で、枯葉をざっ~ざっ~って音を立てながら掃く。

これが何とも気持ちがいい。
お正月に初詣に来て、このお寺だ!って思った今ここにいるこのお寺のお掃除を
させて頂いていることが、ありがたくてうれしくて、しあわせって思った。

そんな思いは初めてだった。

・・と言いつつ、その後数える程しか参加できていないのだけど
あの何とも言えない清々しく温かく、それでいて凛とした空間と時間は、
私の五感に何かを与えてくれたように思う。
以来、不思議といつも私の心のどこかに、この常福寺があるのです。。

参加者のお一人に伺ってみた。
「あのぉ・・肩を叩かれる時すごい音がしましたが、痛いのですか?」

するとお答えは・・
「それはあなたのお心次第ですよ」

なるほどぉ。。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「想」 NO.3

2007-11-23 | 前衛・抽象
               ‘94二人展の時の作品(K様所蔵)



猫になるための修行をする猫はいない。
鳥になりたがるカエルもいない。
でも人間は、自分以外のものになりたがる。

私もこの作品を書いていた頃は、自分の存在する意味を探してばかりいた。
自分で選んで歩いていきたいと思う反面、不安で自信がなくて、どこかで
自分を否定してたのかもしれない。

でも勇気を出してこの二人展をしたことで、自分は自分のままでいいのかなと
少しだけ思えたような気がする。

大事なことは、誰かが私をどう見るかではなくて、私が私とどう向き合うか。
作品にして気持ちを代弁してもらったことで、ちょっとだけそんな風に思えた。

どんなに美しい花が咲いていても、その花を見ようとしない自分からは
きっと何も生まれないんですよね。。。
自分を見ようとしない自分からは、何の進歩も感激も得られないっていうか・・。

人はなぜか、誰かの評価の中で自分の価値を確認してしまうところがある。
私も実は結構、人の何気ないことばを気にしたり、動揺したり。。

作品を創る(自分を生きる)ということは、自分をさらけ出すことでありたいです。
たとえそれが好きじゃない自分の一面であっても、知らなかった自分であっても。

嫌われたっていいって、胸を張って言える作品を創っていけたらなぁ・・・。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美の正体とは

2007-11-22 | つれづれ


棟方志功が、ある対談でこんなことを言っていた。
「美の正体とは、ありとあらゆるものの中に潜む喜び」と。

そして自分は、その美を探すために、小さな自己への執着をやめ、もっと大きな
宇宙観での作品創りに励むのだと。

美の正体。
人生を美と考えたら、やはりその正体も喜びであるような気がする。
そして美=喜びとは、どこかに潜んでいるものなんだぁ・・と。

悲しいことがあるから、嬉しいも感じる。
つまらないと感じるから、何かを始めなきゃって思えてくる。
誰かを信じられないと思えば思うほど、本当は誰かを信じたくなる。

「美」(喜び)は隠れているんだ・・。

だから、いつも前を見て、探し続けよう。
どこどこ?って焦ったりしないで、笑顔でまずは自分が興味のあることから始めよう。

何でもいい。下手の横好きでもいい。
無理して探さなくても、何かを続けていれば自然と「美」は見つかるはず。

「人生の正体は喜び」って、素敵なことばだと思いません?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書もJAZZでなければ

2007-11-21 | 前衛・抽象


'97の作品。「JAZZ」(90cm×180cm)

JAZZバイオリニストの寺井尚子さんが、こんなことを話されていた。

「譜面を見ながら弾く曲はJAZZじゃない。それは、誰かから湧き出てきた
ものをコピーしているだけで、自分の中から湧き出てきたものじゃない。
JAZZは、自分から湧き出るものよ。」

うんうん、わかるわかる。。
だって書も同じ。

書の世界では、公募展出品作品でさえ師のお手本を頼って、自分で文字を調べたり、
感じたり創造したりすることもなく・・なんてこともある。
だいたい漢文を書いているのに、どんな内容の詩なのかもわからないまま書いている
方もたくさんいらっしゃる。。
せっかくの晴れ舞台なのにもったいないって思ってた。

書は教育なのか、それとも芸術なのか。
そんなことにこだわって、若かりし頃は諸先輩と熱く議論したこともあった。

でも今は、むずかしい理屈を議論する暇があったら、ともかく書いてみようよ!って、
伝えたいのかもしれない。

書を始めた頃はその先の遠さに途方にくれて、落ち込んで、もうやめちゃおうかな
と弱気になったこともあった。

でもやっぱり書が好き。
どんなに頑張っても師のような、立派な書家にはなれないけれど、自分自身が
書と関わることで自分の居心地のいい場所を見つけられたことを、私なりの
表現方法で誰かに伝えたていきたいって思う。

綺麗にとか、上手にとか思うと、いつまでも書けない。
恥ずかしいとか、筆は持ったことがないからとか、字は下手だからとか、
そんなことは気にしないで、あっけらかんとJAZZのように書けばいい。

思いがけずいいものが書けたら、我ながら?って喜びが、きっと新しいエネルギーを
生むはず。

そう 書も、人生も、JAZZでなくちゃね~



*英和辞書でJAZZと引くと、威勢のいいこと、元気、熱狂とあり、
国語辞典で引くと、即興演奏が特徴 とありました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする