ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

旧盆にⅤ

2018-08-15 09:39:09 | Weblog
 画は 拙作 再掲ですが 手直し して

  「ユダヤ・プロトコル=みんなイルミナティ」です。

 油彩F15号


 背景を 色々書き込みましたが 気に食わず 削り

 カドミウム・レッド・ミドル 一色にしました。

 吸血鬼ども にふさわしい色です。


☆雨。

「敗戦 記念日」ですね。 

320万余といはれる 戦没者の御霊に            合掌


みんなイルミナティ、

◆https://ameblo.jp/64152966/entry-12301620549.html
wantonのブログ 2017-08-15
8月15日は 終戦記念日 ~
 戦争している国同士のトップが みんなイルミナティの仲間だった!



より抜粋、

☆日本は 明治維新から

 既に イルミナティ傀儡国家だった!




管理人

今日、8月15日は終戦記念日とされていますが、
多くの日本人が、戦争の真相についてほとんど教えられていません。

かねてより、我々は、その真相により近づくべきであると考えて来ました。

123便撃墜事件もそうですが、巷に出回っている記事のほとんどが
ウソで塗り固められた捏造されたものばかりです。

その真相を出来るだけ若い人に伝えるべき時だと・・
以前より、ずっと思い続けてきました。

でなければ、
全く同じ道を歩んでしまうのは 火を見るよりも明らかです。


先ず最初に、明治維新とは、

海外イルミナティと 在日本朝鮮が呼応した

日本乗っ取りクーデター
 であったという事実


これについては、もう既に、多くの人が知っていると思います。

日本と天皇家が乗っ取られた との記述を多く目にします。

日本人が知らない本当の歴史 ~ 良い子の為の歴史講座
☆http://ameblo.jp/64152966/entry-11248829285.html

日本と天皇家が乗っ取られた事実に気づいた西郷隆盛は、
韓国や中国に決起と連帯を呼びかけて、海外イルミナティに対抗しようと
動き出したが、イルミナティの日本勢力によって滅ぼされたとあります。

歴史の教科書に出て来る『征韓論』なるものは、全くの作り話でしょうか?

明治維新政府の要人のほとんどが、在日本朝鮮~田布施の出身です。

今の安部や小泉は、その末裔
ってことなんでしょう。

明治維新より、日本はずっとイルミナティによって占領された国だったようです。

それは、太平洋戦争の時も、全く構図は同じです。

この事を真に理解しなければ、捏造プロパガンダをずっと信じ続け、

全くトンチンカンでお粗末な議論に終始することになるでしょう。


太平洋戦争前後から今日に到るまでの概要を知るには、
フリーメーソン・イルミナティと思しき人物が書いた記事が大変参考になります。

このかなり膨大な記事を全て検証しようとしたら、何年もかかってしまうので、
全てが事実とは限りませんし、正しいとも云えません。

しかし、史実に基づいたものが多々あり 大いに参考になることだけは確かです。



二・二六事件の真相~昭和11年のクーデター
☆https://ameblo.jp/64152966/entry-11467513564.html

昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、

これは木戸幸一の日記に出てきます。

木戸幸一にこういうことを言っています

もう世界大戦は始まる。

そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、

他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。

だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、

10年後には復活する
と。

これは見事に予言的中しているわけですよ。

その一年後に 第二次世界大戦が始まります。

真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。

10年後というのはちょうど講和条約の時です。

だから考えようによっては、昭和天皇だけが 日本のストーリイを

全部知っていたんじゃないか
、ということになりませんか?
 
