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80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

横道世之介(よこみちよのすけ)・ショウゲート/アミューズソフト

2014-12-12 19:12:21 | 映画・DVD・CD

 横道世之介(よこみちよのすけ)は、2013年に公開された日本映画。


 昨年公開された映画ですが、事前情報はなく、たまたま用事があって乗っていた高速バスの車内で流れていました。最初は、流れる音楽やファッション等の風俗がどうも古いし、古い作品のリバイバルかと思っていたのですが、場面が切り替わってネットや携帯などの用語が突然挿入されて、新しい映画だと気付いた。80年代という時代を扱っていることは理解できたが、いろんな登場人物やエピソードが現れては消えてゆく展開で、一体何が言いたい映画なのかさっぱりわからない。2時間40分という長い作品なのですが、大きなドラマも起こらない。高速バスの車内のため、途中で寝てしまったり、サービスエリアでトイレに行ったりと、終盤では現代と過去がめまぐるしく交錯して終わってしまった…。初見では、そんな印象でした。


 原作は、2008年に毎日新聞に連載された芥川賞作家の吉田修一氏の小説。2010年度の柴田錬三郎賞を受賞している。2013年に沖田修一監督、高良健吾さん、吉高由里子さんの主演で映画化された。1987年に法政大学に入学するために長崎から上京してきた、主人公の横道世之介の一年間を描いた作品である。原作の小説は、2008年4月1日から毎日新聞紙上で連載が開始され、物語の進行に合わせてちょうど一年後の2009年3月31日に終了した。映画のほうは、第56回のブルーリボン賞作品賞を受賞しており、アマゾンや映画サイトの評価も星★★★★+☆程度と、あちらこちらで絶賛されている。


 物語は、主人公の世之介が大学生活の一年間で知り合った人々の交流と、そこから16年後の2003年の彼らの回想を描く。1987年という時代の時間軸の中に、シームレスで予告もなく2003年の現在の時間がつなぎ合わされ、1987年の話と2003年の現在が混在しながら物語は進んでいく。現在の時間軸に世之介は登場せず、人々の回想の中に浮かび上がった世之介を描くことで、誰しも経験のある輝かしい時間の中で出会った、懐かしい人を思い出させてくれるという仕掛けになっている。


 ちなみに1987年というのは、原作者の吉田修一氏が大学に入った年で、主人公の大学が法政大学の経営学部という点や、長崎から上京したというシチュエーションも同じらしい。ただ、必ずしも自叙伝というわけでもないようで、かなり入念に意図的に構築された物語という感想を抱く。1987年というのはバブル景気に突入した頃で、日本という国にとっても(ナイーブで)輝いた時間であったと言えるだろうし、19~20歳くらいという誰にとっても輝かしい時間に、ああ、こんなやついたなあと、誰しもが懐かしく思い出す、それぞれの“あの人”の物語ということになる。


 駅前に斉藤由貴のAXIA(1985年発売)の看板が掲げてあったり、新製品としてキスミントが配布されていたり、レベッカが流れたり、石井明美のCHA CHA CHA(1986年のヒット)が流れていたり。どこかダサいファッションや、髪型など、時代の空気感を感じさせる仕掛けはしっかりとなされています。世之介の住むアパートの部屋も、フローリングとかでなく、いかにもあの当時一般的だった1DKといった感じで、リアルな生活感が漂っている。最初、九州から上京してきた世之介は、九州弁丸出しでしゃべるのですが(世之介役の高良健吾さんは熊本の出身)、後半ではすっかり標準語になっていたり、ファッションも洗練されているなど、かなり細かなところまで気を配って製作されていることがわかります。


 近年で似たような設定の映画としては、2006年に公開された虹の女神。映像制作会社で働く主人公が、ある時に大学時代の友人の訃報を知る。そこから、記憶は2人が出合った青葉学院大学映画研究部の頃へと戻ってゆく・・・。岩井俊二氏の手による脚本で、これもアマゾンや映画評では評価の高い作品。


