画は 歌川 國貞 (三代豊國)
天明6年(1786年) ~ 元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「御好 夜の梅」です。
☆雨、雪崩注意報発令中。
住民と直結しない復興、
◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/souzoutekihultukourosennozankoku.html
長周新聞 2016年3月14日付
“創造的復興”路線の残酷
本紙東北現地取材
26兆かけ復興できぬ被災地
被災地では津波被害にあった浸水地域が災害危険区域に指定され、
その地域のほとんどが居住施設の建設を制限する建築規制がしかれている。
人人がもともと住んでいた街に帰ってもとの生活をとり戻そうと望んでも許されず、
仮設住宅や親族を頼ってほかの地域への転居を余儀なくされてきた。
最近になって仮設から災害公営住宅や高台防災集団移転団地へ移り住むことが出来る
ようになっているものの、依然として被災者の生活再建に向けた問題の解決が遅れている。
被災者がばらばらになり、地域コミュニティを喪失している間に、
一方では国、県、市による大規模事業を散りばめた“創造的復興”がやられてきた。
震災から五年を経てその復興がどのようなものであったのかを取材した。
☆ゼネコンの山盛り大会の様相
宮城県石巻市のなかでとくに復興の遅れが顕著にあらわれている雄勝地区は、
とり残された街として一つのシンボルになっていた。
雄勝町は2005年に石巻市と合併していた。
震災前から、同じ石巻市でありながら政策や公共サービスが行き届かなかったり、
後回しにされてきた。
震災前には雄勝町には約1600世帯、人口4300人が暮らしていたが、
震災後の5年間で人口は減少し、現在では約500世帯、人口1300人となっている。
雄勝地区では震災・津波により20地区のうち半島先端部を除く15地区が
壊滅的な被害を受けた。
とくに被害が大きかったのが町の中心部で、618世帯のうち96%が全壊し、
総合支所、病院、金融機関、学校などの生活関連施設を全て失った。
かつて街の中心部だった地域は現在、みな災害危険区域に指定され、
建築規制がかかったままだ。
住民が住んでいた場所は更地のままの状態か、高台への防災集団移転計画のための
宅地造成工事が進められているが、五年が経っていまだに盛り土の状態で、
その土盛り作業すらも終わっていない。
道路を車で走ると、津波によって破壊された岸壁が
当時のままの状態でいたるところに残っていた。
街には総合支所跡地に仮設商店街「おがつ店(たな)こ屋街」のほかに、
飲食店や食料品店などが10軒ほどある。
その周辺にはタクシー会社、硯工房、カフェ、八百屋、鉄工所、海産物屋が点在する。
この商店街にはもともと中心部に住んで商店を営んできた人人が、
「雄勝に残ってまた復興させて生活をとり戻したい」と集まって営業を再開させている。
しかし、今は元住んでいた場所に家を建てて生活することはできないため、
みな仮設や避難先から通っている。 夜になると誰も人がいなくなるのが雄勝だ。
被災地では雄勝に限らず、建築規制がかかった地域はどこでも、かつてその地に住み、
“生業”を形成してきた人人が遠く離れたよその仮設に追いやられ、
仮に商店や漁業を再開したとしてもただの「職場」でしかなくなっている。
店こ屋街まで毎日1時間半かけて通っている男性は
「もう震災から五年経つが、数年ぶりに雄勝へ来たボランティアの人たちが
“数年前に来たときから全然変わっていない。
とっくに人が住めるようになっていると思っていた”と驚いていた。
街がただきれいになっただけで生活は震災直後とほとんど変わりは無い。
津波に街は流されたが、多くの住民がこの地でまたやり直そうと思っていた」と語った。
最低限必要なコミュニティが整わず、買い物も石巻市街地まで一時間以上かけて
行かなければならない。
仮設暮らしの高齢者は一緒に車に乗せてもらうしかない。
住民が離散した状態のまま五年が過ぎ、今後自分の生活をどこでどのように営んでいくのか、
先が見えず計画も立てられない状況に立たされている住民も少なくない。
☆造成の為住民追出し 帰還の見込みは28世帯
雄勝中心部では現在、130億円をかけて高さ9・7㍍、延長3・5㌔の
防潮堤を建設する計画が進んでいる。
また、中心地の雄勝上地区にある大原川では現在、もともとあった川の堤防を
震災前の4㍍から9・7㍍へと高くする工事がおこなわれている。
この計画はもともと流れていた川の河口部分を潰して
隣に新たな人工の川と堤防を造り、元の川と合流させる大がかりなものだ。
防潮堤と河川工事はどちらも県の事業で、100年に1度の割合で発生が予想される
「レベル1(L1)」の津波に対応する考えに基づくものだが、
この地域には建築規制で人は住めない。
住民の住む場所の整備、生活の復興を後回しにして、
人が住めない土地の整備に大金をつぎ込む事業となっている。
加えて「雄勝中心地区拠点エリア整備事業」なる高台造成事業をおこなっている。
沿岸部を通っている道路を8・9㍍の高台へ移し、そこからさらに高い15㍍の高さの場所に
居住施設建設が制限された商業店舗やグラウンド、体育館などを建設するための土地を整備。
さらに20㍍の地点に
高台住宅団地や雄勝総合支所・公民館、消防署などを建設するというものだ。
この事業のために、今の仮設商店街や周辺の商店、鉄工所などは立ち退きが決まっている。
仮設商店街で働く男性は、「この仮設商店街は震災直後、津波に呑まれた街に住民たちが戻り、
全国から来てくれたたくさんのボランティアの人たちとともに
ヘドロのなかから資材をかき集めた。
津波の被害で窓ガラスもない吹きさらしの総合庁舎の一室で、
暗くなっても携帯電話の灯りでお互いの顔を照らしながら
何度も雄勝の街の将来のために話し合いを重ねるなかでやっとの思いで再建してきた。
この高台造成事業は仮設商店街のあとから出来た計画だが、
市はわざわざこの仮設商店街に範囲が被るような計画を出した。
みな本設に戻るために仮設で頑張っていたのに、立ち退きによって
仮設の仮設へ追い出されることになる。 行政の神経を疑ってしまう」と憤りを語った。
住民の1人は「事業が遅れれば遅れるほど雄勝へ帰ることをあきらめざるを得ない。
完成は29年6月と聞いているが、今の様子だともっと遅れる。
そうすればさらに帰還を望む人は減る。
高台計画にみな振り回されるだけで自分の生活すらまともに計画できないのが現状。
完成しても2、3年後にはゴーストタウンになるのではないかと話になっている」と話した。
高台事業の計画が出た当初は、まだ高台の防災団地への帰還を希望する世帯は
