80年代Cafe

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あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

ゲームボーイ版 平安京エイリアン・株式会社メルダック

2019-04-23 19:44:55 | レトロゲームReview

 平安京エイリアンは、1979年に電機音響より発売されたビデオゲーム。東大の理論科学グループ(略称:TSG)が開発したということで、当時は東大生が作ったゲームとして話題となった。ゲームボーイ版平安京エイリアンは、株式会社メルダックより1990年に発売されている。


 オリジナルの平安京エイリアンは、開発元の電機音響が平安京エイリアンの後、1作でビデオゲームより撤退したということもあってか、知名度の割には移植が少ない。有名なのは、学研の電子ゲーム版とPC-8001版。ゲームボーイ版は、ほぼ10年後と遅かったこともあってか、オリジナルとアレンジモードが付いている。95年には、日本物産よりSFC版も出ている。この時は、ニチブツアーケードクラシックス2として発売。その時点でニチブツにライセンスがあったので移植することができたらしい。


 パッケージ背面。このゲームボーイ版の最大の特徴は、音楽が良いこと。MMSS=マルチ・マトリックス・サウンド・システムというのを搭載しており、2台を繋ぐと別々の音楽が流れる様になっていた。


 このゲームを企画したナムコ出身の中潟憲雄氏の妻の兄が、平安京エイリアンの開発者であったため、アドバイスや資料などの面で協力を受けることが出来たのだそう。また源平討魔伝の京都面に平安京エイリアンが出現するのもこのため。なので、このゲームボーイ版の平安京エイリアンと本家電子音響版の平安京エイリアンとの間には、ただならぬつながりがあった。いわば正統性のある後継なのですね。太田出版から発売された超アーケードには、この平安京エイリアンの開発秘話等の貴重なインタビューが収められている。


 個人的に思い入れが深いのは、学研より発売されたLSIゲームの平安京エイリアン。こちらはアーケード版とほぼ同時期に発売され、単純な動きしか作れない電子ゲームで、どうやってあの穴を掘って埋めるという複雑なゲームを再現するのかと謎だった。また、平安京エイリアンといえばゲームセンターあらし。こちらも代名詞と呼べるほどの関係で、当時I/O誌に掲載された攻略法が、漫画内で紹介されて一躍有名になった。ということでアーケード版の登場とほぼリアルタイムで発表されて、ゲームの世界観を広げることに一役買っていた。


 前述のように平安京エイリアンは、開発元の電気音響が2作でゲーム製造より撤退したためかファミコンにも移植されず、有名なわりには移植にはあまり恵まれなかった。そのため、このゲームボーイ版が出た時には約10年後と時期を逸していて、ある意味時代遅れになっていた。けれど元々移植されることが少ない作品でもあったので個人的には嬉しくて、このためにわざわざゲームボーイ本体を手に入れたほど。オリジナルモードは、ハードの関係で迷路が小さかったけれど、電子ゲーム時代に夢にまでみた家庭用の平安京エイリアンということで感激したものです。この記事作成時にゲームボーイが30周年だそうで、ゲームボーイから1本を選べというお題には個人的にはこのゲームを挙げよう。


 ゲームボーイ版平安京エイリアンは、こちらでも紹介されている。ということで、今なお色あせない魅力を持つゲームボーイ版平安京エイリアンでした。

参考:Wiki 平安京エイリアン、電気音響の項、ゲームセンターあらし/すがやみつる・小学館、超アーケード・太田出版

テーマパーク theme PARK・エレクトロニック・アーツ

2016-04-30 01:00:41 | レトロゲームReview

 テーマパーク theme PARKは、1995年にエレクトロニック・アーツより発売された経営型のシミュレーションゲーム。開発は、ピーター・モリニュー氏が在籍していた当時の英国のブルフロッグ社。


 箱庭(ミニスケープ)ゲーム、ゴッドゲームの元祖と言われるポピュラスの開発者ピーター・モリニュー氏の手によるもの。プレイヤーはテーマパークのオーナーとなり、パーク内に道路、標識、樹木、ショップや遊具を設置したり、メカニック、清掃員、ガードマン、マスコット(着ぐるみ)などスタッフを雇って、遊園地の運営をする。遊具には耐久性のパラメーターがあるため、メカニックを雇って定期的にメンテナンスする必要があり、お客が来ると園内にゴミが散らかるため、定期的に清掃をする必要がある。時折来るガラの悪い客には、ガードマンを雇うことで対処する。プレイヤーは、お客からの様々な要望、クレームなどを聞きながら、お客の満足度を上げることによって、人気のテーマパークを作っていくというのが主な流れになる。


