明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

貴女と、母と、、、私。

2017年09月21日 | 私。
そして、、、もう一人。





やはり昨日のこと。


夕方、高校二年の時の同級生から、お香典のお礼の電話が来た。


もう、一ヶ月は過ぎただろうか、、、
彼は、三十年来の妻を亡くしたのだった。


報せてくれたのは、やはり高校二年の時の同級生。


何故か、高校二年のクラスは、とても仲が良かった。
高校三年ではなく、二年ていうのが面白いでしょ。

二人とも、もう、40年来の友人となるんだなぁ。


私の行っていた高校は、都立の、極々普通の高校だった。

制服が無い、、、
変わっていたのは、そこだけ。

標準服と称された、学生服を着ている人もいたけど、ほとんどの人が普段着で学校に行く。
流行りのハマトラや、アイビールックでビシッとキメてる人もいたし、アロハシャツとか下駄を履いてる先輩もいたっけ。

多分、高校生らしい服装で、、、みたいな事は、学生手帳に書いてあったのかもしれない。

だからって、荒れて学級崩壊なんて事は、全く無かったよ。
怖い先生もいた。
赤点を取れば落第もする。
服装以外は、普通の高校だった。


卒業してからも、高校二年の同級生十数名で、よく集まっていた。
なんだかんだと名目を見つけては、飲み会をしたり、皆んなで旅行にも行っていた。

いつしか彼女連れ、彼氏連れになり、そのうち家族連れになり、、、
小さな子供が何人も、チョロチョロ走り回ってる時もあったっけな。

そんな楽しい集まりも、やはりそれぞれに忙しくなり、転勤やら、それこそ家庭の事情やら、大勢で集まることは無くなった。

それでも切れずに繋がっていられたのは、年賀状があったからかもしれない。
年に一度は、必ず思い出す友達。
それはそれで、良いんじゃないかな。


前々記事の、亡くなった中学三年の同級生の事も、何処かと何処かが、年賀状で繋がっていたから知れたことだった。

年賀状って、スゴイんだよ。
若い人達に、教えてあげたい。
なんてね。





久しぶりに送られて来た、高校二年の同級生からの一斉メール。

悲しいお知らせ、、、の、件名。

同級生の奥様が亡くなったこと、葬儀の日時と場所が書いてあった。
繋がらなくなった人もいるから、知っている人には報せてくれというものだった。


友達の奥様とは、直接話した事は無いけれど、家族連れで集まった時には、お会いしている。
ちょっと年上の看護師さんだったな。


葬儀場は、残念ながら今のこの腰では、行けるような場所では無くて、行く事は出来なかった。
後日、やはり葬儀に出れなかった親友が私の所へ来てくれて、遅ればせながら、二人連名でお香典を送らせてもらった。



そのお礼の電話が、昨日の夕方来たのだ。


お悔やみの言葉を言う。

思ったより元気そうだったけど、空元気だね。
まだいろいろ忙しくて、ピンと来ていないって言っていた。

聞いていないのに、、、経緯を細かく話してくれた。
話したいのかな?と思って、黙って聞いていた。





夏休みで、家族で奥様の実家に里帰りしている時のこと。
夜遅く、奥様が突然倒れ、救急車で運ばれたそうだ。

脳動脈瘤破裂による、クモ膜下出血だったそうだ。

そして、、、細かい話を始める。



つまり、こういう事だ。




以下、文章お借りしました。

脳動脈瘤が原因であるくも膜下出血の患者さんにとって最も危険な事は、再発作(再出血)です。破裂した脳動脈瘤は、もう一度出血(再破裂)しやく、特に24時間以内が要注意です。再破裂によりくも膜下出血が増え、脳のダメージがより深刻になり、生命の危険が高くなります。この再破裂を防止する為に脳動脈瘤にいく血流を止める治療が手術です。

