新聞にあった記事である。
高齢者の犠牲過半数 昨年の交通事故死
2010年1年間に全国の交通事故で死亡した65歳
以上の高齢者は前年比2人減の2450人(速報値)
で全体の50・4%を占め、記録が残る1966年以
降、初めて過半数を占めたことが2日、警察庁のまと
めて分かった。
全体の死者数は、前年より51人(1・O%)少ない
4863人で10年連続減少。
1952年以来57年ぶりに4千人台にまで下がっ
た09年をさらに下回った。
全年齢層の死者は15年間で半数以下になった。
警察庁は75歳以上の運転者に免許更新時の認知機
能検査やその結果を踏まえた高齢者講習受講を義務
付け、免許返納制度を設けるなど対策を進めている
が、高齢者問題が交通施策の最重点課題であることが
あらためて浮き彫りになった。
10年の事故発生件数は72万4811件、負傷者は89
万4281人で、ともに6年連続減少。
都道府県別の死者数は北海道と東京が同数の215
人で最多だった。
以上。
この新聞の記事を読んで、驚いた。
交通事故なんて、若者の話だなんて、思い込んで
いたからだ。
わたしたちの20代の頃は、けっこう暴走族がいて、
わたしなんかも世代的には、オーバーラップしている。
また、つい最近まで、若者がよく利用するということで、
軽自動車の初回の保険料が高めに設定されているなんて
話も聞いていた。
だから、交通事故=若者という図式がわたしの頭に
こびりついている。
今回、このニュースをみて、驚いたが、よくよく考え
てみれば、そのような兆候はあったなと、納得もしつつ
ある。
よく、高速を逆走したりするニュースなんて、あったし。
続いて、車の保険料の値上げのニュースが流れてきた。
「特に、高齢者の自動車保険が引き上げられるようで、70歳
以上だと、現行の8%もあがるケースが出てくるようです。」
ということである。
考えてみれば、暴走族もいた昔のわたしたちに相当する今の
若い世代は、人口も減っているし、物を買わない世代と化し
ているので、運転する人も減ったはずだ。
そして、相対的に高齢者の運転者数は、増えているだろう。
だから、事故が増えても、不思議ではない。と納得してし
まった。
しかし、またまたさもありなん、という思いがしてきた。
退職して、4年目もやがて終わろうとしているのだが、
自分の心境の変化に、思うものがあった。
というのは、退職して、1~2年は、自分が無職の身分
であることに、どうしても納得できなかったのである。
勧奨退職を希望した時には、まさか、このような感情が
わくなんて思わなかった。
今でも、勧奨退職したことが良かったか、なんて、未練
がましいことを考える。
しかしである。最近、思うのだ。
冬は、寒いと言って、何事も億劫になる。もちろん、夏は、
夏で、暑いと言って、何事も億劫になる。
なんとか、6時起き、12時就寝のリズムでいるが、
ずるずると、自堕落になりそうで、恐ろしい。
ところが、現役はこんなことなんて考える間もない。
現役の時には、毎日の仕事をこなせるかなんてしか、考え
ない。
だから、毎日でも残業しているし、土、日、祝祭日がくると
仕事のスケジュールが前倒しでできるなんて、喜んでいる。
今でもびっくりするのだが、朝の5時半ごろから、冬でも
ウォーキングをやっていたことがあった。
早朝高血圧という話もあるので、今となっては、なんて
恐ろしいことをしていたのだろうとびっくりしている。
現役時代、進入職員の指導を担当している時に、言った
ことがあったのだが。
それは、こうである。
あなたの生活は、高速道路を時速250キロで走っている
生活だ。
わたしの方は、高速道路を時速120キロで走っている。
なんて言って、叱咤激励したことがあった。
新任は、いろいろと研修があって、それなりの覚悟をして
もらいたいと思ったからだ。
勿論、これは、言葉の綾である。
がしかし、現役時代の心理的な時間のイメージは、そのような
気持ちでいたものだ。
しかしである。
退職して4年も経ち、通院も7年目になると、無職であると
いう苛立ちに苛まれていたことも、遠い過去の話になった
かのように見紛うようになってきた。
病院の往来の道も、なれ過ぎて、呑気に走っており、
いつのまに、着いてしまったのかというくらい短く
思うようになった。
車のスピードなんて、40キロ~50キロあたりで、
呑気に走っている。
そして、ふと、そのことに気づいてびっくりする。
時折、高速道路に入ったりすると、60キロくらいで
走っていたりして、本来の80キロにスピードをあげる
のに、一苦労する。
そうなのである。
自分の心理的な時間感覚が遅くなっているのである。
昔だったら、自分の前に時速40キロで走っていよう
ものなら、怒りが込み上げたものだが、なんと今は、
自分がその40キロで走っているのだ。
今、自分の体内で、流れている時間のスピードなんて、
ウォーキングをやる程度のスピードしか流れていない。
週に所用で、誰かに合うことが3件もあれば、神経が
疲れて寝込みかねない。
定年を境に、同じ人間がこれほども変わりうるのかと
自分で、びっくりしている。
退職をして、年金生活に入れるかして、生活の糧を
得るためにあくせくする必要がなくなってしまえば、
人間も主のいなくなった家みたいに、朽ち果てていく
のかしらと思ったりしている。
アパート暮らしか、建売住宅ような生活で、退職しても、
日常とりたててやることのない生活にはいれば、本当に
三途の川に向かって、毎日が歩いているようなものだ。
なんて気がしている。
冬は、寒いと言って、何事も億劫になる。もちろん、夏は、
夏で、暑いと言って、何事も億劫になる。
そして、億劫になって済ませられる日常が可能だという
ことが、恐ろしいと思うように、最近なったのだ。
そうこうしているうちに、筋力・緊張感も衰え、いつのま
にか、車の運転がままならないまでに、自分の肉体も朽ち
ていっているのだ。
なんて、考えたのだ。
だから、高齢者の交通事故が増えても、不思議ではない。
なんて、自分ながら妙に納得している。
とは言え、父親があと20年、病床にいるかもしれない。
するとなると、わたしも、あと20年は、車の運転をしな
ければならない。
さて、どうしたものだろうか?