 こちらは、1997年に発売された第二弾の新テーマパーク。株式投資や経営戦略など、様々な要素が付加された。


 2000年に発売されたテーマパーク ワールド。これ以降もテーマパーク2001、(株)テーマパーク、テーマパークDSなど、続編が発売された。これらが好評だったのか、テーマシリーズは病院が舞台のテーマホスピタル、水族館が舞台のテーマアクアリウムなどへと発展した。


 箱庭世界にやってくるお客さんは、ひとりひとりが様々なニーズを持っており、それらはふきだしの形で表現される。トイレを設置し忘れると、トイレに行きたいお客が右往左往することになるし、みやげ物が欲しい、食事や飲み物が欲しい、園内が汚いなど、ちょこまかと様々な要望が表現される。経営戦略面としては、ハンバーガーショップのポテトの塩加減や飲み物の氷の量まで設定でき、ポテトの塩加減を強くすると飲み物が売れるという、経営者は普通しないだろうという細かいことまで設定することが出来る。


 アトラクションには実際に乗ることが可能で、ジェットコースターやゴーカートなどは、自分でコースを設計することも可能。自分が作ったテーマーパーク内を実際に歩き回れるということが、このゲームの売りのひとつだった。


 このテーマパークのヒットを受けて、プレイステーション1の時代には、このような箱庭型の経営シミュレーションがとても流行った。こちらは、1994年とテーマパークより一足先に日本で作られたザ・タワー The Tower。高層ビルを経営、運営する。賞を受賞するなど、海外でも好評だった。


 シリーズ化された有名なところでは、コンビニを経営するザ・コンビニ、ファミレスを経営するザ・ファミレス。他にもゲームメーカーを経営して、ゲームを開発するザ・ゲームメーカー 売れ売れ100万本げっとだぜ!、ゲームセンターを経営するできるゲームセンター、ハンバーガーショップをモチーフにして、様々なハンバーガーを開発するバーガーバーガー、学校を運営する学校をつくろう!!、ホテルを経営するハッピーホテル、変り種としては、悪の首領となって秘密基地を運営するAZITOなどがあった。


 こちらも変り種。罠やモンスターを設置してダンジョンに訪れる勇者を撃退するという、ダンジョンの運営をテーマにした経営シミュレーション・ダンジョンキーパー。こちらも開発元は、ピーター・モリニュー氏率いるブルフロッグ社。ダンジョンキーパー2も発売された。


 このゲーム、最初は面白いのですが、やることが同じなためだんだんとマンネリ化してしまうという欠点があります。一応、ゲームの目標はあるのですが、エンディングを目指すより、自分の遊園地を好きなだけちまちまと作り続けるという遊び方の方が楽しい。この時期としてはとても新しい斬新なゲームであり、遊園地を運営するという設定も夢があって楽しかった。2頭身のちょこまかしたキャラが、ミニチュアのような箱庭世界を行き来するというところを眺めているだけでも楽しくて、似たようなタイプの箱庭経営シュミレーションが続々と作られるなど、実に日本人の好みにマッチしたゲームだったように思います。


 プレイステーション1、セガ サターンの時期には、このような新しいタイプのゲームや実験的なゲームが次々と発売されて楽しかった。日本で作られたのゲームが世界シェアの7割を占めていたという日本製ゲームが世界を席巻した時代でもありました。個人的には、8ビットPCやファミコンの時代と同じくらいゲームが楽しかった。フランチャイズや個人のゲームショップが全盛期だったのも、この時代でした。ゲームに関しては、もうこのような時代はやってこないんでしょうね。ということで、箱庭経営シミュレーションの元祖、テーマパーク theme PARKでした。



Wiki テーマパーク(ゲーム)、ピーター・モリニュー、ブルフロッグ、ザ・タワー、ダンジョンキーパー、経営シミュレーションゲーム、ミニスケープの項

Ultra2000 サンソフト クラシック ゲームズ 2・サンソフト/メディアカイト

2016-04-15 12:14:56 | レトロゲームReview

 Ultra2000 サンソフト クラシック ゲームズは、2001年にメディアカイトより発売された、ファミコンの全盛期に人気のあったサン電子のファミコンゲームを集めたオムニバス集。クラシック ゲームズ 2は、クラシック ゲームズ 1に続いて発売された第二弾。