50軒ほどあったが、平成26年3月末時点で28世帯、65人まで減っている。
中心部をみても震災前は618世帯、1668人が暮らしていたが、
将来世帯数は77世帯、173人にまで減る見込みだ。
塩漬けにして帰還を長引かせれば長引かせるほど、帰還する人間は減っているのである。
膨大な金を投じて人が住まない土地を創出するという本末転倒がやられている。
かつての中心部であった地域を最大20㍍かさ上げし、
何年間も住民を外へ追い出して大規模な事業を進めても、
そこに住む見込みのある住民は現時点でわずか28世帯、65人のみ。
計画には商業店舗エリアもあるが、住む住民が少なければ商店も商売にならない。
この「拠点エリア整備事業」が、これまで現地に住んできた人人の生活形態や意識、
自然のなかで形成されてきたその地域の特性とはことごとく食い違ったものであり、
住民たちにとっては受け入れがたいものとなっている。
雄勝に限らず三陸沿岸の人人は歴史的に津波の被害を身をもって経験してきた。
10~20㍍の防潮堤やかさ上げを施したところで、
自然の猛威には太刀打ちできないことを肌身に感じてきた。
津波からは「てんでんこ」の教えの通り、逃げるしかないのだ。
今回の津波も最大で40~50㍍地点まで駆け上がったという記録がざらで、
とくにリアス式海岸に押し寄せてくる津波の場合、逃げ場がないために威力を増し、
人工構造物を駆け上ってくることは容易に想像がつく。
「いざとなったら自然の力に人間の力では太刀打ちできないことはわかりきっている。
逃げるしかない。だからこの辺りの人たちは車を停めるときは必ず山手に向けたり、
駐車場の出口に向けて停めている。防潮堤を作るよりも、
すぐに高台へ避難する大きな避難道路を作ってくれた方がよっぽど金もかからないし、
この辺りの土地の構造からしてもマッチしていると思う」とある漁師は語っていた。
「防潮堤よりも避難できる施設や道路を」という意見が被災地域では圧倒的に多い。
雄勝の中心部の地盤は固い岩盤でできており、震災のときにマンホールが浮いた所はなかった。
その土地の上に20㍍も土を盛り、わざわざ軟弱な土地を造って
その上に新たな“街”を形成するというのがこの事業だ。
ある男性は、「本来なら土を盛れば5年ほど寝かすのが常識だが、
29年の完成まであと1年ほどの段階で土盛りも終わっていない。
そんな突貫工事で造られた土地に家や総合支所、消防署や警察署を建てるという。
街の“形”だけできればそれで良いのか。 地震が来たらどうなるのか、
素人の目で見てもどうなるかは目に見えている。
この計画を考えた人には“自分が家を建てるときにこんな土地に建てようと思うのか”
といいたい。これでは誰のための施設建設なのか分からない。
外見だけのパフォーマンスのための復興ならいらない」と語った。
住民が望まぬハコモノ事業が持ち込まれ、それにより一向に生活環境が整わない状況が
五年も続き、さらに今後も先が見通せない。
そのことが住民たちを郷土雄勝から遠ざける要因になっている。
大規模なかさ上げや防潮堤建設が終了するまで帰還はお預けにされ、
その間に被災者は絶望して帰還をあきらめる。
完成した頃には本来戻るべき被災者は人口流出して出て行き、年寄りだけになった…
という事態が十分に予想されるものだ。
あるいは、広大な空き地を企業が接収していくという顛末にもなりかねない。
「浸水地域」というだけで建築規制がかかり、このままでは五年たって戻れないだけでなく、
10年たっても戻れる確証などない。
住民を戻す、生業を復活させるための復興ではなく、
ゼネコンが丸儲けしていく設計思想が貫かれているからにほかならない。
住民の暮らしを二の次にして、何をやっているのか?
誰のために復興しているのか問わないわけにはいかないものだ。
☆被災地全体に共通 住民帰れぬ更地の創出
この問題は雄勝だけにとどまらず、被災地全体で問題となっている。
岩手県の陸前高田市では、津波被害にあった街全体の広大な土地が土の山で覆われ、
高台造成工事が進んでいる。
高台にある市役所付近にたどり着くまでは、周囲の景色は土ばかりである。
まるでゼネコンの山盛り大会かと思うような唖然とさせる光景が広がっている。
高台では防災集団移転のための住宅建設が進む段階で、
仮設住宅の住民はいつまでも釘付けにされている。
終の棲家を求めて出ることすらできない状況だ。
住民たちはかつて住んでいた郷土に延延と土の山が広がり、
なかなか終わらない土盛り作業を高台の仮設住宅から見ることしかできない。
いつ終わるともしれない壮大な山盛り大会の傍らで、
高齢者の要介護度の上昇が問題視されはじめ、
仮設住宅から出ることをあきらめる人も出はじめている。
宮城県の南三陸町でも陸前高田と同じように広大な土地の造成工事がおこなわれている。
土の山山の間を縫うように道路が走っており、道路からは海など見えない。
気仙沼市も市場周辺の水産加工団地の区画整備や道路の舗装工事などは
石巻の市場周辺と比べればかなりの遅れがあり、
加工団地の周りの道路は行き止まりや砂利道も多く、護岸工事もまだ完了していない。
巨大防潮堤を作るか否かで紛糾して迷走し、その後の遅れにつながっている。
「巨大防潮堤を作り、かさ上げしてから街作り」というコースを歩んだ街ほど
生活再建は遅れを見せ、ひどい置き去り状態にあるのが特徴だ。
雄勝地区の隣接にある女川町、石巻と気仙沼など、「かさ上げ」「巨大防潮堤」
を選択したか否かによって 復興の進捗には差がつき、
隣接地区や同じ水産都市によっても差異が生じている。
被災地全体の復興状況やそれにともなってあらわれている現象や問題点は地域によって異なる。
しかし、どこでも住民たちの地域コミュニティの形成、
生活再建よりも先に 国が主導する創造的復興路線が主人公を気取り、
膨大な復興予算を投じながら人人の生活は後回しにされている。
26兆円もの復興予算をつぎ込んで被災地でおこなわれてきたことは、
津波被害にあった地域から住民を追い出し、
建築規制をかけて住民からぶんどった土地で
住民たちの望まない大規模工事による更地創出であった。
福島の人人は放射能で帰ることができずにいるが、宮城でも岩手でも結局住民は故郷に帰れず、
“復興”は成し遂げられていない。
国民の生命や安全を二の次にした政治、統治の残酷な姿を被災地があらわしている。
國貞、二枚目、
「君たち集り粧ひの圖」です。
何様、基地外、ありうると思うことです、
◆http://news.infoseek.co.jp/article/shupure_62567/
週プレNEWS / 2016年3月18日
◎4月末に衆院選? 永田町で囁かれる怪情報 …
憲法改正のためなら、安倍首相はなんでも仕掛けてくる!?
