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80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

さんだる/たま・日本クラウン

2015-07-15 17:31:56 | 映画・DVD・CD

 さんだるは、1990年に日本クラウン(クラウンレコード)より発売された、たまのメジャーファーストアルバム。たまは、90年代に活躍した日本のバンド。


 たまは、4人組編成の日本のロックバンドで、フォークや童謡などを織り交ぜた幻想的な世界観を持ったバンド。テレビに出る前から、インディーズではすでにメジャーな存在になっており、89年に話題となった平成名物テレビ・三宅裕司のいかすバンド天国に出演したことをきっかけにして、メジャーデビューを果たした。スタイルは、ちゃんちゃんこに下駄履きでウクレレやマンダリンを弾き、ランニングシャツ姿で風呂桶などを叩くといった、当時一般的だったロックバンドからは一線を画した、あまり一般受けはしない個性的なものだった。デビュー曲のさよなら人類が、オリコン初登場1位、同年のオリコン年間シングルチャートでは4位を記録するヒットとなり、累計売上約60万枚を売り上げ、CMへの出演や日本レコード大賞新人賞、紅白歌合戦出場も果たす。92年頃からはバンドブームも下火になり、95年にボーカルやピアノなどを担当してきた柳原幼一郎氏が脱退、ちびまるこちゃんのエンディング曲を手がけたり、NHKみんなの歌に楽曲を提供したりと、その後も3人で活動を続けていたが2003年に解散した


 さんだるは、そのたまの(メジャー)ファーストアルバム。オリコンチャートでは、最高2位、年間アルバムチャートで35位を記録した。たまは、インディーズ自体も含め、何枚もアルバムを出しているのですが、やはり一般的に有名なのは、最も売れたこれでしょう。大ヒットとなったさよなら人類/カップリング曲のらんちゅう、CM曲としても使われたオゾンのダンス、方向音痴、イカ天の4週目で披露されたロシヤのパンなど有名どころが並んで収録されている。個性的なたまらしく、装丁も紙製のボックスジャケットと個性的なもの。表紙の昆虫のイラストは、ギターやボーカル担当の知久寿焼氏によるもの。


 ジャケット裏。売れまくっていた頃なので、すっかりアイドル。


 白黒のポートレートが付いており、裏が歌詞カードになっている。さよなら人類やオゾンのダンスなど、明るいポップな曲調のものが多かった柳原幼一郎氏、たまのランニングとして有名な石川浩司氏とトレードマークの風呂桶パーカッションセット、知久寿焼氏は今見ると美少年でまるでアイドルの様、たまの寡黙な2枚目担当で、所属事務所たま企画室の社長も勤めた滝本晃司氏。


 当時の思い出としては、イカ天初登場時に前知識も何もなく視聴していた。第1週目はシュールならんちゅうで、この頃のイカ天に数多くいたコミックバンドとしか認識しなかった。第2週目のさよなら人類で凄いバンドだと気付き、3週目オゾンのダンスで気に入ったバンドとなり、4週目ロシヤのパンのノスタルジックな世界観のとりことなり、5週目のまちあわせでマルコシアスバンプとの接戦に見入った。イカ天初登場時は、最初は変な人たち扱いであったが、週が進むに連れ審査員の評価も変わっていった。実際は、テレビ登場以前からすでにインディーズでは有名だったたまが、番組サイドから請われる形で出演したもので、その実力も最初から他の素人バンドとは比較にならないものだった。著名なルポライターの竹中労氏は、彼らをビートルズの再来とまで評価し、(癌に侵された)晩年の仕事としてたまの本を書いた。4人ともビートルズ好きは共通しており、この時期柳原氏が宮沢賢治の世界に傾倒していたそうで、あのシュールで独特なノスタルジー感溢れる音楽の源泉の一端がその辺りから来ていたのだと、最近になって知った。


