皆川雅舟 先生の作品。
高啓の詩 両岸晩風黄鳥樹 鶯のさえずる両岸の木々に夕方の風がそよぎ 一坡春水白鷗天 春水は堤をひたして白鷗が浮かんでいる
の、後半の部分です。
母の兄弟子でもある雅舟先生とは、わたしも一度お目にかかったことがあります。 穏やかな笑顔で、けれど書への情熱を語るお姿が、今も心に残っております。
この作品が書かれた年代は不明ですが、筆勢、筆脈、空間に、気韻生動を感じます。
書は漢詩を書くことが多いのですが、その中でもどんな言葉を選ぶか、に 書家の人となりが見えたりもします。
現代では益々、わたしもですが、漢詩に親しむ機会も少なくなりましたが 漢詩の中にあるゆったりとした時間、心のあり様といったものを味わうひと時も いいものだなぁ、と、改めて思ったりしています。
皆川雅舟
福島県出身。 小学校教諭を経て昭和35年、中平南谿の門に入り、以後本格的に書技を練る 昭和39年日展初出品で初入選、以後計三回入選 「墨雅会」を組織し書道誌 『墨雅』を発刊。 毎日書道会審査会員、全東北書道連合 六友会 初代会長 2011年逝去。享年88歳
プロフィールは 墨雅 等より拝借しました。
こちらの作品も、5月24日からの書展でご覧頂けます。
畫(画)龍點(点)晴 がりょうてんせい
中平南谿先生の色紙作品。
画龍は、龍の絵をかくこと。 点睛は瞳を一筆描き加えること。
そこから、文章や絵画で、最も重要な箇所に手を加えて、効果をあげること。 最後の大切なところに手を加える、物事の最も肝要なところのたとえ。
雅印は南谿ではなく、先生の本名「恵」(さとし)。
しなやかで格調高く。 格調とはなんでしょうね。
辞書には気品や品位とありますが、習って得られるものではないような。
この作品も、来週土曜日5月24日からの始まる書展でご覧になれます。
わたしの書の師、稲村雲洞先生の蘭亭叙による二曲屏風の部分画像です。
臨書ではなく、*龍門造像風 で、師が割と好んで書かれていた書風のひとつ。 *中国河南省の古都、洛陽に近い龍門の石窟に刻された代表的な文字
わたしが20代の頃、出版社に勤めていまして。 取材中、たまたま立ち寄った中川一政の「裸の字」という書展を見て、 あ!わたしも書を勉強したい!と、全身に電気が走りまして。
帰社後、すぐに退職願を出して、半年後に退社。
書でも大先輩の母に相談。 当時母がお世話になっていた清田岱石先生にもご相談したところ、 雲洞先生をご紹介下さいました。
本来、全くの初心者は受け入れないとのことでしたが、清田先生のお力添えのお陰で まずは面談ということになり、禅問答のような質問が。
「あなたは、処方箋が欲しいのか、それとも薬が欲しいのか、どちらだ?」
ん?何を聞いておられるのかな?と、首をかしげながらも、処方箋です、と答えまして。 さすれば、「わかった、よし、来月からお稽古に来なさい」のような、会話がありました。
要は、一から手取り足取り教えて欲しいのか、それともどれくらいの気持ちがあるのか それを確かめられたのかなと、随分後になって思いました。
若気の至り、怖いもの(世間)知らず、当時疑うことを知らなかった性格ゆえ まわりの大先輩の方々からは、随分ひやひやされたこともあったようですが 先生とのかけがえのない思い出はたくさんあります。
そんなわたしのことを、母も父もどこかで喜んでいたようで。 今思うと、そんな父母の思いも感じる作品です。
この作品も5月24日からの書展でご覧いただけます。
中平南谿先生の軸作品。 半切巾より細めです。
杜甫の詩
露下天高秋気清 空山独夜旅魂驚 疏灯自照孤帆宿 新月猶懸双杵鳴
南菊再逢人臥病 北書不至雁無情 歩檐倚杖看牛斗 銀漢遥応接鳳城
の最初の二句。
露下天高秋気清 露下り天高くして 秋気清し 高く澄んだ空から露が下り秋の流れは清らかだ。
空山獨夜旅魂驚 空山獨夜 旅魂驚く 人気のない山にひとり夜を過ごしていると、旅の心は憂いに沈む
点から線へ、字から字へ、行間と続く筆脈、気脈に飄々としたものを感じながらも かすれる程合いの墨量で、微妙な紙の抵抗も考えながら書かれているのだとしたら この詩にある「憂い」を込められたのだろうか、などと思いを馳せております。