僕はそう思います。

で、戦争が始まる一年前に 近衛が天皇に面会を申し込みます。

天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。

これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。

近衛はどういうことを言ったかと。

「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、
戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。

陸軍は石油を一年分しか持ってない。
この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて 木戸の許を去ります。

木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。

これは木戸日記に はっきり書いてあります。

ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。

石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、
石油はあったんですよある程度。

みなさんもご存知のように、
ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、
やっぱりあれは石油があったんですよ。

なぜ石油があったか考えてみたことありますか。
これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には 石油は売らない」。

ところがパナマ国籍の船ならば 油を積んでいって日本に売っても、
これは自分たちは攻撃できない
という理屈で、

日本に石油を間接的に売る わけです。 本当なんです。

三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。

『昭和通商』と三菱は同じです。

それではマズイというので
『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。

魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油を パナマ国籍から

もらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。


ー中略-

その裏に見え隠れするのは、

木戸よ、このようにして日本を導かなければ、

天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。

お前も協力してくれ


との天皇の哀訴である。


管理人

今の平成天皇からは、あまり悪い噂は聞こえてきませんが、しかし、

昭和天皇に関しては、悪い噂が いっぱい出て来ます。

必見 ↓

イルミナティとの合作の戦争ビジネスと人身売買ビジネス
☆http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-686.html

太平洋戦争当時、天皇、軍部、政治家の間で行われる重要な

御前会議の内容は、次の日には、

アメリカやイギリスには筒抜けであったと云われています。

驚くべきことに・・・

太平洋戦争当時から、昭和天皇はイギリスの陸軍元帥、陸軍大将

であったという事実。

これは、イギリスの官報にしっかりと記録されています。

イギリスは連合国側であり、大日本帝国の・・まさに敵国だった訳です。

おまけに、ガーター勲章まで授与されています。

人によっては、これは名誉職だと言う人もいますが、そうではなく・・・

これ等の称号は、イルミナティの人間でなければ、決して与えられない

最高の称号である というのが真相です。

イルミナティですよ・・・皆さん。

日本人を殺害したり、一番苦しめている連中です


つまり、世界の主要国のトップは、ほとんどが、みんなイルミナティな訳です。


世界の人口削減は、イルミナティの最大のアジェンダの一つです。

そのような視点から見ますと、全てに合点がいきます。

驚きを通り越して、何と表現すればいいのか・・・

大きな戦争をしている国のトップが、み---んな、イルミナティだった。

アメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、日本 ・・・




悪しき洗脳 からの 覚醒を! 

昭和天皇崇拝者が いまだ ブロガーにも おるわなぁ。



画像 二枚目、藤田嗣治画伯の傑作、



「アッツ島 玉砕」(1943)です。


昭和天皇は 「汝ら 臣民」などに 興味はない、

尋常なら 「原爆投下は やむを得なかった」 などとは 言わんよ、

◆https://www.dailyshincho.jp/article/2015/07070700/?all=1
デイリー新潮 2015年8月
水木しげる 「人を 土くれにする時代だ
 出征直前の手記で語った 戦争への思い