 たまがメジャーデビューをしてブームとなってからの狂乱の日々は、たまのランニングこと石川氏の自叙伝「たま」という船に乗っていたで知ることが出来る。石川氏のHPでは、出版社の許諾を得て、この本を公開しているため無料で読むことが出来る。それにしても石川氏、現在では大林宣彦監督のこの空の花 -長岡花火物語に(放浪の画家)山下清役で出演されていたり、その縁で次作の野のなななのかの楽曲を担当(パスカルズとして)されていたり、パスカルズの一員として知久寿焼氏とともに海外公演をされていたり、西荻窪でニヒル牛というアートギャラリーを運営されていたりと、様々な活躍をされています(コレクターとしての顔もお持ち)。当時は、たまのランニングとかコミカルなイメージが強かったですが、実に多彩な才能の持ち主だったんですね。

参考:Wiki たま(バンド)、さんだる、柳原幼一郎、知久寿焼、石川浩司、滝本晃司、竹中労の項、石川浩司のひとりでアッハッハー

アバター AVATAR・21世紀フォックスエンターテイメント

2015-06-18 18:02:21 | 映画・DVD・CD

 アバター Avatarは、2009年に公開されたアメリカとイギリスの合作映画。監督は、超大作映画ならおまかせのタイタニックの巨匠ジェームズ・キャメロン監督。


 本作は、3D映像による劇場公開が話題となり、世界興行収入が歴代1位となる27億8800万ドル(約2518億円)を記録。アカデミー賞では9部門、ゴールデングローブ賞では4部門がノミネートされた超大作映画です。表題となっているアバター(avatar)とは、インターネットコミュニティで用いられる、自分の分身となるキャラクターのことを指すのが一般的ですが、元々の語源はサンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)で、インド神話や仏教説話の(神や仏の)化身を指す言葉のよう。映画では、MORPGやMMORPGのプレイヤーのように主人公が原住民の種族に憑依して、やがて原住民たちから神の化身として認められる過程を描いていますので、両方の意味を持たせてあるのだと思います。


 物語は、アルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラを舞台としている。貴重な資源である希少鉱物を求めて人類がこの星にやってきており、主人公である元海兵隊員のジェイク・サリーは、ある任務のためにこの星を訪れる。この星には、ナヴィという先住民族が住んでおり、彼らの村や彼らが守る神聖な場所である魂の木の下に資源が眠っているため、彼らに立ち退きを交渉する相手役として選ばれたためだ。ジェイクは、人工的に作られたナヴィ族の体に神経を接続させて憑依をするアバターとなって、この星の大地に降り立つ・・・。


 ということで、公開当時3Dの技術が話題となった映画でした。2010年に3Dテレビ、2011年にニンテンドー3DSと、この頃は3Dが大流行で時代のキーワードみたいになっていました。3Dの映画自体は、そう目新しいものではなく、1952年から54年頃にかけても流行したそうです。第2次立体映画ブームだった80年代には、ジョーズ3D、13日の金曜日3Dなんてのも。赤と青のセロファン眼鏡(アナグリフ眼鏡)をかけて、目が疲れてしまうという経験は多くの人が体験しているのでは。ゲームに関しても、84年のトミー 3D立体グラフィックゲーム、87年ファミコン3Dシステム、セガ3Dグラス、95年バーチャルボーイ(VIRTUAL BOY)と、周期的に現れては消える流行でした。この映画の新しかったのは、3D技術を立体的に飛び出させるのではなく、奥行きを表現するために用いたこと。この映画の映像は、すべてがその目的のために構築されているという気がします。


 ジェームズ・キャメロンと言えば、80年代に自身が脚本も書いたターミネーター(84)の大ヒットで一躍有名になり、スペースホラーだった第一作目を180°異なるコンセプトでアクション大作に仕上げたエイリアン2(86)でその地位を不動のものにしました。その後、アビス(89)とかトゥルーライズ(94)とか微妙な時期があったものの、 アバターに抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録した97年のタイタニックで、映画史に残る大監督にまで上り詰めました。80年代的には、キャメロン監督のデビュー作殺人魚フライングキラー(81)の前作ピラニア(78)を撮ったジョー・ダンテ監督とどっこいどっこいの知名度(ハウリング 、グレムリン、世にも不思議なアメージング・ストーリー、インナースペースなどジョー・ダンテ監督の方が活躍していた)だったのですが、えらいとこまで上り詰めました。


