80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

さよなら夏の日/リアショック交換

2013-08-31 09:45:33 | 原付趣味&Bianchi

 前回、ドリーム50再生ネタはひとまず一区切りと書いたのですが、新たなネタを入手したため続き。


 正午の日だまりの中のドリーム。


 ぱちエンブレム。違和感あるかなと思ってたのですが、意外となじんでいる。


 コンビにやら郵便局やら近場の住宅地をうろうろしていると、意外とガレージ内にバイクが置いてあるお宅が多い。それは原付や、子供が大きくなって置いていったようなもの、昔乗っていたほこりを被ったようなものが多いが、微笑ましく感じる。


 バイクのあるガレージ、バイクいじりのできるガレージライフに憧れました。


 これは原付だし、屋根が付いてるだけのカーポートですが、気分は味わえます。


 今月はもう小遣分を使い果たしており、磨いて終わりにしようと思っていたのですが、オクで思いがけないパーツを入手したので、時間の合間を見計らって取り付けてみることに。


 入手したものはこれ。モンキー用(汎用)の330ミリショック。ショックの価格は、大陸製のものから、台湾製、国内メーカー、海外メーカーまでピンきりで、これは1円スタートの訳あり品で800円でした。左はシリコングリス120円。


 訳あり品とはいっても、機能面でなくメッキ仕上げの荒れ。通常だと4,800円程度で売られているものだと思います。1円スタート分でも2,000円~3,500円程度には上がってしまいますが、たまたまこの金額で落ちてきました。


 そうはいっても、値段が値段だし思いっきり大陸製。


 スプリング内のゴムの位置がおかしいです。検品してる?


 どうも中華の下請けメーカーらしく、ホンダ、スズキ、KTM(オーストリア)、KYMCO(台湾)に卸してるよ、みたいなアピールがしてある。大丈夫かいなと思いつつ作業開始。値段が値段なので、サス交換の練習用でも良いか。


 純正サスのボルトを外していきます。製造以来15年経過していますので、手ではなかなか外れない。軽いキックで外れました。


 車体側も外します。車種によっては、スイングアームが落ちてしまうため、ジャッキなどを使った方が良い場合もあるようです。


 さっそく問題発生。サスのカラー(取り付け部)が、上12ミリ下10ミリという構成になっているようで、下が入らない。箱は付いているのだが、取り説等はなし。交換用のカラーも付属していない。


 仕方ないので、純正品を流用。取り付け部のサイズが一緒で良かった。


 車体が落ちてくるので、なるべくなら片側一本ずつやった方が良いが、純正と同一の330ミリなのに長さが微妙に合わず入らない。仕方ないので両方外して車体を支えつつ、結合部にグリスを塗ってから取り付け。


 純正品との比較。長さはほぼ同じだが、太さがかなり異なる。


 ボルトも新品に交換してやった方が良いが、手持ちが無かったので再利用。錆だが汚れだかわからないものが、こびり付いています。


 パーツクリーナーで磨いてやると、綺麗に落ちました。


 ボルトとワッシャーを4つとも洗浄。ここで手を抜くと、せっかくの新品への交換が台無しになります。


 洗浄後に取り付け。もうビカビカ。


 ボルトは小さな部品ですが、ぱっと見の印象には結構影響ある。


 4箇所とも取り付けた後、増し締めを行って完了。


 これまで使っていた純正。表側はそれほどでもないが、裏はこのような感じ。製造後15年が経過してますが、走行は1万キロほどなので、機能的にはまだ使えると思います。


 もう一本は、大きな錆も無く比較的綺麗。15年という年月を考えれば、錆びを抑えて外観を維持しているのはすごいかも。


 交換後の赤ショック。普通社外品で赤だと、アクセントやワンポイントとして目立つと思いますが、ドリーム50の場合はフレームが赤なので、あまりインパクトはない。純正と同じメッキか、HRCのように黒だったら良かった。


