80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

ダンジョン&ドラゴン1&2 ツインパック・ジェネオン エンタテインメント

2019-04-27 18:57:19 | 映画・DVD・CD

 ダンジョン&ドラゴン1&2 ツインパックは、2000年にアメリカで公開されたダンジョンズ&ドラゴンズの映画化作品であるダンジョン&ドラゴンと、その第2弾となる2005年のダンジョン&ドラゴン2をひとつにしたBOXセット。ちなみに2015年には第3弾ダンジョン&ドラゴン3 太陽の騎士団と暗黒の書も公開されている。


 製作、監督を担当したコートニー・ソロモン氏は、熱狂的なダンジョンズ&ドラゴンズのファンで20才の時に映画化権を獲得したらしい。その後、10年の歳月をへてようやく映画化された。ただかなりの低予算映画で、CGも未成熟な時代であったことから駄作の烙印を押されてしまった。しかし、ダンジョンズ&ドラゴンズのブランドというものは強く、その平凡な興行成績にもかかわらず続編が作られて、日本でも劇場公開されるなどされている。


 こちらが、1985年に新和より発売された日本で最初のダンジョンズ&ドラゴンズであるDungeons & Dragons Basic Rules Set 1。そのBOXの色から、通称赤箱と呼ばれている。ちなみに本国ではこれは第4版であり、オリジナル版のダンジョンズ&ドラゴンズは白箱だった。


 パソコン誌やゲーム雑誌の紹介では、必ずといってよいほどドラゴンクエストが参考にしたウィザードリィ、ウルティマはこのDungeons & Dragonsを基にして生まれたと、赤い箱とともに紹介されていたため、この赤箱を手に入れればDungeons & Dragonsが満喫できると考えてしまいがちですが、これはベーシックセットにすぎず1〜3レベルのキャラクターとダンジョンでの冒険でしか遊べないもの。この後もレベルに応じて「青箱」「縁箱」「黒箱」とそろえる必要があるという、非常にお金のかかる遊びでした。


 第一作目はダンジョンズ&ドラゴンズという期待に反して、かなりのB級テイストが漂う作品になっている。当時、VHSで手に入れたが最後まで見通すことができなかった。この時期は、ロードオブリングが世界的な人気を博しており、やりようによってはいくらでもヒットする可能性があった題材だとは思いますが、予算や製作側の事情からそれが生かしきれなかったという印象。


 2005年のダンジョン&ドラゴン2の方は未視聴なのですが、監督や製作、脚本などスタッフがすべて変わっている。物語は前作とはつながらず、ダンジョン&ドラゴンの続編ではないらしい。CGの技術がかなりこなれてきたためか、結構評価も変わってきているよう。第3作目ダンジョン&ドラゴン3 太陽の騎士団と暗黒の書はさらに出来が良くなっている模様。未確認情報ですが、さらに続編も計画されているよう。


 思い切りB級映画なのですが、ダンジョンズ&ドラゴンズ関連作品ということで、ダンジョンズ&ドラゴンズグッズのひとつとして手に入れておきたかった。


 この映画に関して、一番意味不明なのはその邦題。邦題は複数形は単数形にするという習慣があるそうで、ダンジョンズ&ドラゴンズをわざわざ直してダンジョン&ドラゴンとしている。ダンジョンズ&ドラゴンズの権利を取得して作られた作品ということが一番の売りなのに、それを台無しにしてしまうとは。そもそもカタナナに直しているだけで、竜と地下城砦とか邦訳しているわけでもないのに。ブランド名を変更して、わざわざB級っぽくするのはどうなんでしょう。


 結構、最後まで見通すのがつらい作品ではありますが、そのうち時間があるときに視聴したいと思います。ロードオブリングだけでは物足りないダンジョンズ&ドラゴンズファン、ファンタジー映画に飢えている方にお勧めかな。ダンジョンズ&ドラゴンズと名の付くものであれば、何だって反応しちゃう人にお勧め。ダンジョン&ドラゴン1&2 ツインパックでした。