 こちらは、ビックコミック誌に連載されていた、あの時代の大学生の学生生活を描いた細野不二彦氏のあどりぶシネ倶楽部&うにばーしてぃBOYS。バブル期の映研とサボテン部(?)の活動を描いています。作品としては佳作ですが、そこに流れるけだるいような、明るすぎるような空気感が秀逸。


 こちらは、同じく小学館のヤングサンデー誌に連載されていた原秀則氏の冬物語。大学生ではなく予備校生ですが、この時代は若者が多かったので、予備校生活ですらまぶしい時間の舞台となった。映画化されて、主演はパンツの穴で人気が出た山本陽一さん。最近、あの人は今みたいな番組に出演されていました。少子化で大学全入時代となり、代ゼミが事業を縮小したというニュースを聞くと、嘘のような時代の話。


 こちらは、同じく小学館のビックコミックスピリッツ誌に連載されていた、ツルモク独身寮。主人公が、高校を卒業して上京し入社した家具などの製作所の独身寮が舞台。80年代の終わりから90年代の初頭辺りの物語。
 

 こちらは、かなり珍しい80年代~90年代の大学生活を体験できるというシミュレーションゲーム、リフレインラブ。ヒロインや女性キャラばかりか、男性キャラにも好感度のパラメーターが設定されており、男女入り乱れての、この当時流行った男女7人夏物語やセント・エルモス・ファイアー、愛という名のもとに、あすなろ白書のような世界を疑似体験できる。


 主演の高良健吾さんは、映画ノルウェイの森で“僕”の友人のキズキを演じていた。このノルウェイの森も、原作は1987年に発表され、37歳になった現在の“僕”が、1968年の学生時代のことを思い出すというよく似た構造を持つ物語であった。ノルウェイの森は、最後にこの世のどこでもない場所からガールフレンドの緑に電話をかけるというシーンで終わるが、この横道世之介でもラストシーン近くで、公衆電話から電話をかけるシーンがある。それは、実家に向けてたわいもない話をしようと、ジャラジャラと10円玉を投入してかけたはいいが、家事が忙しいからとそっけなく親から切られてしまうという展開で終わる。シリアスな60年代と能天気な80年代の時代背景の違いが、そこには対比されているような気がする。


 ということで、個人的評価は星★★★★+☆、見る時の気分によっては星★★★★★でも良いかも。ここを見て懐かしいと感じる方にもお勧めの一本。ということで、近年の作品としてはかなり珍しい青春映画だと言える横道世之介(よこみちよのすけ)でした。



参考:Wiki 横道世之介(ヨコミチヨノスケ)の項、映画 横道世之介公式サイト

プレデター Predator・20世紀フォックス ホームエンターテイメントジャパン

2014-10-13 18:04:13 | 映画・DVD・CD

 プレデター Predatorは、1987年に作られたアメリカ映画。主演は、ターミネーターのヒットで世界的な人気を獲得していたアーノルド・シュワルツェネッガーで、配給元は20世紀フォックス社。


 現在に続く息の長いキャラクター、プレデターの記念すべき第1作目。predatorとは、動物学用語で捕食動物、天敵の意味。最も公開当時は、82年のコナン・ザ・グレート、83年のターミネーター、キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2、85年のコマンドーでアクション俳優として一躍知名度を上げたアーノルド・シュワルツェネッガーの出演作という扱いでした。この時点では、プレデターを見るためではなく、シュワルツェネッガーの活躍を見るために劇場へと足を運んだのです。90年の第2作目では、舞台をジャングルからアメリカのロサンゼルスへと移し、シュワルツェネッガー無しで立派に主役を張るまでになっていました。途中でスピンフオフ的な2004年のAVP エイリアンVSプレデター、2007年のAVP2 エイリアンズVS.プレデターを挟んで、第3作目のプレデターズ Predatorsまでは公開されたのが2010年とえらく間が空いています。


