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80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

チャレンジアップベースボール(CHALLENGE UP BASE BALL)・バンダイ

2006-12-24 20:15:45 | 電子ゲーム
 これはバンダイが、1988年に発売したLCDゲーム『チャレンジアップ・ベースボール』です。1988年には、セガより16ビット機『メガドライブ』が発売された年ですから、世間一般の目はポストFCに向かっていた頃で、電子ゲームとしては(時期の外れた)かなり後期のものだと言えると思います。

 もともと野球ゲームは電子ゲームの定番で、エポック社が『デジコム9』、バンダイが『LSIベースボール』、学研の『ベースボール』など、LEDゲームの頃から発売されていました。これらの初期のLSI野球ゲームのコンセプトは、当時野球ゲームの定番だった野球盤を自動化(電子ゲーム化)することではなかったのかと思います。その後も音声が出る液晶ゲームが発売されたり、FCの時代になり選手のより細かな挙動が表現できるようになったりと、野球ゲームは進歩を続けましたが、最も大きなものは1984年にナムコより『プロ野球ファミリースタジアム』(ファミスタ)が発売されたことでしょう。

 それまでの野球ゲームには、基本的に選手ごとの能力の違いはありませんでした。ファミスタは、選手ごとに能力差(個性)を設定し、それまでは野球盤のコマでしかなかった選手たちを、実在の選手や球団をイメージさせるものへと変えていました。またスタミナの要素も盛り込まれ、連投させ続けるとピッチャーの球威やコントロールがだんだん衰えてくるなど、野球のゲームが一挙にリアルな物へと変貌を遂げていました。これ以降から90年代初頭ぐらいまで、友達の家などにいったら必ずといっていいほどファミスタが置いてあって、夜通し遊ぶのも珍しくないといった感じになりましたね。

 そこで、この『チャレンジアップ・ベースボール』なのですが、さすがに目標は野球盤ではなくファミスタに代表されるTVゲームですから、かなり凝ったものとなっています。まず6チーム72人が用意され、(代打やリリーフまで含めて)選手全員に打率やHR、右打ち、左打ちのデーターが準備されています。(さすがに名前はありませんが)。変化球も5種準備され、バッティングもボール・ストライクのコースを見極めて行なうようになっていて、リリーフ、代打などの、選手交代の概念もちゃんとあります。またランナーの盗塁・チェンジアップや、内野手が転がるボールに飛びつく捕球まで再現されていて、長打コースや外野のファインプレーの概念も入っています。おまけに攻撃・守備それぞれに5種類のパワーアップアイテムまで準備され、あまりメーカーも力が入っていないように見える外観とはうらはらに、なかなかの充実振りとなってます。

 ファミスタなどがまだ難しいお子様や、リーマンのちょっとした暇つぶしなどをねらった商品だと思いますが、あの時代に製作者のこの情熱は、果たして報われたんでしょうか。今でも電子ゲームは決して消え去ったわけではなく、キーチェーンや脳力ゲーム、ファンシーなキャラものなどに形をかえて、生き残っています。売り場の片隅に置かれていて、あまり注目される事も少なくなっていますが、このカテゴリー、実は今も結構熱いものがあったりします。

ハイパーオリンピック チャレンジ5・バンダイ/コナミ

2006-12-06 23:32:03 | 電子ゲーム

 これは、コナミの『ハイパーオリンピック』(1983)をバンダイがFLゲームに移植した、『ハイパーオリンピック チャレンジ5』です。当時、ハイパーオリンピックはちょっとしたブームになっていて、ファミコン(85)やMSX(84)にも移植されていました。


 当時のゲームセンターや駄菓子屋には、『ゼビウス』等と並んで『ハイパーオリンピック』がたいてい置いてありました。これはオリンピック競技6種目(100メートル走、高飛び、槍投げなど)を、走るためのランボタンとジャンプボタンを駆使して、その競技の記録を競うゲームです。ランボタンを連打して早く走り、タイミングよくジャンプボタンを押すというシステムでした。おそらくこれが、連射速度を競うゲームのはしりだったと思います。