 クラシック ゲームズ 1では、サン電子のファミコン参入第一弾であるスーパーアラビアン、スーパーマリオ風冒険アドベンチャーのアトランティスの謎、ビキニアーマーの美少女剣士にRPG風の味付けをしたマドーラの翼の3本でしたが、こちらではこの時期には珍しい和風の世界を舞台としたいっき、横スクロールアクションのかんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次の2本が収録されています。特にいっきは、イラストレーターのみうらじゅん氏によりク○ゲーという言葉が生まれるきっかけとなった作品でもあり、2003年にiアプリ版、2007年にはWiiのバーチャルコンソール版、2010年にはプロジェクトEGGにてWindows版、2013年にはPlayStation 3にていっきオンラインが登場するなど、今日ではSUNSOFTを代表する歴史的作品と言える一作となりました。


 クラシック ゲームズ 1では、面クリア型アクションのスーパーアラビアン、スーパーマリオ風アクションのアトランティスの謎、アクションRPG風のマドーラの翼とバラエティに跳んだラインナップでしたが、こちらは1985年のいっきといっきの好評を受けて続いて発売された86年のかんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次という時代劇路線を収録している。東海道五十三次の翌87年には、諸国を漫遊して事件を解決するアクションアドベンチャーの水戸黄門が発売されています。せっかくならば、こちらも収録して時代劇シリーズ編として欲しかったところ。


 未開封品なので、まっさらで綺麗。説明書、メディアカイトのカタログ、葉書なども付いていた。


 いっきのオリジナルはアーケードですが、こちらではファミコン版を収録。85年というファミコンブームの過熱期に発売されたため、ミリオンは行かなかったが80万本くらい売れたそう。そのためいっきと言えばファミコン版のほうが知名度は高い。このUltra2000 サンソフト クラシック ゲームズ(Windows版)の発売は2001年で、同年のPlayStationメモリアル☆シリーズ サンソフト Vol.1にも収録されている。2003年アプリ版、2006年にはいっき萌バイル、2007年にWiiのバーチャルコンソールにファミコン版、2012年にはアーケード版、2010年にはPlayStation 3でいっきオンライン、2013年にはニンテンドー3DSのバーチャルコンソールでファミコン版、2014年にはPlayStation 4のアーケードアーカイブスでアーケード版が配信されているなど、いまだに現役と言えるほどの人気振り。ファミコン芸人フジタ氏のネタとしても使われてました。


 1プレイヤー側が農民の権べ、2プレイヤー側が田吾を操って、いっきをおこして悪代官の屋敷に向かうといった設定。敵は、黒忍者、赤忍者、触れられると一定時間攻撃できなくなったり、動けなくなるお邪魔キャラとして幽霊、腰元が登場する。竹やりや大根などのパワーアップアイテムも落ちており、マップ内の小判を8枚全て拾うと一面クリア。4面構成で、また最初からとなる。


 個人的には、デパートの遊戯施設で遊んだアーケード版のいっきの方が馴染み深い。アーケード版では、コミカルなオープニングや面の合間に権べたちのせりふが入り、物語を説明してくれる。マップの横にはナムコのラリーXやボスコニアンのようなレーダーが付いており、画面外の小判の位置もわかるようになっていた。マップも8面構成で、後半の面では迷路のように入り組んでおり、レーダーを見ながら作戦を考えて行動する必要があるなど、そのゲーム性も異なっていた。今でも人気があることからわかるように、この一種独特な世界観やゆるい雰囲気は狙って作られており、ク○ゲーというよりは馬鹿ゲーといった方が近いようにも感じる。


 テグザーのように自動で標的に向かって標準を合わせてくれる、なにげに高性能な武器(鎌)を装備している権べ。


 かんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次の方は、いっきの翌年86年の発売。こちらは、ファミコン版のみ(iアプリやバーチャルコンソールでは配信)といっきに比べるとマイナーな作品だと思います。京都での修行を終えた花火職人のカン太郎が、カンシャク玉を武器にしながら、愛しのももこが待つ江戸へと戻るという設定。こちらは、忍者、素浪人、仕事人、鷹匠、僧侶などが敵として登場します。この頃人気を博したがんばれゴエモン(86年)っぽい雰囲気ですが、武器がカンシャク玉ということで放物線を描いて飛ぶため落下位置の見極めが肝心だったり、地面において爆発させる使い方もできます。またタイトル通り実在した旧東海道の五十三の宿場をモチーフにしており、それを再現しているという要素もあります。


