ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

彌生の空は

2016-03-01 10:55:01 | Weblog
 画は 拙作にて、

  「弱法師」です。

 水彩 32cm x 40cm 紙


 能  : 弱法師(よろぼし)

 シテ : 俊徳丸  弱法師(面)

 ワキ : 高安通俊

 【あらすじ】

 河内国(大阪府)高安の里の左衛門尉通俊(みちとし)は、
 さる人(後妻)の讒言を信じ、その子俊徳丸を追放します。
 しかし、すぐにそれが偽りであることがわかって、不憫に思い、
 彼の二世安楽を祈って天王寺で施行を行います。

 一方、俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、
 今は弱法師と呼ばれる乞食となっています。
 彼は杖を頼りに天王寺にやって来て、施行を受けます。

 折りしも今日は、春の彼岸の中日にあたり、
 弱法師の袖に梅の花が散りかかります。
 彼は、仏の慈悲をたたえ、仏法最初の天王寺建立の縁起を物語ります。

 その姿を見ると、まさしく我が子ですが、通俊は人目をはばかって、
 夜になって名乗ることにします。そして日想観を拝むようにと勧めます。
 天王寺の西門は、極楽の東門に向かっているのです。

 弱法師は入り日を拝み、
 かつては見慣れていた難波の美しい風景を心に思い浮かべ、
 心眼に映える光景に恍惚となり、興奮のあまり狂いますが、
 往来の人に行き当たり、狂いから覚めます。

 物を見るのは心で見るのだから不自由はないと達観しても、
 やはり現実の生活はみじめなものです。

 やがて夜も更け、人影もとだえたので、父は名乗り出ます。
 親と知った俊徳丸は我が身を恥じて逃げようとしますが、
 父はその手を取り、連れ立って高安の里に帰ります。


 ☆http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0064.html
 粟谷 明生:

 能『弱法師』は、父、高安左衛門通俊の後妻の讒言により、父に捨てられ、
 悲しみのあまりとも、流浪の果てにとでもいうか、やつれ盲目となり
 乞食として生きるしかなかった孤独な少年俊徳丸の悟りと諦念、
 そして法悦を描いています。

 初演の時はそういう精神性以前に、それまでに経験できなかった「盲目の杖」、
 その扱いの習得が私の念頭にありました。

 喜多流の修業過程では、まず扇で舞うものから入り、
 次に扇以外のものの習得となります。
 「盲目の杖」と呼ばれるものは
 『望月』のツレ(母)や『蝉丸』のツレ(蝉丸)、『景清』にも使われますが、
 『望月』は構えをするだけ、『蝉丸』のツレも『景清』も
 終始杖を突くわけではないので、技を駆使する究極は何といっても
 『弱法師』の杖ということになります。
 この「盲目の杖」は見た目には簡単に見えますが、
 実際やってみるとなかなかどうして難しいものです。

 面をかけて視界が狭められると、杖の先が見えず、すると手首の癖も出て、
 どうしても左右どちらかにずれて突いてしまい、身体の正面中央に綺麗に突けません。
 これは経験、稽古によって習得するしかなく、早めに手がける必要があります。

 そしてこの曲の一番の見せ場は、何といっても中之舞に続く仕舞どころのクルイです。
 時正の日は日想観といって、太陽が真西に沈むので、それを拝むことで、
 その先にある極楽浄土を想い願おうということです。

 そういう日であればこそ、俊徳丸もすべてのものが心眼で見えるぞと
 高揚感にとらわれるのです。
 「満目青山は・・・」で、左手を右の方から円を描くように大きく丸く動かし、
 「心にあり」と胸元に当て思いを込める、この一連の型に演者の精神誠意が込められ、
 すかさず「おう、見るぞとよ、見るぞとよ」と強く杖を突き、心眼の境地となります。

 そして東西南北の景色を眺め一瞬うかれたかと思うと、
 盲目の悲しさで行き交う人々にぶつかり、転び、人に笑われという現実にさらされます。
 ああ、やはり自分は悲しき盲人なのだと挫折し、
 「さらに、狂はじ」、もううかれたりはしないと落胆して座り込み
 絶望のうち心は閉じてしまいます。