永田町に怪情報が駆け巡っている。
なんと、4月末にも衆院選があるかもしれないというのだ。
このところ衆院選が7月の参院選と同日になるとの噂はしばしば耳にするが、
さらに先行して4月総選挙という話は初耳。
本当なのか? ある野党議員秘書が言う。
「きっかけは辺野古(へのこ)訴訟で、安倍政権が突然、
沖縄県との和解を受け入れたことです。
これは明らかに選挙対策。
和解案を受け入れることで、
沖縄の民意に寄り添うかのような印象を国民に与え、
政権支持率を上げようという狙いなのでしょう。
安倍政権がここまで焦るのは総選挙が近い証拠。
それだけに、安倍首相は衆参同日選どころか、この4月にも
国会解散を仕掛けてくるのではと、多くの議員が疑心暗鬼になっているのです」
ジャーナリストの川村晃司(こうじ)氏もうなずく。
「あるとすれば投票日は4月24日でしょう。
この日は衆院北海道5区、京都3区の補選がある。
そこで、今年度予算と定数減法案を成立させて3月末に衆院を解散し、
補選と同じタイミングで総選挙が実施されるのでは
という見方がにわかに強まっているのです」
参院選を追い抜いて総選挙に突入するーー。
つまり、参院選「追い抜き解散」ってことか?
こうした臆測が飛び交う背景にあるのは、野党協力の動きだ。
今年に入り、共産を含めた野党5党による候補一本化、
民主、維新の合流・新党づくりなど、参院選を意識した野党協力が進んでいる。
前出の議員秘書が続ける。
「安倍首相の目標は衆参各院で3分の2の議席を得て、憲法改正を発議すること。
しかし、野党協力によって3分の2の議席確保が厳しくなっている。
だったら、野党の選挙準備が整わないうちに早期解散を仕掛けて衆院で圧勝し、
その勢いで7月の参院選も乗り切ってしまおうというのが
『追い抜き解散』のシナリオです。
確かに4月に衆院選をやられたら野党協力は宙に浮く。
73しかない参院選挙区に比べ、衆院小選挙区は295もある。
とても野党候補の一本化なんてできっこない。
民主と維新の新党も、新党名の入ったポスターを公示日までに刷ることは無理でしょう。
これでは野党は勝てません」
本当に3月末解散、4月24日総選挙のシナリオはあり得るのか?
この問いに、前出の川村氏がこう答える。
「解散の大義名分がないので実際には難しいでしょう。
それよりも7月の参院選に続き、今年暮れに衆院選という『衆参時差選挙』を行なう
のが常識的な判断でしょう。
これなら解散にあたり、来年4月の消費増税を再凍結するかどうか、
民意を問うという大義名分が立ちます」
ただ、そんな常識が通用しないのが安倍首相。
前出の議員秘書が警戒を強める。
「首相は国会答弁などで『解散は全く考えていない』と明言していますが、
誰も信じていません。息を吐くようにウソをつくのが安倍首相。
憲法改正のためなら、なんでもやってくるはず。
4月総選挙なんてあるわけないと高をくくっていると、煮え湯を飲まされかねません」
本当に安倍首相は「追い抜き解散」を仕掛けてくるのか?
国会から目が離せない。
◆http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/177371
日刊ゲンダイ 2016年3月17日
◎首相への刺客 民進党新代表に山尾志桜里議員 の仰天プラン
党名だけは「民進党」と決まった野党新党。
しかし、世論調査では、新党に「期待する」は31%、「期待しない」は57%と、
国民の期待はまったく広がっていない。
このままでは7月の参院選は苦戦必至。
そこで民主党内では、参院選の前に、選挙の顔になる、あっと驚く
“新代表”を擁立するウルトラCが浮上している。
■岡田代表では夏の参院選は苦しい
新党名から「民主」の文字が消えたうえ、国民の支持も広がらないことで、
民主党の若手中堅議員は、岡田執行部に対して不満タラタラだ。
「党名も綱領もロゴも変えるのなら、代表も代えるべきだ」
「執行部は即刻辞任だ」 「岡田代表では選挙に勝てない」と、
岡田退陣を求める声が噴出している。
実際、岡田代表では、夏の参院選は苦しい。
衆参ダブル選挙になったら、「民進党」は結党から3カ月で瓦解する恐れがある。
自民党の伊達忠一参院幹事長にまで「党名より代表が代わることを心配していた」
とバカにされる始末だ。
民主党議員がこう言う。
「自民党に選挙で勝利するためには、岡田さんに代表を辞めてもらうしかない。
本人は、参院選に負けたら責任を取る、と宣言していますが、負けてからでは遅い。
一番いいのは、3月27日の結党大会の時、岡田代表に『私の責任は新党結成までだ』
『代表を辞任したい』『皆さんで新しいリーダーを選んで欲しい』と語ってもらうことです。
新しい顔を選ぶとなったら、新党に対する国民の期待も膨らむはずです」
いま、民主党議員が密かに期待しているのは、なんと、まだ当選2回の女性衆院議員、
山尾志桜里(41)の代表就任だという。
安住淳国対委員長代理あたりが、擁立に動いているという。
たしかに、山尾議員が新代表に就けば、「民進党」にブームが起きる可能性がある。
なにしろ、衆院予算委員会に4回立ち、毎回、安倍首相をタジタジにさせている。
「保育園問題」に火をつけたのも、山尾議員だ。
普段、野党議員に厳しい飯島勲内閣参与まで、
「民主“救いの女神”山尾志桜里」と、最新号の「週刊文春」でベタ褒めしている。
「いま、安倍首相が一番嫌がっているのが、山尾さんです。
まだ41歳、当選2回なのに、山尾さんは首相と対峙しても、まったく臆することがない。
鋭い舌鋒で、安倍首相をたじろがせています。
しかも、キャンキャン吠えるわけじゃない。
一つ一つ事実を押さえながら、論理的に安倍首相のいい加減さを追及しています。
さすがは、東大法卒の検事出身です。
ミュージカル『アニー』の初代主役だけに華もあります」(政界関係者)
どうせ新党を結成するなら、「民進党」は、安倍首相が一番嫌がる議員を
トップに就けた方がいいのではないか。
國貞、三枚目、
「今様名家 自筆鑑」 「頓兵衛娘おふね 沢村田之助」です。
英語公用語化の未来ですよw
◆http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=313263
るいネット 16/03/1
◎韓国で漢字を廃止したら何が起こったか。
言葉の意味が分からない事や 抽象度の高い漢字語の概念語を知らないため、
外国語の専門書などもほとんど理解できない状態に。