 物語は、アラン・ダッチ・シェイファー少佐率いる精鋭部隊が、要人の救出のため中央アメリカに到着する。同時期に地球上空の宇宙船より、何者かの乗ったポッドが地球の大気圏内に突入する。その頃ジャングルの奥地では、ダッチ少佐率いる部隊に要人の救出とは真っ赤な嘘で、本当の目的はゲリラの掃討にあることが知らされる。長年の友人の嘘に激怒しながらも、現地よりの脱出を試みるダッチ少佐であるが、そこに姿の見えない謎の敵が襲い掛かってくる・・・。


 物語の構造としては、この頃スターロンの出世作となったランボーなどの戦場ものが人気を博しており、シュワルツェネッガーもコマンドーでそのキャライメージを確立しつつありました。筋肉マッチョな男たちがマシンガンを乱射する戦場ものと、79年のエイリアンで確立された地球外生命体の登場するSFものを融合した、いいとこ取りの脚本になっています。この頃は、似たようなB級作品が量産されていたのですが、シュワルツェネッガー主演の大作ということで、それらとは一線を画しています。撮影が途中まで進んでもプレデターのデザインが完成していなかったり、当初はジャン=クロード・ヴァン・ダムをプレデターに配役して、忍者のようなアクションをさせようと予定されているなど、まさにシュワちゃんありきの映画のようにも思えます。紆余曲折がありながらも、最終的には日本のキャラクターなども参考にしつつ、映画史に残るキャラクターが完成しました。


 シュワルツェネッガー演ずるアラン・ダッチ・シェイファー少佐。最後は罠を仕掛けての頭脳戦で勝利しているが、なんだかんだいいながら2メートルを越すホッキョクグマなみの体躯を誇るプレデターと肉弾戦でやりあっている。そんなことが少しでも可能なのは、確かにこの人以外にないという気がする。


 最初は、シュワルツェネッガーありきの映画ながらも、その後独立した作品としてプレデターだけで客を呼べるようになったのは、そのキャラ造形によるところが大きい。高度な科学力を持ち、敵から見えなくなくなる光学迷彩に身を包み、人間をはるかに凌駕した身体能力を持ちながらも、敵意や武器を持たないものを攻撃しない、力を認めた相手には装備を外して格闘戦を挑むなど、現代文明を持たない原住民のような人間臭い性質を持つ。あるいは、西洋の騎士道とか、日本の武士道のようなところが、人気が出た秘密なのでしょう。その後も、様々なコミックやゲーム、続編の映画などで新たな設定が付け加えられていきました。


 同じ地球外生命体映画としては、先駆者となる79年のエイリアン。甲殻類っぽいプレデターの造形にも多大な影響を与えていると思います。


 サスペンスホラーだった前作とは一変して、This time it's war(今度は戦争だ)のキャッチコピーのもと戦争アクション映画となった、86年のエイリアン2。プレデターは、姿を見せないエイリアンに追跡される1作目のサスペンス性と2作目の戦争アクションとを融合したような作りになっている。


 とにかく、このエイリアン2の宇宙海兵隊という設定は、その後の作品やゲームに多大なる影響を与えました。今日の宇宙を舞台としたFPSの全ての原点といってよいかと思います。


 ゲームやコミックの世界では、2大地球外生命体である彼らを対決させた作品が数多く作られていましたが、ファンの空想が遂に現実のものとされた、2004年のAVP エイリアンVSプレデター。この中でのプレデターは、人間と共闘する名誉ある戦士という描かれ方をしています。


 近年になってからもミクロマンのシリーズでフィギュア化されたり、海洋堂の特撮リボルテックでフィギュア化されたりと、定番のキャラクターの一つになりました。第1作目の時点では、姿の見えない敵という設定のキャラでしたので、ここまで普遍的な人気を持つキャラクターになるとは、想像もできなかったですね。ちなみに、この第1作目はダイハードのジョン・マクティアナン監督の作品なので、映画の出来としても凄くよいです。個人的評価は星★★★★で、今では古典的名作といえる作品の一つ。