 ただ上記の錆錆の純正品が、新品になったというインパクトは大きい。純正のように、錆を防いで15年この状態を維持してくれるとは、到底思えませんが。


 走った感想としては、純正より少し硬いかな?ボヨンボヨン跳ねるかな?といった印象。元々ドレスアップ用で走りのためのパーツではないし、モンキー用の汎用品の流用ですから、期待はしていません。


 耐久性などはこれからですが、普通に使えて特に問題はないです。スポーツサス導入までのつなぎでも全然OKかも。


 ということで、ドリーム50リアショック交換でした。

ドリーム/シートリベット取り付け

2013-08-24 15:03:07 | 原付趣味&Bianchi

 ということで、ひと夏をかけた夢の再生も終盤を迎えます。このようなものを入手したりして、終わりではありませんが、忙しくもなるため区切りということで。


 南海部品に注文していたデイトナの補修用リベットが届きました。メッキが施してある装飾用で1,260円ほど。アマゾンだと900円ほどで入手できると思います。


 このリベットって案外錆びやすいので、20個入りなのでひとつ確保しておくとよいかも。


 まずシート横の2本のボルトを外して、シートを取り外します。次に写真中央に見える、シートと本体を繋ぐ留め金(足)のボルトを2本外します。


 そうするとシートとシートカウルを固定している4本のボルトが見えてきます。


 たったこれだけの固定でシートに取り付けられているんですね。


 全然力はいらない。ドライバーでOK


 これで取り外しが完了、シートのみになりました。


 ドリーム号は元々リベット付ですから穴が開いてます。シート張替えの時に、その位置に印を付けてくれています。リベットなしのシートに新規に取り付ける場合は、当然穴開け加工が必要となります。


 裏からキリなどで穴を開けてやり、リベットを押し込む。


 裏に付属の留め金で留めてやります。もしかすると、リベットを取り付ける工具か何かあるのかもしれませんが、手で十分に可能。


 乗っかっているだけだとかっこ悪いので、ぐっと押し込んで固定します。


 この要領で残りの4個も取り付け。所要時間30分もかからないと思います。


 ということで、シート張替え完成。


 あったから、それで?というパーツですが、ないと気になるものです。


 カスタムシートみたいで、なかなか良い感じになりました。


 外観上も新品同様になり、なおかつバイクに乗る時にシートの破れを気にしなくともよくなりましたので、精神衛生上にも良いです。


 続いて古くなっていたステッカーの張替え。この極小サイズのHRCがなかなかない。


 ステッカー自体はまだ大丈夫ですが、汚れが外枠を作ってます。


 ステッカーを剥がすにはステッカー剥がし、表面の脱脂にはパーツオフが必要。パーツクリーナーで代用できるという記述もあれば、塗装面を痛めてしまうので不可という記述もあり、やや曖昧。安全策を採って台所用中性洗剤でいきます。


 ステッカー自体が小さかったため、何もせずにすんなりと取れました。


 ついでなので、シートカウル全体を中性洗剤で拭いてやります。


 慎重に位置決めをしながら新しいシール貼ります。


 すっきりとしました。


 つづいてHRCヨシムラアルミエンブレム。ドリーム50は貼れるスペース自体が限られるため、迷わずここしかない。


 このような感じ。貼った後エンブレム表面の保護シートを剥がしてやる。


 意味不明のエンブレムですが、ワンポイントのアクセントにはなる。


 最後にステッカー類を貼って、夢の再生ひとまずは一区切り。


 錆も汚れもまだ残っていますが、一月前を思えば十分再生しています。


 原付弄りの楽しさを改めて再認識しました。


 リベット留めやステッカー貼りと前後して、銀行やホームセンター、郵便局など近場の移動にもドリーム50を使用しています。近場への移動だとガソリン消費も数百円レベル。ガソリン高騰の折、動態維持も兼ねて一石二鳥。