ハングル専用の弊害:「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が起こっている
「漢字廃止で韓国に何が起きたか、呉善花(2008年10月3日発行)PHP」より抜粋
・日本も韓国も伝統的に漢字を用いて各種の文章記述、表現を行ってきた
古くからの漢字文化圏に属する国である
・ハングルとは純粋な表音文字。李氏朝鮮時代に作られた。
もともと「訓民正音(民に訓える正しい音)」と呼ばれていた。
つまり漢字を読み書きできない者(一般民衆)のために、
朝鮮語の音を正確に書き記しことのできる文字として作られたもの。
・しかし、漢字を重んじる高級官僚や知識人たちは、
これを真字(=漢字)ではなく諺文(オンムン、俗字の意味)として排斥。
そういう背景で、民衆がハングルを教えられる機会も得られず、
以後、四百数十年もの間、一般民衆にはほとんど使われることなく過ぎた。
・「漢字ハングル交じり文」が本格的に用いられたのは、
日本の手で学校制度が敷かれてから、一般の人びとまで広く普及した。
・韓国の漢字廃止は1948年に大韓民国が成立し、
公用文は「原則的にすべてハングルで書くべし」との法律が制定されたことに始まる。
しかし政府の推奨にも関わらず、公用文、新聞、専門書などからは
依然として漢字がなくなることはなかった。
漢字廃止には専門家たちの反発が大きかった。
・韓国の学校教育で「漢字廃止・ハングル専用政策」がとられるようになったのは、
1968年春から。(当時の韓国では小学校4年から漢字を教えていた)
・漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、
新聞・雑誌・書籍からレストランのメニューに至るまで、
漢字はほとんどその姿を消してしまっている。
・韓国語は漢字を廃止したために、日常的にはあまり使われない、
しかし概念や理念を表す言葉、各種の専門用語など、
伝統的に漢語で表されてきた重要な言葉の多くが、
一般にはしだいに使われなくなっていった。
各種の評論・研究論文や新聞・雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、
語彙の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた。
・現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、
言葉の奥行きがきわめて浅い。
・現在、漢字教育を受けることなくハングルだけで育った者たちが
韓国人口の大半を占めるに至っている
漢字廃止の問題点
・同音異義語の区別ができないこと。
膨大な同音異義語から起きる混乱が起きている。
・「概念を用いて抽象度の高い思考を展開すること」ができなくなっている。
韓国の文化を維持発展させるどころか、質を落とすような状況に。
・1970年以前に発行された人文・社会科学の大部分の専門書は、
漢字ハングル混じり文で書かれているが、ハングルしか教えられていない学生は、
これを読むことや理解することができない。
漢字時代の文献を読むことができない韓国の学生。
・さらに抽象度の高い漢字語の概念語を知らないため、
外国語の専門書などもほとんど理解できない状態に。
・高度な精神性と抽象的な事物に関する語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学、
文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人びとにはもちろんのこと、
かなりのインテリにも正確に理解されないまま、しだいに遠く無縁なものになっていく。
今の韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。
ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。
日本語か西洋語でやるしかない。
・韓国のご老人の中にも「韓国語では難しいことは考えられない。
考えようとすればどうしても日本語になる」という人が何人もいる。
・同音異義語だけでなく、漢字を失った韓国語では、
いったいなんのことやら理解できない言葉がやたらに多くなってしまう。
ハングル専用は、社会的な意思の伝達に
大きな弊害をもたらすことになってしまっている。
・概念を駆使しての思考が苦手な戦後世代の韓国人。
・韓国語の語彙の約70%が漢字語。
・韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに、
漢字の知識によって、それらの言葉を駆使することができなくなった。
そのため韓国人は、抽象度の高い思考を苦手とするようになってしまった。
★ハングル専用世代が分からない言葉の例
「しこうのそんざい(至高の存在)」、「けんじんにまなぶ(賢人に学ぶ)」、
「すいぼうたいさく(水防対策)」
・ハングル専用世代が新聞や雑誌や本を読むと
「意味不明の言葉」がいっぱい出てくるようになる。
ハングル世代は仕方なく、そこを読み飛ばし、
実にいい加減な読み方しかできないのが実情。
・意味不明の言葉を読み飛ばすことが習慣になり、
自分の知らない漢字語がちょくちょく出てくる書物や雑誌を
読まなくなってしまうこと。これが韓国ハングル専用世代の実情。
・漢字廃止が国民の思考水準を低下させた。
歴史的な語彙の80%を失うことになってしまった。
★漢字廃止が戦後韓国の知的荒廃を推し進めた。
韓国人はハングル専用のおかげで「世界一読書率の低い国民」となってしまっている。
(国民1人当たり年間平均読書量0.9冊)。
「韓国国民全体が文盲のどん底に陥った」というのは、
けっしておおげさな言葉ではない。
↑
落ち目の三度笠=英語に注力するより、国語教育の充実ですよ。
以前より何度も書いてきました。
「発想の概念」が英語の範囲内で頭打ちになってしまう。
「新規な発想」の障害になります。
天明6年(1786年) ~ 元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「御好 夜の梅」です。
☆雨、雪崩注意報発令中。
住民と直結しない復興、
◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/souzoutekihultukourosennozankoku.html
