80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

コナミのサッカー・コナミ

2007-02-25 17:25:27 | MSXゲームReview

 これは、コナミより1985年に発売された『コナミのサッカー』です。コナミのサッカーといえば、今でも新作が出ている『ウィニングイレブン』(95)が有名ですが、これはある意味それらの源流ともいえる作品です。

 
 サッカーゲームは、野球ゲームと並んで定番ですから、昔からたくさんのメーカーより発売されてきました。サッカーゲーム史的には、英国で1800年代に開発されたといわれる『テーブルサッカー』がもっとも初期のものでしょう。昭和30年代~40年代に開発されたと思われる、野球盤のサッカー版ともいえるエポック社の『サッカーゲーム』、それから『ポン』タイプの、初期TVゲームの中にもサッカーらしきものがありました。電子ゲームでも、有名なところでは『デジコムサッカー』(エポック社)等、数多くのゲームが出ていました。


 ビデオゲーム以降は、アルファ電子エキサイティングサッカー』(83)、テーカン(テクモ)『ワールドカップ』(86)、タイトーハットトリックヒーロー』(90)、セイブ開発セイブ・カップ・サッカー』(91)、家庭用では任天堂サッカー(85)などが初期の代表でしょう。その後、Jリーグ開幕が近づきサッカー熱が高まってくると、一挙にサッカーゲームが開花する事となります。ヒューマンの『フォーメーション・サッカー』(90)、ナムコの『プライムゴール』(93)、エレクトロニック・アーツFIFA インターナショナルサッカー』(94)など。また『ジーコサッカー』(94)など、実在の選手が監修したものも登場します。アーケードでは、ポリゴン使用のセガバーチャストライカー』(94)も登場しました。


 そこで、この『コナミのサッカー』なのですが、任天堂のサッカーと同時期くらいに、MSXで発表されたものです。横スクロールタイプのサッカーゲームであり、選手ごとの能力差というものも特に設定されておらず、システム的にも任天堂サッカーと同程度でしょうか。この時期のものとしては、特に可もなく不可もなくといった感じです。コナミはソフトのバリエーションを増やすためか、MSX初期に『コナミの~』と銘打ったスポーツゲームをリリースしてました。『コナミのピンポン』、『コナミのベースボール』、『コナミのゴルフ』、『コナミのテニス』などなど。そのためか、わりと無難な出来になっています。それよりも、このゲームで一番特筆すべき事は、マリオが流行っていた時期だったため、選手がみなマリオっぽいヒゲだったということでしょうか。


 今のサッカーゲームは、選手の能力や所属チームなどのデーターが重要視されるものになっていますので、(サッカーには限らず野球もですが)毎年新しいバージョンが発売されるようになっています。それはある意味、高度な到達点だとは思うのですが、逆に昔のスポーツゲームが持っていた、お気軽に時間が潰せる、手頃な定番ソフトという部分が薄れてしまいました。まあそれは仕方がないのですが、リアルさが求められないこの頃のスポーツゲームも、なんだかのんびりしてていいものです。



ゲームブック・運命の森・社会思想社

2007-02-24 21:23:37 | ゲームブック

 『運命の森』は、イアン・リビングストンの手による作品で、ファイティング・ファンタジーシリーズの第3弾です。1982年の『火吹き山の魔法使い』の好評を受ける形で、2作目『バルサスの要塞』(S・ジャクソン)に続いて、同じ83年に発表されました。日本では、社会思想社より85年に出版されています。

 第1作目の『火吹き山』が、RPGの基本に忠実な、ダンジョンを舞台にしたものであるのに対して、第2作目『バルサス』は、要塞を舞台としたキャッスル・アドベンチャー、第3作目の今作は、舞台を野外の森に移してのフィールド・アドベンチャーになります。また、第4作目の『さまよえる宇宙船』ではSFを、5作目『盗賊都市』では、町を舞台としたシティ・アドベンチャーと、RPGの基本を一通り体験できるようになっています。このあたりのバランス感覚のよさが、ファイティング・ファンタジーシリーズが、常にゲームブックブームの中心にあった理由の1つであるような気もします。

 今作でプレイヤーは、ダークウッドの森を探索して、ドワーフの村より盗まれた『戦いのハンマー』を探し出し、森を抜けた所にあるドワーフたちの領地・ストーン・ブリッジへと届ける事になります。森の入り口には、高レベルの魔法使い『ヤズトロモ』の塔が立っており、ここで彼よりマジックアイテムを購入する事になります。第2作目『バルサス』にも似た設定ですが、これは金貨2枚とか3枚などの値段の付いた完全なアイテム扱いとなっており、プレイヤーは魔法の使えない戦士(あるいはレンジャー?)という事になります。またここで、いたずら心を出してヤズトロモに襲い掛かると、お約束ともいえる仕打ちが待っており、高レベルの魔法使い(彼には勝てない)という設定に、より深みを持たせるようになっています。