股の付け根の血管(大腿動脈)から動脈瘤までカテーテルを入れて、プラチナ製のコイルを詰め込むコイル塞栓術があります。



聴きながら、、、受話器を持つ手が震えた。
まさに、母が受けた手術だ。

コイル、塞栓術。

母は、脳動脈瘤が、破裂する前だった。
しかし、異物が入った事で、血栓が出来、脳梗塞を起こしてしまった。


同級生の奥様は、90パーセントのコイルを入れたところで、再破裂したらしい。
そして、脳死となったそうだ。

医師にも、思いがけない事だったらしい。


それから一週間後、静かに息をひきとったと言っていた。

細かい話を聞いて、私が分かることを、驚いていた。
そりゃそうだよね、、、普通なら、コイルだとか、塞栓術なんて、分からなくて当たり前だもの。



なんで、気づかなかったんだろうと、しきりに言っていた。

具合、悪そうな時があったんだって。

居間でゴロゴロしている事があって、、、

「なんだよ〜寝てばかり、、、」
って、言っちゃってたんだって。

今は、何が何処にあるのか、サッパリ分からなくて困ってるよ、、、って、笑って言ってたけど、、、
泣きたいよね〜

それくらい、頼り切っていたんだよね。
信頼して、安心して、家の中のこと、任せてられた人。

残念だよね。
悲しいね。

まだ、未婚の息子と娘、、、結婚式も見たかったろな。
孫だって、抱きたかったよね、、、

何より、皆んなが知っている。
奥様は、その同級生を追いかけて、東京まで来た彼女だった事を。

まだまだ一緒に、いたかったよね、、、

麻痺や、障害は残るかもしれないけれど、死ぬなんて事、微塵も思っていなかったんだって。


「元気出してね!身体には気を付けてね!」

気の利いた言葉なんて、私には、何にも見つからなかった。

「仕事があるから、気が紛れるよ。」

そう言ってた。


きっと、高校二年の仲間が、ほっとかないから大丈夫だね。

「遊んでもらいなね〜」って、電話を切った。




心から、ご冥福をお祈りします。





偶然とは言え、同じ日に、三人の方の最期に触れた。

そして、母のことを、久しぶりに思い出して、いろいろ想った。

このところ、自分の腰やら頭やらに加えて、父のこと、、、忙しくて、母の事を思い出す事が少なくなったからなぁ。

神経根ブロック注射をしに行く時だけ、痛くしないでね〜って、仏壇で頼んだけど。




この場所にいると、沢山の方の闘病に触れる。
亡くなった方も、沢山いらっしゃる。

もちろん、頑張っている方も、沢山だ!
八さん、今日もリハビリ頑張ってるんだなぁ〜って、嬉しくなる。
いつかきっと、横浜で(*^^*)



介護ってさ、、、
支える側、支えられる側と、分かれているように思うけど、間違えてた。

支え合っているんだね〜
と、今更ながら思った。


私が母を支えていただけではなく、確かに私は母に、支えられていた。

だから、あの十年は、母にとって、、、上手く書けないけど、母親として娘への愛情そのものの時間でもあったんだ。
だからきっと、生きていて、良かったって、思っているはずだと思えた。


もう、あの十年の事を、悔やんだり悲しんだりするのは、やめよう。

あの選択は、間違いなんかじゃなかった。


確かに違う選択もある。
矛盾しているけど、自分の身に起きたとしたら、、、
中学の同級生のように、そちらを選ぶかもしれない、、、

でもきっと、それも間違えにはならないだろうとも思う。





今は、もう、考えなくても良いことにしよっと。









私は、とにかく腰の手術をして、、、

是が非でも、元気になってやるぅ〜〜

それで、大好きな旦那と、113歳のタンデムツーリングに行くよ!



私は私だから。


エイエイオー!!