参考:Wiki ダンジョン&ドラゴン(映画)、ダンジョンズ&ドラゴンズの項、ポンコツ映画愛護協会『ダンジョン&ドラゴン』

PC88ゲームの世界・同人/Y.ROMI氏

2019-03-06 22:00:55 | 映画・DVD・CD

 PC88ゲームの世界とは、Y.ROMI氏という方が中心となって纏められた同人ソフト。NECのパソコンPC-88のゲームを網羅したデータベースになります。かなり前の2000年頃に発売されて、品切れとなりプレミア価格で流通していた作品ですが、BEEP通販でBEEP専売品として再販されていたため購入。


 WEB上でPC88ゲームライブラリーとして公開されているもののいわば完全版。ネット上で見られるものをわざわざ買うまでもないかとも思ったが、ネット上に公開されているものはいつまでもあるわけでもないし、そもそもPC-88のゲームデータベースなんてこれから先も作られる可能性は低いだろうということで、手に入れておきたかった。


 ネット上で公開されているのは、一部であり検索機能にも制限がかかっている。ゲームライブラリーではタイトルによる検索と年代別による検索しか選べないが、PC88ゲームの世界ではこれにメーカー別の検索が加わる。データベースはそれほど詳しいゲームの解説はないが、PC88ゲームの世界の方では、レビューPC-88の歴史という項目が加わり、年代ごとのPC8801とゲームの動向、AVG、RPGなど当時の代表的なゲームレビュー、その他裏技やらクイズ、ゲーム音楽、インタビューなど盛りだくさんの内容となっている。いわば別物といってもよいくらい追加要素が多い。2000年頃には、WEB上にレトロパソコンの紹介記事もたくさんあったが、無料ホームページのサービス終了に伴って随分減ってしまった。このCD-ROM内には、ボリューム的にはチャレアベに匹敵するほどの情報と熱量が込められている。


 ザナドゥと人気を2分したハイドライド2。このように特に人気が高かった作品、有名な作品には検索機能とは別に解説が付いている。これがかなり詳しくて読み物としても読み応えがある。当時は作品の解説や攻略情報は、パソコンゲーム誌に頼るしかなかった。パソコンゲーム人気も高まったことからか、次々と雑誌が創刊されて書店の売り場も花盛りといった感じだった。個人的には、この1985年頃が一番熱中した。


 のちにファミコンで一斉を風靡するハドソンのAVGデゼニランド。この頃はアドベンチャーゲームは高価なパソコンでないと遊べなかったので、なんとかして遊んでみたい特別なゲームであった。


 もちろんファルコムのドラゴンスレイヤー、ザナドゥシリーズや、ソーサリアン、イース等、有名どころはきちんと押さえられている。


 中でも個人的にツボだったのが、ログインやポプコムに紹介されたムーンストーンの画面が収録されていたこと。ムーンストーンとは、日本初(と言われる)のRPGザ・ブラックオニキスの第三弾で、散々待たされ期待もされたのだが、遂に発売されることなく終わった幻の作品。当時のログインやポプコムで製作過程の記事が紹介されており、ゲーム画面も掲載されていた。これがまた見れただけでも満足。


 ということで同人ソフトPC88ゲームの世界でした。PC88、X1、FM-7などのレトロ8ビットパソコンゲームが好きなら買って損はない内容。今、入手できるものの中ではチャレアベ並に詳しい資料のひとつだと思います。古いパソコンゲームの情報は、なかなか入手できませんので、そういった意味でも貴重なものと言えるのではないでしょうか。

参考:PC88ゲームの世界・同人/Y.ROMI氏

ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバー ポニーキャニオン&ビデオゲーム THE MOVIE・松竹

2017-07-22 04:23:04 | 映画・DVD・CD

 ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバーは、2015年に発売されたドキュメンタリー映画。元々は、米国のエンターテイメント企業Fuel IndustriesとXbox Entertainment Studiosにより製作され、映像ドキュメンタリーとして2014年にXbox OneとXbox 360で独占配信されたもの。日本では、日本語訳と特典の日本版独自のドキュメンタリー映像を付けてパッケージ販売された。発売時より欲しいものリストのひとつだったのだが、ようやく入手した。