 最後に父子再会を果たすとはいえ、通俊は息子だと気がついてからなかなか名乗らず、
 夜も更け、人がいなくなったころを見計らってようやく声をかけます。
 人目をはばかる通俊の態度に、俊徳丸の行く末は依然として暗黒の闇だと感じさせられます。
 高安の通俊は施行をするぐらいの人ですから身分も見識もある人でしょう。
 そういう人間が、この盲目の我が子をどのようにして面倒をみていくか
 逡巡する姿が想像できるのです。



☆今のところ晴れ、道内は大雪で大荒れ。

昨日のPVが8,310ありましたw 外国の人のようで一人で5,300PVあまり、

たまにありますねぇ。

まずは、「復興」の現実、

◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/juuminoidasikakusyobunjounibundoru.html
長周新聞  2016年2月24日付


    住民追出し核処分場に分捕る

      災5年目の福島県双葉郡
                
      原発事故「復興」の現実  


東日本大震災からもうじき五年が経過する。

東北沿岸を襲った未曾有の地震・津波災害に加えて、
東京電力の福島第1原発では史上最悪の原発災害を引き起こした。

この5年間で政府は「復興」に25・5兆円もの予算を投じてきたが、
被災地の住民たちの多くはまともな生活をとり戻せず、
引き続き棄民状態に置かれている


被災3県では現在も18万2000人が避難生活を送っており、
とりわけ原発事故に見舞われた福島県では9万9000人
(1月現在・福島県)
が故郷を追われたままである


本紙は震災から5年を迎えた東北に記者を派遣し、
5年に及ぶ「復興」とは何だったのか、被災地の人人はどのような状態に置かれ、
何を求めているのか、福島から現地取材を始めた。

 
町乗っ取りの別目的が進行 共同体崩れ帰還困難 作業員の町へと変貌

いわき市の沿岸部を北上し、国道六号線を通って双葉郡に入ると
街の景色が一変する。住民の姿はほとんど見られず、
原発の廃炉作業、放射能除染作業、災害復旧工事に携わる大型ダンプやトラック、
マイクロバスや業務用車が行き交い、静かな町を砂埃が覆っている。

双葉郡各町村の魅力をアピールしてきた道の駅「ならは」は、
双葉警察署の臨時庁舎となり、住民のいない町の警備にあたる警察官が常駐している。

営業しているのは、作業員の需要を見込めるコンビニ各社、プレハブの食堂、
自動車整備会社、ガソリンスタンド、作業を請け負う大手建設会社の事務所、
パチンコ店ぐらいだ。

広大な農地のあちこちにフレコンバッグに詰め込まれた除染廃棄物が
大量に敷き詰められている。

原発から30㌔圏内の旧緊急時避難区域の広野町は5年前の3月11日、
地震と津波により甚大な被害を受けたが、
死者・行方不明者は3人と最小限の犠牲しかなかった。

しかし無事を喜びあったのも束の間、原発災害が町を襲った。

広野町は双葉郡のなかで唯一、福島第1原発の20㌔圏外であったために、
他町村以上に情報が入らなかった。

役場は必死に情報をかき集めて状況を把握し、13日には町長が避難指示を出して
全町避難が始まった。役場機能は小野町に移し、
埼玉県三郷市や福島県内のあちこちの自治体の体育館などに一次避難した。

そして二次避難では県内のホテルや旅館に移り、
三次避難で仮設住宅や借り上げ住宅に入ることができて現在に至る。

避難指示は2012年4月に解除された。

しかしインフラをはじめ生活環境が手つかずですぐには戻ることができず、
帰還を決意した人から徐徐に戻っている状態だ。

役場や学校、診療所が順次戻ってきた今でも、
帰還者は人口5490人(2011年3月)のうち5割の
2408人にとどまっている。

その大半は高齢者で、子どもを持つ若い家庭は子どもの成長を心配し、
また馴染んでしまった避難先から転校させることへの抵抗から、
新天地での生活を決意して出ていったところも多い。