 世にも珍しい花火職人という職業の主役キャラカン太郎。敵キャラも忍者や侍に混じって仕事人が登場するなど、弥次喜多道中記とか、ああいったコミカルな道中記のイメージと、この頃にはまだ人気のあったTV時代劇へのパロディとして作られていると思います。スーパーマリオの大ヒットにより、横スクロールのマリオ風アクションが量産されたこの時期としては、十分に個性的で魅力がある。


 日本や東洋を舞台とした作品としては侍とか忍者などはありましたが、農民、花火職人といったところにスポットを当てた点はこの時代としては新しかった。ギャグテイストというか、今でいうゆるキャラみたいなノリも斬新だったと思います。スーパーマリオが40キロバイト、ドラゴンクエストが64キロバイトと、この頃まではまだカセットの容量に制限があって、アーケード版の要素をかなり削ぎ落としての移植となった。それもあってク○ゲーの代名詞としても知られていますが、みうら氏がク○ゲーといったのは、たった2人で一揆をするという世界観の馬鹿馬鹿しさを指してのことであり、ゲームバランスが悪くて遊べない意味でのク○ゲーではなく、お馬鹿テイスト、ゆるい世界観と雰囲気を持った愛すべき作品という意味合いの方が強いかなと思います。



参考:Wiki サン電子、いっき、かんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次、弥次喜多道中記の項、いっきオンライン公式HP、Arcade Fan

Ultra2000 サンソフト クラシック ゲームズ 1・サンソフト/メディアカイト

2016-03-27 19:25:28 | レトロゲームReview

 Ultra2000 サンソフト クラシック ゲームズは、2001年にメディアカイトより発売された、ファミコンの全盛期に人気のあったサン電子のファミコンゲームを集めたオムニバス集。


 サン電子の作品を集めたオムニバスとしては、同じ2001年にメモリアル☆シリーズとして、プレイステーション1用のソフトVol.1~Vol.6が発売されている。サン電子は、1980年にスピーク&レスキューをアーケードゲームとして発表。これは音声合成技術を使用し、しゃべるアーケードゲームとして画期的なものだった。翌81年には、迷路内のアイテムを回収していく、80年のナムコのラリーxに似たタイプのルート16を発表。翌82年には、可愛らしいキャラクターを生かしたカンガルーを発表する。これは4面構成の固定アクションゲームで、ボクシンググローブをつけた母親カンガルーを操作して、画面上に囚われの身となっているわが子を救出する。85年には、あの有名ないっきが登場。これはファミコンにも移植されて、SUNSOFTを代表する作品となった。またファミコンでは、セガのファンタジーゾーン、アフターバーナーの移植を行って、セガ自らが移植したマークⅢ版を上回る出来栄えを誇った。88年には、麻雀牌を積む米アクティビジョン社のパズルゲーム、上海のアーケード版、ファミコン版が、ともにSUNSOFTより発売されている。


 ということで、ファミコンしか知らないと“いっき”とか“水戸黄門”のようなコミカルな作品を発売していた、ちょっと地味なソフトハウスという印象を持ってしまいがちですが、アーケード黎明期より活躍していた古参メーカーでもあります。SUNSOFTは、サン電子のゲームブランドで、本体のサン電子は、通信機器・パチンコ関連機器を扱うメーカーとして健在です。最近では、海外の子会社がスマホのロック解除を行いFBIに協力したのでは、ということで話題となりました。現在では、SUNSOFTはソーシャルゲームを開発しているようですが、そんなSUNSOFTの黄金期とも言えるファミコンゲーム3本を収録したのが、このサンソフト クラシック ゲームズということになります。


 説明書、葉書、2001年当時のメディアカイトの広告。ピンクのドット絵がなかなか斬新。


 収録されているのは、サン電子のファミコン参入第1弾ソフトであるスーパーアラビアン(85)、知名度的には、いっきと同等かそれ以上のアトランチスの謎(86)、ビキニアーマーの美女剣士にRPGの要素を取り入れ、ボスキャラや多彩なアイテムを満載して、この時代の売れ線を全部入れてしまったかのようなマドゥーラの翼の3本。