 ということで、80年代が生んだ定番の人気地球外生命体キャラ、プレデター Predatorでした。



参考:Wiki プレデター(映画)、プレデター2、プレデター(架空の生物)、アーノルド・シュワルツェネッガー、AVP エイリアンVSプレデターの項

スーパーマンリターンズ Superman Returns・ワーナー・ホーム・ビデオ

2014-08-25 19:25:55 | 映画・DVD・CD

 スーパーマン リターンズ(Superman Returns)は、2006年に公開されたアメリカ映画。マーベル・コミックと並ぶ二大アメコミ出版社のDCコミックに掲載された、アメリカの古典的ヒーロー・スーパーマンを映画化したもの。


 アメコミを代表するキャラクターだけあってスーパーマンの映画化、テレビドラマ化、アニメ化は何度も行なわれています。この作品の最大の特徴ともいえるのが、クリストファー・リーヴ主演の1978年のリチャード・ドナー版のスーパーマンと、その続編のスーパーマンⅡ冒険編(80)の続編ともいえる内容だということ。これは、監督を務めたブライアン・シンガー氏(65年生まれ)が、熱烈なこのリチャード・ドナー版のスーパーマンのファンだったということから、このような形になったようです。そのためスタッフやキャスト名が残像を残しながら流れる1978年版のオープニングが再現されていたり、おなじみのジョン・ウィリアムズのテーマ曲が使われるなど、あちこちにオマージュがちりばめられています。


 物語は、スーパーマンが故郷の星クリプトンの残骸が発見されたことを聞いて、ロイスと別れ1人で旅立ってから5年後。恋人であったロイスは、一児の子を持つ母となり、婚約者までもいた。そして彼女は「なぜスーパーマンは必要ないか?」という記事でピューリッツァー賞まで受賞していた。そんな中、釈放されたかっての宿敵レックス・ルーサーの新たな大犯罪計画が実行されようとしていた・・・。


 コメディ要素が強くなったスーパーマンⅢ電子の要塞や、予算不足からB級っぽさがにじみ出ていたスーパーマンⅣ最強の敵はなかったことにして、冒険編の5年後からという設定になっています。舞台となる架空の都市メトロポリスや、仮の姿であるクラーク・ケントの勤務先デイリー・プラネット新聞社もそのままに、恋人ロイス・レーンや宿敵レックス・ルーサーとの関係性もそのまま。とはいえ、78年の映画から実に30年近くが経過しています。しかしスーパーマンを演じたブランドン・ラウスが、クリストファー・リーヴ版スーパーマンの面影を実に見事に再現。ジーン・ハックマンが演じたレックス・ルーサーも、ケヴィン・スペイシーの怪演によって風貌は似ていないのに完璧といえるまでに雰囲気を再現していて、30年近く前の映画の続きだというのに、錯覚を覚えるようにすんなりと入っていけます。


 この映画が公開されていた当時は、今更スーパーマン映画でもないかな~という思いから劇場まで見に行くことはありませんでした。多くの観客が感じたであろう、今さらスーパーマンの映画でも・・・という問いが、そのまま“なぜスーパーマンは必要ないか?”というルイスの記事とともに、映画の中でも主要なテーマとなっています。帰ってきたスーパーマンは、クラーク・ケントとして元の職場に復帰しつつ、ルイスにすでに子供がいることに軽い失望を覚えながらも、スーパーマンがスーパーマンたる理由として、ひたすら実直に人助けに励みます。墜落するジャンボ機を救う前半の見せ場から、しまいには大陸を持ち上げてしまうという、(Drスランプ)あられちゃんやイデオン並みの馬鹿馬鹿しくなるほどの超人っぷり。一作目でも地球を逆回転させて時間を戻すとかやっていましたので、この超人ぶりもある意味お約束。スーパーマンとは、アメリカ人にとってキリストのメタファーでもあるみたいなので、やはり彼らにとってスーパーマンは必要なのでしょう。