 ゲーム自体は、実はシリーズ中でもかなり簡単な部類に入ります。閉鎖的な迷宮と異なり、オープン・フィールドということもあって、どこか牧歌的でハイキングのような雰囲気ももっています。森の入り口には、お約束とも言える左右の分岐看板とカラスがとまっており、彼にどちらに行ったらよいかアドバイスを貰うところから冒険が始まります。設定では、昼なお暗く木々が鬱蒼と茂る迷いの森なのですが、迷路の構造がシンプルなので(2~3本くらいしか分岐がない)、迷うはずもなく実にあっさり風味です。登場する敵も、ホブゴブリン、オーガー、半魚人、猿人、盗賊などと、基本に忠実な感じです。またダークウッドの森を抜けた後、森を迂回してヤズトロモの塔に戻れる迂回路があるという設定のため、(生命力が残っていれば)何度でも挑戦できるシステムになってますので、それがより難易度を下げています。

 私は、ゲームブックに関する思い出というと、寒い冬の夜に勉強するフリをして熱中した思い出だとか、土曜日の帰り道などにデパート内の書店によってどれを買おうかと迷ったりした事だとか、楽しげなイメージがくっ付いています。書籍という印象よりも、もっと楽しげなゲームソフト的なイメージです。そのため今でも、この手の本を見つけるとけっこう楽しげな気分になります。実際買っても、遊んだりはほとんどしないのですが、そのほんわかとした気分を感じるために、手に取っているのかもしれません。

今週の散財日記

2007-02-23 21:10:25 | 散財日記・雑記
 例によって全然散財してない、今週の散財日記です。

ミクロマン・サンダーバード・スコット
ミクロマン・サンダーバード・バージル
ミクロマン・ストリートファイター・春麗&さくら・(以上タカラ、新品) 100円
ゲームブック・ネバーランドのリンゴ
ゲームブック・ウルフヘッド誕生
ゲームブック・スーパーブラックオニキス・(以上東京創元社、中古) 100円
液晶携帯バーチャルゴルフ・(タカラ、中古) 500円

 『バーチャルゴルフ』は1998年製ですから、それほど古いものではありません。デザインが良かったので。ミクロマンは、買うつもりはなかったのですが、ついザラスに寄ったら置いてあったので。他にもスターウォーズフィギュア100円だとか、なかなか豪快なクリアランスやってました。ザラスはあなどれません。巡回コースには入れておくべきかも。以上トータルで1,100円。

ネバーエンディングストーリー・(84・89・94/西ドイツ・イギリス)

2007-02-20 22:27:07 | 映画・DVD・CD

 ネバーエンディングストーリー(原題The Neverending Story)は、1984年に西ドイツ、イギリス製作で作られたファンタジー映画です。原作は、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』。89年に第2作目が、94年に第3作目が作られています。また近年になって、海外ドラマとして新たに新作が製作されて、TV放映もされました。


 日本での公開は85年で、超大作のSFX映画としてその年の目玉でした。今見るとお子様向きのファンタジー映画にしか見えないのですが、主題歌をイギリスのロックバンドカジャ・グーグーの元ボーカルのリマールが歌うなど、かなりの話題作でした。また日本語版の主題歌は、なぜかあの羽賀研二氏が歌ってました。80年代くらいまでは、原題と全く異なる邦題をつけてみたり、主題歌を日本であらためてつくってみたりだとか、そんな感じでしたね。(余談ですが、羽賀さんのブログのサブタイトルは、ネバーエンディング・ストーリーだったりします)。 この当時は、スターウォーズの影響でSFX映画が流行っていましたので、特にヨーロッパ映画という事を意識しないで、ハリウッドの特撮映画と同じノリで見に行きました。


 物語は、夢見がちな少年バスチアンが、本に夢中になるうちに物語世界へ引き込まれて、空想の国(ファンタージェン)を襲う虚無と立ち向かうという話です。物語自体は、夢を見ることや、想像力の大切さを説いた話なのですが、映画では、ラストシーンを(あまりにも俗に)改変してしまって、原作者を怒らせたというのは有名な話です。当時はそれよりも、機械仕掛けで豊かな表情を見せるファルコン(ラッキードラゴン)や、ロックバイター(巨大な岩の怪物)、生きた化石モーラ(物知りの巨大亀)などの特撮が注目されていました。この当時は、CGはまだ実用段階ではなかったですから(スターファイターなどの実験的な作品はあった)、特撮のほとんどは精巧なミニチュアや特殊メイクで行なわれていました。その見事な出来は現在の目で見ても、それほどアラは感じないと思います。