父60代の頃、東京吉祥寺の小唄の先生のところに通っていました。 幼少の頃から、芸事が好きだった祖母の手ほどきで お謡いや小唄のお稽古をしていたようで。
祖母は厳しくて遊びに行くのも許されず、友達からは男のくせに、と馬鹿に? されていたらしく。 それでも案外、本人も好きだったのでしょう。定年後の愉しみのひとつでした。
先生は宮田先生という女性だったと記憶していますが、検索しても出てこず。 長唄で人間国宝になられた三代目 貴音 三郎助氏(本名 宮田哲夫)と 関係があるのか否か、今となってはわからず。。
小唄の話はなんで?と言いますと、今日の絵は、その宮田先生が描かれたものと 父から聞いていたからです。
たぶん、小唄の一節なのかなと思いますが。
おまへのやうな美しい女子(おなご)と地獄へ行くならば ゑん魔さんでも地蔵さんでも
曲調は忘れましたが、父が三味線を弾きながら歌っていたことを覚えています。 三味線はその後保管が悪く、残念なことをしましたが わたしもどこかで血が騒ぐ、みたいなところがあるので、習ってみたい気持ちも。
ぼやぼやしていたら、すでにいい年齢。 やりたいと思ったらすぐやらねば、ですねぇ。
この作品も、5/24~の書展で、展示できたらと思っています。
咸陽博物館蔵の寅の紋の瓦当拓本。
以前所属していた書の会で、わたしが何か賞を頂いたときに、 玉村霽山先生 が お祝いとして下さった貴重な一品。 平成三年の訪中記念と書かれてあるので、おそらく中国で買われて来たもの。
瓦当とは、屋根に取り付ける部材の一つで、その起源は戦国時代まで遡るそうで。
様々な模様や文字で装飾されていて、屋根瓦を固定し軒を守るという機能があり 実用性と芸術性を備えているだけでなく、歴史的な情報も多く含まれているらしく。
書では、この瓦当の拓本を鑑賞したり、臨書したり、という愉しみもあるのでして。 拓本の世界も奥が深く、よく師が話されていたのは、たとえば拓をとる時の気候、 墨、紙、そして何よりも力加減によって、よい拓本とそうでないものとの差は歴然、と。
相手は立体だから、いかに取り残しなく均一にというのは確かにむずかしそう。 墨色がよく、少し盛り上がるくらいに立体的になっている拓本は美しい、そうです。
こちらの作品も、5月24日からの書展で展示いたします。
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「小庵髙卧有餘清」
中平南谿先生の門下、母の兄弟子、石川芳雲先生の古希展の時の軸作品(半切1/2)。 静かで穏やかな雰囲気の小さなお寺、というような感じの意味だったような。
楽にささっと書かれているようでいて、筆致は巧妙にして壮健。 バランスも絶妙、全体に流れる呼吸は生き生きと躍動していて、清明。 また、どこか温かみのある作品は、先生のお人柄を感じます。
石川先生は 何紹基 に心頭し、「くずし」の妙による甘美な線が書法の べースとなっている、と言われています。
母との書道教室 蘭秀会の展覧会には、 宮山一琴先生とご一緒に毎年お越し下さり、 その時にも何紹基のお話は尽きず、母もわたしも、何紹基に憧れるようになりました。
2000年に90才で逝去されましたが、芳雲先生の、少年のような純粋な目と まわりもつい和む、お優しい笑顔は、今も目に浮かびます。
拙ブログで何度かご紹介しているので、ずずいと下までスクロールしてください。
クリック➡ 石川芳雲先生
久々に高次脳機能障害になってからの母が登場して懐かしや~。 会話はできなくなっていましたが、書展会場では熱心に拝見しておりました。
5月24日からの書展では、こちらの軸作品のほか、33×90サイズの額作品も展示します。
もう1点、軸作品もあるのですが、不勉強で解読できない文字がありまして。 今一度調べてみます(^^;
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母、坂本谿泉の半切軸作品、李太白の「前有樽酒行」の部分。