 帰ってきたスーパーマンを演じたブランドン・ラウス。この人ポスターやスチール写真では、細く見えてあまりスーパーマンっぽくないのだが、実際の映像では実によく雰囲気がでている。


 レックス・ルーサーを演じたケヴィン・スペイシー。ジーン・ハックマンもその演技力によって、大物なんだか小物なんだかよくわからない、煮ても焼いても食えない悪役をどこかコミカルに演じていたが、この人の存在感も圧倒的。


 今回の映画のネタ元となった1978年版のリチャード・ドナー版のスーパーマン。1作目、2作目は、同じくジョン・ウィリアムズが音楽を担当したスターウォーズと並んで、当時流行の兆しを見せていた特殊撮影を駆使したSF超大作映画だった。ドリフやひょうきん族など、この頃の日本のテレビには、スーパーマンのパロディが溢れかえった。この後もスパーマンを題材とした作品は作られ続けていますが、今でもスーパーマンといえばやはりこれ。


 この文字が立体的に見えるロゴもあちこちで流用されていたよう思います。映画のほうは、2作目、3作目とヒットを重ねてアメリカの新たな神話となっていったスターウォーズと比べて、だんだん回を重ねるごとにB級映画っぽくなっていってスーパーマンのいとこのスーパーガールなんてのも出てきて失速してしまった。


 永遠のスーパーマンともいえるクリストファー・リーヴ氏。乗馬事故による脊椎損傷やその後の啓蒙活動など、波乱の人生を送られた。


 ということで、今さらスーパーマンでもないな~と思わせておいて、25年以上前の映画の続編という形で古典的ヒーローを再生するという変化球で作られたこの作品、映画評サイトやアマゾンのレビューでも、実に100点中85点だとか星★★★★などと高得点を付けています。当時の映画批評家の評価も高かった模様。しかし続編の話は聞きません。実は三部作となる予定だったのが、興行収入が思ったより伸びず、マン・オブ・スティール(Man of Steel)としてリブート(再起動)されてしまいました。バットマンをバットマン ビギンズ(Batman Begins)としてリブートした、クリストファー・ノーラン監督や脚本家のデヴィッド・S・ゴイヤー氏の原案により、新たなスーパーマンとして生まれ変わることになってしまいました。


 個人的には、ブランドン・ラウス氏によるスーパーマンのこの路線で行って欲しかった。ということで、1978年度リチャード・ドナー版スーパーマンやあのジョン・ウィリアムズのテーマ曲に思い入れのある人には、評価星★★★★ということでお勧めしたいと思います。



参考:Wiki スーパーマンリターンズ、スーパーマン、スーパーマン(1978年の映画)、スーパーマンⅡ、クリストファー・リーヴ、DCコミック、マン・オブ・スティールの項

タッチ・東宝/小学館

2014-08-25 08:54:32 | 映画・DVD・CD

 タッチは、1981年から1986年まで小学館の週刊少年サンデー誌に連載されたあだち充さんの漫画を映画化した作品。2005年に東宝の製作で公開された。


 原作漫画は、いわずとしれた高校野球を舞台にした野球漫画の名作といわれる作品。映画のほうは、当時売り出し中だった長澤まさみさんを主演にすえたいわゆるアイドル映画になっています。共演は、上杉和也、達也を演じた双子の斉藤兄弟に、両家の親を小日向文世さん、吹雪じゅんさん、宅間伸さんが演じて脇を固めています。監督は、ジョゼと虎と魚たちの犬童一心監督。


 物語は、上杉達也と上杉和也は双子の兄弟。スポーツにも勉強にも万能の弟の和也に対して、兄の達也は何事にもいい加減な性格だった。そして二人の隣には、幼馴染の浅倉南が住んでいる。「甲子園に連れて行って」という南の夢を叶えるため、弟の和也は野球部に入部しエースとして活躍を始める。しかし地区予選決勝に向かう途中で交通事故死をしてしまう。和也と南の夢をかなえるため、兄の達也にバトンは引き継がれた・・・。