 80年代を知るものからすると、嘘みたいな活躍ぶり。ロジャー・コーマンの下でB級映画を撮ってたのに、リアルアメリカンドリームの体現者、監督すごろくの勝者、監督わらしべ長者みたいな感じの人です。


 ストーリーはさておき、もうひとつ話題となったのが、徹底的にロケを排除し最先端のCG技術で作られたその映像や世界観。全く見たことの無い、異世界を体験させてくれるというだけでも、この映画の価値はあると思うのですが、同時にそのイマジネーションには幾つかの疑問点も言われていました。有名なのが、YESなどのジャケットアートで有名な英国人画家のロジャーディーン氏の描く世界観に影響を受けているのではないかという話。これは、実際に裁判にまでなり、ロジャー氏側が敗訴しているようです。スペースハリアーの世界観もロジャー氏の世界観を参考にしているということですから、それだけ氏の世界観が素晴らしいということの裏返しのようでもあります。


 個人的には、セガがセガサターン用に開発したパンツァードラグーン(95)に似ていると思いました。どのような作品も過去の作品よりインスパイアーを受けてイマジネーションを膨らませていて、全くのゼロから世界観が作られるということはありえないわけですから、キャメロン監督はともかくCGクリエーターたちには影響を与えているのではと思います。


 もうひとつ言われたのが、もののけ姫やナウシカなどジブリ作品からの影響。異文化の交流、自然との調和というテーマからは同じような位置にあると思います。他には、白人とインディアンとの交流を描いたダンス・ウィズ・ウルブズ(90)、東洋と西洋の交流をテーマにしたラストサムライ(03)などからの影響が言われている。衛星パンドラの森林との共鳴や原住民ナヴィとの交流の場面などは、もののけ姫をかなり連想させます。クリオネみたいな森の精霊が登場し、森全体に生命が宿る八百万の神みたいな世界観なんですね。キャメロン監督自身が、宮崎監督の映画から影響を受けていると発言しているそうなので、いろんなところからイマジネーションを持ってきて世界が構築されているのでしょう。この映画、ストーリー的にはアメリカ映画らしく勧善懲悪で最後はすっきりと決着を見ますが、対してもののけ姫の方では、アシタカはサンとは一緒に暮らさないし、腕にかけられた呪いも解けないままで何も解決しません。ただ、そのように余韻を持たせた方が、物語に深みは出たのかなという気はします。


 そうは言っても、この作品の場合ストーリーはこの世界観を見せるためだけにあり、破綻しておらず爽快であれば問題ないという気もします。本来ならば、劇場で3Dの上映を見た後、ショッピングモールなどによって食事やお買い物をするというのが正しい本作の見方であって、映画とは非日常を味わうための週末のイベントのひとつであると考えるなら、そういった意味でやはり映画はこうでなくてはという気もします。もうひとつ、アバターというタイトルや宇宙海兵隊という設定からは、QuakeやHALF-LIFE、Unrealなどの異星人と戦うMMOFPS(ファーストパーソンシューティング)の影響も感じられますが、そもそもこれらの世界観自体が、キャメロン監督のエイリアン2から多くの着想を得ているので、そういったゲーム世界の実写映画化として楽しむのもありかもしれません。


 ということで、個人的評価は星★★★★。映像だけ、世界観だけなら★★★★★でも良いと思います。古今の映画、ゲームからの影響が一杯に詰まり、新しいのだか古いのだかよくわからない3Dというギミックもありと、楽しさ満載の娯楽超大作と呼ぶのにふさわしい映画アバター Avatarでした。



Wiki:アバター Avatar(映画)、アバター、ジェームズ・キャメロン、殺人魚フライングキラー、立体映画、3Dテレビの項、山口 浩の汚い部屋、遠山式立体表示研究所、映画com 第三の革命 立体3D映画の時代

