80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

日本懐かし自動販売機大全・辰巳出版

2015-01-24 09:52:31 | 書籍・漫画

 これは、辰巳出版社より2014年に出版された日本懐かし自動販売機大全。筆者は、レトロ系フード自販機の第一人者であり、マルチクリエータの魚谷祐介氏。 
 

 いわゆるドライブインなどに置いてあった、全自動で調理までしてくれる懐かしい自動販売機を扱った一冊。置いてあったと過去形で書いているのは、これらの自動販売機はもうすでに大半が撤去されてしまっていて、残っている場所が数少ないため。1960年代から1970年代にかけて、モータリゼーションの発展に伴い、主要国道沿いに車での利用や長距離トラック、タクシーなどを対象にした郊外型店舗が発展した。これらは、ドライブインと呼ばれたり、オートレストランなどと呼ばれた。オートレストランでは、自動販売機を置いて24時間で営業しているところが多かったため、この休憩所を兼ねたレストランが全盛期であった70年代~80年代にかけて、うどん、そば、ラーメン、ハンバーガー、カレーなどを自動で調理してくれる自動販売機が登場した。これらの置かれたコーナーは、オートスナック、コインスナックなどの名称でも呼ばれていた。ただし、90年代以降はコンビニや深夜営業のレストラン、スーパーなどの開店に伴い、徐々に数を減らし始め、最盛期には全国で25万台ほどあったといわれるこれらの販売機も、現在では数箇所、数十箇所というレベルにまで減ってきている。現在でも高速のパーキングエリアは健在ですが、民間主体のドライブインやオートレストランなんかは、だんだんと第三セクターなどが多い道の駅という形態に置き換わっていっています。


 この本は、そのような懐かしの自動販売機を扱った魚谷祐介氏のサイト、懐かし自販機~味わいの自販機コーナーを書籍としてまとめたもの。このサイトには、自販機の動画や現在これらの自販機が残っている場所などが網羅されており、ひなびた国道沿いの大変懐かしい原風景がまとめられている。


 今でも高速のパーキングエリアや道の駅などに行くと、どこか懐かしい風景を感じたりしますが、民間主体で運営されていたドライブインなどに活気があった風景は、もう過去のものになりつつあることが分かります。1978年にタイトーのスペースインベーダーがヒットをしインベーダーブームが訪れると、24時間の自販機+ゲームセンター+レストランといった形態になり、この頃が全盛期だったようです。


 そば、うどん、らーめん、ハンバーガー、トーストなどが定番。今でも、ずっと置かれているように錯覚してしまいますが、これらの自販機が製造されていたのは70年代が中心で、メーカーは随分前から製造より撤退しています。今でも現役で稼動しているところは、古くなった自販機をメンテナンスしながら、使っているそうです。電子レンジで調理するハンバーガーやフライドポテトなんかは、つい最近までゲームセンターやボーリング場で見かけたように感じていたのですが、自販機ハンバーガーの代名詞でもあるグーテンバーガーを製造していたマルシンマック(マルシンフーズの子会社)が、2002年に撤退しているため、実は現在ではほとんど残っていないのだとか。ハンバーガーは、昔は子供にはお出かけの日にのみ食べられる特別な料理でしたが、今はスーパーやコンビにでも100円で売っているものになってしまいました。


 オートレストランのみならず、寂れた観光地やビジネスホテルなどでも定番であった、富士電機株式会社のめん類自動調理販売機。このような自販機が全盛であった頃には、シャープなども参入していたようです。今でもお湯が出てくるカップヌードルの販売機は、現役で見かけます。90年代末頃には、探偵ナイトスクープで現役稼動している大塚のボンカレー自販機を探すというネタもあった。


 自動調理販売機の内部構造も紹介されている。魚谷祐介氏のサイトには、この動画も置いてある。うどんやそば、ラーメン類は、冷凍食品を解凍していたのではなく、生めんを冷蔵していた。それにお湯を注いで、湯きりするだけと意外とシンプルな構造だった。子供の頃は、こういうの好きですから食べたかったが、親が買ってくれなかった。そばとラーメンを各一回だけ食べたくらい。それでも、懐かしく感じるのは何故でしょう。


 現在でも、現役でこれらの自販機が稼動しているオートスポットやドライブインが紹介されている。


 こちらは、冷凍したハンバーガーを内部の電子レンジで加熱してくれるタイプのもの。1~2分ほどで、箱ごと加熱された熱々のものが出てきます。このタイプでもっとも有名なのは、マルシンフーズの子会社が出していたグーテンバーガー。似たタイプにトーストもあった。


