難波を超える勢いで天王寺が大きく変わろうとしているね。あと数年したら模様替えも落ち着くのかね?
テレビのニュースを観ていたら北の中之島を紹介している。大阪フェスティバルホールなんか、凄い豪華に立て直して吃驚だね。
肥後橋のほうだけどホール周辺には綺麗なお店も沢山オープンして、ビジネスマンなんか帰りにはいい雰囲気味わって気も晴れるだろうね。
「うん?」
大阪梅田周辺は、やっぱり大阪の顔だね。どんどん進化してるよ。
華やいだ町並みもそうだけど、人だね、町の雰囲気を潰さない「品」が漂ってるよ。これでなければいかんね。
街の命は、其処を利用する人々の「品」が要だろうね。
こんなこと云ってはいかんけど、南方面から流入する人々は、南のなんば、心斎橋辺りで止めるべきだね。
総じて「品」が落ちるように感じる。なんでだろうかね?
難波周辺のガラの悪さには閉口するよ。よくも、まあ、ここまで堕ちたもんだね。
同じ、南の天王寺は、その害から外れて「品」を守っている。東からの流入が多いんじゃないのかな?
まあ、あまりあからさまには書けないけど生活、経済、教育の諸々の層なんてのが大きく影響してんだろうかね。
北に限らず、東や南にしても裕福な層ってのは存在してんだけど、育ちの影響が露骨に出る人々が、それを上回るが故かね?
きどるのがいいとは云わないけど、その趣は、街の「品」を維持するね。くだけた気楽さは悪くないけど、過ぎると堕ちるね。
「ううん?」
感覚的に見れば、お隣の神戸は、きどりと気楽さの均整が、絶妙に保たれた街に感じられるんだね。7-3かね? 崩れないんだね。
安定した街って感じで好きだね。街の立地もいいよ。前は海、後ろは山、外国の影響を受けて異国情緒も手伝ってロマンチックだね。
人も同じだね。堅すぎては面白くない、格好つけ過ぎると厭味になる、くだけ過ぎては締まらない、それぞれほどほどがいいね。
暮れになったら、いつも思うだけで終わっちゃうんだけど、仕事納め後の梅田辺りの写真を撮りに行こうと、今年も思ってる。
車が姿を消した御堂筋とか、梅田交差点辺りの光景を撮りたいんだね。
でも「そんなの撮ってどうするの?」って、心の声がすると、急に興醒めしちゃうんだね。今も興醒めしたね。「あかんわ、こいつ」
御堂筋や中之島のイルミネーションなんかも、面倒だけど三脚持参で撮りたい欲求はあるんだけど、いざと云うとケツが上がらない。
来年もあるわなで、見送ってるね。出不精と云うか、見越してしまって馬鹿らしくなるのか、自分でも解らんわ。
「そのうち、死んでまうで」 其のうち死ぬのに、イルミネーション撮ってどないすんねん? って、なるんだね。
物質的欲求を取るか、精神性を取るかで云えば、オレは精神性のほうだね。
物質的欲求は必要最小限、日常に不便が無ければ良い範囲かね。型に嵌った欲求に追われて生きる、価値観も押しなべて似たり寄ったり、
皆が遣るから俺も遣りたい、これぐらい遣っておかんと恥をかく。自由で在りながら、なんか、選択肢が自由じゃないんだね?
「シジュウカラじゃねえか、街ん中では、珍しいね」
皆が遣らんから、オレは遣りたい、なんて奴がいいね。新しい価値を探したいね。それも、最低、人間の「品」ってのを意識してね。