80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

ザナドゥ・日本ファルコム

2006-10-31 22:10:27 | RPGゲームReview

 ザナドゥは、1985年に日本ファルコムが発表したアクテイブRPG。当時のPCの世界では破られる事の無い記録を打ち立てた金字塔であり、知らない人がいないと言ってよいくらい有名な作品です。これは前年発表のドラゴンスレイヤーの続編であり、作者の木屋氏はこれにより一挙に80年代最高のスタープログラマーになりました。この後日本ファルコムで木屋氏の関わった作品は、全てドラゴンスレイヤーの冠がつく事になります。


 実質、8ビットPCの黄金期はこのソフトから始まったような気がします。当時88所有の友達が、発売日に購入しましたのでさっそくそれを遊ばせてもらいました。88に電源を入れフロッピーを入れると有名なタイトルロゴが浮かび上がり、そしてワンテンポ遅れたところで、あの必殺のメロディが流れてきました。ラテン調の物悲しい曲は、それまでのゲーム音楽では聴いたこともない音色でありFM音源の出始めの頃という事もあって、とても驚きました。(どのくらい驚いたかというと、後年クラッシックのザナドゥCDを買ってしまったくらい)


 前作であるドラゴンスレイヤー。全く別物といってよいゲーム。共通点は、ラスボスがドラゴンということくらい。


 こちらは、Win版の完全復刻版ザナドゥですので、フロッピーではなくCDROM仕様。マニュアルも、当時のものを復刻したものが付いてきます。




 モンスターマニュアルも完全復刻。D&Dなどより選ばれたモンスターに間して、細かく解説されています。当時、このゲームくらい詳細なモンスターマニュアルが付いていたものはなかったような気がします。


 ゲームをさせてもらって一番感心したのは、武器や鎧に経験値があった事でしょうか。武器や鎧の経験値とは、攻撃をしたり受けたりしている内に、少しずつ与えたり受けるダメージ値が変わっていくのです。(攻撃値は上がってゆき、ダメージは減ってゆく)。新しい強い武器・鎧よりも、手になじんだ物のほうが使いやすいという発想なのですね。武器や鎧の熟練度というのは、今はそれ程珍しい概念ではないかもしれませんが、これが最初だったのではないかと思います。その後、いつもどうり友達の家から帰ろうとしたら、外は真っ暗で21時を回ってました。時間がたつのが全く判らなかったというのは、おそらくこれが初めての経験ではなかったかと思います。右は、ザナドゥ攻略の掲載されたチャレンジAVG&RPG。


 このゲームは、(メガロム以前の)ロム媒体の機種に移植するのは無理と思えるほどデータ量が多く、それまでのゲームとはレベル(次元)が違って見えたものでした。当然そんなゲームを他人の家で攻略する事もできませんので、結局当時は友達がキングドラゴンを倒すのを見せてもらっただけでした。最後の武器と鎧の為に経験値を稼ぐアイテムを残しておき、食料消費と鍵の値段バランスを考えながらレベルアップをして・・・と難易度も半端じゃなかった様に覚えています。写真は、グラフィックなどが一新されたリバイバルザナドゥ。こちらも復刻Win版。


 こちらは、セガサターンのファルコムクラシックス版ドラゴンスレイヤー、イースとカップリングされています。残念なことにグラフィックまで、今風にアレンジされていますので、懐かしさという点ではいまひとつ。オリジナルのグラフィックモードもつけて欲しかったところ。


 これら以外にファミコン版、PC-E版もありましたが、全く別ものになっていました。 また新作として、ザナドゥネクストというものも発売されてます。機会があったらPC伝説の作品に触れてみるのもいいのではないでしょうか。



参考:Wiki ザナドゥ、ドラゴンスレイヤーの項、完全復刻版ザナドゥ・モンスターマニュアル/日本ファルコム、蘇るPC-8801伝説/アスキー、チャレンジAVG&RPG/電波新聞社、OLD GAMERS HISTORY ロールプレイングゲーム創世記編・メディアパル