 前回購入したストリートゴーグル。グラサンみたいです。レトロなゴーグルでないと、合わないかなとも思っていたのですが、違和感はありません。


 緑地公園の駐車場にて一休み。


 OGKの星がいい感じですな。元は、ハーレーとかビックスクーターに合わせるメットでしょうか。


 一応日陰ですが、まだ残暑のため暑い。蝉の声はもうあまり聞かれなくなりました。


 錆ないし、軽いのでメットから外れないし、安いしでこれいいです。ヤマハが出しているのもあった筈。


 パーツを受け取りに南海部品に行ったら、原付乗りの少年たちから声をかけられました。15年前に8000台ほどしか作られなかったバイクですから、珍しいものに映るのでしょう(ドリーム50ということは、ちゃんと認識していた)。バイクブームの時には、嫌というほどいた原付少年ですが、彼らも珍しい貴重な存在になりました。


 バイクブーム全盛期の1/10までに落ち込んだバイク市場ですが、2013年からはバイクブーム再来の記事が上がっています。ブーム時に乗っていた中高年のカムバックライダーと、その子供たちの世代でバイクが売れているのだとか。久々の明るいニュース。


 木漏れ日が映りこんだメーターがいい感じです。どこかわたせせいぞうちっく。ボビーに首ったけという映画もありました。


 まだ残暑が厳しくて30度を超えてますが、写真に撮ると秋の気配を感じます。


 Tシャツがぐっしょり。外に出るたびに、出掛けるだびに着替えます。


 すごく小さなバイクなので、実際にはこのように見下ろす感じ。


 原付の小さなキーを捻り、跨ってキックで始動します。


 バイクの乗っている時に見えている景色はこのような感じ。原付なので、非常に道路の路面が近い。路面の暑さやオイルの臭い、バイクの振動、顔に当たる風など、様々な情報がダイレクトに入ってくる。この情報の繊細さ、鮮明さがバイクの良さのひとつかな。


 バイクブームが再燃とは言っても、全盛期のようなものはもうないでしょう。80年代頃にはイギリスの名門と言われたバイクメーカーは壊滅状態、ドカティもハーレーも経営危機という感じで、日本車が圧倒的な勢いを持っていました。今度は、日本車が衰退していくターンに入ったのだと思います。


 それでも、ブームになれば色々と活性化してきて、様々な情報も出てくるでしょうから、それを期待しましょうか。


 ということで、晩夏のドリーム50でした。

さらば青春の光 Quadrophenia・ユニバーサル・ピクチャーズ

2013-08-19 21:06:36 | 映画・DVD・CD

 さらば青春の光(原題:Quadrophenia)は、モッズと呼ばれる若者たちの青春を描いた1979年のイギリス映画。


 原題のQuadrophenia(四重人格)は、The Whoのアルバムより来ており、原作もThe Whoのピート・タウンゼント。モッズとは、1950年代~60年代にかけてイギリスで起こった若者のムーブメントの事で、映画は実際にあった事件・ブライトンでの暴動を下敷きにしている。


 現在では、モッズヘアーとかモッズコートとか、ファッション的な用語として用いられるモッズという言葉ですが、元々はファッション、音楽などを含めたライフスタイル(生き方)をさす用語。映画の公開された80年代前後には、ネオモッズのブームも来ていたそうです。物語は、モッズに所属する主人公が時代のムーブメントの中で輝いた時間を過ごし、やがてその熱狂的な時間が過ぎてしまうと周りには誰もいなくなって、大人へとなるという話です。時代が変わっても誰しもが経験する事と思われ、だから邦題がさらば青春の光なのです。


 で、さらば青春の光といえば、やはりべスパ。モッズと呼ばれた若者たちはモッズコートと呼ばれるコートを羽織り、ライトやミラーで飾り立てたスクーターに乗っています。これは、彼らのファッションであった細身の三つボタンのスーツを汚さないためにミリタリーコートを羽織り、スクーターに乗っていたのだそうで、飾り立てたミラーも自分を写すためであったとか。