サマータイムマシンブルース・ポニーキャニオン/東芝エンタテインメント

2015-06-03 06:05:09 | 映画・DVD・CD

 サマータイムマシンブルースは、2005年9月3日に公開された日本のどたばたSFコメディー映画。


 もともとは、2001年の劇団ヨーロッパの舞台が原作。この舞台にほれ込んだ、踊る大捜査線の本広克行監督により映画化され、脚本も劇団ヨーロッパの上田誠氏の手によるもの。主演は、アヒルと鴨のコインロッカーの瑛太さん、のだめカンタービレの上野樹里さん。劇団ヨーロッパ所属の俳優も多数出演している。アマゾンや映画サイトの評価では、星★★★★~程度と高い評価を得ている。また、舞台版もDVD化されて人気を博している。


 物語は、とある地方都市の大学のSF研が舞台。SF研とはいっても名ばかりで、SFの意味さえしらない部員たちが夏休みに野球に興じている。夏の部室でぐだぐだ過ごしていたところ、部員同士の悪ふざけによりコーラーをこぼしてしまい、部室備え付けのクーラーのリモコンが壊れてしまう。次の日、そんな彼らの元に突然タイムマシンが現れる。その際の彼らの思いつきとは、昨日に戻って壊れる前のクーラーのリモコンを取って来ること。昨日と今日というスケールの小さいタイムトラベルにより、世界の消滅の危機が訪れるという可能性がでてくることになる…。


 ということで、真夏の大学の部室というむさくるしい空間と、そこにたむろするリア充とはとても言えない、むさくるしい学生たちの巻き起こす、タイムパラドックスをめぐるどたばたをコメディータッチで描いている。時間の移動は、2005年の8月19日と20日の2日間。登場する人物も、SF研に所属する学生5人とそのまわりの数人のみと、原作が舞台劇ということもあって、こじんまりとした一種の密室劇になっている。8月19日の野球のシーンより物語が始まり、その同じ日にクーラーのリモコンが壊れる→次の日20日になぜかタイムマシンが突然現れる→19日に戻って壊れる前のリモコンを取りに行くという流れになっている。タイムマシンがなぜ存在するのか等の説明は無い。リモコンが壊れる前の日に行ってリモコンを取ってきてしまうと、取りに行くはずのリモコン自体がなくなり、壊れることもなくなってしまうため、矛盾が発生してタイムパラドックスが生じてしまうことに気付く。タイムパラドックスによる世界の消滅を阻止するために、19日と20日を何度も往復するという展開になる。


 タイムトラベルやタイムパラドクスをテーマとした作品は多いですが、その代表と言えるのが80年代のバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ。この作品でも、バック・トゥ・ザ・フューチャーの時計台風の建物が登場したり、色々なオマージュが散りばめられている。海外ものだと、わりとダイナミックに歴史が変わったりして、タイムパラドックスに対しての考え方もわりとおおらか。


 日本でタイムトラベルというと、やはりドラえもん。映画内には、それらしいネタは登場しませんが、のび太君の宿題を終わらせるために、現在のドラえもんが4時間後、6時間後、8時間後のドラえもんを連れてくるという、ドラえもんだらけというエピソードをほうふつとさせるような展開になる。戦国自衛隊とかスケールの大きなタイムトラベルものもありますが、日常のごくミニマムな4畳半のタイムトラベルといったところ。日本のタイムトラベルものだと、歴史を変えてはならないといった感じの、繊細なタイムパラドックス感が多いような気がする。筒井康隆氏や星新一氏のショート、ショートにも似たような展開があったように思います。

 この映画、SF研ということもあるのだろうけど、マニアな小物やオマージュがかなり多い。部室に東宝の特撮映画マタンゴのポスターが貼ってあったり、ガンダムのポスターが貼ってあったり、ガンダムの劇中曲が使われていたりする。タイトーのハリキリスタジアムやヴィダルサスーンという商品名も、印象的なキーアイテムとして使用されている。2005年の学生は、部室でファミコン版のハリキリスタジアムをやったりはしないと思いますが、懐かしい小物が散りばめられている。また、ロケ地が本広監督の出身地である香川県の善通寺市で行われており、四国学院大学という地元の小さな大学を舞台としている。この町が五重塔があったり、いい具合に寂れていたりと、すごく懐かしい独特の感じをこの映画にもたらしている。大学のキャンパスも都会のマンモス大とは異なり、漫画に出てくるギムナジウムのような独特な風景をかもし出している。