 ジュラシックパーク以降、特撮映画の世界はCGがあっという間に席巻してしまいましたが、この時代のミニチュアと特殊メイクで作られたSFX作品というのも、なかなか味があってよいと思います。職人芸というか、どこか味があるというか。CGはどんなに良く出来ていても、結局はアニメですから、どんなシーンであっても驚きは少ないです。この時代の特撮は、どんなトリックで撮影したのだろうと驚かされる事が多かったですし、登場するクリーチャーや宇宙船にも実在感と雰囲気がありました。CGだと、どこか重みがないというか、存在感がないというか、物足りなさを感じてしまいます。今は、特撮は物語の中にとけこんでしまって、特殊効果が話題になるという事も少なくなりましたが、この時代は凄い特撮を見たいがために、映画を見ているような部分もありました。


 まあ、いくら懐かしいからと言っても、今の時点からあらためて見直すのは、さすがに苦しいかもしれません。やはり子供と一緒に見る、という見方になるのでしょうか。あらためて見てみると、特撮とその世界造型の見事さに、意外と驚かされるかも知れませんよ。(意外と新鮮かも)
ネバーエンディング・ストーリー - goo 映画



MSX・MX-101・カシオ

2007-02-18 18:33:28 | レトロPC(MSX等)
             

 これは、1986年にカシオ計算機より発売されたMSXパソコン、『カシオMX-101』です。カシオは最後発ながら、低価格機でMSX規格に参入して、お得意の価格破壊をMSX規格に持ち込みました。写真:左側 電波受信用のアンテナと、右側 MX-101本体

 最初にカシオは、1984年10月に『PV-7』を29,800円という当時としては驚異的な価格で発売しました。これは低価格を実現するためメインメモリーを8KBしか積んでおらず、テープどころかROMソフトまで動かないものが出てしまったようです。その後85年6月に、メモリーを16KBまで増やした『PV-16』を価格据え置きの29,800円で発売、86年になると性能はそのままに19,800円という、更に価格を引き下げた『MX-10』を発売しました。この『MX-101』は、『MX-10』にRFで電波を飛ばす性能を付与してワイヤレスにしたものです。またカシオは、MSX2規格には参加しませんでしたので、これがカシオ最後のMSXパソコンという事になります。

 『MSXマガジン保存版3』には、カシオ製ゲームソフトともに、当時の開発者のインタビューが収められています。これを読むと最初からFCをライバルとして設定し、14,800円のFCに対して競争力を保つため、29,800円や19,800円という価格を設定されたようです。そのため極限までコストが削減されて、8KBのメインメモリー(他社は最低でも16KBだった)にゴムのようなキーボードなど、カシオ独自の仕様で発売されました。これは様々な家電メーカーより発売されて似たような機種が多かったMSXの中では、確かにカシオの個性として認識されていたように思います。PV-7の発売された84年当時は、他社のものは(多少の値引きはあっても)50,000円近い値段でしたから、29,800円でPCが買えるというのは、当時としてはかなり衝撃的なことでした。(実際クリスマスシーズンなどには、電気店に山積みにされて良く売れたそうです) 私はカシオ製のものは持っていませんでしたが、当時デパートの試遊機として良く見かけましたので、とても懐かしく感じます。

             

 1985年になるとMSX2規格も発表され、MSX1規格のパソコンの方も価格がかなり落ち着いてきました。この後しばらくは、高級路線(8万~15万)のMSX2と、低価格普及路線(3万~5万)のMSX1といった感じで、両規格は共存してゆきます。他社のMSX1規格のものも、実売価格3万円前後で売られるようになってきていましたので、ここでカシオは、更にもう一段階価格を下げて19,800円の『MX-10』を投入します。PCとしてOSまで入ったもので19,800円というのは、ウィンドウズ機の時点まで見ても存在してないようです。当時私は、友達の家のPC-88で遊ばせて貰ってましたから、(性能はたいしたことなくとも)とにかくゲーム機ではなくPCが欲しかったのですが、同じように考えた人は多かったようです。ゲーム機ではなく、プログラムを学べて自分でゲームも作れるPCが、この価格で発売されていたことの意義は大きかったと思います。
 
 NECなど専門メーカーと異なりMSX規格は、松下、ソニー、東芝、日立、サンヨー、三菱、パイオニア、ヤマハなどそうそうたる家電メーカーの参入した統一規格でしたので、CMもばんばん打たれて、PCショップではない一般の電気店でも販売されていました。特に初期の83~84年頃には、それまで一般的でなかったPCが家庭に入ってくる時期にあたり、ある意味とても新鮮な感じがしたのです。その後MSX規格は、ゲーム機に押されて衰退してしまいますので、今の時点から考えると、どれほど当時魅力的だったかを実感するのは難しいですけどね。映画やSFのものでしかなかったPCが、遂に家庭に入ってくる時代となり自分のものになるなんて、ぜひ入手しなければ・・という感じでした。ゲーム機と変らない値段で、それを提供してくれていたカシオは、確かにあの時期に一定の役割を果たしていたのだと思います。

参考・MSXマガジン保存版3、※写真左は、『こんにちはマイコン2』すがやみつる著