 ナムコやセガに比べると、地味な印象もあるサン電子だが、こうしてみると実に華やかで楽しげ。


 実は、ファミコンの現役当時にはユーザーでなかったため、ほとんど遊んだことがなく、3本ともパッケージやゲーム雑誌で知るのみという距離感だった。どちらかというと、サン電子はアーケードから入って、セガマークⅢの移植を超えたファンタジーゾーンやアフターバーナーのファミコン版を移植したことに度肝を抜かれ、ゲームへの興味が減少してからは、アーケードゲームの上海を時間つぶしによく活用していた。


 スーパーアラビアンは、83年にサン電子が開発してATARI社が販売したアラビアンのファミコン移植版。サン電子のファミコン参入第1弾ソフトでもある。そのような経緯の作品のためか、他に移植された機種は、Acorn Electron、Amstrad CPC、BBC Micro、コモドール64、ZX Spectrumなどという激しぶのラインナップ。アラビアの王子となり、画面上に散らばる壷を回収し、お姫様を助けるという内容。アラビアンナイト風というか、絵本をめくるような演出のデモがあって、オリエンタルな音楽とともにどこかエキゾチックな西洋の寓話みたいな作品。


 アトランチスの謎は、86年に登場。その頃に流行っていた横スクロール型のアクションゲームで、スーパーマリオを超えることを目指して開発された。数々のパワーアップアイテムや隠し要素、ワープによるステージの移動など、この時代に流行っていた要素を目一杯詰め込んである。理不尽な謎や難易度を誇るゲームとしても有名で、ゲームセンターCXの有野の挑戦のコーナーに取り上げられたり、ゲーム芸人フジタ氏のネタとしても使われている。遊ぶと難しいのだろうけど、今見るとステージが多彩でとても魅力がある。


 マドゥーラの翼は、日本テレネットの夢幻戦士ヴァリス、 SNKのアテナ(ATHENA)、ナムコのワルキューレの冒険(ともに86年)など、この頃に流行り始めていたビキニアーマーの美少女の剣士を主人公に据えた作品。サンソフト版のワルキューレ、アテナと言っても良い位置付け。横スクロールのアクションゲームだが、RPGの要素を取り入れており、剣や魔法のアイテムを取る事でパワーアップを果たす。ステージ制で、各ステージのラストにはボスキャラも用意されており、この時期の流行を実に上手に捉えている。漫画化されたり、サンソフトが運営していたファンクラブの会員証や会報の表紙にも女剣士ルシアの絵が使われていたりと、サンソフトNo.1の人気キャラと言えるかも。


 ということで、実に上手に時代の波に乗っているメーカーという印象がします。このファミコン市場が出来た当時、雨後の筍のように登場してきたメーカーたちは、そのほとんどが倒産したり、合併・吸収されたり、消滅したりと姿を変えていますが、アーケードの黎明期から活躍してきて、現在でもソーシャルゲームの開発メーカーとして健在というのは、やはりただ者ではない強さを持ったメーカーなのだという気がします。


 ということで、Ultra2000 サンソフト クラシック ゲームズ1でした。引き続きUltra2000 サンソフト クラシック ゲームズ2編へと続きます。

参考:サン電子HP、Wiki サン電子、アラビアン、アトランチスの謎、マドゥーラの翼、メモリアル☆シリーズの項、ゲームカタログ@Wiki~クソゲーから名作まで~ マドゥーラの翼、COOL!MEGADRIVE 愛すべきファンタジーゾーン、The International Arcade Museum®

リッジレーサー RIDGE RACER &リッジレーサー レボリューション・ナムコ

2014-11-24 12:59:04 | レトロゲームReview

 これは、1993年にナムコより発売されたリッジレーサー(RIDGE RACER)。プレイステーション版は、プレイステーション発売とほぼ同時の94年にローンチタイトルとして登場した。


 テクスチャマッピングを施したポリゴンを使用した3Dのレースゲームとしては、94年のセガデイトナUSAと同時期の最初期ものになる。ポリゴンを使用したレースゲームとしては、日本ゲーム業界初のポリゴン処理機能を搭載したシステム基板システム21を使用したウイニングラン(WINNING RUN)を1988年に発売しており、ナムコが先陣を切っていた。ただし、これはF3000やF1を題材としたシミュレーションゲームにも近いもので、あまりに難しくて爽快感に欠けていた。その後、92年のセガのバーチャレーシング(Virtua Racing)あたりから、レースゲームもポリゴンを使用したものが主流になり始めてきていたが、体感ゲームやポリゴンを使用のリアルさを追求した3Dゲームでは、AM2研を擁するセガの独壇場ともいった感じであった。その流れに対してのナムコからの回答がこの作品だった。