追伸。


誤字脱字、矛盾に、独りよがり。
大変失礼致しました。

読んで下さった方、読みにくくて、訳わからない箇所も多々あったとおもいます。
ごめんなさい。

今、思う事を、どうしても、書いておきたかったから。




明日、皆さんが幸せでありますように。

貴女へ。

2017年09月21日 | 私。
昨日のこと、続きます。




父の部屋の掃除と、入浴介助で、昔馴染みのヘルパーさんが来て下さった。

母の在宅介護を始め時から我が家に来てくださっているヘルパーさんで、付き合いは、もう12年以上になる。

私の方がチョットだけ年上だけど、同世代で、とても仲が良い。
ヘルパーさんなんだけど、友達みたいに話が出来る人なんだ。




12年前、私が在宅介護の初心者。
そして、某ヘルパー会社の支店立ち上げと共に入って来た、彼女もヘルパーの一年生だったと思う。


気負っていた二人。
元気な40代半ばの二人。
若かった、二人。

性格が似ているのかもしれない。
それゆえに、、、ぶつかった。

何がどう?って事は、全く覚えていないのだけど、、、ね。
私が彼女を好きになれなかったように、彼女も私が嫌いだったと思う。

ところが、年月を重ねるうちに、いつの間にか、なんでも話せる人になり、、、
スッカリ、頼りにし、会うと嬉しい人に変わっていた。

お互いに、、、歳をとって、丸くなったのかもしれないし、やっぱり似ている性格だから、考え方が似ていて、気が合うのだと思う。


そんな彼女は、前の所長が引退し、今は所長さんになっている。
しかし、ヘルパー不足は否めず、今も現役バリバリだ。

母の様な、介護度の高い、、、身体介助を重点としている家には、とても必要なベテランヘルパーさんだと思う。

だから、残念ながら、母が他界した時に我が家の担当からは、外れてしまった。
父は、今でこそ要介護3だけれど、その時はまだ、要介護2だった。

彼女も、強い人なんだけど、今から書き置きたい貴女は、別の人。



その貴女は、、、

やはりヘルパーさん。
我が家に来る様になって、2年くらいかしら。
週三回の利用のうち、彼女は二回来てくださっていた。

40代前半かなぁ、高校生の娘さんと、大学生の息子さんのいるお母さんだ。

このヘルパーさん、八月一杯で事業所を辞めてしまった。
当然、我が家にはもう来ない。

その穴を埋めるべく、前述の彼女が久々に我が家にやって来たわけだ。




話が逸れてばかりいるけど、ヘルパーさんは、お医者様の数より少ないらしい。
我が家に来ている訪問医療の医師が、いつもこう言っている。

ヘルパーさんこそ、もっと沢山いなきゃいけない。
そうじゃないと、国が推奨する在宅介護は成り立たない!

だからね、どのヘルパー事業所も、慢性の人員不足。
結果、所長さんも机上の人ではいられないわけだね。

我が家は長い付き合いって事もあり、本当にヘルパーさんには無理を聞いて貰ってる。
確かに、私の在宅介護も、ヘルパーさん無しでは成り立たなかった。



話を戻すね。


辞めてしまったヘルパーさん、我が家に来て暫くは、ほとんど口を開かない人だったの。
もちろん、返事をしないとかじゃなくてね。
返事しか、しないと言うか、、、暗いの。

大概、ヘルパーさんは明るい、元気な人が多いと思う。
利用者と、話をすることで、コミュニケーションを取らなければいけない場合も多いしね。
話すことも、仕事のうちだったりもするかな?

とにかく、とても大人しいヘルパーさんで、長年いろんな方にお世話になっているけど、チョット珍しいな、、、って感じで見ていた私。

ベラベラ喋る人が好きじゃ無い父も、あまりにも喋らないヘルパーさんに、実は少し不満だったみたい。

たまに、お散歩、買い物介助として、二人で外に出るんだけど、ヘルパーさんが、父のチョット後ろを、黙ってついてくる。
そんな感じだったらしいの。

そう、いわゆる愛想が無い。
ヘルパーさんには、向いてないような気がする。

それを私も感じていたのだけど、世の中、いろんな人がいるからね、、、

私も、母の時とは違って、ヘルパーさんに父を任せて、二階にいることが増えていたし。


ある日、お散歩から帰宅した父が、危うく転びそうになったらしいの。
横を歩かないヘルパーさんだから、当然ながら支える事も出来ず、、、

父は、かなり怖い思いをしたらしくてね。
何のために、介助してもらっているか、分からないと怒ったわけ。

もし、父が怪我でもしたら、傷つくのは多分、ヘルパーさんでもあるよね。

こりゃもう、、、言わなきゃ、、、って、ヘルパー事務所に電話した。

仲の良いヘルパーさんが、ヘルパー事業所の所長さんとして仕切っているわけだから、話はザックバランに。


所長として、彼女の性格は、もちろん知っていたし、他の利用者さんからも、苦情の様なものはあったらしい。
だから、話もしていたらしいの。

決して、嫌な感じとか、悪い人では無いのよ。
穏やかで、優しい。
ただ、人と話すのが苦手なだけなんだろな。
性格なのか、何か思う事あっての事なのかは、分からないけどね。



