カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1698 『映画 ゴジラの逆襲』 ゴジラも吼えりゃ親父も吠える

2016年10月02日 | 日記





 『ゴジラ』 2016年10月2日






また台風18号が上がってきてる。16号と似たようなコースを辿るらしい。此の台風の加減か、秋雨前線の加減か知らないけど

今年は、まだ、スカッと晴れ渡った秋空見てないね? 此のままだと秋らしい期間が短いんじゃないのかね、夏から飛んで冬か?

煙草をベランダで吹かしてるときは、夜空を見上げるんだけど、最近、ずっと雲が覆ってる。





未確認飛行物体も発見しにくいじゃないか。「そうそう飛ぶか」 イギリスじゃ、最近、頻繁に現れてるらしい。此処へも来い。

Nikon Coolpix P600でデカく撮ってやる。 「実際は難しいだろ?」 難しいと云うより不可能に近いね。

しかし、じっとしていれば可能かも知れん。まあ、無理して撮れなくてもいい、もう一度、この目で見たいもんだよ。





下の動画は、イギリス、ロンドンで、白昼、街の上に現れたUFOだよ。小さな発光体が飛び行くね、

オレが50年ほど前に夜空を 「何度も直角に曲がって」飛びゆく星を日本橋筋一丁目から道頓堀筋まで追いかけたのと似てるよ。

オレが追いかけたのは、航空機が飛び行くスピードぐらいだったね。一緒に追いかけたオジサンは、もう亡くなったろうね。









UFO in London ?










昔、難波の南街劇場(南街会館)の地下になるのかね? ニュース館ってのが在って、ニュースと映画の抱き合わせで

安いんだね。家族全員でよく観に行ったよ。其処で「ゴジラ」の第一作を観たよ。

「ゴジラ」は、1954年(昭和29年)作品で封切りから1~2年後の頃だったかねえ? 恐かったよ、なんと恐ろしい怪獣かと思った。





1955年(昭和30年)に「ゴジラの逆襲」ってのが公開された。オレの記憶が怪しいんだけど、千日前の東宝敷島劇場で、

何年後かに、再度、封切りしたように思うんだけどね? 映画館の前の写真を見ながら、幼い弟が「どうやって動くの?」って聞くから、

ゴジラの中に人間が50人ぐらい入って動かしてるんとちゃうかあ?って、真剣に答えたのを覚えてる。 「おまえのほうがコワイわ」












『ウギャアアア~ン、ギャア~ガガ~ン』 唸り声が凄まじい。此の音響効果がゴジラを支えてるね。











『れっきとした縫い包みなのに、何故か怪獣として観てしまうから不思議』 もうちょっと、何とかならんかって文句の出る動きもあるけどね。








この時、不思議と、二人して悪い方の怪獣アンギラスが凄いって印象に残ったんだね。此のゴジラは大阪を滅茶苦茶にするんだよ。

のち、特殊撮影なる技法が在ることを知って、なんじゃいなって思ったね。

では、あの大阪城も、中ノ島もほんもんじゃなかったのかってカルチャーショックで寝込んでしまったよ。 「作り話やろ?」





いや、ちょうど眠くなったからだよ。 「紛らわしいガキやで、ずっと寝とけ」 昔からオレはよく寝るんだよ。













『映画館で観ると存在感ってのかね? 重量と巨大さを感じさせられるんだね?』  コチョコチョしてんか? 「や、やめろお~クッハッハハハ」











『模型が模型らしく壊れても、何故か自分の目を誤魔化してでも本当らしく観てしまう』  しつこく話しかけてんか? 「もお~解ったよおお~」








ニュース館でね、「このぉ~映画のぉ~しゅうぅりょ~う時間はぁ~9時ぃ~20分ぅんでぇ~ござぁ~まぁ~すぅぅ」

上映が始まる前の眠たい声のお姉ちゃんのアナウンスなんだよ。「最後ぉ~までぇぇごゆっくりぃ~ご鑑賞を~」 場内が薄暗くなる手前で、

「起きとんかっ? はっきりとアナウンスせんかいっ」って、親父がドスの利いたデカい声で怒鳴ってね、観客が大笑いだったよ、拍手もあったよ。





親父も、もうちょっと、オレたち家族の者へ配慮した行動をとって欲しいよ。みっともない、子が恥かくよ。親父は我が家のゴジラだよ。

















































オレは、以上の4作を観たね。『モスラ対ゴジラ』は、馬鹿らしい、「モスラ~ヤッ、モスラ~」なんてザ・ピーナツが出てきて

歌って馬鹿らしい、まるで、お子様映画じゃないかっ。 「ゴジラは、お子様映画じゃないのか?」 大人の映画だろ?











『ゴジラの逆襲』 心斎橋の大丸とそごうの向こうにゴジラとアンギラスが対峙して、御堂筋を北へ必死に逃げる人々。なんてことだよっ。








1955年(昭和30年)って云ったら大阪港には、舞洲や南港のポートランドなんて埋め立て地は無かったからゴジラは天保山辺りに、

直接、上陸したんだろうね? 海遊館も大観覧車も無い真っ暗けの大阪港、朝潮橋、弁天町を「何処のど田舎や?」なんて

思いつつボロ民家を踏み潰して大正、汐見橋、桜川、湊町、「寂しいとこだねえ~」なんて勢い失せそう。





青い灯赤い灯道頓堀まで来ると壊さずにおれない建物が見えて来て、俄然、やる気が起きてくる。まだ、其の頃は綺麗な水の道頓堀川に、

片足浸けて渡ると心斎橋筋、ゴジラに橋を渡るなんて意識はない。お陰で戎橋は助かった。

川を渡って北側に向かったので、大阪空襲の大爆撃にも生き残った松竹座は、この時も難を逃れてる。「ホンマかいな?」 





びっしり並ぶ老舗の商店街を踏み潰しながら北上、買い物客が泡吹いて逃げ惑う。この時、何処から現れたか? アンギラス。

背中を向けるゴジラに、グワッギヤアアア~って吼えて向かって来る。丁度、周防町筋を渡った辺りかね?

そして、大丸とそごうを脇にして上の写真の如く睨み合うんだね。 「なるほど」 













『戦後の大阪旧南区から北を望む』 








オレの思うに、当時は、まだまだ、戦後間も無いことだし、大した建物も無く被害は至って軽微だね。「嘘つけっ」 

じゃあ、下の写真を見てごらん。此れは上の写真を逆から南方面を写してる。

此の写真は、1955年(昭和30年)の空からの撮影だよ。小っちゃいのばかりだろ? ゴジラの尻尾で掃かれて飛ぶ塵(ちり)だよ。





「おまえ、怒られるぞ」 映画でゴジラに踏み潰されても怒らないのに、言葉で軽く云われると怒る? おかしいんじゃ~ないの?














『1、そごう、2、大丸、3、新橋ビル、4、電気科学館、5、文楽座、6、御堂筋、7、四ツ橋』 1955年(昭和30年)空から撮影








1955年(昭和30年)作品 『ゴジラの逆襲』には、この大丸、そごうは登場しなかったらしい。だから、オレが代わりに付け足したの。


































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