カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1091 『映画 天皇、皇后と日清戦争』

2014年03月28日 | 日記







 明日(3/28)の分です。







昨晩、明治時代のお話をしたので、其のあとユーチューブで検索したら『天皇、皇后と日清戦争』を見つけたよ。

映画丸ごと流してるんだねえ、こんなのは問題ないのかね? 「おまえも人のこと云えんだろ?」 そうだよ、鷹揚なのがいいよ。息苦しいよ。

で、観たんだけど懐かしいね。記憶に残ってるシーンも再確認できたよ。古き好き時代の趣だね。






嵐寛十郎の明治天皇、 昭憲皇后役の高倉みゆき、丹波哲郎 の大鳥圭介、幕末、函館まで退きつつ戦った幕府側の指揮官だった人だね。

榎本武揚総督、新撰組副長 土方歳三らと五稜郭で最後まで戦った一人だよ。新政府の縄にかかり投獄後、新政府の役人で返り咲く。

兵隊役で高島忠夫 、御木本伸介、此の人も久ぶりに見る顔だよ。二人は戦友なんだね。




















当時から語り継がれたお話を盛り込んで日清戦争を描いてる。思い起しても、かなり迫力ある映像だったと印象に残ってたけど悪くないね。

フイルムも、小さな画面だったら綺麗に映ってるよ。嵐寛十郎、大きな顔だね。これがいかんのだよ。「そんなん、ええやないか」






日清戦争は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。

1894年(明治27年)7月に起こった豊島沖海戦によって、日清両国の緊張は頂点に達し、双方とも8月1日に宣戦を布告。

近代化を進めていた日本と大国の清との戦いは、日本軍が有利の方向で進むんだね。侍魂眠らず、未だ軒昂なり。




















農民の高島忠夫 、御木本伸介等にも召集がかかる。高島忠夫は、老いた母親を一人残して出征することが気がかりだった。

船舶で出立する日、兵隊達の家族が多く見送りにくるが、年老いた母の姿がない、船は岸壁を離れ出航する。

必死に探す、目の前を岸壁沿いに走る母を見つけるんだね。銃を高だか振るが気づかない、傍らの兵が、日章旗のついた銃を貸し与える。


































母親は、ようよう息子に気づくんだね。でも、もう船は岸を遠く離れて声は届かない。愛別離苦、船は無情に離れ往く。













平壌の総攻撃 9月15日、日本軍の平壌攻略戦が始まった。




















写真向って左の兵卒役は若山富三郎だね。なんで、若山富三郎が兵卒役なんだろうと思ったよ。




























覚えていたのは、この戦闘シーンだったよ。兵卒役の若山富三郎が銃剣を刀代わりに持って単身突撃して敵の陣地に斬り込むんだね。

此の人は、よく肥えているんだけど身のこなしが軽いね。昔からだったんだね。当時は、役者の名前なんか知らなかったけど、ここはよく覚えてる。

「大隊長殿、わたしが行きますっ」 敵の銃火をものともせず突進して陣地の城内に斬り込むんだね。




















セイリュウ刀で斬りかかってくる敵を次から次へと斬り崩しつつ城内へ。大隊長も此れに続いて斬りこんで、侍魂、此処に有り。

チャンワンチョンヤン斬り倒す。「なんやねん、それ?」 敵の中国語だよ。強いんだねえ。

城門を内から開け放って、味方の突撃をうながす若山兵卒。













「城門が開いたゾッ、全軍、突撃っ」 行けえっ日本軍って、やっぱり嬉しくなるね。



























怒涛の如く城内に攻め入り市街戦、破竹の勢いで敵をなぎ倒す。チョンニャンカンニャン総崩れ。平壌陥落。


































黄海海戦は9月17日に日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた海戦。鴨緑江海戦とも呼ばれる。

近代的な装甲艦が投入された戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大損害を受けて制海権を失い無力化された。

この会戦で、敵艦「鎮遠」の30.5Cm砲弾が、日本艦隊旗艦「松島」の左舷4番12Cm砲郭を直撃し、集積の装薬が誘爆、28名が戦死し「松島」は大破する。





























「松島」乗組員の三浦虎次郎三等水兵が重傷を負いつつも、「まだ沈まずや定遠は」と向山慎吉副長に尋ね、

向山が「戦い難く成し果てき」と答えた、というエピソードはこの時のものとある。

この三浦虎次郎三等水兵をかの有名なスーパージャイアンツの宇津井健が演じていたんだね。資産80億円を築いて宇津井さんは亡くなったね。













一方、金州戦では、高島忠夫 、御木本伸介等の部隊が、金州城攻略戦を戦っていた。





































































突撃、突撃の最中に、奮闘虚しく友は弾丸受けて倒れる。軍歌「戦友」が流れるシーンだね。

(ユーチューブで音楽を載せてあげようと思ったけど軍歌は、gooと共用になってないのみたいだね)「おまえ、中国人か?」

オレは、日本人だ。ただの云いそこ間違いだよ。(gooの貼り付け設定の調子が悪くて、方法が変わったみたいで案内どおりやってみたら動画が貼れたよ)














『戦友』  




ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
  

赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下











思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  

敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか











ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
  

にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて











軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
  

しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中











おりから起こる吶喊(とっかん)に 友はようよう顔上げて
  

御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙











あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
 

それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか











戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
  

どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに











虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
  

時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや











思えば去年船出して 御国が見えずなった時

玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて





それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ

着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し





肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
  

死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲











思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
  

赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは











隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
  

友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙




筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
  

読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく






旅順攻略、大平山砲塔攻撃。















































死んでもラッパを離さず、木口小平ラッパ手。(実際は、被弾して倒れたのは、安城渡の戦い)

当時、ラッパは世界の軍隊で「突撃」「進め」「止まれ」「撃ち方始め」「撃ち方止め」など戦闘指揮の号音(号令)を伝える手段として使われていたね。

木口小平ラッパ手は「突撃ラッパ」を吹き鳴らし、兵士の士気高揚に務める最中に被弾、倒れても尚ラッパを吹きつつ息絶える。(実話)


































昭和33年製作の日本映画にすれば上出来じゃないかね? 物語云々じゃなくて描写(撮影)が上手いと思えるところがある。

日本映画は「糞」って、常々、エラそうに云いたいこと云ってるけど、真面目に描いて好ましいね。

今日は、なんにも話のネタが浮かんでこないので、昔懐かしい新東宝の『天皇、皇后と日清戦争』のハイライトでした。






映画を観て我が家に帰ったあと、お茶を呑みつつ親父とおふくろが、それぞれに感想など話している和やかなお茶の間を思い出すよ。































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