 大学が舞台ということで横道世之介のような青春ものを期待してみたが、物語はタイムパラドクスをめぐるどたばたを中心に構成されているため、青春ものという場面はあまりない。最初は、躍動感のない野球のシーンやむさい男たちが戯れあっているのを、わりとたいくつな感じで流してみてしまうのだが、もう一度見直すと最初の19日の時点でいろいろな伏線が張られていたことに気付くという作りになっている。とにかく、脚本が見事な映画、何度か見直して構成を楽しむといった作品になっている。青春映画としてみた場合だと、夏の暑苦しい部室、蝉の声、むさくるしい男友達ということで、話は荒唐無稽なのだが、妙なリアリティを持っている。そのようなむさ苦しい青春に心当たりのあるものにとっては、この映画自体がタイムスリップをさせてくれるタイムマシンということになるのでしょう。


 そういえば、80年代に夏のタイムマシーンという歌がありましたね。ということで、個人的評価は星★★★☆~★★★★。筒井康隆氏や星新一氏のショート、ショートが好きな方、あるいは夏の暑苦しい部室に心当たりのある方にお勧め。

参考:Wiki サマータイムマシーンブルース、本広克行監督、上田誠さんの項

ドランクモンキー酔拳・ソニーピクチャーズ

2015-01-06 10:23:23 | 映画・DVD・CD

 ドランクモンキー 酔拳(Drunken Master)は、1978年製作の香港映画。日本での公開は翌1979年で、日本にジャッキー・チェンを知らしめた一作。


 当時、ロー・ウェイのプロダクションと専属契約していたジャッキーが、呉思遠(ン・シーユェン)のプロダクションにレンタル契約で出向して作られた作品のうちの一本。もう一本は、初期ジャッキー作品としては酔拳とならぶ有名作である蛇拳。監督は、マトリックスなどの武術指導としても知られる袁和平(ユエン・ウーピン)で、彼は赤鼻のお師匠さん袁小田(ユエン・シャオティエン)の実の息子でもある。この作品の前までのジャッキーは、敵討ちものなどを典型とした昔からある古いタイプのカンフー映画を作っていて、知名度もそれほどではなかった。蛇拳でシリアスな展開の中にコミカルな要素を混ぜたところ受けがよく、映画もヒットしたため、続編としてよりコミカルな要素を増やしほぼ同じスタッフで作られたのが、この酔拳である。日本では、香港で評判になっていたジャッキーの映画を買い付けた映画会社が、同時に買った3本の内の出来が良く面白いものから公開したため、酔拳→蛇拳と公開順序が異なっている。日本でもこの作品で一躍有名となり、次々とジャッキー映画が公開されるようになった。


 過去に何度もVHSやDVD化されているが、これは最近のソニーピクチャーズから出ているバージョン。ディアゴスティーニの隔週刊ジャッキー・チェンでも第一弾プロジェクトAに続いて、第二弾に選ばれている。


 あの一度聞いたら忘れられない、いかにも中国っぽい曲“将軍令”(黄飛鴻のテーマ)が流れ出しそうなポーズ。この楽曲は中国では有名な曲で、一般にも親しまれているらしい。


 この作品の中で、ジャッキーは若き日の黄飛鴻(ウォン・フェィフォン)を演じている。この人は、中国では歴史的に有名な英雄でジェット・リーなども彼を主題にした作品を作っている。ただ、この映画では設定は完全にオリジナルで、映画内でのジャッキーは有名なカンフー道場のどら息子といった役柄になっている。親父が有名なカンフーの師範で、お調子者で自身も多少腕が立つことから、好き勝手をやって生活している。そこで、ジャッキーの親父は息子の性根を入れ替えて鍛えなおしてもらうために、カンフーの達人である蘇化子に弟子入りさせることにした。しかし、根っからのお調子者であるジャッキーは、カンフーの修行もそこそこに途中で逃げ出してしまう。そこに、カンフーの達人で殺し屋の鉄心が現われて、ジャッキーはぼこぼこにされてしまい、股の下をくぐらされるという屈辱を味わう。そこで、心を入れ替えて蘇化子の元に戻り、カンフーの修行に励み始めるジャッキーであったが・・・。


