明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

今ここにいない、貴女。

2017年09月20日 | 私。

何故、今日だったのだろう。



偶然にも、三人の話を聞いたのが、今日だった。


今日は、泣く日になった。







56歳の私。

年々増える、喪中ハガキ。
親御さんの訃報であったものが、上司になり、先輩になり、、、
この数年、友や、その連れ合いの名前を目にするようになった。
その度に、驚きと悲しみが交差する。

生きている以上、それもまた避けては通れない道。

当たり前だけど、生まれた以上、寿命がある。
長さは違えど、誰にでも、皆んな平等にやってくる。







母は、とても元気だった。
孫の世話、沢山させちゃったなぁ。

でも、人生の一番な春の日は、私が長女を産んだ日だと言ってくれたらしいから、少しは親孝行も、出来ていたのかなぁ。



けれどある日、脳動脈瘤が見つかった。

たまに起こる頭痛、目の見え方の不自然さ、白内障のせいだと思って、手術を決めた時だった。

眼科医は、何か違うと思ったのだろう。
国立病院で、頭のMRIを撮るように言われた。

そこで見つかった、脳動脈瘤。

大学病院へ紹介状を書いてもらい、受診をする事となった。
当時、脳神経外科で、教授をしていた医師に。


手術を受けなければ、いつ破裂するか分からないと言われた。
破裂すれば、命は無いとも。
母が、69歳の時だった。

私は、母に生きていて欲しかった。
もちろん、手術を勧めた。

だって、これからだったのだ。
苦労ばかりしてきた両親。
目に見える親孝行だって、出来ていない。



母は、多分、選べる状態では無かったと思う。

慎重な父は、あの時、迷っていた様な気もする。
確か、、、そんな気がする。


手術のリスク、重篤な後遺症、今も忘れない数字。
それは、0.015パーセントだと手術の承諾書に書いてあった。

手術さえすれば、元の生活二度と戻れる。

「もし、万が一の事があっても、私がちゃんと面倒を看るから大丈夫!だから手術をして!」

私は、そう言った。
母にそう約束したのだ。

絶対に、手術をすれば大丈夫だと思っていた。
0.015パーセントの中に、母が入るわけが無いと信じていた。

元々血圧が高い母は、早めの入院をし、経過を看て、手術日が決まった。


しかし、、、脳動脈瘤の塞栓術中、コイルを三本入れた時点で、母は脳梗塞を起こした。

それでも、早い段階での血栓を溶かす点滴をしたからか、なんとか意識は回復し、話せるようにはなった。
その時点では、痛みの感覚もあったし、まさか10年間も、母を苦しめることになるなんて、想像もしていなかった。


突然、意味のわからない話をし始めた母。
脳が浮腫みだしたのだ。

脳圧を下げるために、頭蓋骨を外さなければならないと医師が言った。
すぐにしなければ、命に関わる。

また、選ばなくてはならない。


母は既に、意識は無かった。


当然のように、開頭手術をして貰った。


母の、右耳の上辺りに、拳くらいの窪みが出来た。
頭の筋肉にメスを入れたから、再び頭蓋骨を元に戻しても、窪みは無くならなかった。

私も、もちろん父も、そんな事は気にもしなかったけれど、、、いつだってキチンと化粧をし、髪を染めていた母、悲しく無いわけがないよね。

結局、命と引き換えに、片麻痺になった母。

大学病院から、リハビリ病院に転院し、一人、頑張っていた母。
とにかくとにかく、頑張っていた。

でも、車椅子生活は終わらなかった。

在宅介護を始めて、暫くの間は、目が離せなかった。
ティッシュを口に詰めたり、タオルをベットに巻きつけて、首を吊ろうとしたり、母は死にたかったようだ。

理由は、沢山あるだろう。

数えきれないくらい、、、沢山。


でも、それでも、私も父も、母に死んで欲しくは無かった。
母を怒鳴りつけ、泣いていた父を、私は一生忘れない。

暫くして、そんな行為はしなくなった。

死ぬことを諦めたんじゃない。
頑張ることを、再び始めたのだ。


最期の最期まで、母は頑張っていた。


本気で、歩けるようになろうと、頑張っていた。


母にした約束を果たせなかった私。

最期の二年間は、特養に預けてしまった事、、、
私の方が、頑張れなかった。



2年前、肺炎になり、痛い胸に顔を歪めながら、私や孫の問いかけに、一生懸命に答えてくれていた母を、私は忘れない。

そんな母を見ながら、、、もう、頑張らなくていいと、、、心底思ってしまった私の、あまりにも我儘な気持ちも、私は、忘れない。


最期は、一人で逝ってしまった母。

この10年の気持ちは、分からない。


母には、何も選べなかった10年だったのではないかなぁ。

不幸だったのか、、、
少しは、生きていて、良かったと思ってくれているのか、、、


もういない母に、聞いてみたい。


きっと、幸せだったよ!って、、、言ってくれるかなぁ。

私は、幸せだった。
しんどい事もあったけど、あの10年は、間違いなく、幸せだった。





昨日、脳腫瘍で亡くなった旧友の強い意志。


その訃報に寄せて、、、想った気持ち。

母を、想えた、、、一日。

ありがとう。




ただただ、心からご冥福を祈ります。