母が若い頃の作品も、たくさん残っていて。 もちろんわたしなぞ足元にも及ばない作品ばかり。 でも偉そうに・・だけど、晩年の作品と比べると母は常に進化していたのだなと、 そこに改めて母の書への情熱を感じました。
母は、父親(私の祖父)が松本芳翠の書に魅かれ、お稽古をしているのを見て 自分も芳翠に魅かれ、門下の櫛淵蓬山先生(書海社)のお教室に通い始めました。
わたしが小学生の頃、学校から帰ると食卓で新聞広告の裏を使って 書の練習をしている姿を、今でも覚えています。 主婦で二人の娘の子育て中、自分の趣味にお金をかけられなかったのでしょう。 それでも書を愛し学びを止めず、おそらく筆を持たない日はなかったのではと思います。
こども心に、何度も同じ字を書いて何が楽しいのかな、なんて思ったものでした(笑) でもそのひと時は、母には何にも代えがたい大切な時間だったのだと思います。
その後、中平南谿先生に出会い、兄弟子やお仲間の皆さまに刺激を頂きながら 存分に書を愉しめた人生だったのでは、と思います。
わたしもまだまだ、いやいやここから、書と向き合いたいと思っています。
作品全容は、5月24日から始まる書展で
李太白「前有樽酒行」
春風東来忽相過 春風東より来たってたちまちに相過ぎ
金樽淥酒生微波 金樽の淥酒(ろく・しゅ)は微波を生ず
落花紛紛稍覚多 落花紛々としてやや多きを覚ゆ
美人欲酔朱顔酡 美人酔わんと欲して朱顔、酡(た)なり
青軒桃李能幾何 青軒 桃李 よくいくばくぞ
流光欺人忽蹉跎 流光ひとを欺きてたちまちにして蹉跎(さだ)たり
君起舞 君、起ちて舞え
日西夕 日は西に夕べなり
当年意気不肯平 当年の意気、平らぐをがえんぜざるも
白髪如糸歎何益 白髪糸の如くんば歎くも何の益かあらん
春風が東から吹いて来て、あっという間に過ぎて行ったので、
黄金の樽の中の澄み切った酒に、かすかな波が起こった。
あちらこちら落ちる花びらが少しばかり多いような。(春もたけなわ)
美しい人はお酒を飲んで、ほんのりと顔に赤い色さしぬ。
青(←春の色のこと)く塗った軒に桃と李の花咲いたけど、いつまでのことかのお。
流れる月日は人をだしぬき、あっというまに足元はよろめく。
よう、君よ、立ち上がって踊りなされよ。
太陽はもう西に傾きはじめたのだ。
若い頃の心意気、変に丸くなんかなっていないと粋がってみても
糸のような白髪になってしまってから嘆いても何にもならないのだから。
5月に入り、24日から開催の書展のご案内をピン留めさせていただきます。 新規投稿は、次の投稿からになります。どうぞよろしくお願いいたします。
昨秋、個展でお世話になりました なるせ美術座で、書展を開催させて頂くことになりました。
実家の片付けをしていたら、母の多数!の書作品はもちろん、母の師中平南谿先生 の作品が 20点超、直筆半紙手本が等があることが判明。
中平南谿 軸作品(画像は作品部分のみ)
また中平門下の皆川雅舟先生、石川芳雲先生 (拙ブログでアップした過去記事) そして清田岱石先生、わたしの師、稲村雲洞先生の二曲屏風や小品、 北村西望百一歳の時の書(半切)も。
稲村雲洞先生の二曲屏風「蘭亭叙」
稲村雲洞 般若心経
わたしが書を始めるきっかけとなった中川一政の書画(リトグラフ)、清水公照の色紙、 斎白石の書画軸(たぶん?印刷ではない)、龍門造像の拓本など、所蔵の作品を展示します。
書は人なりと言いますが、まさに書線、呼吸に見える筆意から、それぞれの生きざまを 感じるひと時をお届けできましたら幸いです。
少しづつ、作品をチラ見でご紹介していきます。 ぜひ実物を観にいらしてくださいませ!
母の書と拙作の小品も出品します(^^)
◆なるせ美術座
東京都町田市南成瀬4-7-4公園上 電話042-723-2988
JR横浜線 成瀬駅北口より徒歩7分 横浜➡成瀬 八王子➡成瀬 新宿➡町田➡成瀬 渋谷➡長津田➡成瀬
◆5月24日(土)〜5月31日(土)
12:00〜18:00
🔸26.28日は休廊