 その他にも、ガムやらジュースやら、懐かしの自動販売機が掲載されている。


  とにかく懐かしい書籍です。誰か、このような形態で、次はデパートの屋上とか遊技場をやって欲しい。こちらは、ほどんど壊滅に近い状態だろうから、今からでは遅すぎるのかもしれないが。

 
 何故か、今はこのようなニッチでマニアックな情報を網羅したムック本が熱い。これまで発売された家庭用ゲーム機、携帯用ゲーム機を網羅した家庭用ゲーム機、携帯ゲーム機コンプリート。同じ著者による、任天堂コンプリートガイド -玩具編-というのも出ている。


 駄菓子屋で売られていたメンコや駄玩具、エポック社のボードゲームなどを網羅した、目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX。似たような視点からは、20円のガチャガチャを扱った愛しのインチキ・ガチャガチャ大全ーコスモスのすべて、続編の素晴らしきインチキ・ガチャガチャの世界 コスモスよ永遠になどがある。変り種としては、うまい棒を扱ったやおきん公認 うまい棒大百科や、山崎のランチパックを扱ったランチパックの本というのもある。


 80年代のホビーPC周辺を扱った80年代マイコン大百科。同じ筆者による続編的なレジェンドパソコンゲーム80年代記もある。同じような題材では、懐かしのホビーパソコン ガイドブック 、同じ筆者によるより詳しいホビーパソコン興亡史 国産パソコンシェア争奪30年の歴史というのも出ている。


 レトロハードやらATARIやらMSXやらデータイーストやら、興味の赴くままにマニアックなネタを集めた、ゾルゲ市蔵氏の謎のゲーム魔境。


 主要なアーケードゲームの歴史が、カラーで一通り網羅されているアーケードゲーマーズ白書。このシリーズは、RPGやらシューティングやら、アクションゲームやら、懐かしいゲームが一通り揃っている。


 これまでに発売された全ファミコンソフトを網羅したファミリーコンピュータ1983-1994。これは、レベルXという展覧会に連動して出版されたもの。より豪華なファミコンプリートという本もあった。ファミコン本は多すぎて、とても全部は追えない。メガドライブのソフトを網羅したメガドライブ大全というのもあった。


 世界初のパーソナルコンピュータAppleⅡについて網羅したApple2 1976‐1986。スティーブ・ジョブズの伝記は数多く出版されていると思いますが、Apple2本体についての情報は、今となっては貴重。


 駄菓子屋や文房具屋などでも売られていた、青島の合体シリーズなどのキャラクタープラモデルを網羅した超絶プラモ道〈2〉アオシマプラモの世界 。パチもの的なキャラクタープラモを扱った超絶プラモ道の青島文化教材社編。つい最近では、アウトサイダー・プラモデル・アート 青島文化教材社の異常な想像力という本も出ている。


 テレビゲームも扱っていますが、LSIゲームとも呼ばれた電子ゲームに特化した 電子ゲーム70's & 80'sコレクション。ニッチなマニア本のはしりといえるでしょうか。


 ということで、すごくノスタルジーを掻き立てられるお勧めの一冊、日本懐かし自動販売機大全でした。



参考:Wikiドライブイン、オートレストラン、グーテンバーガー、マルシンフーズの項、懐かし自販機~味わいの自販機コーナー(公式サイト)

ドランクモンキー酔拳・ソニーピクチャーズ

2015-01-06 10:23:23 | 映画・DVD・CD

 ドランクモンキー 酔拳(Drunken Master)は、1978年製作の香港映画。日本での公開は翌1979年で、日本にジャッキー・チェンを知らしめた一作。


 当時、ロー・ウェイのプロダクションと専属契約していたジャッキーが、呉思遠(ン・シーユェン)のプロダクションにレンタル契約で出向して作られた作品のうちの一本。もう一本は、初期ジャッキー作品としては酔拳とならぶ有名作である蛇拳。監督は、マトリックスなどの武術指導としても知られる袁和平(ユエン・ウーピン)で、彼は赤鼻のお師匠さん袁小田(ユエン・シャオティエン)の実の息子でもある。この作品の前までのジャッキーは、敵討ちものなどを典型とした昔からある古いタイプのカンフー映画を作っていて、知名度もそれほどではなかった。蛇拳でシリアスな展開の中にコミカルな要素を混ぜたところ受けがよく、映画もヒットしたため、続編としてよりコミカルな要素を増やしほぼ同じスタッフで作られたのが、この酔拳である。日本では、香港で評判になっていたジャッキーの映画を買い付けた映画会社が、同時に買った3本の内の出来が良く面白いものから公開したため、酔拳→蛇拳と公開順序が異なっている。日本でもこの作品で一躍有名となり、次々とジャッキー映画が公開されるようになった。


