80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX・堤哲哉著/扶桑社

2007-10-30 23:31:40 | 書籍・漫画

 映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の公開にあわせて書店のコーナーで、「昭和ノスタルジックフェア」というのをやっていました。その中に、以前発売されていた『目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX』がありましたので購入してみました。これは、駄菓子屋グッズだけでなくエポック社の野球版や魚雷船ゲーム、ガチャガチャに関する記事もあってなかなか楽しい一冊です。詳細は、また後日紹介します。




(ミニ液晶ゲーム)パックマン・エポック社/ハンドヘルド

2007-10-28 19:11:06 | 電子ゲーム


 これは、有限会社ハンドヘルドより発売され、エポック社より販売されているLCDゲームの『パックマン』です。以前は『わにわにパニック』とともに、増田屋より出ていたようですが、現在ではエポック社に販売が移っているようです。小ネタですが、結構いい味を出していますので、ネタとして紹介してみます。


 80年代初頭(80~83)に電子ゲームのブームが起こり、その時もゲームセンターのゲームを家庭で遊べるようにした移植ものが人気でした。一世を風靡した『インベーダー』(タイトー)より始まって、『ギャラクシアン』、『ディグダグ』(ナムコ)、『スクランブル』、『フロッガー』、『アミダー』(コナミ)、『クレージークライミング』、『フリスキートム』(日本物産)、『平安京エイリアン』(電気音響)などなど。中でも当時大ヒット作であったナムコのパックマンは、様々なメーカーより電子ゲームが発売されていました。まずは、ナムコより正式なライセンスを取得したトミーの『パックマン』、エポック社より発売されていた液晶の『パクパクマン』、コーヒーブレイクの再現など非常に遊べたバンダイの『パックリモンスター』、移植度の高かった学研の『パックモンスター』などがありました。権利関係に大らかな時代だったためか、各社とも勝手に移植したものが多かったのもこの時代の特徴ですね。当然、このエポック版の『パックマン』は、ナムコより正式なライセンスを取得したものになっています。


 パックマンは、(特に北米で)大ヒットをとばして80年代の顔といえるような作品になりましたが、実は70年代にトミーよりに『パックマン貯金箱』、コインを回転するパックマンの口に放り込む『パックマンゲーム』というものが発売されていました。これとナムコのパックマンは、どのような関係になっているのだろうか(個人的に)謎だったのですが、Wikiによると当時トミーより「名称・デザインが酷似している」とクレームが来ていたようです。まあゲームの内容に直接の関係はありませんので問題はないのでしょうが、当時パチ物ばかりだったパックマンのゲームで、唯一トミーがナムコの正規ライセンスものを発売していたのは、ここいらも関係がありそうですね。このトミー製の電子ゲーム『パックマン』は、デザインやパッケージなどは非常によくできていましたが、ゲームとしてはあまり遊べなかったように記憶しています。


 それで、このエポック(ハンドヘルド)製のパックマンなのですが、さすがに現在の技術で作られているためよくできています。カラー液晶表示されており、あのサウンドもほぼ忠実に再現されています。ステージ数は1~20ステージ、フロアは画面切り替え式になっており4~16もの広さがあります。雰囲気はよくでていますが、ただこのフロアがやたらと広いためモンスターに追いかけられているというよりは、幾つもの部屋を攻略するあの『ルート16』(サン電子)みたいな感じになっていたりします。正規ライセンス品のためパッケージも懐かしげでいい感じですし、1,000円ほどのMiniゲームとしては非常によくできていて楽しめるものになっています。プレミアの付いた当時品もよいですが、こういう手頃で出来の良い携帯ゲームも、たまには目を向けてみるのもまたよいかもしれませんね。

ハードドライビン(レースドライビン・ア・ゴーゴー)・アタリ/ タイムワーナーインタラクティブ

2007-10-21 23:52:02 | レトロゲームReview

 『ハードドライビン』(HARD DRIVIN')は、1989年に米アタリ社から発売されたアーケードゲーム。早い時期にポリゴンを使用した作品で、かなりリアル指向で製作されており、ゲームというよりはドライブシミュレーターとでも言うべき特徴を持っていました。『レースドライビン・ア・ゴーゴー』は、続編ともいえる『レースドライビン』(90)のPS・SS版で、1996年に発売されました。


 写真は、アタリの子会社であるテンゲンより発売されたメガドライブ版。


 ポリゴンを使用した初期のものは、その特性からナムコ『ウイニングラン』(88)、セガ『バーチャレーシング』(92)など、リアルさを追求したシミュレーター的な作品が多く作られていました。空気抵抗や摩擦などの概念を取り入れたり、ちょっとしたミスでコントロールを失うなど、リアルな反面非常に難しい(シビアな)作品が多かったように思います。(ポリゴンではありませんが)タイトー『ミッドナイト・ランディング』(87)、その続編の『トップ・ランディング』(88)、ヘリの操縦をシミュレートした『エア・インフェルノ』(90)など、もともと3Dを使用したゲームは、主に“フライトシミュレーター”を中心としたものが多かったからでしょうか。それが『リッジレーサー』(93)の登場により一変します。これは、物理法則やリアルな挙動よりもゲームとしての楽しさに主眼をおいて製作されており、(面白ければ)実車の動きとは異なっていてもかまわないという方向性で、具体的には挙動の正しさより、ドリフトをする楽しさを前面に出していました。以後の車のゲームは、大体この路線を踏襲しており、リアルさを追求したものは『グランツーリスモ』(97)までは少なかったように思います。対して、この『ハードドライビン』は、ある意味『リッジ』の対極とでもいうべき作品でした。