それからは、私も、出来るだけ彼女と話す様にしたの。

苦情ではなく、笑いながらお願いもした。

取って食ったりしないから、もう少し笑顔を見せて欲しいな、、、ってね。

その頃の父は、ディにも行かず、家族以外とは、あまり話をしない。
たまにキングジーにもなるし、難しい人でもあるけど、、、元は洋服屋の主人、話は好きな人なの。
だから、話し相手にもなって欲しいってね。

優しく微笑んではくれたけと、やっぱり無口なヘルパーさん。


でも、彼女も少しづつ仕事に慣れていったんだと思う。
暫くして、少しづつ笑顔も増えて、少しづつ話もする様になってね。
相変わらず、お喋りでは無いけど、明るく元気になってきた。

父も、不満を口にすることが無くなってきた。



ところが、8月一杯で辞めるって言うから、ビックリ。
理由は、家庭の事情。
利用者としては、それ以上は聞けないし。

でも、そこは私。

あと何回かでサヨナラって時に、聞いてみたの。

「何で辞めちゃうの?」って。

彼女「引っ越すもんで、、、」って言うから、、、

「転勤?」て聞いたら。

「そうなんです」って。
ニコニコ笑ってた。

「ならば仕方ないよね。残念だけど、またヘルパーさんするなら、頑張ってね」

もう、無愛想でも何でもなく、素敵な笑顔が出来る、優しいヘルパーさんになってたんだ。

まさか、あんな悲しい思いをしていたなんて、、、





彼女が最後に来てから、20日過ぎた昨日。

馴染みの仲の良いヘルパーさんと、仕事時間が終わったあと、玄関前で話し込んでたの。

母がいる時は、いつも時間のある限り、よく二人で、友達として話していたの。


話の流れで、辞めていった彼女の話になってね。

最初はどうなるかと思ったけど、最後はニコニコ出来る様になって、変わったよね〜
辞めちゃって、残念、、、てね。

もうすっかり、近所の仲良しのママ友同士の立ち話、、、聞いたらダメそな事まで、おばちゃんは突っ込んじゃうのよね、、、


「旦那さん、転勤じゃ仕方ないよね。
彼女、かなり不思議な人だったから、最初、辞めるのが家庭の事情なんて言うから、変な事考えちゃったよ〜」

って言ったら、、、


「実はね、違うのよ。
旦那さんが、6月に交通事故で亡くなったの。それで、フルタイムで働ける仕事に変わるんだって」



ビックリして、声が出なかった。

涙が、ポロポロ落ちる。


悲しい、、、



可哀想とかではなく、、、悲しい。


同情なんかじゃない、、、ただ悲しい。



確かに、一週間休んだ時があった気がする。
でも、それが6月だったかは分からない。

特に何も思わずにいた。


それからもずっと、彼女は笑っていたんだ。



言ってくれたら、、、

言ってくれたら、、、なんなんだ。


私は、泣くことしか出来ないくせに。



強いなぁ、、、凄いなぁと思った。



あんなに笑わなかったヘルパーさんが、大変な時に、笑って父の世話をしてくれていたなんて。



所長のヘルパーさんと、玄関前で泣いた。

彼女も、きっと、ただ悲しかったんだと思う。
二人で、泣いた。


いろんなことが、悲しかった。



ヘルパーさんには向いてない?と思ってた彼女、とんでもない話だ。

利用者に、その家族に、そんな辛いことがあった事なんて、微塵も感じさせない二ヶ月だった。



私は、人を見る目が無いんだなぁ。



彼女の笑顔は、一生忘れないと思う。




同級生が亡くなった経緯を、メールで知った朝だった。





私は、心底、頑張ろうと思った。





彼女の旦那様、今更だけど、心からご冥福を祈ります。