長周新聞 2016年3月14日付
“創造的復興”路線の残酷
本紙東北現地取材
26兆かけ復興できぬ被災地
被災地では津波被害にあった浸水地域が災害危険区域に指定され、
その地域のほとんどが居住施設の建設を制限する建築規制がしかれている。
人人がもともと住んでいた街に帰ってもとの生活をとり戻そうと望んでも許されず、
仮設住宅や親族を頼ってほかの地域への転居を余儀なくされてきた。
最近になって仮設から災害公営住宅や高台防災集団移転団地へ移り住むことが出来る
ようになっているものの、依然として被災者の生活再建に向けた問題の解決が遅れている。
被災者がばらばらになり、地域コミュニティを喪失している間に、
一方では国、県、市による大規模事業を散りばめた“創造的復興”がやられてきた。
震災から五年を経てその復興がどのようなものであったのかを取材した。
☆ゼネコンの山盛り大会の様相
宮城県石巻市のなかでとくに復興の遅れが顕著にあらわれている雄勝地区は、
とり残された街として一つのシンボルになっていた。
雄勝町は2005年に石巻市と合併していた。
震災前から、同じ石巻市でありながら政策や公共サービスが行き届かなかったり、
後回しにされてきた。
震災前には雄勝町には約1600世帯、人口4300人が暮らしていたが、
震災後の5年間で人口は減少し、現在では約500世帯、人口1300人となっている。
雄勝地区では震災・津波により20地区のうち半島先端部を除く15地区が
壊滅的な被害を受けた。
とくに被害が大きかったのが町の中心部で、618世帯のうち96%が全壊し、
総合支所、病院、金融機関、学校などの生活関連施設を全て失った。
かつて街の中心部だった地域は現在、みな災害危険区域に指定され、
建築規制がかかったままだ。
住民が住んでいた場所は更地のままの状態か、高台への防災集団移転計画のための
宅地造成工事が進められているが、五年が経っていまだに盛り土の状態で、
その土盛り作業すらも終わっていない。
道路を車で走ると、津波によって破壊された岸壁が
当時のままの状態でいたるところに残っていた。
街には総合支所跡地に仮設商店街「おがつ店(たな)こ屋街」のほかに、
飲食店や食料品店などが10軒ほどある。
その周辺にはタクシー会社、硯工房、カフェ、八百屋、鉄工所、海産物屋が点在する。
この商店街にはもともと中心部に住んで商店を営んできた人人が、
「雄勝に残ってまた復興させて生活をとり戻したい」と集まって営業を再開させている。
しかし、今は元住んでいた場所に家を建てて生活することはできないため、
みな仮設や避難先から通っている。 夜になると誰も人がいなくなるのが雄勝だ。
被災地では雄勝に限らず、建築規制がかかった地域はどこでも、かつてその地に住み、
“生業”を形成してきた人人が遠く離れたよその仮設に追いやられ、
仮に商店や漁業を再開したとしてもただの「職場」でしかなくなっている。
店こ屋街まで毎日1時間半かけて通っている男性は
「もう震災から五年経つが、数年ぶりに雄勝へ来たボランティアの人たちが
“数年前に来たときから全然変わっていない。
とっくに人が住めるようになっていると思っていた”と驚いていた。
街がただきれいになっただけで生活は震災直後とほとんど変わりは無い。
津波に街は流されたが、多くの住民がこの地でまたやり直そうと思っていた」と語った。
最低限必要なコミュニティが整わず、買い物も石巻市街地まで一時間以上かけて
行かなければならない。
仮設暮らしの高齢者は一緒に車に乗せてもらうしかない。
住民が離散した状態のまま五年が過ぎ、今後自分の生活をどこでどのように営んでいくのか、
先が見えず計画も立てられない状況に立たされている住民も少なくない。
☆造成の為住民追出し 帰還の見込みは28世帯
雄勝中心部では現在、130億円をかけて高さ9・7㍍、延長3・5㌔の
防潮堤を建設する計画が進んでいる。
また、中心地の雄勝上地区にある大原川では現在、もともとあった川の堤防を
震災前の4㍍から9・7㍍へと高くする工事がおこなわれている。
この計画はもともと流れていた川の河口部分を潰して
隣に新たな人工の川と堤防を造り、元の川と合流させる大がかりなものだ。
防潮堤と河川工事はどちらも県の事業で、100年に1度の割合で発生が予想される
「レベル1(L1)」の津波に対応する考えに基づくものだが、
この地域には建築規制で人は住めない。
住民の住む場所の整備、生活の復興を後回しにして、
人が住めない土地の整備に大金をつぎ込む事業となっている。
加えて「雄勝中心地区拠点エリア整備事業」なる高台造成事業をおこなっている。
沿岸部を通っている道路を8・9㍍の高台へ移し、そこからさらに高い15㍍の高さの場所に
居住施設建設が制限された商業店舗やグラウンド、体育館などを建設するための土地を整備。
さらに20㍍の地点に
高台住宅団地や雄勝総合支所・公民館、消防署などを建設するというものだ。
この事業のために、今の仮設商店街や周辺の商店、鉄工所などは立ち退きが決まっている。
仮設商店街で働く男性は、「この仮設商店街は震災直後、津波に呑まれた街に住民たちが戻り、
全国から来てくれたたくさんのボランティアの人たちとともに
ヘドロのなかから資材をかき集めた。
津波の被害で窓ガラスもない吹きさらしの総合庁舎の一室で、
暗くなっても携帯電話の灯りでお互いの顔を照らしながら
何度も雄勝の街の将来のために話し合いを重ねるなかでやっとの思いで再建してきた。
この高台造成事業は仮設商店街のあとから出来た計画だが、
市はわざわざこの仮設商店街に範囲が被るような計画を出した。
みな本設に戻るために仮設で頑張っていたのに、立ち退きによって
仮設の仮設へ追い出されることになる。 行政の神経を疑ってしまう」と憤りを語った。
住民の1人は「事業が遅れれば遅れるほど雄勝へ帰ることをあきらめざるを得ない。
完成は29年6月と聞いているが、今の様子だともっと遅れる。
そうすればさらに帰還を望む人は減る。
高台計画にみな振り回されるだけで自分の生活すらまともに計画できないのが現状。
完成しても2、3年後にはゴーストタウンになるのではないかと話になっている」と話した。
高台事業の計画が出た当初は、まだ高台の防災団地への帰還を希望する世帯は
50軒ほどあったが、平成26年3月末時点で28世帯、65人まで減っている。
中心部をみても震災前は618世帯、1668人が暮らしていたが、
将来世帯数は77世帯、173人にまで減る見込みだ。