 この作品には様々な特徴がありますが、まず筐体が(リアル指向に)非常に凝っていた点があげられます。この手のドライブゲームとしては、かなり珍しいクラッチ付き(それも重い)の4段ギア、ハンドルもパワステのない重いもの。ゲームは、イグニッションキーを捻ることによりスタートします。

 
 ルールは、規定時間内にコースを回るというもので、トリッキーなスタントコース、高速で回るスピードコースが準備されてました。スタントコースでは、360のループやジャンプなどもありますが、どちらかというと派手な演出とは無縁で、教習場のコースを回っているような感じでした。ポリゴンを使った最初期のレースゲームということもあり、クラッシュしたあとに再現が行われるインスタントリプレー機能も備えていました。時折対向車がすれ違う程度で、ライバルカーとのバトルというようなものはなく、ハンドルが非常に重いため、切り過ぎると横を向いてしまうなど(運転そのものが非常に難しい)、車の運転そのものを楽しむゲームになっています。(※チャンピオンシップラップでは、ライバルとしてゴーストカーが出現)。当時、車の免許を持っていなかったのですが、ギアをマニュアルで操作する余裕もなく、車の運転とはこんなに難しいものなのだろうかと思った記憶があります。


 PS版『レースドライビン・ア・ゴーゴー


 コンシューマ向けに大幅にアレンジされています。


 アタリを特集した『謎のゲーム魔境2

 どちらにしてもBGMもないシンプルなゲームのため、同時期稼動していたアウトランの陰に隠れて日本では、それほど人気は出なかったようです。しかし印象には残るゲームで、衝突すると『モー』となく牛など、知名度は高いゲームですね。凝った大型筐体のため現在では遊べるところはほとんどないようですが、車の運転をするようになった現在、再びクラッチ付きのマニュアルモードで遊んでみたいような気がします。



参考:Wiki アタリ、テンゲン、ハードドライビングの項

ソーサリアン・日本ファルコム

2007-10-20 21:10:29 | RPGゲームReview

 『ソーサリアン』(SORCERIAN)は、1987年に日本ファルコムより発売されたRPGゲームです。作者は“ドラゴンスレイヤー”シリーズの木屋善夫氏。本作はシリーズ第5作目にあたります。


 シリーズは、①ドラゴンスレイヤー(84)、②ザナドゥ(85)、③ロマンシア(ドラスレJr)(86)、④ドラゴンスレイヤーIV(ドラスレファミリー)(87)、⑤ソーサリアン(87)、⑥ドラゴンスレイヤー英雄伝説(89)、⑦ロードモナーク(91)、⑧風の伝説ザナドゥ(94)、以上8作品。木屋氏は、当時『ザナドゥ』で一躍人気のスターデザイナーになりました。『ザナドゥ』、『イース』シリーズとならんで、80年代の日本ファルコムを代表する作品だといってよいと思います。


 本作はロマンシア』、『イースⅢ』タイプの横スクロールのアクションRPG。本作の一番の特徴は、ゲーム本体とシナリオを分離したことにあり、シナリオをクリアするごとに経験点が入り成長して、次の冒険へと向かうことになります。もちろんキャラクターはそのまま持ち越すことができ、成長だけでなく寿命によって死亡の概念も持っていました(キャラの特徴を持った子孫が受け継ぐシステム)。シナリオとキャラの分離はTRPGでは当たり前なのですが、(開発の費用や時間などに制約があり)次々と続編や追加シナリオを出すことができないCRPGでは、成功しているとは言い難い状況でした。


 『ウィザードリィ』、国産では『ザ・ブラックオニキス』でも試みられていましたが、シナリオを縦断しながらキャラを成長させる楽しみは、それほど上手く機能してなかったように思います。『ソーサリアン』は、これが成功した非常に珍しい例で、本体とシナリオが分離しており、シナリオは外部データからの読み込みというプログラム上の特徴を生かして、追加シナリオ(Vol.1)、戦国ソーサリアン(追加シナリオVol.2)、ピラミッドソーサリアン(追加シナリオVol.3)など、何種類もの追加シナリオが販売されていました。またMSX2版は、ソフトベンダータケル(ブラザー工業)によりオンラインの自動販売機という形式で販売されていましたが、追加シナリオもこの形式で販売されたようです。