ピットフォールⅡ・アクティビジョン/ポニーキャニオン

2006-10-30 21:58:29 | MSXゲームReview

 ピットフォール2は、米国アクティビジョン社により製作されて、日本では1984年にポニーキャニオンから発売されたアクションゲームです。当然ピットフォール1も発売されており、アメリカでは賞まで獲得した有名な作品です。転がってくる丸太や池を飛び越えながら、延々とジャングルを駆け抜ける冒険だった一作目と変わって、本作では、地下の洞窟を縦横無尽に駆け回る探検になっています。このゲームは全世界で300万本売れた大ヒット作だそうで、製作者のデビット・クレイン氏は今で言うところのスタープログラマーの走りなのだとか。他にもアーケードやファミコン、セガSGシリーズ等にも移植されていました。


 本作の主人公、世界的な探検家であるピットフォール・ハリー氏。ペルーの“失われた洞窟”に一世紀以上前に盗まれた宝石“ラージのダイヤ”を求めて探検にやってきました。その際に姪のリンダと飼い猫のクイックローがどこかに迷い込んでしまいます。ということで“姪のリンダ”“クイックロー”“ラージのダイヤ”を求めて探検が始まります。って家族連れ(ペットまで連れて)探検に来るなよ、とつっこみつつプレイヤーは、ハリー氏を操作して洞窟に入ることになります。


 こちらは、米Excalibur Electronics社により2003年に発売された、ピットフォールの電子ゲーム版。海外では、未だに思い入れのある人がいて需要があるんですね。


 私はFCは持ってなかったため、実はこれが初めて買ったゲームソフトになります。初めてMSXを買ってもらった後、さっそく何か面白い作品はないかと探しました。そんな中でなぜこれを選んだかというと、当時ハリソンフォード全盛期でインディ・ジョーンズがすごく好きだったんですね。(魔球の伝説と最後の聖戦の間くらいの時期です)。このピットフォールの副題は、LOST CAVERNS(失われた洞窟)となっていて、もちろんこのゲームもインディ・ジョーンズを意識したイメージで作られています。まあ当時は、こういう遺跡探検ものってけっこう需要があったんですね。(スペランカー、アトランティスの謎、グーニーズ、太陽の神殿、ミステリアスストーン・Drキックの冒険など)。もともとの映画自体がゲーム的ですし、宇宙ものとならんで遺跡探検ものも、この辺りからジャンルとして確立してきたのではないでしょうか。


 当時、学校帰りにデパートのPC売場に寄って、これを買い大急ぎで家に帰りました。そのまま直ぐにMSXの電源を入れ、さっそくインディ気分で神秘の遺跡を目指しました。最初は洞窟の中や地底湖を進んで行くんですが、なぜか遺跡が登場してこない・・・。たしかトロッコでのカーチェイスシーンもあった筈なのに・・・とゲームを進めていったのですが、そのまま洞窟内で終わってしまいました。姪のリンダとラージのダイヤ・猫のクイックローを見つけ出せばゲームは終わりなのですが、それらを見つけ出しても遺跡もトロッコも結局は見つかりませんでした。


 後で知ったのですが、実は遺跡やトロッコはセガSG版のオリジナルだったのです。つまりセガSG版ピットフォールは、原作の1と2を足してセガ独自のアレンジを加えた上で作られていて、アーケード版はそれがあんまりできがいいんで採用したのだそうです。こちらでは、映画インディジョーンズばりに、洞窟内にトロッコが出現し、遺跡や石像もばっちり登場します。私は前知識でこっちが頭にあり、当然映画のようにトロッコや遺跡での冒険ができるものだと思い込んでいたのです。セガSG版も何年か後に、安売りの処分品(500円位だった)で手に入れて遊びましたが、たしかに全ての機種を含めて、これが一番できのいいピットフォールだったと思います。(FC版のスーパーピットフォールはマリオがヒットした時期だったので、スーパーマリオみたいになってました)。その後もSFC版ピットフォール・マヤの大冒険、ピットフォール3Dなど、続編が発売されています。トゥームレイダーに取って代られてしまいましたが、海外にでは根強い人気シリーズだったことがわかります。


 という事で当時はがっかりしたのですが、オリジナルに忠実に作られているのは日本ではMSX版しかないそうで、今となっては結構お気に入りの作品となっています。茶色一色という思い切ったパッケージや古代文明っぽいイラストの入った説明書など、独特のいい雰囲気をかもし出していますし。まあ誰しも最初に買ったゲームというのは、思い入れがあるものでしょうけどね。