 ボタンを普通に押していたのでは、疲れるばかりでたいした記録はでません。そのためボタンを爪で擦るように押す、定規を使って連射をするなど、ゲームセンターや駄菓子屋でプレイする子供達の中から様々な技が生まれました。ただ定規を使うと操作パネルに傷が付いてしまったり、ボタンが痛んでしまうため、定規禁止になってしまうなどの、ちょっとした問題にもなりました。ファミコン版も発売時(85)になかなかの話題作となり、専用コントローラーや、今では有名な稀少ソフト『志村けんのバカ殿限定版』などが出ました。私はMSX版を持っていたのですが、MSX版はスペースキーがランボタンだったため、連打のし過ぎでキーボードを痛めてしまった悲しい思い出があります。


 『ハイパーオリンピック』が発表された83年は、FCが発売された年でもありますので、時期的には電子ゲームよりFCのイメージの方が強いゲームですね。この『チャレンジ5』は、おそらく84~85頃に発売されたものだと思いますが、あまり記憶にもなく、電子ゲーム末期で注目も集めなかったのではと想像します。ただ、この『チャレンジ5』は電子ゲーム末期に発売されただけあって、出来は良いです。5種類の(100m走、ハードル、槍投げなど)ゲームを詰め込み、スクロールも再現しています。ハーフミラーを使い競技場イラストの上にキャラ表示していますので、画面も結構綺麗です。


 その後も『ハイパーオリンピック』は息の長いシリーズとなり、オリンピックシーズンになると復活してくる定番ソフトになりました。北京オリンピックでも、任天堂Wii(ウィー)あたりで再び登場してくるのでしょうか。

コスモファイター(ゲーム電卓)・カシオ

2006-11-26 18:34:20 | 電子ゲーム

 これはカシオ計算機より、1982年に発売されたLCDゲーム『コスモファイター』です。(正確には、ゲーム電卓のヒットにより発展していったタイプのLCDゲームで、これには電卓としての機能はありません)


 ゲーム電卓は、1980年にカシオより発売された『デジタルインベーダー』が最初のようです。これは右側より迫ってくる数字をインベーダーに見立て、標準をあわせ(同じ数字にして)撃退するといった内容でした。(かなり話題の商品となり、ゲームセンターあらしにも登場した)。それまでのキャラクターを使用したタイプと違って、数字のみを使ったゲームで、少し大人っぽい(知的な)雰囲気も漂わせていましたね。今でいう、頭脳を刺激する(大人向け)ゲームのはしりとも言えるかも知れません。ゲーム電卓のヒットを受け、第2段『エイトアタック』(ミサイルを撃って、不完全な形のデジタルの8を完成させる)、『トライスリー』(スロットや数字合わせ)、などが発売されました。


カシオ ゲーム電卓第3弾 ボクシングゲームCM 1981年
 その中でも特にヒットした『ボクシング』は、記憶にある方も多いのではないでしょうか。これは上下にパンチ&ディフェンスを使い分け、100人勝ち抜きをするといった内容で、ゲーム的にも良く出来ていて、当時私も熱中した記憶があります。その後も電子ゲームのブームに乗って種類を増やしてゆき、『ベースボール』や『サッカー』、『ピンボール』、『パチンコ』などが発売されました。後期には電卓の機能もとってしまい、純粋な電子ゲームとしても売り出されたようです。これは、そんな中の一台ですね。

 これの発売された1982年は、G&W『ドンキーコング』や『モンスターパニック』が発売されていた年ですから、電子ゲームブームの最盛期にあたります。ゲーム内容としては、飛来してくる宇宙船に標準をあわせ、撃墜するといったものです。映画スターウォーズの影響からか、当時はこういう宇宙船コックピットものも、電子ゲームの題材にとられる事が多かったように思います。帝国の逆襲(1980)とジェダイの復讐(1983)の間ですから、電子ゲームとスターウォーズの関係には、切っても切れないものがありますね。


 もともとG&Wは、電卓で遊んでいたサラリーマンをヒントに開発したそうですし、電子ゲーム用チップも電卓からの流用だったそうですから、商品としては開発しやすかったのでしょう。とても採算の取れそうにないFLゲームなどと違って、ゲーム電卓は復刻も簡単そうですから、是非脳力ゲームブームに乗って復活してほしいものだと思います。

バーニング(BURNING)・トミー

2006-11-17 00:03:54 | 電子ゲーム
 これは、トミーが1983年に2,970円で発売したLCDゲーム・バーニング(BURNING)です。1983年はファミコン登場の年ですから、電子ゲームとしてはブーム末期のものになります。1982年~83年は、TVゲームやホビーPCが大量に発売された第二次TVゲームブーム期にあたりますので、一般の注目も少しずつそちらの方に移ってしまっていました。