 セガサターンが登場したときには、バーチャファイターと並んでセガラリーが遊べることが魅力の一つでしたが、プレイステーション初期におけるセガラリーの役目を果たしたのが本作。80年代の黄金期だったナムコが、ファミコンでゼビウスを発売したことをきっかけにファミコン人気が盛り上がりましたが、この時期でもナムコのゲームが遊べるということは大きかった。


 それまでフライトシミュレータなどに使用されていたポリゴンを使用した3Dのゲームというと、リアルさを追求したシミュレーション色の強いものが多かった。リッジレーサーでは、リアルさよりもドリフトという挙動の面白さを前面に出した。


 ハンドルできっかけを作ってやるだけで簡単にリアが流れ出し、リアリティを度外視した爽快感を重視した作りになっている。


 また登場してくる車も、他の3Dレースゲームでは実車を模したリアルなものが多かったが、ナムコらしくキャラクター性を持たせたもの。おまけにBGMもなんか洒落ていた。


 舞台となるレースコースも無機的なレース場ではなく、海岸線を通る風光明媚なコースだった。コース上空には、ヘリコプターが舞っており、リプレイ時の映像を記録している。ありそうでなさそうな、でも印象に残るコースだった。


 レースとしてのリアルさではなくゲームとしての面白さを追求しており、完成度の高い練られた作品でした。その面白さと完成度から、アーケードゲームとしてもヒット作となり、ポリゴンを使用した新しい時代を感じさせてくれた。その後もシリーズ化され、新しいゲーム機が発売されると同時にリリースされるローンチタイトルとなった。


 個人的な思い出としては、当時アーケードゲームでかなりやり込みました。プレイステーションの中古を手に入れてからは、やはり同時期くらいに入手し、こちらでも随分遊びました。レースゲームがだんだん高度になってゆく中、タイムを競わなくてもよく簡単にドリフトの挙動を作り出せるという、ライトなゲーム性が楽しかったのだと思います。




 こちらは、1995年にナムコよりプレイステーション用のゲームとして発売されたリッジレーサーレボリューション(RIDGE RACER Revolution) 。


 アーケード版のリッジレーサーは、マイナーチェンジ版ともいえるリッジレーサー2の後、95年のレイブレーサーへと移行した。プレイステーションでは、レボリューションと銘打って独自の路線へと進歩した。内容は、バックミラーが付くなどの改良版だが、複雑なオリジナルコースの追加、選択できるマシンの追加、BGMの変更など大幅にパワーアップしていた。


 アーケードからの移植ではなく家庭用のオリジナルのため、前作ほどの気分の盛り上がりはなかったが、オリジナルのアーケード版を遊ぶと物足りなくなるくらい変化していた。


 一作目に比べると狭くてツィスティなコースが多い。壁にぶち当たりながらも、テクニカルなコースをドリフトで抜けてゆく無理やり感が楽しかった。


 前作にも登場したプレイヤーが操作できるノーマルカー。条件を満たすとデビルカーというハイスペックな敵車が登場し、勝利することでこれも使用可能になる。


 ナムコが発売していたアナログ式コントローラーのネジコン。リッジレーサーといえば、やはりこれ。使ったことはないので、他社の製品と比べて使いやすかったのかはわからない。でも、中古品などがわりと安価に手に入った。


 プレイステーション登場時のナムコの初期ラインナップ。実在の選手を登場させたJリーグサッカー プライムゴールが楽しかった。鉄拳、エースコンバットなどは長く続く定番のシリーズとなった。


 同時期のライバルと言えば、やはりこれ。こちらは、どちらかというとリアルさとゲーム性の両方を追求した作りでした。ゲーム性やキャラクター性と追求したナムコ作品と、リアルさや見た目の派手さ、エンターテイメント性を追求したセガの作品。両社のカラーの違いが出ていて面白いと思います。


 ということで、ポリゴン初期のレースゲームを彩ったリッジレーサー(RIDGE RACER)リッジレーサーレボリューション(RIDGE RACER Revolution) でした。



参考:Wiki リッジレーサー、リッジレーサーレボリューション、リッジレーサーシリーズ、バーチャルレーシング、ウイニングランの項