 お調子者の主人公がいて、そこに仙人のような老子が現われ、その老子の元でカンフーの修行を積んで、強敵を倒すという、これ以降お約束となった、カンフー映画の教科書のような作品です。このお調子者の若者と老師匠というモチーフは、この後の漫画やゲームなどで散々使われることになりました。


 赤鼻のお師匠さん蘇化子を演じた袁小田(ユエン・シャオティエン)。すごく印象が強いのは、蛇拳でも同じようなお師匠さんを演じているから。蘇化子とは、実在の人物で酔拳の創始者の一人らしい。ちなみに袁小田(ユエン・シャオティエン)さんは、酔拳の後78年に癌で亡くなられている。


 酔拳の前に作られた蛇拳。日本では、酔拳がヒットした後でジャッキー映画の第二弾として公開された。この後、ジャッキー・チェンの映画は、プロジェクトAくらいまでは、昔の古い作品でも何でも○○拳という邦題を付けられて、新たにジャッキーの新作として公開されていく。


 ただ手を動かすだけで、ボッボッボボボボボと風きり音が効果音として入る。当時は、カンフーの達人になるとこんな音が出せるようになると思っていた。また、空手やボクシングの様に一撃一撃が当たるのではなく、身のこなしで避けたり、手で受けたりして、流れるように連続して続く殺陣が演出されていた。これで、カンフーというものが神秘的で特別な技に見えた。この後のプロジェクトA以降では、風きり音もなく、マーシャルアーツの試合の様な普通の殺陣になっていた。


 こちらは、ちょっと古いVHS版の酔拳。


 この頃のゴールデン洋画劇場などでも、ジャッキー・チェンの映画はよく放送されていた。ジャッキー映画があった次の日の学校では、口でボボボボボと風きり音を出しながら、カンフーごっこをやっていた。酔えば酔うほど強くなるとは、当時の有名な映画のコピー。


 若き日の輝かんばかりのジャッキーチェン。この当時は、香港返還前だったので台湾などでもロケをしていたようで、今見ると日差しが強くて画面が非常に明るい。ジャッキーもコミカルカンフーという新しい活路を見出したためか、映画全体から楽しさが溢れ出している。


 カンフーを習いたかったが、この頃の田舎では空手しかやっていなかった。そのため、少林寺拳法を習いに行った。そのうち、ジェット・リー主演の少林寺という映画も公開されて、カンフーブームがやってきた。70年代のブルース・リーや空手バカ一代は直撃世代ではなかったので、このコミカルなカンフーというものがとても新しく感じた。


 単に戦うだけでなく、椅子や机、お椀や箸など小物の使い方も上手かった。普通では、武器ではない日用品を上手に使用して、殺陣の中に組み込んでいた。ジャッキー映画に影響を受けた、武田鉄也の刑事物語でもハンガーヌンチャクが話題となった。


 ということで、80年代ジャッキー直撃世代には、永遠のカンフー映画ドランクモンキー 酔拳(Drunken Master)でした。



Wiki 酔拳、ドランクモンキー酔拳、スネーキ-モンキー蛇拳、袁和平(ユエン・ウーピン)、袁小田(ユエン・シャオティエン)、黄飛鴻(ウォン・フェィフォン)の項、隔週刊 ジャッキーチェンDVDコレクション公式HP、ジャッキー・チェンを語れ

自転車泥棒 Ladri di Biciclette・Produzioni De Sica/コスミックインターナショナル

2015-01-05 00:00:46 | 映画・DVD・CD

 自転車泥棒(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)は、1948年にイタリアで製作されたモノクロ映画。