※参考『謎のゲーム魔境2・3』ゾルゲ市蔵著、Arcade Fan

ザ ブラックオニキス・BPS

2006-10-29 23:20:44 | RPGゲームReview

 THE BLACK ONYXは、1983年にB.P.Sより国産初のRPGとして発表されました。PC-88、PC-98、FM-7、X1、MZ、MSXなど当時の主だった機種には殆ど移植されていて、国産RPGの古典として名作だと言われています。それまでもパラメーターや成長要素を入れ、RPGらしさを出した作品はあったようです。しかし本格的なRPGとしては(TRPGをやり込んだアメリカ人青年2人によって作られた)これが、日本で作られた最初のものだと言えるようです。(写真:ブラックオニキスMSX版) 


 私はこれを、友達家のPC-88版で1984~85年頃に初めて遊ばせてもらいました。当時はやっとドルアーガの塔などがアーケードで登場してきたくらい。それまでの体当たりをして敵を攻撃するゲームと違って、これは敵を攻撃しても文字や数値でダメージなどが表示されるだけで、全く新しい感覚でした。文字を読むだけでいったい何が面白いのだろうと思った記憶があります。


 ブラックオニキスが発売された当時は、RPGはまだ一般的ではありませんでした。そのためRPGを日本に紹介するにあたって、RPGに不慣れな日本人にわかり易くするためにウィザードリィなどを元にして大胆な簡略化がされています。魔法がありませんのでパーティ全員が戦士で、みんなで怪物をタコ殴りにしたり、盗賊もいないため宝箱も無かったりと、今見るとかなり単純なシステムになっています。(キャラメイクも名前を付けて、髪型と服装を選ぶだけという簡単さです)。逆にわかり易いようにキャラの装備をビジュアル化したり、経験値と体力のみグラフで表示されたりと、その後のゲームに影響を与えるような新しい試みも加えられていました。


 ブラックオニキスの舞台となるウツロの町。呪われた町ということで、夜が明けずずっと夜空が続く。武器や鎧を売るマーケットがあったり、病気の治療や薬の販売をする医院、お金を預けられる銀行などがあった。それだけではなく、ゲーム内では特別な意味を持たないのだけれども、宿屋、パブ、牢獄(ファイヤークリスタルでは役所)、墓場など生活を感じられる施設が多数用意され、冒険の気分を盛り上げた。このゲームが名作だといわれる所以。


 WIZでもシナリオやイベントはおまけ程度のものでしたが、ブラオニには街にも地下にもイベントすら存在しません。いろいっかいづつ・・というのがとても有名ですが、謎といえる謎は実はこれだけです。けれど当時は、この何もない地下マップを覚えてしまうくらいに惹きつけられました。井戸の底に潜むクラーケンや聳え立つブラックタワーなど、想像力を刺激されてしまう神秘的なしかけ(設定)がたくさん揃っていたからでしょうね。最近のPS2のRPGのデモを見てますと、この当時想像力で補っていたものが実現されていて隔世の感がしますが、ゲームの面白さの核心部分はそれ程進歩していないようにも思えたりもします。(写真:FC版、ゲームブック版)


 今ブラックオニキスを遊ぶとしたら『蘇るPC-8801伝説』という書籍に収録されていますので、それが一番簡単でしょう。(PC-88のエミュレーター本です)。携帯版やGBC版もあり、GBC版はBPS開発のタイトー発売で中古で見つかれば1000円~くらいで手に入ると思います。ゲームブック版は日本人GB作家の第1人者、鈴木直人氏が書かれています。これも創土社より、題名を変更した復刻版がでる予定のようです。※創土社HP内にある『テンペスト』というのがそれです。(写真:蘇る88伝説、FC版、GBC版)


参考:Wiki ザ ブラックオニキスの項、蘇るPC-8801伝説/アスキー、チャレンジAVG&RPG/電波新聞社

セガサターン・セガ

2006-10-27 22:26:57 | レトロゲーム機1985-
 セガサターンはセガより、1994年に発売された32ビット次世代機です。最初は44,800円で販売され、後にコストダウンを図った後期型(白サターン)が20,000円で発売されました。(写真:左 初期型 右 後期型白サターン)。それ以外にも開発に参加した日本ビクターや日立からも互換機が発売されました。国内販売数は約580万台で、全世界累計で876万台が出荷されました。