塩漬けにして帰還を長引かせれば長引かせるほど、帰還する人間は減っているのである。
膨大な金を投じて人が住まない土地を創出するという本末転倒がやられている。
かつての中心部であった地域を最大20㍍かさ上げし、
何年間も住民を外へ追い出して大規模な事業を進めても、
そこに住む見込みのある住民は現時点でわずか28世帯、65人のみ。
計画には商業店舗エリアもあるが、住む住民が少なければ商店も商売にならない。
この「拠点エリア整備事業」が、これまで現地に住んできた人人の生活形態や意識、
自然のなかで形成されてきたその地域の特性とはことごとく食い違ったものであり、
住民たちにとっては受け入れがたいものとなっている。
雄勝に限らず三陸沿岸の人人は歴史的に津波の被害を身をもって経験してきた。
10~20㍍の防潮堤やかさ上げを施したところで、
自然の猛威には太刀打ちできないことを肌身に感じてきた。
津波からは「てんでんこ」の教えの通り、逃げるしかないのだ。
今回の津波も最大で40~50㍍地点まで駆け上がったという記録がざらで、
とくにリアス式海岸に押し寄せてくる津波の場合、逃げ場がないために威力を増し、
人工構造物を駆け上ってくることは容易に想像がつく。
「いざとなったら自然の力に人間の力では太刀打ちできないことはわかりきっている。
逃げるしかない。だからこの辺りの人たちは車を停めるときは必ず山手に向けたり、
駐車場の出口に向けて停めている。防潮堤を作るよりも、
すぐに高台へ避難する大きな避難道路を作ってくれた方がよっぽど金もかからないし、
この辺りの土地の構造からしてもマッチしていると思う」とある漁師は語っていた。
「防潮堤よりも避難できる施設や道路を」という意見が被災地域では圧倒的に多い。
雄勝の中心部の地盤は固い岩盤でできており、震災のときにマンホールが浮いた所はなかった。
その土地の上に20㍍も土を盛り、わざわざ軟弱な土地を造って
その上に新たな“街”を形成するというのがこの事業だ。
ある男性は、「本来なら土を盛れば5年ほど寝かすのが常識だが、
29年の完成まであと1年ほどの段階で土盛りも終わっていない。
そんな突貫工事で造られた土地に家や総合支所、消防署や警察署を建てるという。
街の“形”だけできればそれで良いのか。 地震が来たらどうなるのか、
素人の目で見てもどうなるかは目に見えている。
この計画を考えた人には“自分が家を建てるときにこんな土地に建てようと思うのか”
といいたい。これでは誰のための施設建設なのか分からない。
外見だけのパフォーマンスのための復興ならいらない」と語った。
住民が望まぬハコモノ事業が持ち込まれ、それにより一向に生活環境が整わない状況が
五年も続き、さらに今後も先が見通せない。
そのことが住民たちを郷土雄勝から遠ざける要因になっている。
大規模なかさ上げや防潮堤建設が終了するまで帰還はお預けにされ、
その間に被災者は絶望して帰還をあきらめる。
完成した頃には本来戻るべき被災者は人口流出して出て行き、年寄りだけになった…
という事態が十分に予想されるものだ。
あるいは、広大な空き地を企業が接収していくという顛末にもなりかねない。
「浸水地域」というだけで建築規制がかかり、このままでは五年たって戻れないだけでなく、
10年たっても戻れる確証などない。
住民を戻す、生業を復活させるための復興ではなく、
ゼネコンが丸儲けしていく設計思想が貫かれているからにほかならない。
住民の暮らしを二の次にして、何をやっているのか?
誰のために復興しているのか問わないわけにはいかないものだ。
☆被災地全体に共通 住民帰れぬ更地の創出
この問題は雄勝だけにとどまらず、被災地全体で問題となっている。
岩手県の陸前高田市では、津波被害にあった街全体の広大な土地が土の山で覆われ、
高台造成工事が進んでいる。
高台にある市役所付近にたどり着くまでは、周囲の景色は土ばかりである。
まるでゼネコンの山盛り大会かと思うような唖然とさせる光景が広がっている。
高台では防災集団移転のための住宅建設が進む段階で、
仮設住宅の住民はいつまでも釘付けにされている。
終の棲家を求めて出ることすらできない状況だ。
住民たちはかつて住んでいた郷土に延延と土の山が広がり、
なかなか終わらない土盛り作業を高台の仮設住宅から見ることしかできない。
いつ終わるともしれない壮大な山盛り大会の傍らで、
高齢者の要介護度の上昇が問題視されはじめ、
仮設住宅から出ることをあきらめる人も出はじめている。
宮城県の南三陸町でも陸前高田と同じように広大な土地の造成工事がおこなわれている。
土の山山の間を縫うように道路が走っており、道路からは海など見えない。
気仙沼市も市場周辺の水産加工団地の区画整備や道路の舗装工事などは
石巻の市場周辺と比べればかなりの遅れがあり、
加工団地の周りの道路は行き止まりや砂利道も多く、護岸工事もまだ完了していない。
巨大防潮堤を作るか否かで紛糾して迷走し、その後の遅れにつながっている。
「巨大防潮堤を作り、かさ上げしてから街作り」というコースを歩んだ街ほど
生活再建は遅れを見せ、ひどい置き去り状態にあるのが特徴だ。
雄勝地区の隣接にある女川町、石巻と気仙沼など、「かさ上げ」「巨大防潮堤」
を選択したか否かによって 復興の進捗には差がつき、
隣接地区や同じ水産都市によっても差異が生じている。
被災地全体の復興状況やそれにともなってあらわれている現象や問題点は地域によって異なる。
しかし、どこでも住民たちの地域コミュニティの形成、
生活再建よりも先に 国が主導する創造的復興路線が主人公を気取り、
膨大な復興予算を投じながら人人の生活は後回しにされている。
26兆円もの復興予算をつぎ込んで被災地でおこなわれてきたことは、
津波被害にあった地域から住民を追い出し、
建築規制をかけて住民からぶんどった土地で
住民たちの望まない大規模工事による更地創出であった。
福島の人人は放射能で帰ることができずにいるが、宮城でも岩手でも結局住民は故郷に帰れず、
“復興”は成し遂げられていない。
国民の生命や安全を二の次にした政治、統治の残酷な姿を被災地があらわしている。
國貞、二枚目、
「君たち集り粧ひの圖」です。
何様、基地外、ありうると思うことです、
◆http://news.infoseek.co.jp/article/shupure_62567/
週プレNEWS / 2016年3月18日
◎4月末に衆院選? 永田町で囁かれる怪情報 …
憲法改正のためなら、安倍首相はなんでも仕掛けてくる!?