 日本でべスパのムーブメントにも、多大な影響を与え続けている作品だと思います。ただし主人公が乗っているのは、ベスパではなくランブレッタ。また映画に登場するのは、かなり大型のスクーターで若者のムーブメントの中にありますので、少し前に流行ったビクスクの方がイメージとしては近いのかも。


 日本のべスパは、もう少し年齢層が高くて、洗練されたお洒落な感じでしょうか。それでも、本国では一旦生産中止に追い込まれたビンテージシリーズが、(日本での人気が高いため)再生産されたほどの日本のべスパ人気を語る際には、外せない作品だと思います。


 こちらは、マイストのモデルでPK 125。


 映画に登場するもうひとつのムーブメントに、モッズと対立するロッカーズという集団があります。彼らは、革ジャンにリーゼントというスタイルで、ノートンやトライアンフなど市販のオートバイをレーサー風に改造して、その速さを競ったりしていました。彼らがカフェに乗り付けるオートバイのスタイルをカフェレーサー(Cafe Racer)と呼び、こちらも日本でのオートバイの大きな流れのひとつとなりました。あのビートルズも元は革ジャンにリーゼントというロッカーズスタイルで活動しており、デビュー時にはモッズスタイルで売り出されたのだとか。


 YAMAHA SRに代表される単気筒のオートバイに、アルミタンクやマフラーの交換、バックステップやセパハンといった改造を施すスタイルが、日本でも80年代、90年代に流行りました。少し前にキムタク人気でYAMAHAのTWやHONDAのFTRなどでスカチューンというスタイルが流行りましたが、あれもカフェレーサーの流れの中にあるのではないかと思います。


 映画自体はお洒落系ですが、いつの時代にもある若者の熱狂的なムーブメントを描いています。映画やモッズとは全く関係ないですが、個人的には90年代に流行った渋谷系を連想しました。


 個人的には、メーカー製カフェレーサーCB400フォアや、シングルレーサーを標榜したスズキ・グースといったバイクを乗り継いでいて、ドリーム50は本田が60年代の市販レーサーをリバイバルした、まんまメーカー製カフェレーサーだったりと、カフェレーサー系統に乗っていました。ただリーゼントにしたことはないし、革ジャンも持っていたことはありません。ドリーム50に乗る時にはPコートなどを着ていたり、買う際には趣味原付として平行してベスパも探していたりと、スタイルやファッションは、ちゃんぽんであまり関係なかったりします。


 ということで、いつの時代にもある若者の熱狂と祝祭、その祭りの後を描いたお洒落映画、さらば青春の光(原題:Quadrophenia)でした。

参考:Wiki モッズ、ロッカーズ、カフェレーサー、The Who、ピート・タウンゼントの項

錆びしい熱帯魚/フロントフォークトップボルトの交換

2013-08-18 19:35:42 | 原付趣味&Bianchi

 ということで、お盆もあけてシートリペアの完了と、純正部品が届いた連絡が入ったので作業を再開。


 とりあえず、その前にタッチペンでハンドル周りのリペア。


 本当は、社外品のセパハンが欲しいのですが、ドリーム用は廃盤が多い。現在でも入手可能なのは、ハリケーンのものだけ?


 ちょっとしたとこですが、黒さを足してやるだけでも、ぼんやりした印象が薄れて鮮明になります。


 メーターバイザーのボルトの頭も。


 これが張替えの済んだリペアシート。値段も値段ですから(専門の張替え業者だと1万ほど、これは5千円)、ドリームと同じ生地はないということはあらかじめ了解していたのですが、なんか違和感がありありで、まだ慣れない。


 とりあえず取り付けてみる。


 違和感があるもうひとつの理由が、シートを留めていたリベットがない。それは別料金ということでなく、バイク屋自体にないとのこと。張替え専門店ならともかく、リベット留めしてあるシートなんて、アメリカンとかモンキー位のものですから仕方がありません。