 内容は、1982年末の年末商戦を起点とするVideo game crash of 1983いわゆるアタリショックと、その原因とされ大量に廃棄されたゲームソフトE.T.の発掘作業の様子を描いている。アタリショックとは、1977年に発売されアメリカ市場を席巻していたゲーム機ATARI2600向けに作られたゲームソフトE.T.(スピルバーグの映画をゲーム化し1982年の年末商戦に向けて発売された)が、あまりにもクソゲーだったことから大量に売れ残り、それを契機として消費者のゲーム離れが進んでアメリカのゲーム市場が崩壊してしまったことを指す。この時、売れ残った大量のソフトは廃棄処分場に埋められてしまったと言われている。映画では、この都市伝説は、本当だったのかを解明しようとする。


 通常版には、薄い小冊子が付いてくる。簡単な解説とATARIの創始者ノーラン・ブッシュネルのインタビュー付き。CDの盤面に描かれているのがATARI2600版のE.T.のキャラクター。ぱっと見、口に見えるとこが顎から首と腕にかけて。


 ただ単に廃棄処分場を掘り起こせばよいという簡単な話ではなく、元々は砂漠だったという広大な場所であり、30年以上も昔の話なので記録にも残っていない。その上、ニューメキシコ州環境局の許可や処分場のあるアラモゴード市の許可をとる必要があるなど大掛かりなものとなった。作業当日には大勢の観客が詰め掛けマスメディアで報道されるなど、大々的なイベントになっている。伝説のクソゲーを作ってATARIの崩壊とアメリカゲーム市場の衰退の責任を一手に被せられたE.T.のデザイナー、ハワード・スコット・ワーシャウと、ATARI GAME OVERを監督するザック・ペンもこのイベントに参加している。


 発掘のドキュメントと平行して、ハワード・スコット・ワーシャウの当時の回顧録や黎明期のATARI社の様子が描かれている。それは、ゲーム産業の黎明期であり、初々しい希望と開放感に満ちたビデオゲームの輝かしくもナイーブな青春期だったことがわかる。


 ハワード・スコット・ワーシャウは、ヤーズ・リベンジやレイダース/失われたアーク《聖櫃》のヒットがきっかけとなりスターゲームデザイナーとなった。それが逆に仇となり、5週間という極端に短い開発期間でE.T.の製作を命ぜられる。このE.T.は500万本を製造したが、1982年12月には150万本が売れたのみで、残りは返品の山と化した。上の写真が、日本人だと99.9%が知らないと思われるヤーズリベンジ。プレイヤーが操作するのは宇宙蝿。なぜか、アメリカ人はこの作品が好きで好きでたまらないらしい。ちなみにYAR'S REVENGEのYAR'Sとは、その当時ATARI社の社長だったRay Kassar(レイ・カサール)氏の名を逆さまに読んだもの。


 こちらは、映画PIXELSにも登場したCentipede(ATARI2600版)。Centipedeとはむかでのこと。きのこ畑にやってくるむかでを退治するというシューティングゲーム。これもアメリカ人は好きで、好きでたまらないゲームのひとつらしい。車の行き交うハイウェイを蛙が横断するという日本製のフロッガーが、あちらでは日本以上に大受けしたらしいが、アメリカ人の好きなものの微妙なツボがわからない。


 ATARI社やATARI社の発売したゲームに関しては、日本で入手しやすいものとしては、ゾルゲ市蔵氏の謎のゲーム魔境2が詳しい。間違いが指摘されたり、でたらめ書いて読んでいる者を煙に巻くゾルゲ節が炸裂しているが、なかなかこれ以上詳しい書籍はない。


 ぶっちゃけ1時間かけて廃棄処分場を掘り起こすというドキュメンタリーなのだが、かなり面白い。これを見ると、ひとつ間違えばAppleやマイクロソフトみたいに世界を席巻する大企業になっているはずだったATARI社へのアメリカ人のATARI愛が理解できる。


 こちらは、ビデオゲームの成立から発達、隆盛まで40年間の歴史を描いたドキュメンタリー映画ビデオゲーム THE MOVIE。元々は、インターネット経由で不特定多数の人が他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うクラウドファンディングで、1,200万円以上の資金を集めて完成した経緯を持つ作品らしい。こちらも欲しいものリストのひとつだったのだが、中古が安く売っていたので入手した。


 ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバーでは、アタリショックとゲーム市場の崩壊、ATARI社の都市伝説に焦点を当てており、それ以外のことは描かれていないし、その位置付けなども分かりにくい。こちらはビデオゲームの成立から紐解いていき、ATARI社の隆盛、アタリショック、アメリカ市場への任天堂の登場と席巻、プレイステーション登場と任天堂の没落、Wii、NDSによる任天堂のリベンジ、プレイステーション4やXbox Oneなどの次世代機からスマートフォンでのゲームなど最新のゲーム事情までを描いている。


 マリオやソニックが踊っているが、これらのキャラクターが活躍するアニメ映画ではなく、ビデオゲームの歴史について追ったごく真面目なドキュメンタリー映画。


 リオオリンピックの閉会式では、ゲームやアニメがプレゼンに登場するなど、日本製のソフトパワーを前面に出した演出が施されていた。実際、1995年の時点での日本製ゲームの世界シェアは7割を占めていた。ただ、その後は海外勢に押されて現在では3割ほどまでに減少。少子高齢化の影響で、昔は町中にあったファミコンショップも潰れて、アーケードから始まったゲーム産業の衰退は、据え置き機の市場にも及んでいる。スマートフォンの隆盛もあって日本ではゲーム機が売れない時代を迎えていますが、海外に目を向けるとプロゲーマーの試合をスタジアムで観戦するe-SPORTというイベントが開かれたり、まだまだゲームの可能性が感じられる。


 そのようなゲームの歴史とゲームの未来、可能性を感じられるドキュメンタリー映画に仕上がっている。例えるなら、日本の電子産業が注目されて期待されていた時期に製作された1991年のNHKのドキュメンタリー電子立国、1995年の新電子立国を足して、アメリカ人好みにしたような感じ。ここでもアメリカ人のATARI愛と任天堂好き、マリオ好きが感じられる。日本だとゲーム市場は終わったような感じですが、世界的に目を向けてみると映画や音楽、小説などと融合し、それらを超えた新しいメディアへと発展する可能性を感じさせてくれる。


 一般的に、映像作品や音楽など売れるものを作る場合には、マーケティングをしたり、売れる要素を取り入れてみたり、関係各所とのしがらみがあったりとなりますが、これは売れるものをではなく作りたいものを作ったという感じ。ゲームへの愛情が感じられる稀有なドキュメンタリーだと思います。


 ということで、ゲーム史の温故知新、大河ドラマを見ているかのようなこの2作品。ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバーとビデオゲーム THE MOVIEは、ぜひセットで見ていただきたい作品だと思います。

参考:ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバー ポニーキャニオン、ビデオゲーム THE MOVIE・松竹、謎のゲーム魔境〈2〉美食倶楽部バカゲー専科外伝・キルタイムコミュニケーション

おニャン子クラブベスト/おニャン子クラブ&∞(アンリミテッド)/うしろゆびさされ組・ポニーキャニオン

2017-03-25 00:38:56 | 映画・DVD・CD

 こちらは、80年代を代表するアイドルグループ、おニャン子クラブのベスト盤。秋元康氏のプロデュースでAKB48のプロトタイプともいえるグループでした。このような80年代アイドルもののCDは現在でも企画盤が発売されているのですが、これは1987年の当時もののベスト盤になります。


 今はこのような企画もののアイドルグループがいくつも作られ全盛期ともいえる状況ですが、このおニャン子の時にはアイドルグループとしては、ほぼ一人勝ちのような状況でした。夕方から放送されていたフジテレビのテレビ番組とも連動して、リアルタイムにその情報が得られることが新しかった。卒業という形をとって、メンバーの入れ替えをするというのも、このおニャン子あたりが最初ではないでしょうか。


 歌唱力が求められるグループではなかったため、今聞くと微妙。ただ大ヒット曲セーラー服を脱がさないでや、あんみつ姫のテーマソングでもある恋はくえすちょん、およしになってねTEACHER、じゃあねなどヒット曲が多いため、それなりに楽しめる。おニャン子はソロでの活動も多く、それらのソロでのヒット曲は入っていないため、その辺りがちょっと物足りないですが。


 この当時は、最先端のアイドルグループだったのですが、楽曲もシンプルなため今聞くとのどかな感じがします。それにしても80年代はアイドル全盛期と呼ばれていて、90年代に入ると自分で作詞作曲もするアーティスト寄りのシンガーやバンドでの楽曲が台頭してきて、一時期は森高千里やWINKくらいしか活躍できないほとアイドルは廃れてしまいました。今はまたアイドル全盛期となっていますから、時代は巡るものなんですね。