避難者は県内に2336人、県外に316人いる。


楢葉町 帰還した町民は約1割

広野町に隣接する楢葉町は昨年9月に避難指示解除を迎え、
4年半もの避難生活が終わった。

しかしそれから5カ月経過した今、
完全に帰町したのは人口約7300人の1割程度だと語られている。

楢葉町の80代の男性は、昨年12月に妻と2人で自宅に戻ってきた。

5年前の震災直後から着の身着のままで避難し、
いわき市、埼玉県春日部、神奈川県横浜など6カ所を転転として、
ようやく戻れたわが家だった。

5年間人が住まなかった自宅はひどく痛んでおり、
地震で瓦が落ちたところから雨漏りがしていた。

床はシロアリにやられてボロボロだった。

除染が終わった自宅の天井、床、畳、障子はすべて張り替え、
ふすまの交換も依頼しているが、業者が足らずに順番待ち状態になっている。

町には人が帰らず、生活できる環境が整備されていない。

今も楢葉町の自宅といわき市の仮設住宅を行き来しながら生活している。

「戻ってきている人の大半が避難先から通っていると思う。
床屋も医者も、買い物の場所もない。

元いた町民が半分帰ってくるのにあと5年はかかるのではないか…。
みんながまず自宅を直して住めるようにしないといけないが、業者も足りない。

これからはオリンピックに流れていくのではないか」と語った。

男性宅の正面の家は解体中で、いわき市に新天地を求めて出ていった。

横の敷地には廃炉作業員の宿舎が建ち、100人以上が暮らしている。
「私たちはもう年だから放射線がどうこうなろうが関係ない。
ただ今後の町のことを思うと、原発では放射能が溶け出して落ちているし、
汚染水の問題もある。

楢葉の第2原発も廃炉にしろとみんないっているが東電もなかなかうんといわない。
こんなことになって…。

原発なんていらない。大臣たちも“復興”と口だけは威勢が良いが、
現地にいる私たちには先が見えない」と語っていた。


富岡町・川内村 生活支援打切りに直面

富岡町に入るとさらに空気はよどんでいる。
富岡町はいまだに帰還困難区域を抱えており、
居住制限区域と帰還困難区域の境界である双葉警察署前には警告灯が設置され、
警察官が待機して物物しい雰囲気を醸し出している。

安倍政府は昨年6月の福島復興指針で、
避難指示解除準備区域と居住制限区域については来年3月で
避難指示を解除する方向を打ち出している。

さらに福島県は県内の仮設住宅(借り上げ住宅を含む)について、
来年度いっぱいで契約を打ち切るという方針を出している。

各自治体はこれによって帰還者も増えるのではないか、
一人でも多くの住民に帰ってもらおうと住環境の整備に必死になっているが、
帰還=生活支援打ち切りを意味しており
戻っても以前の暮らしをとり戻せるメドが立たないのが現状だ。

国の補助金をとり入れた事業を各自治体それぞれが計画し、工業地帯をつくったり、
コンパクトタウン、コンパクトビレッジといった集約化を含めた開発も動いている。

しかし莫大な予算を投入して開発を進めたとしても、
町や村の原動力であるが集まり、基幹産業の復興がなければどうにもならない。


震災前の五~六倍もの予算規模を与えられ、国が示した「復興」プランに即して
膨大なカネは動いてきたが、いったん追い出してしまった住民の暮らしやコミュニティは
とり戻すことが困難で、まさに町全体が別物へと変貌しようとしている


川内村では除染をおこなう前の2012年1月に帰村宣言を発表し、
「戻りたい人からもどろう。心配な人は様子を見てから戻ろう」と町民に呼びかけ、
役場職員が率先して帰村し、復興のために奔走してきた。
今では63%の住民が戻ってきている。