 テレビアニメは、1985年から1987年までフジテレビ系列にて放送され、全三部構成の101話。劇場版アニメでは、テレビ版を再構成して、こちらも全三部作として公開されています。オリジナルのテレビ版長編アニメ2作品と、実写版でドラマ化もされている。1981年から1986年までの5年間に渡って連載された、単行本26巻という作品を116分という2時間弱に収めるわけですから、元々かなり無理があります。またある意味、長澤まさみさんのための映画なので、主役が上杉兄弟から浅倉南へと変更されています。フアンの多い名作といわれる漫画が原作ですから、アマゾンやネット上の評価でも星★~星★★★★くらいと、評価もばらばら。原作では、ゆるやかな時間が流れる独特な間(ま)をコマ割の余白で表現するような作風でしたが、劇場版では原作のエピソードを時系列順に並べた、超特急のダイジェスト版のような感じになっています。このため特に原作を期待して見た方からは、あまり高い評価は得られなかったようです。


 ただ犬童一心監督は、長澤まさみさんを魅力的に見せるアイドル映画を作りたかったとインタビューに答えられているようで、もともとこのようなフアンの多い長編漫画を再現するという無理な方向ではなく、そちらの方に焦点をあてて作られているようです。そのような意味では、当時18歳の長澤まさみさんの魅力を切り取った刹那的な瞬間は、きちんと映像の中に収められているよう思います。


 タッチといえば、岩崎良美さんが歌ったアニメの主題歌が有名ですが、これもカバーですが劇中のある瞬間に流れます。これがなくては、やはりタッチという気がしません。惜しむらくは、カバーではなく岩崎良美さんのオリジナルバージョンを使ってほしかったところ。演出のため、映画のポイントとなるシーンで一回限り流れるという方法をとったのでしょうが、映画のオープニングにオリジナルバージョンの主題歌を持ってきていたら、よりタッチの映画化という雰囲気が醸し出されていただろうという気はします。ちなみにこの楽曲を岩崎良美さんが歌うことになった経緯とは、アニメ版の監督がベテランの歌手にと譲らなかったからとか。結果的に曲はヒットし彼女の代表曲ともなったわけですから、先見の明があったということなんでしょうね。


 喫茶南風や犬のパンチなど、原作の再現もかなり力が入っています。特に原田正平役のRIKIYA氏がいい味出してる。ただ夏の高校野球を題材とした作品なのですが、映画の撮影された時期は春先。夏の甲子園特有の汗や日差し、高い空などはあまり感じられません。ここが再現できていれば、青春映画としてもう少し評価も高かっただろうとは思います。


 こちらは、少年サンデー最大の発行部数を記録した1983年時の連載作品を再掲載して、2009年に発行された少年サンデー1983「ぼくらの青春」永久保存版。


 やはりこのときのメインは、タッチとうる星やつら。あだち充氏の伊集院光氏との対談も納められている。


 これは、作家さんがそれぞれ一番好きな回を選んで掲載する趣旨となっていますが、あだち氏はあえてなにも事件が起こらないエピソードを選んでいる。原作の方も、大半は何もおこらないゆるやかな高校生活の中を、ゆっくりとストーリーが進んでゆくというような作品だった。


 この長い話を2時間弱に纏め上げた脚本はなかなか健闘していると思うし、主演の長澤まさみさんは、浅倉南の雰囲気を充分再現できていると思います。東宝が力を入れて製作し、小学館、日本テレビと大手が組んで作られた作品なので、一定レベル以上の水準はクリアされていると思います。


 というわけで個人的評価は、タッチの実写映画化として見ないで考えた場合で星★★★。岩崎良美さんのオリジナル主題歌をオープニングに持ってきて、夏の甲子園の暑さが再現できていれば、青春映画として星★★★★といったところでしょうか。