 この手のカスタムシートだと、あったりなかったりなので、無くても良いかと考えたのですが、やはり満足度に差が出るかということでリベット探し。まずはホムセンに行ってみたのですが、土木用、機械用みたいなのはあるが、メッキされた装飾用のものはない。バイク用品で調べると、デイトナから20個入り1,000円ほどで補修キットとして出ていました。オクには、台湾製のものが同じ金額で出ていた。


 アマゾンでも良かったのですが、価格は送料や手数料などを入れると、オクの台湾製のものを含めて大差ない。


 ということで、バイカーの聖地。南海部品へ。残念ながら置いてなく注文してきました。これはメッキ部分がピカピカに磨かれたアメリカン。新車同様というわけでもなく、いい風合いが出ていました。このような皮製のライディングバックとかも、実際買うとかなり高い。


 リベットの問題はとりあえず片付いたので、次はトップブリッジ周辺のボルト交換。バイク屋だと、工賃が2,000円ほどかかるといわれたので、やり方を教えてもらい自分交換します。ここで一番目立つのが、フロントフォークの頭に付いているフロントフォークトップボルト。これが結構面倒で、ただ緩めればよいというものではありません。まず車用のジャッキを準備します。


 バイクを安定した場所に止め、エンジンの下辺りからジャッキアップ。


 センタースタンドや、メンテナンススタンドがあれば簡単なのですが。


 このように作業する際に、フロントタイヤを少し浮かせてやる必要があります。


 これがフロントフォークボルト。錆錆。こんなものあまり変える人もいないかと思えば、ドレスアップ用の社外品などが出ていたりします。こんな、ただのボルトが3,000円~3,500円とか。


 こちらは、ホンダの純正部品。一個1,000円もしないと思いますが、2個必要。ドリーム50用パーツリストも持っていますが、部品の価格はどんどん上昇していきます。


 古い方のゴムパッキンを再利用。


 手順としては、ジャッキアップしない状態でトップブリッジ割締めボルトを緩め、フロントフォークトップボルトを緩めます。最初は力が必要なので、地面に接地させて安定した状態で緩めてから、ジャッキアップをします。


 少し緩めた後、ジャッキアップをしてボルトを外します。中にスプリングがはいっているので、ポンと押し出されるような感じで外れます。


 中のスプリング。ジャッキアップしないと、こいつが飛び出します。ねじ込むようにして新品ボルトを取り付け、地面に下ろしてから締め込みます。最後にトップブリッジ割締めボルトを再び閉めて完了。


 反対側。いっぺんにやらず、一個ずつが良いかも。


 交換前の状態。


 交換後。手とカメラが映りこんでます。


 すごくすっきりしました。


 続いてメーターホルダーのボルト。これはすごく簡単。外すだけ。


 ボルト下のワッシャーというか、ゴムの押さえが汚れているので、ネバダルで拭きます。


 拭き取った後。錆も無く綺麗になりました。


 シートのリベットがまだなので作業終了ではありませんが、部品が無いため今回はひとまずここまで。


 全体的に清潔感を感じれる程度にまではなりましたね。


 トップブリッジ周り。ビカビカ。ボルトを変えてやる程度でかなリフレッシュします。トップブリッジ本体を変えようとすると、結構費用(軽く1万以上~)がかかります。


 キーホルダーで擦れて、傷だらけ、埃だらけになっていたものとは思えない。


 メーター周り、タンク、マフラー、チェーン周りは、バイクを見る時に目がいく部分ですから、ここが綺麗なだけでも印象が変わります。


 それにしても暑い。たかだかボルトを変える作業に汗だく。


 モンキーやアメリカンを、磨いて愛でる人たちの気持ちが少しわかりました。


 後はリベットを取り付ける作業が残ってます。付ければ印象もまた変わるでしょうか。


 ということでリペアシートの取り付けと、フロントフォークトップボルトの交換でした。自分で作業をする場合には、自己責任で。

TOP GUN トップガン・パラマウント ホーム エンターテイメント ジャパン

2013-08-16 20:46:49 | 映画・DVD・CD

 TOP GUN トップガンは、1986公開のアメリカ映画。TOP GUN(アメリカ海軍戦闘機兵器学校)で、要請されるエリートパイロットたちの成長を描いた青春映画。