しかし農林業をなりわいとしてきた村は森林汚染、土壌汚染に見舞われ、
酪農は酪農家が70軒から7軒に激減するなど、産業が受けたダメージは大きい。

村は手探り状態で生き残る方法を模索してきた。

そして野菜の水耕栽培施設や工業団地の導入などを計画し、
すでに稼働が始まっている施設もある。

役場関係者は、一自治体だけが復興しても意味がなく、双葉郡の8町村、
さらに飯舘村や田村市、南相馬市など、福島全体の復興が大事なのだ
という



双葉郡内 町民よりも多い作業員

福島第1原発では今も廃炉作業が続いている。

そのようななか、廃炉作業員をはじめ、富岡町・双葉町・大熊町の除染作業員、
災害復旧に携わる作業員が町民をはるかに上回る規模で双葉郡内に来ている。

避難解除を迎えている広野町と楢葉町は作業員の町と化している

広野町には80社の事務所が置かれ、
作業員4000人が滞在している(うち宿泊は3000人)。

楢葉町には約1300人が滞在している。

町としての機能が整わないところに町民をしのぐ勢いで
全国から作業員が集まっており、わずかしかない医療機関もコンビニも
作業員でいっぱいになってしまっている。

様変わりしてしまった町の様子に驚き、帰町を見送る町民が多いという。

そして一方で動いているのが、全国で拒否されてメドがなくなっている
中間貯蔵施設建設である


原発立地町で住民が戻れない双葉町、大熊町にまたがる地域に建設しようと
国や福島県が動き、用地取得を進めている


今年10月には施設の一部工事に着手する計画だ。

福島第一原発が吐き出した核のゴミにとどまらず、
全国の原発に蓄積され続ける核廃棄物の最終処分場のメドなどないなかで、
中間というのは目くらましで、場合によっては永久にもなりかねない

もともと震災前から岩盤の強固な飯舘村などは
地下処分場の候補として経産省が目をつけていた地域であった


原発事故をもっけの幸いにして住民を追い出し、「逃げろ! 逃げろ!といって
帰還できない状態をつくり出したうえで、

人人が諦めた段になって
やむなし…の格好をして事が動いている

作業員の街へと変貌し、住民にとってもはや自分たちの街だと思えない状態となり、
最終処分場の街にしていくたくらみが動いている
のである。

住民のいない街、野生動物が闊歩する街はまさにゴーストタウンで、
終いには原発の墓場にするというものだ。


農業も漁業も 生産復興に奮斗する人

そんななかで、「戻るところはここしかない」と早い段階で故郷に帰り、
奮斗する人人もいる。

広野町で震災翌年から農業を再開した花農家の男性は、事故直後、
埼玉に1カ月間避難していた。

「でも植えていた花が気になって気になって。とりあえずいわきに戻ってからは
解除になるまで毎日通って、苗の面倒を見た。

初めから放射線の線量は低く、土壌汚染もなかったので翌年から植え始めた。
検出はゼロで、野菜もゼロだった。

だけど野菜は福島産ということだけで風評被害にあう。
野菜専門の農家のなかには辞めてしまった人もいる」といった。

男性の住む集落には約50軒の民家があるが、そのほとんどが戻ってきており、
残りは2、3軒ほど。

みなで支えあって生活している。

畑には秋の彼岸用の菊が芽を出し、
ビニールハウスでは春彼岸用のストックが元気に育っている。

「つくればみんなよろこんで買いに来てくれる」と嬉しそうに話した。

しかし震災前の主な売り先は 楢葉と富岡だったため、
人が帰還していないことが影響して売上は震災前の10分の1まで落ち込んでいる。

「広野は低線量などではなく、検出ゼロ、問題なし なんだ。

福島のものは全部検査しているからどこよりも安全なんだ」と力を込めて語っていた。

いわき市小名浜港では、サバの水揚げが最盛期を迎えている。

汚染水が海に流れ、水揚げしたものから放射性セシウムが検出されたことで
福島の漁業は壊滅的被害を受けた。

それは今でも続いている。

しかし、沿岸漁業や底曳きに関しては試験操業が続いているものの、
巻き網やサンマ棒受網などは一時期下がった浜値も回復している。

といっても、底曳き網漁は全漁獲の3分の1を占めていたため、
いわき市の水揚数量は震災前(平成22年度)の2万123㌧から
昨年度は5644㌧と4分の1まで落ち込んだ。

記者が漁港を訪ねた日の水揚げは約200㌧。

雨が降るなか、船底にぎっしり詰まったサバが水揚げされていった。

多くは冷凍してマグロなどのエサや加工に使われるという。

仲買の一人は、「5年たったのだから、もう“応援”はないと思う。
消費者を見ていても、買う人は買う、買わない人は買わないとはっきり分かれてきた。

きちんと検査しているからどこよりも安全だと伝えてほしい」と語っていた。

福島では農産物も海産物も徹底的な検査を実施しているが、
風評被害もあいまって買い叩きが続き、
例えばコメにしてもコンビニや外食産業が安値に群がっている状態がある。