 対応機種は、オリジナルはPC-8801mkIISR以降版として発売され、PC-98版X1turbo版PC-88VA専用版MSX2版PC/AT互換機(海外版)と続いたようです。当時のRPG人気を反映してメガドライブ版PCエンジン版ドリームキャスト版とコンシューマにも移植され、97年にはソーサリアン・フォーエバー(Windowsのリメイク版で新作シナリオが5本)、ソーサリアンオリジナル(Windowsのリメイク版フォーエバーの5本+初期シナリオ15本)、携帯版、2005年にアーケード版(お蔵入り)、現在ではオンライン版まであるようです。


 写真は、メガドラ版ソーサリアン・フォーエバー。 私の個人的な思い出としては、実は当時はこれらで遊んだことはありませんでした。当時、PC誌でもソーサリアンの特集記事が随分長いこと組まれていましたので、遊びたいとはずっと思っていたのですが、PC-88で遊ばせてくれていた友達がPC-98に買い換えてしまっていたこと、自分もゲームから少し距離ができていたことなどから、結局遊ばずじまいで終わってしまいました。ゲーセンやコンシューマでは遊んでいたのですが、(ゲームだけでなく)だんだんと他の事に目が向くような時期に入っていたのだと思います。


 ということで、個人的には遊びたかったのだけど遊べなかった(間に合わなかった)、憧れの一本という印象が強いです。この頃は、ブルートなどの中古チェーンも増えてきてFCゲームなどが安く手に入るようになっていましたので、そちらに流れてしまったんですね。また時代もバブル期だったですし、音楽やバイク、洋服、夜遊びなど、もうそちらの方が楽しくなってもいました。現在遊ぶ場合には、Windows版のソーサリアン・フォーエバー、オリジナルとも廉価版が出ていますので、これが簡単でしょう。またオンライン版は、基本料金無料で遊べるようですので、こちらでもよいかもしれませんね。



Wiki ドラゴンスレイヤー、ソーサリアンの項

ハイパーオリンピック・ソニー/コナミ

2007-10-19 00:04:42 | MSXゲームReview

 『ハイパーオリンピック』(Hyper Olympic)は、コナミより1983年にアーケードゲームとして発表されました。アーケード版の人気を受けてFC、MSX等に移植され、以後もソウル(88)、バルセロナ(92)、アトランタ(96)、ナガノ(97)、シドニー(00)とオリンピックの時期になると発売される定番となりました。写真はソニーより発売された、MSX版の『ハイパーオリンピックⅠ』(左)、『』(右)


 ゲームは、RUNボタンJUMPボタンを駆使して100メートル走やり投げハンマー投げ走り高跳び110メートルハードル走り幅跳びと6種目の競技で、記録を競う内容です。RUNボタンを叩けば叩くほど速度が上がるシステムになっており、ある意味連射の先駆けでもありました。記録を伸ばすために、爪先でボタンを擦るように叩いたり、定規などの道具を使う技もゲームセンターで編み出され、当時ゲームセンターに置いてある筐体の操作パネルは、ほとんどが擦れて塗装が削られているような状態でした。そのため店によっては、定規(道具)禁止などの張り紙がしてあるところもありました。



 アーケード版の人気を受けて、85年にはFC版も登場してきたのですが、ROM容量の関係で100メートル走、やり投げ、110メートルハードル、走り幅跳びの4種目に減らされていました。また、当時のFCの異常人気を反映した形で『8時だよ!全員集合』にも登場、そこから有名な『ハイパーオリンピック・バカ殿様バージョン』も誕生しました。上写真のものは、バンダイ製のLSIゲーム『ハイパーオリンピック・チャレンジ5』。こちらは5種目が遊べるようになっています。電子ゲームとしては、かなり後期(85)のもののためがんばってます。


 もう一つのMSX版なのですが、なぜかソニーより発売され(製作はコナミ)、ⅠとⅡに分けられての登場となりました。そのためFC版では減らされた競技も2種類増え、100メートル走、やり投げ、ハンマー投げ、走り高跳び、110メートルハードル、走り幅跳び、400メートル走、1500メートル走の8種目となりました。ということでMSX版が一番豪華だったわけですが、追加された400メートル走と1500メートル走は、単に100メートル走の距離が伸びただけですから、(持久力勝負の1500メートルはまだしも、中途半端な400メートル走などは特に)あまり意味がない部分もありました。


 またコナミではなく、ソニーブランドとして発売された経緯も謎ですが、当時のソニーはMSXハードを販売をしていましたので、(販促の意味もあって)ソフトのラインナップを充実させようとしたのでしょうか。ちなみに私はこのソフト買った記憶がありませんので、当時買ったソニー製のMSX1におまけとして付いてきたものだったと思います。


 この当時のソニーは、あくまでも家電販売のノリでしたから、あまりソフトで儲けようという発想はなかったのか、海外作品などをソニーブランドとして販売していました。(特に初期の)MSXは、一応ホビーだけでなくいろんな用途の考えられるPCとして売ってましたので、プログラムの入門用教育用など、あまりゲームをメインにはしていなかった事情もあったと思います。その戦略が、ゲームに特化したFCに負けてしまう要因の一つでもあったのですが、(逆に)ちょっと高度なものとして惹かれる部分もありました。またゲーム機ではないといって発売されたPS3は、現在苦戦しているようですが、なんだかその姿がこのMSXの頃とダブったりもします。