 過去に何度もVHSやDVD化されているが、これは最近のソニーピクチャーズから出ているバージョン。ディアゴスティーニの隔週刊ジャッキー・チェンでも第一弾プロジェクトAに続いて、第二弾に選ばれている。


 あの一度聞いたら忘れられない、いかにも中国っぽい曲“将軍令”(黄飛鴻のテーマ)が流れ出しそうなポーズ。この楽曲は中国では有名な曲で、一般にも親しまれているらしい。


 この作品の中で、ジャッキーは若き日の黄飛鴻(ウォン・フェィフォン)を演じている。この人は、中国では歴史的に有名な英雄でジェット・リーなども彼を主題にした作品を作っている。ただ、この映画では設定は完全にオリジナルで、映画内でのジャッキーは有名なカンフー道場のどら息子といった役柄になっている。親父が有名なカンフーの師範で、お調子者で自身も多少腕が立つことから、好き勝手をやって生活している。そこで、ジャッキーの親父は息子の性根を入れ替えて鍛えなおしてもらうために、カンフーの達人である蘇化子に弟子入りさせることにした。しかし、根っからのお調子者であるジャッキーは、カンフーの修行もそこそこに途中で逃げ出してしまう。そこに、カンフーの達人で殺し屋の鉄心が現われて、ジャッキーはぼこぼこにされてしまい、股の下をくぐらされるという屈辱を味わう。そこで、心を入れ替えて蘇化子の元に戻り、カンフーの修行に励み始めるジャッキーであったが・・・。


 お調子者の主人公がいて、そこに仙人のような老子が現われ、その老子の元でカンフーの修行を積んで、強敵を倒すという、これ以降お約束となった、カンフー映画の教科書のような作品です。このお調子者の若者と老師匠というモチーフは、この後の漫画やゲームなどで散々使われることになりました。


 赤鼻のお師匠さん蘇化子を演じた袁小田(ユエン・シャオティエン)。すごく印象が強いのは、蛇拳でも同じようなお師匠さんを演じているから。蘇化子とは、実在の人物で酔拳の創始者の一人らしい。ちなみに袁小田(ユエン・シャオティエン)さんは、酔拳の後78年に癌で亡くなられている。


 酔拳の前に作られた蛇拳。日本では、酔拳がヒットした後でジャッキー映画の第二弾として公開された。この後、ジャッキー・チェンの映画は、プロジェクトAくらいまでは、昔の古い作品でも何でも○○拳という邦題を付けられて、新たにジャッキーの新作として公開されていく。


 ただ手を動かすだけで、ボッボッボボボボボと風きり音が効果音として入る。当時は、カンフーの達人になるとこんな音が出せるようになると思っていた。また、空手やボクシングの様に一撃一撃が当たるのではなく、身のこなしで避けたり、手で受けたりして、流れるように連続して続く殺陣が演出されていた。これで、カンフーというものが神秘的で特別な技に見えた。この後のプロジェクトA以降では、風きり音もなく、マーシャルアーツの試合の様な普通の殺陣になっていた。


 こちらは、ちょっと古いVHS版の酔拳。


 この頃のゴールデン洋画劇場などでも、ジャッキー・チェンの映画はよく放送されていた。ジャッキー映画があった次の日の学校では、口でボボボボボと風きり音を出しながら、カンフーごっこをやっていた。酔えば酔うほど強くなるとは、当時の有名な映画のコピー。


 若き日の輝かんばかりのジャッキーチェン。この当時は、香港返還前だったので台湾などでもロケをしていたようで、今見ると日差しが強くて画面が非常に明るい。ジャッキーもコミカルカンフーという新しい活路を見出したためか、映画全体から楽しさが溢れ出している。


 カンフーを習いたかったが、この頃の田舎では空手しかやっていなかった。そのため、少林寺拳法を習いに行った。そのうち、ジェット・リー主演の少林寺という映画も公開されて、カンフーブームがやってきた。70年代のブルース・リーや空手バカ一代は直撃世代ではなかったので、このコミカルなカンフーというものがとても新しく感じた。


 単に戦うだけでなく、椅子や机、お椀や箸など小物の使い方も上手かった。普通では、武器ではない日用品を上手に使用して、殺陣の中に組み込んでいた。ジャッキー映画に影響を受けた、武田鉄也の刑事物語でもハンガーヌンチャクが話題となった。