漫画家の水木しげるさん(93歳)が太平洋戦争へ出征する直前に記していた

手記がみつかり話題となっている。

手記には、押し寄せる死の恐怖に自己の未来を憂いながらも、

自分はこうありたいと願う20歳の若者の葛藤が みずみずしい筆致で描かれていた。

手記は2015年5月末、水木さんの長女・原口尚子さん(52歳)が

古い書簡の整理をしていたときに発見した。

原稿用紙38枚に書き連ねられた内容から、水木さんがラバウルへ出征する

昭和18年の前年、昭和17年10月から11月にかけて執筆されたと推測される。

当時水木さんは満20歳で徴兵検査を受け、合格通知が届いており、

近いうちに召集され入隊することを予想していた。

翌春には鳥取連隊に入営し、やがて南方戦線へと送られることになる。


「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪や怪奇もので有名な水木さんだが、

当時の戦争体験を基にした戦記ドキュメンタリーも長年描き続けていた。

NHKの朝ドラにもなった妻・布枝さんの著書『ゲゲゲの女房』

などで描かれるひょうひょうとした人柄の水木さんが 戦争のさなか、

どのような苦悩を抱えていたのかが 赤裸々に語られた手記となっている。

今回その手記が7月7日発売の文芸雑誌「新潮」8月号(新潮社刊)に

全文掲載されることとなった。


人を 一塊の土くれ にする時代


手記の冒頭はこう始まる。

《静かな夜、書取のペンの音が響く。その背後には静かな夜のやうに

死が横はつてゐる。この心細さよ。》

20歳の水木青年は、太平洋戦争の只中でその時代をこう記す。

《将来は語れない時代だ。 毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。

芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ。

画家だらうと哲学者だらうと文学者だらうと労働者だらうと、

土色一色にぬられて 死場へ送られる時代だ。》

《人を一塊の土くれにする時代だ。》

《こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。

だから、一切を捨てて 時代になつてしまふ事だ。》

出征すれば死ぬ、と考えていた水木さん。

水木さんが1959年に発表した戦記ドキュメンタリーの短編「ダンピール海峡」

には南方への出征を迎えた弟を見送る姉が登場する。

とても無事では帰れないと気付いていた弟と、

今度会うときは白木の箱に入って帰るのだろうと

弟の乗った船を見送り涙する姉。

皆わかっていたのだ、出征すれば生きて帰れないということを。

現実に水木さんの所属した部隊は多くの仲間が戦死し、

水木さん自身左腕を失った。


煩悶を繰り返す

残酷な現実を前に 水木青年は煩悶を繰り返す。

《一切の自分ていふものを 捨てるのだ。》

しかしその後に自分の言葉を否定する。

《吾は死に面するとも、理想を持ちつづけん。

吾は如何なる事態となるとも 吾であらん事を欲する。》

芸術を志しながらも救いを 仏教や基督教に求め、

また哲学が芸術を支える杖となるのかと悩む。

《吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、

而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、

哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。》

《俺は画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。

単に絵だけを書くのでは 不安でたまらん。》

かと思えば

《前に哲学者になるやうな絵描きになるやうな事を書いたが、

あれは自分で自分をあざむくつもりに違ひない。

哲学者は世界を虚空だと言ふ。画家は、深遠で手ごたへがあると言ふ。

(中略)之ぢや 自分が二つにさけねば 解決はつくまい。》

当時の水木さんは哲学書や宗教書を読みあさっていたようだ。

漱石やゲーテ、ニーチェの言葉を引用しながら、

自身の揺れる心境を綴っている。

絵に対する情熱や才能を確信しながらも、荒波のような時代のなかで

何を信じてゆけばよいのか苦悩する姿が、現実味をもって感じられる。

手記を読んだ誰もが 自分の青年時代を思い起こさずにはいられないだろう。


己の道を造るのだ


《時は権力の時代だ。(中略)こんな時代に

自己なんて言ふ小さいものは問題にならぬ。

希望だ理想だ、そんなものは旧時代のものだ。(中略)

時代に順ずるものが幸福だ。 現実をみよ。

個人の理想何んて言ふものは、いれられるものではない。

恐ろしい時代だ、四方八方に死が活躍する。

こんな時代には個人に死んでしまふ事だ。》

後に水木さんの所属した部隊はニューブリテン島 聖ジョージ岬で

圧倒的な米軍の戦力を前にし、玉砕を命じられる。

その悲劇を描いた総員玉砕せよ!』で

戦争のなかで個人が虫けらのように扱われ、

日本軍の美学や信条を支えるための無謀な突撃により、

犬死にを果たす 一般兵の姿が描かれる


そんな状況のなかでも水木さんを勇気づけ、生へと導いたのは

絵画への情熱だったのかもしれない。

《私の心の底には 絵が救つてくれるかもしれない と言ふ心が常にある。

私には本当の絶望と言ふものはない。》

《唯 心細さと不安の中に呼吸をする。

なにくそなにくそどんなに心細ても、どんなに不安でも

己の道を進むぞ。 四囲の囲ひを破るのだ。馬鹿、馬鹿たれ、馬鹿野郎。

(中略)黙れ、黙れ、吾が道を進むのぢや。己の道を造るのだ。》

《生は苦だと言ふ事。明白に知る事が必要だ。生ある限りは戦である。

休息は死だ。本当に死程幸なものはないだらう。(中略)

