生き馬の目を抜く ような、猛烈に変わりゆく時代に、
誰もが振り落とされそうだ。
時には、わが愛しの「BEI XU」の歌声で、大都会の
片隅のCAFEで、夜景で着飾った街を見下ろして、
ボーッとした気分になるのは、どうだろう。
刹那とした時代に、都会の静寂を友として過ごす時も、
贅沢な時間ではなかろうか。
しばし、悠久と見紛う一時があるのも、忙しく駆け抜
けてゆく日々にあって、命を洗うために、必要なこと
かもしれぬ。
愛し「BEI XU」は、今宵、我が家に訪れ来たりて、
優しく囁きかける。
生き馬の目を抜く ような、猛烈に変わりゆく時代に、
誰もが振り落とされそうだ。
時には、わが愛しの「BEI XU」の歌声で、大都会の
片隅のCAFEで、夜景で着飾った街を見下ろして、
ボーッとした気分になるのは、どうだろう。
刹那とした時代に、都会の静寂を友として過ごす時も、
贅沢な時間ではなかろうか。
しばし、悠久と見紛う一時があるのも、忙しく駆け抜
けてゆく日々にあって、命を洗うために、必要なこと
かもしれぬ。
愛し「BEI XU」は、今宵、我が家に訪れ来たりて、
優しく囁きかける。
ヤフーのニュースである。
[ソチ(ロシア) 20日 ロイター] -ソチ
五輪のフィギュアスケート女子フリーは、地元
ロシアのアデリナ・ソトニコワが自己ベストを
記録して優勝した。しかしジャッジには批判の
声も上がっている。 (ロイター)【記事詳細】
以上。
いろいろと出てくるものだ。
わたしは、今回の順位でいいものだと思ってい
る。
それは、テレビで二人の演技を見たのだが、キ
ム・ヨナの演技は、前回のオリンピックの演技
と比較して、わたしの憧れのキム・ヨナではな
かった。はっきり言って「演技者として死んで
いる」、である。
あの一目惚れしたキム・ヨナは、今回氷上にい
なかった。
あの時、キム・ヨナと浅田真央を見て、残念な
がら、日本の浅田真央が、不器用に見えてしよ
うがなかった。天才と秀才の違いである。
話は、とぶが、「今でしょ!の林修と彼が追い越
せないと勝負を諦めた同級生の関係だ。
今回の演技の美しさとして、アデリナ・ソトニコ
ワの演技をみて、前回のオリンピックのキム・ヨナ
を思い出した。どこをとっても、「間の抜ける」こ
とない、どの瞬間をとっても、音楽が流れている
演技である。
「よどみなく、流れるスピード感」これが、今
回のキム・ヨナにはなかったし、そして、無気力
演技に見えた。
残念ながら、心のこもっていないピアノ演奏と
同じである。
オリッピック前に、「死んだふり」と揶揄され
たが、前回のオリンピックのような、パッショ
ンが沸き起こることはなかったからかもしれな
い。
力そのものは、あるので、ルーティンワーク化
した演技でも、オンリピックの舞台がつとまっ
たのだろう。
前回のオリンピックの時のキム・ヨナの演技が
あれば、きっとキム・ヨナの方が金をとって
いたと思う。
今回の憧れの「キム・ヨナ」は、残念ながら、
その美しさがどこかに、消え失せたようで、
寂しいものがある。
しかし、これだけの厳しいアスリート人生で、
燃え尽きない方が、難しいかもしれない。
ある意味で、これが人生だろう。
人生には、「旬」の季節というのがある
と思う。
何をやっても、うまくいく。
なんにも怖くない時期というのが。
凡人の人生であっても、そのような
思い出があるのではなかろうか。
ところで、
キム・ヨナのフリーは、144.19である。
浅田真央は、自己ベストを更新し、歴史に残る
演技であったが、点数は142.71である。
無気力演技をしても、キム・ヨナの点数が、浅田
真央の点数を超えるのは、残念ながら才能の格の
違いを認めないわけにはいかない。
そういう意味では、キム・ヨナがいた時代に居合
わせた浅田真央は、オリンピックで金メダルを取
るという意味では、不運だったと思う。
いや、もしかして、キム・ヨナが日本人であっ
たなら、国内で序列が決まってしまって、こん
なにもプレッシャーがかかることはなかったか
もしれない。
さて、
アデリナ・ソツニコワのSP 74.64