 年末のくそ忙しい時に、PCと車が同時に故障して使えませんでした。車は足だし、PCは情報収集をする目だったり、文書を作成する紙と鉛筆だったりしますので、何にもできない状態に。しないとならない事や、行かなきゃならないとこは、なんとか遣り繰りして切り抜けましたが、そんな思うように動けない年末に見たのがこの作品。第二次世界大戦後のイタリアを舞台に、リアルさを追求したネオレアリズモ(新写実主義)の作品の一つであり、いわゆる不朽の名作と呼ばれている映画。1948年というたいへん古い映画なので、80年代には直接的な関係はありませんが、こことの関連でいうなら、80年代にはユニコーンの作品に自転車泥棒という楽曲があったり、この映画で使われている自転車は世界最古の自転車メーカーでもある、ビアンキ社製のものだったりします。


 物語は、第二次世界大戦後のイタリア、ローマ。職に困っている主人公のアントニオ・リッチは、職業安定所の紹介で市役所のポスター貼りの仕事を見つける。その仕事には自転車が必要だが、生活のため自転車は質に入っている。自転車がないと、職は得られないと役所の担当者から言われてしまう。妻マリアが家のベッドのシーツを質に入れて、その金で自転車を買い戻し、なんとか職を得ることに成功する。役所より支給された制服に身を包み、与えられたロッカーをマリアにも見せて浮かれるアントニオ。父親のために自転車を磨いてくれた息子のブルーノを連れて、さっそく出勤をする。何もかもが上手くいくと思えた矢先に、ポスター貼りをしているほんの一瞬の隙を付かれて、自転車が盗まれてしまう・・・。


 いわゆる著作権が切れたパブリックドメインの映画ですね。書店なんかで廉価で販売されています。名作が多いですが、さすがに古すぎてあんまり見る機会がない。ただローマの休日だとか、現代でも通用するお洒落映画なんかもあって、この作品もそんな現代でも通用するもののひとつだと思います。


 廉価なDVD盤なのに、なんか微妙にお洒落。


 この作品の特徴のひとつは、徹底したリアリズムを追及している点。セットは一切使わずに全編ロケで行われ、主人公の主役の親子はオーディションで選ばれた素人。父親役のアントニオを演じたランベルト・マジョラーニは失業した電気工で、息子のブルーノを演じたエンツォ・スタヨーラは監督が街で見つけた子だった。


 終戦直後の物も仕事もない混乱した時代の現実を、鮮やかに切り取って見せたところが名作といわれる所以なのでしょう。自転車は担いで、大切に家の中にしまわれている。これが無いと仕事にありつけないし、移動する術も制限されてしまい、大勢が並ぶ列に並んでバスを待たなければならない。現代のように、ホームセンターで1万円ほどで手に入るということもないので、高価な財産だったのでしょう。


 息子は、親父のために懸命に自転車を磨き、自転車を探す親父にどこまでも付いていく。


 金がないならないなりに、一緒に盗品市場を探してくれる仲間たちがいる。


 リアリズムを追求した話なので、ハリウッド映画みたいにハッピーエンドでなんらかの決着が付くということはない。自転車は戻ってこないし、主人公がひとつの行動に出た山場(クライマックス)の後で、何も解決しないまま物語は終わる。終戦直後の厳しい現実を、どこまでもリアルに描ききっている。救いのない結末で、なんら希望が見えてこない終わり方をするのだけれども、見終わった感想としては、終戦直後の自由な空気、どこまでも高い空を感じて、希望に満ちた映画なのだと感じる。仕事も失ってしまうかも知れなくて、金も何にもないけど、妻がいて息子がいて友達がいる。何にもなくてどん底だけれども、これからは良くなってゆくという希望が感じられる。モノクロなので、空の色はわからないけれど、これはグランブルーのように空の青の映画なのだと感じた。


 ということで、個人的評価は星★★★★。ローマの休日にも引けを取らない、お洒落れな不朽の名作、自転車泥棒(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)(原題: Ladri di Biciclette, 英題: The Bicycle Thief)でした。



参考:Wiki 自転車泥棒(映画)の項