生とは活動である。死とは休止である。生ある限り戦ふ事だ。》

この力強い言葉の数々。

生きて戦う努力を放棄せず、生ある限り 己の信じた道を進むのだという、

水木青年の決意が伝わってくる。

今回手記を掲載した「新潮」の矢野優編集長は
手記の意義や価値についてこう語る。

「一読して、震えるような感銘を覚えました。

後の国民的漫画家が、戦争の残酷さと迫り来る死にいかに苦悩し、

どのような思いで戦地に向かったのか。

この血のにじむような言葉は 一級の歴史的資料であるのみならず、

戦争をめぐる『表現』として、高い文学的価値があると確信します。

現代のすべての日本人、とりわけ若い方々に読んでいただきたいと願います。」

戦時下の日本で一人の若き芸術家が何を感じていたのか、

その生々しい言葉は戦後70年を迎える日本においてもまったく色を失わず、

切実な魂の叫びとして私たちの心を揺さぶる。

                          デイリー新潮編集部




藤田嗣治、二枚目、



「血戦 ガダルカナル」 (1944) です。



「在日米軍が 撃墜した」と理解しておったが、

ここのところ新説が出て なんと 自衛隊が主犯とは、

◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-445.html
東海アマブログ  2018-08-14
日航123便、墜落原因の 続報 
 森永卓郎・青山透子・ベンゼン環



大竹交遊録、森永卓郎のラジオ番組で、
1985年、御巣鷹山に墜落して五百数十名の命を奪った、
日航123便事故について、

驚異的な新証拠が発見された との続報 が話された。

https://www.youtube.com/watch?v=fwhvLdZrMHk

先の、日航123便の森永報告は

https://www.youtube.com/watch?v=H7MVF14ir8Q&t=10s

これについての私のブログは

☆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-339.html


日航123便墜落時、日航スチュワーデスだった青山透子氏は、
その後、東大大学院に進み、博士号を取得、

ノンフィクション作家として、日航123便事故追求に生涯を捧げてきた。

日航123便墜落の新事実  目撃証言から真相に迫る

青山透子 (著)  河出書房新社


彼女は、1985年に墜落し、すでに33年を経て風化した

現地の再調査を繰り返す中で、驚異的な新証拠を発見した。

墜落現場の遺物をたくさん持ち帰り、精密検査をしたところ、

多量の ベンゼン環 が発見されたのである。

ベンゼン環は、123便ジェット燃料には決して含まれないもので、

これは青山氏が、最初の現地調査で、捜索隊が現地に到着したとき、

「ガソリンとタールが混合したような 激しい臭気に満ちていた」との証言と、

遺体の炭化度の凄まじさから、

これは墜落時に漏洩したジェット燃料火災によるものでなく、

人為的に火炎放射器」によって、遺体と現場が焼かれていた ことの

非常に明瞭な証拠である。


また、墜落時に、米軍は墜落機を追尾して、現地を確認し、

即座に救助隊を送り込んだのだが、日本政府が、これを阻止し、

米軍による救助を拒否し、さらに自衛隊の先遣隊が、

その日のうちに現地に到着していた証拠 があった。

これらの事実について、公的資料から明らかにされているにもかかわらず、

政府もマスコミも、まるで統制されているように、

一様に口をつぐんでいるのは、フクイチ事故の被曝障害の実態を

絶対に報道しないことと同じである。


この先遣自衛隊が、火炎放射器を使って、

まだ生きていた遺体ごと現場を焼却し、

証拠隠滅を図ったとみて間違いない物証が出てきたわけである


そして、後発自衛隊員が、現地に近づくと、

これを銃撃したことがNHKの実況中継から示された。

後発隊の数名は、先遣隊が生存者を殺害している現場を目撃したことで、

自殺に見せかけて殺害された。


いったいなぜ、現場を完全に焼却して 証拠隠滅する必要があったのか?

中曽根康弘は、123便事故について、「墓場まで 秘密を持って行く」と語った。

☆http://rapt-neo.com/?p=28575

☆https://anincline.com/nakasone-yasuhiro/

中曽根康弘が墓場に持って行く秘密とは、いったい何なのか?