 サターンは国内では、PSのライバルとして初期には互角の勝負を繰り広げました。そのためセガハードとしてはもっとも成功したものだと思っていたのですが、Wiki等で調べてみると海外では失敗してしまっていたようです。(海外は約296万台)。また複雑なハード構成を持っていたため、互換性をもたせたりコストダウンをする事も難しかったようで、その結果赤字販売を余儀なくされてしまったようです。ドリームキャストをセガが急いだのも、その辺に理由があったみたいですね。

 それでも販売初期には、バーチャファイターなどのキラーソフトをそろえていましたから一時期はPSをしのぐ勢いを持っていました。(初期はPSより優位に立っていた)。90年代中盤位までは、PSとSSの売り場が対等に並んでいるような状態でしたね。DQやファイナルファンタジーが、PS陣営についた辺りから差を広げられ始めて、CMにもあったように遂に力尽きてしまいました。しかしサクラ大戦やせがた三四郎など最後まで話題を提供していましたので、(国内では)もっとも支持されて、もっとも知られたセガハードだった事は間違いないでしょう。

 また販売初期にはコンシューマとしては始めての年齢制限ソフトなども出ていましたので、良くも悪くも個性的で捨てがたい魅力を持っていました。実際、それまでのセガハードと比べても数多くのサードパーティから、質の高いソフトが発売されていました。(PSにも引けはとっていなかったと思います)。それでいてセガ独特の色も持っていましたので、もう少し上手にドリームキャストへ移行できていればと・・かえすがえすも惜しかったハードだったと思います。

 当時はPSを所有していたのですが、互換性を保ったまま次世代に移行したPSに比べて、互換性を切り捨てたSSは値段が落ちるのも速かったですね。そのため、90年代の終わりに3,000円位になったところで手に入れました。ソフトなどもかなり早い段階で300円~程で投売りされるようになりましたから、手頃な値段でたくさんのソフトで遊ぶことができました。今でも最も安く手に入るハードの一つだと思いますので、レトロゲームを気軽に遊べるという意味では、あらためて見直されても良いハードだと思います。

3DO REAL・パナソニック

2006-10-26 21:45:26 | レトロゲーム機1985-
 3DO REALは、1994年に松下電器より発売された32ビット次世代機です。3DOとは、アメリカ3DO社のマルチメディア端末規格の事で、他にはサンヨー社から3DO TRYが発売されていました。(海外メーカーより他にも出ていたみたいです)。始めは54,800円で売り出されましたが、後にフロントローディングをトップローディングにして44,800円に値下げしたREALⅡも発売されました。(写真:左3DO REAL 右3DO REALⅡ)

 次世代機の一番ノリだったのですが、ゲームの少なさと値段の高さからそれ程話題になる事もなく、PSやSSなど競合機種の攻勢の前に影が薄くなってしまいました。単なるゲーム機ではなく、ビデオCDなども再生できるインタラクティブ・マルチプレイヤー(情報家電)として売り出されたのですが、当時としてはまだ時期尚早だったようです。結構早い段階で見切りをつけて、64ビット規格3DO M2を出すという話もあったようですが、結局実現しませんでした。

 アインシュタインを使ったCMが印象的で、これが出たときには何か新しい事が始まるという感じがして結構わくわくした事を思い出しますね。また次世代機としては、この四角くコンパクトに纏まった3DOのデザインが一番良かったようにも思います。(フロントローディングに高級感があってかっこよかった)。情報端末として企画されてますから、TVやコンポなどの横に置いたり、組み合わせても様になるように作られていたのではないでしょうか。松下としては、最後までこだわっていたMSX規格の次の挑戦だったのだと思いますが、結局ここでも情報家電を制する事はできませんでした。

 現在でも特に話題になるという事もなく、ハードオフの片隅などに置かれていることが多いですから、入手することはそれ程難しくはないと思います。結構いいハードだったとは思うのですけどね・・・値段も含めて上手く時代とかみ合わなかったのでしょうか。