 こちらは、おニャン子クラブより生まれたユニットうしろゆびさされ組のラストアルバムの∞(アンリミテッド)。今では秋元康氏の奥さんである高井麻巳子さんとゆうゆこと岩井由紀子さんの2組のユニットでした。フジで放送されていたハイスクール奇面組の主題歌を歌って人気を博した。80年代アイドルのベスト盤は、2000年代の現在でも新たに企画されたリマスター版が普通に売られているのですが、リーズナブルに入手可能だったということと、ハイスクール奇面組で使用されたシングルの全A面とB面の一部が収録されていて、ベスト盤としても機能するということから購入。


 おニャン子クラブの歌というと、大勢で歌う場合であってもユニゾンが多かったと思うのですが、この2人は珍しくハモリを売りにしていた。2人で歌ってハモルことで、耳に心地よく名曲と呼べる楽曲が多いような気がします。以上の理由から、当時おニャン子クラブの中でも好きなグループでした。秋元さんも力が入っていたのか、楽曲にも恵まれたような気がします。


 ハイスクール奇面組の番組が終わらない内に高井麻巳子さんのおニャン子卒業ということから、ユニットは解散。ハイスクール奇面組からついでにとんちんかんの主題歌枠は、後輩のうしろ髪ひかれ隊に引き継がれた。


 80年代アイドルの企画盤は今でも普通に売られているのですが、なかなか中古で安くは売ってない。当時のアルバムでも安く手に入ればちょっと集めてみたいかな。

参考:Wiki おニャン子クラブ、うしろゆびさされ組の項

アイコ十六歳 [DVD]・アミューズ・ビデオ

2017-03-23 12:17:23 | 映画・DVD・CD

 アイコ十六歳は、1983年に公開された富田靖子さん主演の青春映画。1981年の堀田あけみさんの原作小説を元に映画化したもの。堀田さんは、当時現役の高校生であり、当時史上最年少の17歳で文藝賞を受賞したということで話題となった。いとうつかささんの主演でテレビドラマ化もされている。


 物語は、名古屋郊外に住む高校生1年生の日常を描いたもの。主演の富田靖子さんは、この映画のためのオーディションで12万7千人の中から選ばれ、女優としてデビューした。当時まだ14歳。


 ストーリー自体は、高校生の等身大の生活を描いているため、それほど起伏がなく大きな事件も起こらない。ごくありふれた日常生活の中に飼い猫が死んだ思い出話、友人の中絶へのカンパ、憧れの先生の自殺未遂といった、死を匂わせるエピソードが挟み込まれ、元彼の暴走行為による死亡事故でクライマックスを迎える。


 誰にも訪れるまぶしくて仕方がない季節を描いており、きらきらとした映画。弓道部に所属しており、同時期の時をかける少女とともにその後の漫画やゲームなどに典型となった弓道部に所属する凛としたヒロインの先駆けといえるかも。藤田弓子さんがお母さん役を演じており、その後さびしんぼうでも富田さんと共演していた。この時、藤田さんは30代の後半から40歳位。今では、富田さんがその年齢より10歳近く上になっていて、今となっては誰にとっても一度きりの時間のはかなさも表している。


 この映画は大林宣彦監督が製作を務めており、その後お母さん役だった藤田弓子さんとともに大林宣彦監督の尾道3部作の3作目であるさびしんぼうの主役に抜擢されている。これは、この映画での存在感や演技が認められてとのことだと思います。さびしんぼうでは、藤田さんの若い頃の姿を演じており、ここではますますはっきりと時の流れの刹那が表現されている。


 80年代はアイドル主演の青春映画が数多く作られましたが、ほとんどはVHSどまりでDVD化されていない。DVD化されても、再販がないものがほとんどで、プレミア的な値段が付いている。30年前の作品にも関わらず今でも再販され普通の値段で入手できるということで、この作品もすでに青春映画の名作のひとつとなっているのかもしれません。

参考:Wiki アイコ十六歳の項、youtube アイコ十六歳(プレビュー)、KAUMO 弓道部なら読んでおきたい!気持ち感じるおすすめ弓道漫画14選!、DVD で見れない傑作映画 トップページ