「そのままだとゴミだが、分けると資源」。
よく分別ゴミ収集で言われる言葉だが、私はどうも納得がいかない。分けなくても資源にする方法はないか、と思っている。
ようするにゴミと資源の間にあるのはコストである。ゴミの中から必要とする成分だけを抜き取るためにかかるコストが、資源の収益より多いか少ないか、ではないか。
たとえば鉱石に含まれる必要成分は極めて小さい。鉄や銅はまだしも、金などコンマ以下だ。ウランもそう。しかし、それを分別精製して純正品にしても見合う価値がある。
だからいっそ、森林も成分抽出方法による利用は考えられないだろうか。
森林、あるいは廃材などの山に大きなテントを張って、中を何百度まで蒸し焼きする。そして出たガスを吸収して、必要成分に分ける。
こうした林業も発達する気がする。
もう一つ、現実的なのはサーマルリサイクルだ。ようするに木材を燃やしてエネルギーを利用するものだが、これはすでに行われているだろう。しかし、本当の意味を知っている人は少ないだろう。
とくに通常の「燃えるゴミ」扱いの中に割り箸やら紙やら何やら入っているが、それが燃やすことで焼却を助けているはずだ。さもないと「燃えるゴミ」は燃えない。とくに生ゴミは燃えない。だから重油で燃やしている。
しかし、そこに森林(木材)のゴミが入っていたら、燃焼を助けて重油の量を減らしている。これも立派なリサイクルであり、分別コストもかけずに済む。
この価値をもっと評価すべきだ。今は木材を燃やすともったいないと言われかねないが、中東から運んだ重油でゴミを燃やすより、よほどいいのではないか。
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