参考:Wiki タッチ(漫画)の項、少年サンデー1983「ぼくらの青春」永久保存版/小学館

天然コケッコー・アスミックエース/集英社/角川エンターテイメント

2014-08-09 02:04:44 | 映画・DVD・CD

 天然コケッコー(A Gentle Breeze in the Village)は、2007年に製作された青春映画。原作は、1994年から2000年にかけて漫画雑誌コーラス/集英社に連載されたくらもちふさこさんによる同名漫画。


 小学校と中学校が同じ校舎にあり、両方あわせても6人しかいない田舎の分校を舞台に、そこに都会から越してきた転校生と主人公そよの交流を描く。原作では、高校に舞台を移して以降も物語は続いているが、映画ではそよの中学2年の夏から高校入学までを映像化している。物語の舞台となるのはS県香取郡木村稲垣という架空の村で、主人公が通う分校は木村小学校・中学校となるが、原作者の田舎である島根県をモデルとしており、映画でも実際に島根でロケが行われている。


 監督は、リンダ リンダ リンダで知られる山下敦弘監督。そよ役にこれが映画初主演となる夏帆さん、東京からの転校生の広海役に岡田将生さんが配役されている。120分という長い映画だが、特に大きな出来事が起こるわけではなく、田舎の日常生活の中の小さなエピソードが積み重ねられていくという構成をとっている。キャッチコピーは、そよがラスト近くで呟くせりふ“もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう”。


 この映画のもうひとつの主役ともいえるのが子供たち。実際は、全員都会の子役たちだそうだが、なんともいえないよい味をだしている。夏休みに分校のみんなで海に行くエピソードがあり、その通り道には自殺者が出たと噂される古びた橋があって、主人公たちは線路際を歩いて海へと向かう。そこには少女版の少年時代や少女版のスタンド・バイ・ミーみたいな趣がある。すいかやお祭り(夏ではないが)、海水浴など、夏休みの定番イベントがもれなく収められている。


 そよを演じた夏帆さんは、このとき15歳。実際は東京出身だそうだが、田舎の素朴な子をごく自然に演じている。
 

 大沢広海役の岡田将生さんは、この時17歳。そのため田舎の中学生にしては、ずいぶん大人びて見える。田舎の中学生なんて、実際にはもっと落ち着きがなくてもっと子供だとは思うが。少女漫画の王子様キャラという意味では適役なのだろう。


 脇を固める大人たちには、そよの父親役に佐藤浩市さん、母親役に夏川結衣さん。父親の不倫疑惑など、大人たちのエピソードも入るのだが、それも大事件には発展しない。ただ、子供が6人しかいない田舎の村だと高齢化が相当進んでいると思われるが、田舎の風景の中にもそれらはほとんど描かれない。田舎の風景、役者さんたちも含めて、あまりにも綺麗過ぎるという気はする。


 表のテーマとしては、そよと広海の恋愛を描いているが、美しい田舎の自然の風景と何もおこらない田舎の日常がもうひとつのテーマとして置かれている。そよは、広海が暮らしていた東京に憧れはするが、田舎での生活に愛着を持っている。そして将来の夢は、この分校に戻り先生となること。ただ、学校の最年少は1年生のさっちゃん1人で、村にはその後子供が生まれていない。“もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう”というせりふに表現されている、いずれは終わってしまう貴重な時間の儚さも見え隠れしている。


 この作品、アマゾンや映画サイトでの評価は星★★★★くらいで、2007年度の日本アカデミー賞(主演女優賞)、報知映画賞(監督賞、新人賞)、毎日映画コンクール(最優秀賞、脚本賞、音楽賞)、キネ旬報2位など、数々の賞を受賞している。ということで、個人的なお勧め度は星★★★★+☆(星半分)。


 綺麗な田舎町の風景と、どこか懐かしい夏休みを描いた、新しい夏の定番映画としてもお勧め。



参考:Wiki 天然コケッコーの項、天然コケッコー公式サイト、しまね観光ナビ