 物語は、米国海軍に所属する天才肌だが、異端児のパイロット、マーベリック(トム・クルーズ)が、TOP GUN(アメリカ海軍戦闘機兵器学校)へ送られ、友人の死や挫折を乗り越えて、本物のエリートパイロットへ成長するまでの姿を描いている。監督は、リドリー・スコットの弟でもあるCM出身のトニー・スコット。主演のトム・クルーズは、この映画のヒットによって一躍ハリウッドスターの仲間入りを果たしました。


 物語の構造としては、82年公開のリチャードギア主演・愛と青春の旅立ちにとても似ています。どちらも軍隊学校をテーマに据えていますが、若者の成長と挫折、そこからの旅立ちをテーマにしています。TOP GUNならではの要素として、アメリカ海軍全面協力の元、特撮ではない実際の戦闘機や空母を使った本物の空中戦の映像と音楽と映像を連動させて、まるでMTVのようなスタイリッシュな映像を作り上げていた点。それまでの戦争映画とは異なり、まるでリゾート感覚で見れる新しい映画になってました。


 大ヒット映画ということで、ビデオやLD、DVD、ブルーレイと何度も映像化されていて、名作を通り越してほとんど古典の域に達していると思います。


 大ヒット映画となれば、当然何度もゲーム化されており、こちらはきちんと版権を取ったコナミのTOP GUN。ファミコン版でトップガンのゲーム化としては、最初期のものになると思います。


 TOP GUNの直接の映画化ではないですが、影響を受けてつくられたと思われるセガのアフターバーナー。ミサイルを何十発も積めたり、何十何百というターゲットを攻撃することができる、リアルさを追求したフライトシュミレーションではないアクションゲームとして作られていました。


 リアリティという点では全く現実味はありませんが、ノリの良いハードロック調のBGMと軽快な展開が相まって、トップガンの世界をよく表現していたと思います。


 個人的な思い出としては、80年代の終わりごろに愛と青春の旅立ちとの2本立てのオールナイトを見に行った記憶があります。落ち込んでいた時期で、その圧倒的なスピード感と、あまりにもスタイリッシュでかっこよい映像に元気付けられたよう覚えています。


 TOP GUNを語るときに外せないのが、日本のオートバイメーカー川崎重工業のKAWASAKI GPZ900R Ninjya。空中では、最新鋭の戦闘機(F-14 トムキャット/当時)を操るマーベリックの地上での移動手段として印象的な場面に登場し、まるで地上を走る戦闘機のようなイメージで描かれていました。世界的な人気はもちろんのこと、日本では逆輸入車ブームや大型免許の規制緩和の時期と相まって、ずいぶん長いこと人気を保ち続けるロングセラーになっていました。私の友人もこれに憧れてGPZ400R Ninjyaを買い、ステップアップしてしまいにはGPZ900R Ninjyaを手に入れてました。


 大ヒット映画なのに続編が作られていないのは、続編が作られることを嫌がったトム・クルーズ自身が権利を買い取ったからだとか。自身の出世作ですから、続編が作られイメージが壊されることを嫌ったのでしょうか。アメリカ海軍が全面協力したのも、当然軍のイメージUP、PRという目的があったでしょうし、テーマ曲と挿入歌もヒットを記録して、KAWASAKI Ninjyaも人気が再燃してロングセラーとなるなど、ある意味壮大なミュージックビデオ、プロモーションビデオという趣もあったよう思います。そういった意味でも、実にあの時代らしい映画だったと言えるでしょう。



参考:Wiki トップガン(映画)、トニー・スコット、トム・クルーズの項