人の不幸は蜜の味で大企業やゼネコンなど資本力のある者ほど
被災地を食い物にしていく冷酷な社会構造も暴露している。

福島県民は原発の仕打ちに腹の底から怒っている


そして、その後の復興が人間そのものに向いてこなかったことを
多くの人人が実感してきた。

原発は郷土を廃虚にした。しかしその廃虚のなかから、
決して単純には前に進めないが、
人人はみずからの手と足に頼って立ち上がろうとしている。

その姿を引き続き取材していく。


  
再掲ですが、拙作二枚目、



「能 箙えびら」です。 水彩 32cm x 40cm 紙



同感なり、

◆http://my.shadowcity.jp/2016/03/post-8918.html#more
ネットゲリラ (2016年3月 1日)
国民舐めすぎ


消費税増税延期を旗印に解散・総選挙という話が出ているんだが、
民主党がバカなので話にならない。

本来だったら、増税延期を迫って、総選挙で信を問うと
詰め寄るのが民主党の仕事なんだがw 

理屈なんざどうでもいい、昔から「理屈と30後家はどこにでもくっつく」
と言われるんだからw 何だったら戦犯野田豚を除名すりゃいい


  ☆http://www.j-cast.com/2016/02/29259933.html?p=all
  ◎安倍政権は消費税率上げ見送りに動き始めたのか 
   首相と官房長官の
微妙発言が相次いでいる


  2017年4月に予定されている消費税率10%への引き上げに
  消極的ともとれる発言が安倍政権の主要メンバーから相次いでいる。
  菅義偉官房長官は2016年2月26日に、過去に
  消費税を3%から5%に引き上げたケースを引き合いに、
  「税率を上げて税収が上がらないようなところで、
  消費税を引き上げるということはありえない
」と発言。
  これまでは引き上げ見送りを検討する条件として
  「リーマンショックや大震災」を挙げてきたが、これに、
  年明けからの金融市場の変動に端を発した
  「世界経済の大幅な収縮」が加わった。
  衆院の解散には「大義」が必要だとされる。
  すでに自民党内からは「唯一大義があるとすれば、
  『引き上げ再延期の是非』だ」という声もあり、
  永田町には一連の動きを「解散風」と関連付けて
  受け止める向きもあるようだ。


消費税、上げれば上げるほど景気が悪くなる。

日本が消費税導入して以来、景気が良くなった事は一度もない



  -----------------------
  デフレ下での増税はしないという、総裁選の公約を破った。
  これが全て。
  -----------------------
  バカ安倍自民のせいで、景気はアウト、経済もアウト、
  年金もアウト、少子化もアウト、財政もアウト、日本終了。
  自民党の、それらの政策、そのままでいいの?
  正しいの? 自信あるの?
  なら、日本の衰退消滅ショー、始まり決定。
  どんどん衰退、そしてどんどん消滅。

  まぁ、もう間に合わないかもしれんしな。
  -----------------------
  送り = ちょっと遅れるだけです。必ず増税します。
  -----------------------
  まあ、こんなんで投票してもらえると思ってるんだろう
  国民舐めすぎだわ
  -----------------------


自民党が日本を壊した」 「立て直しのために消費税廃止を公約にしないと、
民主党は勝てません。

法人税を上げ、外形標準課税を導入すれば、消費税なんか取らなくて済む。
景気も回復する

夢、疑う事なかれw



◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2016年 02月 27日


#で、ムネムネ娘の鈴木たかこ(衆院ギイン)が、この「2・26」に
所属しておった民主党に離党届を出したってんだが、
ちょうど、その前々日の「2・24」の13時半から、
パパのムネムネが官邸でアベと会うとるんだよな。

しかし、あまりにもわかりやす過ぎる展開なんだが、ま、
コイツは間違いなく、アベが官房キミツ費から手土産を渡しておるよな。
アレは毎月1億円強の予算があるんだが、やっぱ、今回は最低、
1本(=1000萬円)はムネムネに出しておるよなあ。

しかし、たかこはホンマ、「超」が付くほどのファザコンで、
父ちゃんのムネムネには絶対服従なんだな。
ムネムネもカネに困っておるんかいなあ。
野党暮らしが長いと、なかなか美味しい利権バナシにありつけんからな
あの甘利明にしろ、遠藤利明にしても、
「口利き」でアブク銭をゲットできるのも、
そもそも「セー権与党におる」ってのが、すべてだからな。

そうそう、アベも13年秋に、「世紀の悪法」こと
ヒミツ保全ホウアンを通すにあたって、
「自公の風除け」代わりに、みんなの党の代表だった「渡辺ミッチーの倅」を
ピャーッと一本釣りしたんだが、総理ダイジンになっても、
こんなふうにコクタイに手を染めるってのは、チョット、珍しいよな。