青山透子の現地調査と証言採集から、123便を、追うように

オレンジ色の物体が追尾していた という証言が得られている



:青山が採集した証言では、オレンジ色の物体が、尾翼に
  張り付くようにしていたと、たくさんの証言があり、
  相模湾上空で尾翼を破壊した 模擬ミサイルが、
  そのまま水平尾翼に乗っかるようにして、
  御巣鷹山まで飛んだと考えられる。
  これを目撃した、機体後部の乗客を 皆殺しにしたのである。
  火炎放射器を使った理由は、おそらく乗客のカメラを完全に焼いて
  フィルム証拠を隠滅するためだっただろう。

https://blog-imgs-122-origin.fc2.com/t/o/k/tokaiama/123-3.jpg

これは、証言から、自衛隊が訓練用に使用している模擬ミサイルの破片

であると考えてほぼ間違いない。

日航123便を、異常飛行を起こす前に、二機の自衛隊戦闘機が、追尾していた

と報告が多数あり、この機が装備していた模擬ミサイルの破片が

墜落現場から発見されているのである。

この模擬ミサイルが、123便の尾翼、圧力隔壁を破壊したのは、

ほぼ確実といえよう。

そうすれば、落合客室乗務員の証言と 完全に一致した経過が明らかになる。

☆http://www.link-21.com/JAL123/011.html

自衛隊は、おそらく訓練として 自衛隊機が模擬ミサイルを123便に発射し、

それが尾翼を破壊して五百数十名の死者を出した事実を、

墜落生存者を虐殺してまで 隠蔽したかった
のである。


墜落時に多数の生存者がいたことも、たくさんの証言から明らかになっている。

そして、たまたま、機体が分裂して 前部が遠いスゲノ沢中に落ちて、

後部の現場から見えなかったことで、

落合さんや川上さんたちが 殺害されずに救助されたのである。

先遣自衛隊に発見された 機体後部の生存者は、

その場で 火炎放射器によって激しく焼かれて殺害された



https://blog-imgs-122-origin.fc2.com/t/o/k/
 tokaiama/201808141541429d6.jpg


自衛隊は、なぜ、ここまで人道上の致命的な極悪判断をしてまで、

証拠を隠滅したかたのか?

おそらく、当時、防衛予算枠の1%枠問題 があり、

自衛隊に問題があることを知られたくなかった という強い意志が

中曽根政権に働いた可能性があるが、詳細は分からない。

中曽根は、「強い日本」の標語を掲げ、防衛費の大幅増大により、

三木内閣が設定した1%枠を廃棄 しようとしていたのであり、

123便を自衛隊が墜落させたということになれば、

おそらく巨大な問題になると同時に、

中曽根政権の存続さえ 危うくなると考えたのであろう。

☆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%B2%BB1%25%E6%9E%A0


中曽根が墓場に入るのは時間の問題だが、日航123便事故について、

「墓場に 持って行く」と語った秘密は、

身の毛もよだつほどの恐ろしい内容である ことは間違いないだろう。

これほどの巨大な事件と 残酷な証拠隠滅行為を、

例え防衛庁長官(加藤紘一)であっても 命令することなどできない。

乗客を カメラごと火炎放射器で焼くよう命令できるのは、

中曽根康弘総理大臣、ただ一人
である



森永卓郎は、翌年、中曽根政権が プラザ合意によって、

日本側が致命的に不利になり、その後の、数十年にわたる

日本経済低迷の原因となった 奇っ怪な経済協定について、

なぜ、日本側が極端に不利な合意を飲まされたか について、

おそらく、この事故の隠蔽をネタに

アメリカに脅されたのだろう
 と示唆している。


これは十分にありうる話で、墜落時、米軍は

完全にレーダー追尾していて、戦闘機も飛ばして 墜落現場を確認して、

救助ヘリまで 送り込んでいながら、日本政府の要請によって撤退している。

おそらく、アメリカ側は、この事件の真相を知っており、

これを取引材料に使って 中曽根政権を脅し、後々、

日本経済を崩壊させるほどの 不公平協定を結ばせた
 と考えるのには、

十分すぎるほどの根拠がある。





整合性は取れておる、説明 ですが、

本家の ☆https://blog.goo.ne.jp/adoi  (新) 日本の黒い霧

の見解は どうですかねぇ?


深い深い「闇」 がある事件です。