キム・ヨナのSP74.92
カロリーナ・ コストナーのSP 74.12
キム・ヨナのフリーは、144.19である。
浅田真央は、自己ベストを更新し、歴史に残る
演技であったが、点数は142.71である。
こうしてみると、結果として、浅田真央は、
SPをうまく滑れたとして、銅メダルになるか
4位になるかというところに、順位としては
あったと思う。結果論であるが、金メダル
をとることはできなかったということである。
しかし、浅田真央に、目標としていたプロ
グラムがあって、最後のオリンピックで、やり
遂げたという、粘り強く追求し続けたその姿
勢に、単にメダルを取るということを超えたア
スリート精神を具現化した存在として、大い
に敬意を表したいし、やはり、歴史的存在
になるのだろう。
ところで、フィギュア界の歴史にとっては、金メ
ダルを取れなかった不運な浅田真央もキム・
ヨナも同時代にいて、競ってくれたことが良か
ったかもしれない。
ヴィルテオーゾ型アスリートの浅田真央がいた
おかげで、キム・ヨナは真のキム・ヨナ、即ち
アーティスト型アスリートとして完成したと思う
からである。キム・ヨナの栄光の立役者は、浅田
真央だと思うのである。
また、キム・ヨナがいたから、浅田真央は浅田
真央になれたと思うのでもある。
もし、浅田真央がキム・ヨナと同じアーティスト型
であったなら、二人の勝負はこれほど、目をひか
なかったと思う。格の違いで、勝負にならない
からである。
浅田真央は、アーティスト性という意味では不器用
だ。しかし、自分のヴィルテオーゾ性を追求すること
に集中せざるを得なかったのは、幸運だったとも言え
よう。
結果的に、オリンピックの金メダルは、叶わなかった
が、ヴィルテオーゾ型アスリートとして、頂点を究める
ことができたからである。
今日のフィギュアスケートは、わたしたちが昔
見たフィギュアスケートからすれば、体育の世界
から、バレーやダンス、其の他数多くとの身体
表現の芸術の要素を取り込みつつあるのは、誰し
も感じているだろう。
そのような新しい時代を、きっと、キム・ヨナと
浅田真央の切磋琢磨が、切り開く一翼になっ
たかと思うのである。
だから、キム・ヨナも浅田真央もお疲れさん、と
言ってあげたいのだが。
どうだろう。
さて、蛇足なるが、次のようなニュースが流れて
きた。
2.21 13:13
【ソウル=加藤達也】ソチ五輪を最後に現役
からの引退を宣言し、金メダルで有終の美を飾
ることが期待されていた女子フィギュアスケー
トのキム・ヨナ(韓国)が「銀」に終わったこ
とを受け、韓国の放送各局は審判への不信感や
不満を伝え始めた。[記事詳細]
キム・ヨナ、足りなかったのは「熱」 ノーミス
の銀
【ソチ=榊輝朗】「終わった…」。最後のスピンを
止めたキム・ヨナ(韓国)は、ただそう思った。悲し
いような、うれしいような、ホッとしたような…。
喜怒哀楽が交錯する表情でスタンドの四方に手を振
って頭を下げた。「ここに来られて本当に幸せだっ
た」
韓国の期待を背負い、金メダルを目指した前回バ
ンクーバー五輪では、しびれるような緊張感の中、
ノーミスで女王の称号を手に入れた。今回は勝手が
違った。「最も困難だったのは目的。バンクーバー
ははっきりしていたから」
マイナスが1つもない美しいスコアを残した。冒
頭で、高さ、奥行きともに素晴らしい2連続3回転
ジャンプを決めるなど完璧な演技で、女王らしい現
役の幕引きをしてみせた。「ミスをしなかった。い
い結果よ」と銀メダルを受け入れた。
頂点に届かなかった要因があったとすれば“熱”
だった。演技構成はバンクーバーからほぼ変わらず
今大会は燃える目的も失った。体に刻みこんできた
流れるような滑りは、「演じる」ものから「こなす」
ものになっていたかもしれない。
すべては終わった。昨年の世界選手権を制して3
人のソチ五輪出場枠を獲得、2018年に母国で開
かれる平昌五輪に向け、後輩を大舞台で滑らせるこ
ともできた。「今後の詳細は決まってないの」。女
王は圧巻の滑りをリンクに描き、氷を降りた。
以上。