ナンボ、コイズミの下で官房ちょー官をヤッておったにしてもだな、
現・ちょー官の菅だっておるんだし、このテのセンキョ案件は、
本来であれば、幹事ちょーの谷垣の仕事だからな。

そのために、平河町にもセーサク活動費(ソシキ活動費)といって、
「党のキミツ費」があるんだからな。

んで、新党大地の党ホンブっていうか、実質的には
ムネムネの個人ジム所みてえなもんだが、永田町のパレロワイヤルの隣の
「十全ビル」にあるんだよな。
この十全ビルにせよ、パレロワイヤルにしても、ココにジム所を構えるのは、
大物国怪ギインはもとより、あと、ワケのわかんねえ、
「フィクサー」とも称される、永田町界隈をワサワサと蠢いておる
ブローカー連中だわなあ。

そういえば、鳩が総理ダイジンんとき、この十全ビルの2部屋を借りておって、
家賃が月120萬円(60萬円×2)ってことで、
「で、そのカネはどこから出てるんだ?」ってワーワー言われておったんだが、
部屋によって広さは違うとはいえ、娘のたかこが離党して無所属ってことになると
政党助成金が入らなくなるんで、諸々、大変だわな。

アベもそのあたり、今後のこともあるんで、ちゃんとフォローしてヤラんとだよな。
その場合、小遣いは、官邸と党と、いったい、どっちから出すんだろう。
とにかく、アベは「小銭の使い方」が上手いよなあ(笑)


#「上」の続きっていうか、民維合流が正式に決まったことを受け、
維新の党の代表の松野頼三の倅は「広く門戸を開け、参加を呼びかける」ってんだが、
小沢イチローんところの生活の党は、どうするんだろうなあ。

生活の党ってのは、正式名称が「生活の党と山本タロウとなかまたち」なんだが、
14年末に政党助成金を貰うため、やっとこさ山本タロウを引っ張ってきて、
5人分の国怪議員をかき集めたんだよな。

小沢イチローの師匠である田中角栄は「数は力、政治は力なり!」と、
常々言っておったんだが、こんな小銭程度の生活の党のアタマ数で、
いったい、何がデキるってんだよ。

今、スーパーに5円玉1枚持っていったところで、消費税の支払いにもならんからな。

小沢が民主党を飛び出したのは、消費税増税政局の12年7月だったんだが、
「セー権を取った暁には、向こう4年、消費税は上げない」っていう
センキョ公約を反古にして、野田が民自公っていう「ダブル自公」で、
消費税増税ホウアンを強姦同然に通そうとしたことに反対票を投じた行動は、
スジが通っておった。

しかし、その後の離党ってのは戦術的には大失敗だったよな。
だって、その直後の9月には、代表センキョがあったんだから
そこで斬り返しに出るという選択肢だって残されていた
今だから言うが、アソコは辛抱のしどころだった。

ワシは、熊本で松野頼三が後見人となり、そして、
小沢イチローが非自民連立セー権の首班として担ぎ出し、で、現在は
コイズミと一緒に「脱原発」の旗振り役となっておる細川護煕が、
当初、言っておったような「穏健な多党制」であるべきだと思っておる。

しかし、「衆」における、現行の「小センキョ区中心」の制度では、
バラけておったらアカンっていうんか、ある程度まとまらんことには、しょうがない


「比例中心」か「完全中センキョ区制」でないと、穏健な多党制ってのは、難しい。

洋の東西を問わず、長期セー権ってのは、必ず澱んで腐敗してくるんで、
民主シュギのありようの根幹として、「セー権交代」ってのは必要だ。

09年の民主党へのセー権交代劇を見て、
「それで変わり得たもの、でも、変わらなかったもの」ってのが、だいぶ見えてきたよな。

であれば、ワシは、このタイミングで、民維に生活の党も合流すべきだと思う。



以前にも書きましたが、ムネオの「新党大地」に力などありませんよ。

ムネオ自身が選挙に強いわけではない、「嘘泣きの名人」w

利権政治屋という正体、バレてきたわけで。

落ち目の自民党に擦り寄るようでは、そろそろ呆けてもきたのでは?