 G&Wに始まった携帯液晶ゲームのブームというのは、実質1981~1982年位までの2年足らずの間のことで、実は玩具のブームとしては結構短いものなのだそうです。なにか凄い長い間、ブームを巻き起こしていたように感じてしまうのですけどね。短い期間に大量の商品が、数多くのメーカーより一斉に発売されましたので、そう錯覚してしまうのでしょう。(粗製濫造がブームの寿命を短くしたという説もあります)。1983年の段階では、価格もかなり安くなり注目度も下がっていたように思います。

 これは、そんな時期に発売されていたデジプロ3000というシリーズの中の一本です。かなりマイナーな機種で、有名な電子ゲームサイトで詳しく紹介されている以外には、ネット上にもほとんど情報がありません。(オークションにもあまり出てないようです)。バンダイのゲームデジタルに、バクダンマン(ビルの屋上からバクダンマンが投げる爆弾をキャッチする)というゲームがありましたが、あれに似た内容ですね。ビル火災の現場で、炎(ボスキャラ)が投げる火を、消防士を操って消し止めるゲームです。後期ということもあって画面はカラフルで綺麗なのですが、あまりメーカーのやる気は感じられない内容になっています。(ブーム末期だから仕方がない、といえばないのですが)。

 ただ高価だったFL機は(金額的にもTVゲームとバッティングした為か)、1983年前後で姿を消してしまいましたが、安価で携帯に便利な液晶は、姿を変えながら生き残りました。90年代前半は安価な児童向けのキャラクター商品として、後半はたまごっちに代表される携帯ペットとして、2000年前後からはキーチェンとして、現在まで販売され続けています。しかしあの当時は、まさか液晶ゲームがガシャや景品になるとは想像もつきませんでしたね。ほんとうに、凄い時代になったものです。

コブラ・ザ サイコガン・ポピー

2006-11-15 23:47:58 | 電子ゲーム
 これは、ポピー社が1982年に発売したLCDゲーム『ザ・サイコガン』です。SF漫画『コブラ』を題材に使ったもので、これ以外にも同時期に『スペースコブラ・プロフェッショナル』という2画面を使ったゲームが発売されていました。ポピーは、バンダイの子会社で主に超合金を扱うメーカーでしたから、あまり電子ゲームのイメージはないですが、Drスランプ、ドラえもん、ウルトラマンなどのキャラクター物をいくつか発売していたようです。

 コブラは、1978年~1984年にかけて少年ジャンプ誌に連載された漫画で、丁度このゲームが発売された時期に劇場アニメ化(1982)やTVアニメ化(1982~83)もされています。コブラ人気と電子ゲームのブームが、結びついた幸福な時期の物だと言えるでしょう。当時のコブラに関する記憶はあまりありませんが、松崎しげる氏がコブラの声(劇場版)をやるのが話題になった事はなんとなく覚えています。この後も雑誌を代えながら連載は続き、根強い人気に支えられ現在も進行中のようです。現在でもタイピングソフト、アーゲードゲーム、パチンコのCR機などになっています。

 この『ザ・サイコガン』の特徴は、なんといっても本体に彫られたコブラのレリーフでしょう。当時、結構見かけましたから、なんとなく記憶にある方も多いのではないでしょうか。ゲームの内容は、コブラを操作して宇宙船内に進入したエイリアン(放っておくと増殖してしまう)を上手くかわしながら、サイコガンで倒してゆくといったものです。この後に内容はそのままで、キャラクターだけをルパンに変えた『ルパン三世 暗闇の城』というバージョンもあったようです。

 この時期はコブラに限らず、すごいアニメのブームで劇場映画などが多かったですね。ガンダム三部作は言うに及ばず、イデオン・ザブングル・ダグラムなどのTVアニメ総集編だとか、マクロス劇場版、レンズマン、幻魔対戦などいろいろな話題作が公開されてました。カリオストロやナウシカなど、宮崎アニメが一般に注目され始めたのもこの時期ですね。今では市民権を得た、『おたく』という言葉が初めて使われたのも1983年なのだそうです。まあバブル前夜ですから、なにか新しい事が始まりそうな(新しい物が一度に登場してくるような)エネルギーに満ちあふれてた、そんな時期だったという事は言えるでしょう。