 ということで、80年代ジャッキー直撃世代には、永遠のカンフー映画ドランクモンキー 酔拳(Drunken Master)でした。



Wiki 酔拳、ドランクモンキー酔拳、スネーキ-モンキー蛇拳、袁和平(ユエン・ウーピン)、袁小田(ユエン・シャオティエン)、黄飛鴻(ウォン・フェィフォン)の項、隔週刊 ジャッキーチェンDVDコレクション公式HP、ジャッキー・チェンを語れ

自転車泥棒 Ladri di Biciclette・Produzioni De Sica/コスミックインターナショナル

2015-01-05 00:00:46 | 映画・DVD・CD

 自転車泥棒(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)は、1948年にイタリアで製作されたモノクロ映画。


 年末のくそ忙しい時に、PCと車が同時に故障して使えませんでした。車は足だし、PCは情報収集をする目だったり、文書を作成する紙と鉛筆だったりしますので、何にもできない状態に。しないとならない事や、行かなきゃならないとこは、なんとか遣り繰りして切り抜けましたが、そんな思うように動けない年末に見たのがこの作品。第二次世界大戦後のイタリアを舞台に、リアルさを追求したネオレアリズモ(新写実主義)の作品の一つであり、いわゆる不朽の名作と呼ばれている映画。1948年というたいへん古い映画なので、80年代には直接的な関係はありませんが、こことの関連でいうなら、80年代にはユニコーンの作品に自転車泥棒という楽曲があったり、この映画で使われている自転車は世界最古の自転車メーカーでもある、ビアンキ社製のものだったりします。


 物語は、第二次世界大戦後のイタリア、ローマ。職に困っている主人公のアントニオ・リッチは、職業安定所の紹介で市役所のポスター貼りの仕事を見つける。その仕事には自転車が必要だが、生活のため自転車は質に入っている。自転車がないと、職は得られないと役所の担当者から言われてしまう。妻マリアが家のベッドのシーツを質に入れて、その金で自転車を買い戻し、なんとか職を得ることに成功する。役所より支給された制服に身を包み、与えられたロッカーをマリアにも見せて浮かれるアントニオ。父親のために自転車を磨いてくれた息子のブルーノを連れて、さっそく出勤をする。何もかもが上手くいくと思えた矢先に、ポスター貼りをしているほんの一瞬の隙を付かれて、自転車が盗まれてしまう・・・。


 いわゆる著作権が切れたパブリックドメインの映画ですね。書店なんかで廉価で販売されています。名作が多いですが、さすがに古すぎてあんまり見る機会がない。ただローマの休日だとか、現代でも通用するお洒落映画なんかもあって、この作品もそんな現代でも通用するもののひとつだと思います。


 廉価なDVD盤なのに、なんか微妙にお洒落。


 この作品の特徴のひとつは、徹底したリアリズムを追及している点。セットは一切使わずに全編ロケで行われ、主人公の主役の親子はオーディションで選ばれた素人。父親役のアントニオを演じたランベルト・マジョラーニは失業した電気工で、息子のブルーノを演じたエンツォ・スタヨーラは監督が街で見つけた子だった。


 終戦直後の物も仕事もない混乱した時代の現実を、鮮やかに切り取って見せたところが名作といわれる所以なのでしょう。自転車は担いで、大切に家の中にしまわれている。これが無いと仕事にありつけないし、移動する術も制限されてしまい、大勢が並ぶ列に並んでバスを待たなければならない。現代のように、ホームセンターで1万円ほどで手に入るということもないので、高価な財産だったのでしょう。


 息子は、親父のために懸命に自転車を磨き、自転車を探す親父にどこまでも付いていく。


 金がないならないなりに、一緒に盗品市場を探してくれる仲間たちがいる。


 リアリズムを追求した話なので、ハリウッド映画みたいにハッピーエンドでなんらかの決着が付くということはない。自転車は戻ってこないし、主人公がひとつの行動に出た山場(クライマックス)の後で、何も解決しないまま物語は終わる。終戦直後の厳しい現実を、どこまでもリアルに描ききっている。救いのない結末で、なんら希望が見えてこない終わり方をするのだけれども、見終わった感想としては、終戦直後の自由な空気、どこまでも高い空を感じて、希望に満ちた映画なのだと感じる。仕事も失ってしまうかも知れなくて、金も何にもないけど、妻がいて息子がいて友達がいる。何にもなくてどん底だけれども、これからは良くなってゆくという希望が感じられる。モノクロなので、空の色はわからないけれど、これはグランブルーのように空の青の映画なのだと感じた。


 ということで、個人的評価は星★★★★。ローマの休日にも引けを取らない、お洒落れな不朽の名作、自転車泥棒(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)でした。



参考:Wiki 自転車泥棒(映画)の項