永田町に怪情報が駆け巡っている。
なんと、4月末にも衆院選があるかもしれないというのだ。
このところ衆院選が7月の参院選と同日になるとの噂はしばしば耳にするが、
さらに先行して4月総選挙という話は初耳。
本当なのか? ある野党議員秘書が言う。
「きっかけは辺野古(へのこ)訴訟で、安倍政権が突然、
沖縄県との和解を受け入れたことです。
これは明らかに選挙対策。
和解案を受け入れることで、
沖縄の民意に寄り添うかのような印象を国民に与え、
政権支持率を上げようという狙いなのでしょう。
安倍政権がここまで焦るのは総選挙が近い証拠。
それだけに、安倍首相は衆参同日選どころか、この4月にも
国会解散を仕掛けてくるのではと、多くの議員が疑心暗鬼になっているのです」
ジャーナリストの川村晃司(こうじ)氏もうなずく。
「あるとすれば投票日は4月24日でしょう。
この日は衆院北海道5区、京都3区の補選がある。
そこで、今年度予算と定数減法案を成立させて3月末に衆院を解散し、
補選と同じタイミングで総選挙が実施されるのでは
という見方がにわかに強まっているのです」
参院選を追い抜いて総選挙に突入するーー。
つまり、参院選「追い抜き解散」ってことか?
こうした臆測が飛び交う背景にあるのは、野党協力の動きだ。
今年に入り、共産を含めた野党5党による候補一本化、
民主、維新の合流・新党づくりなど、参院選を意識した野党協力が進んでいる。
前出の議員秘書が続ける。
「安倍首相の目標は衆参各院で3分の2の議席を得て、憲法改正を発議すること。
しかし、野党協力によって3分の2の議席確保が厳しくなっている。
だったら、野党の選挙準備が整わないうちに早期解散を仕掛けて衆院で圧勝し、
その勢いで7月の参院選も乗り切ってしまおうというのが
『追い抜き解散』のシナリオです。
確かに4月に衆院選をやられたら野党協力は宙に浮く。
73しかない参院選挙区に比べ、衆院小選挙区は295もある。
とても野党候補の一本化なんてできっこない。
民主と維新の新党も、新党名の入ったポスターを公示日までに刷ることは無理でしょう。
これでは野党は勝てません」
本当に3月末解散、4月24日総選挙のシナリオはあり得るのか?
この問いに、前出の川村氏がこう答える。
「解散の大義名分がないので実際には難しいでしょう。
それよりも7月の参院選に続き、今年暮れに衆院選という『衆参時差選挙』を行なう
のが常識的な判断でしょう。
これなら解散にあたり、来年4月の消費増税を再凍結するかどうか、
民意を問うという大義名分が立ちます」
ただ、そんな常識が通用しないのが安倍首相。
前出の議員秘書が警戒を強める。
「首相は国会答弁などで『解散は全く考えていない』と明言していますが、
誰も信じていません。息を吐くようにウソをつくのが安倍首相。
憲法改正のためなら、なんでもやってくるはず。
4月総選挙なんてあるわけないと高をくくっていると、煮え湯を飲まされかねません」
本当に安倍首相は「追い抜き解散」を仕掛けてくるのか?
国会から目が離せない。
◆http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/177371
日刊ゲンダイ 2016年3月17日
◎首相への刺客 民進党新代表に山尾志桜里議員 の仰天プラン
党名だけは「民進党」と決まった野党新党。
しかし、世論調査では、新党に「期待する」は31%、「期待しない」は57%と、
国民の期待はまったく広がっていない。
このままでは7月の参院選は苦戦必至。
そこで民主党内では、参院選の前に、選挙の顔になる、あっと驚く
“新代表”を擁立するウルトラCが浮上している。
■岡田代表では夏の参院選は苦しい
新党名から「民主」の文字が消えたうえ、国民の支持も広がらないことで、
民主党の若手中堅議員は、岡田執行部に対して不満タラタラだ。
「党名も綱領もロゴも変えるのなら、代表も代えるべきだ」
「執行部は即刻辞任だ」 「岡田代表では選挙に勝てない」と、
岡田退陣を求める声が噴出している。
実際、岡田代表では、夏の参院選は苦しい。
衆参ダブル選挙になったら、「民進党」は結党から3カ月で瓦解する恐れがある。
自民党の伊達忠一参院幹事長にまで「党名より代表が代わることを心配していた」
とバカにされる始末だ。
民主党議員がこう言う。
「自民党に選挙で勝利するためには、岡田さんに代表を辞めてもらうしかない。
本人は、参院選に負けたら責任を取る、と宣言していますが、負けてからでは遅い。
一番いいのは、3月27日の結党大会の時、岡田代表に『私の責任は新党結成までだ』
『代表を辞任したい』『皆さんで新しいリーダーを選んで欲しい』と語ってもらうことです。
新しい顔を選ぶとなったら、新党に対する国民の期待も膨らむはずです」
いま、民主党議員が密かに期待しているのは、なんと、まだ当選2回の女性衆院議員、
山尾志桜里(41)の代表就任だという。
安住淳国対委員長代理あたりが、擁立に動いているという。
たしかに、山尾議員が新代表に就けば、「民進党」にブームが起きる可能性がある。
なにしろ、衆院予算委員会に4回立ち、毎回、安倍首相をタジタジにさせている。
「保育園問題」に火をつけたのも、山尾議員だ。
普段、野党議員に厳しい飯島勲内閣参与まで、
「民主“救いの女神”山尾志桜里」と、最新号の「週刊文春」でベタ褒めしている。
「いま、安倍首相が一番嫌がっているのが、山尾さんです。
まだ41歳、当選2回なのに、山尾さんは首相と対峙しても、まったく臆することがない。
鋭い舌鋒で、安倍首相をたじろがせています。
しかも、キャンキャン吠えるわけじゃない。
一つ一つ事実を押さえながら、論理的に安倍首相のいい加減さを追及しています。
さすがは、東大法卒の検事出身です。
ミュージカル『アニー』の初代主役だけに華もあります」(政界関係者)
どうせ新党を結成するなら、「民進党」は、安倍首相が一番嫌がる議員を
トップに就けた方がいいのではないか。
國貞、三枚目、
「今様名家 自筆鑑」 「頓兵衛娘おふね 沢村田之助」です。
英語公用語化の未来ですよw
◆http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=313263
るいネット 16/03/1
◎韓国で漢字を廃止したら何が起こったか。
言葉の意味が分からない事や 抽象度の高い漢字語の概念語を知らないため、
外国語の専門書などもほとんど理解できない状態に。
ハングル専用の弊害:「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が起こっている
「漢字廃止で韓国に何が起きたか、呉善花(2008年10月3日発行)PHP」より抜粋
・日本も韓国も伝統的に漢字を用いて各種の文章記述、表現を行ってきた
古くからの漢字文化圏に属する国である
・ハングルとは純粋な表音文字。李氏朝鮮時代に作られた。
もともと「訓民正音(民に訓える正しい音)」と呼ばれていた。
つまり漢字を読み書きできない者(一般民衆)のために、
朝鮮語の音を正確に書き記しことのできる文字として作られたもの。
・しかし、漢字を重んじる高級官僚や知識人たちは、
これを真字(=漢字)ではなく諺文(オンムン、俗字の意味)として排斥。
そういう背景で、民衆がハングルを教えられる機会も得られず、
以後、四百数十年もの間、一般民衆にはほとんど使われることなく過ぎた。
・「漢字ハングル交じり文」が本格的に用いられたのは、
日本の手で学校制度が敷かれてから、一般の人びとまで広く普及した。
・韓国の漢字廃止は1948年に大韓民国が成立し、
公用文は「原則的にすべてハングルで書くべし」との法律が制定されたことに始まる。
しかし政府の推奨にも関わらず、公用文、新聞、専門書などからは
依然として漢字がなくなることはなかった。
漢字廃止には専門家たちの反発が大きかった。
・韓国の学校教育で「漢字廃止・ハングル専用政策」がとられるようになったのは、
1968年春から。(当時の韓国では小学校4年から漢字を教えていた)
・漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、
新聞・雑誌・書籍からレストランのメニューに至るまで、
漢字はほとんどその姿を消してしまっている。
・韓国語は漢字を廃止したために、日常的にはあまり使われない、
しかし概念や理念を表す言葉、各種の専門用語など、
伝統的に漢語で表されてきた重要な言葉の多くが、
一般にはしだいに使われなくなっていった。
各種の評論・研究論文や新聞・雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、
語彙の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた。
・現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、
言葉の奥行きがきわめて浅い。
・現在、漢字教育を受けることなくハングルだけで育った者たちが
韓国人口の大半を占めるに至っている
漢字廃止の問題点
・同音異義語の区別ができないこと。
膨大な同音異義語から起きる混乱が起きている。
・「概念を用いて抽象度の高い思考を展開すること」ができなくなっている。
韓国の文化を維持発展させるどころか、質を落とすような状況に。
・1970年以前に発行された人文・社会科学の大部分の専門書は、
漢字ハングル混じり文で書かれているが、ハングルしか教えられていない学生は、
これを読むことや理解することができない。
漢字時代の文献を読むことができない韓国の学生。
・さらに抽象度の高い漢字語の概念語を知らないため、
外国語の専門書などもほとんど理解できない状態に。
・高度な精神性と抽象的な事物に関する語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学、
文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人びとにはもちろんのこと、
かなりのインテリにも正確に理解されないまま、しだいに遠く無縁なものになっていく。
今の韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。
ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。
日本語か西洋語でやるしかない。
・韓国のご老人の中にも「韓国語では難しいことは考えられない。
考えようとすればどうしても日本語になる」という人が何人もいる。
・同音異義語だけでなく、漢字を失った韓国語では、
いったいなんのことやら理解できない言葉がやたらに多くなってしまう。
ハングル専用は、社会的な意思の伝達に
大きな弊害をもたらすことになってしまっている。
・概念を駆使しての思考が苦手な戦後世代の韓国人。
・韓国語の語彙の約70%が漢字語。
・韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに、
漢字の知識によって、それらの言葉を駆使することができなくなった。
そのため韓国人は、抽象度の高い思考を苦手とするようになってしまった。
★ハングル専用世代が分からない言葉の例
「しこうのそんざい(至高の存在)」、「けんじんにまなぶ(賢人に学ぶ)」、
「すいぼうたいさく(水防対策)」
・ハングル専用世代が新聞や雑誌や本を読むと
「意味不明の言葉」がいっぱい出てくるようになる。
ハングル世代は仕方なく、そこを読み飛ばし、
実にいい加減な読み方しかできないのが実情。
・意味不明の言葉を読み飛ばすことが習慣になり、
自分の知らない漢字語がちょくちょく出てくる書物や雑誌を
読まなくなってしまうこと。これが韓国ハングル専用世代の実情。
・漢字廃止が国民の思考水準を低下させた。
歴史的な語彙の80%を失うことになってしまった。
★漢字廃止が戦後韓国の知的荒廃を推し進めた。
韓国人はハングル専用のおかげで「世界一読書率の低い国民」となってしまっている。
(国民1人当たり年間平均読書量0.9冊)。
「韓国国民全体が文盲のどん底に陥った」というのは、
けっしておおげさな言葉ではない。
↑
落ち目の三度笠=英語に注力するより、国語教育の充実ですよ。
以前より何度も書いてきました。
「発想の概念」が英語の範囲内で頭打ちになってしまう。
「新規な発想」の障害になります。