森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

山は壁か

2007-02-14 02:05:50 | 森林モノローグ

先日の生駒山系のフォーラムだが、そこでは歴史の専門家と緑化と都市計画の専門家による講演が行われた。

そこで気になったのは、いずれも山(生駒山)を壁と捉えていることだ。奈良と大阪の間に立ちふさがる障壁であり、都市の中心から離れて俯瞰する高見であり、登るのは大変で危険もあることを前提に語られた。

たしかにフォーラム参加者からすれば、山は異世界であり、畏れを持つから宗教世界も広がるのだろう。

ただ、吉野帰りの私(笑)からすると、視点が違ってくる。

古代、山こそ文化の誕生の場であり、交通の要衝だった。平地は見通しが悪く、川や湿地が移動を妨げ、決して暮らしやすい地域ではなかったはずだ。高低差のある山の斜面こそ、焼き畑に始まる農耕地であり、尾根と谷を結ぶ道が延びる地だったのだ。
事実、どこの地域でも、最初に人間が住み始めたのは山である。そして山伝いに人は移動し、交易したのだ。

そう考えると、生駒山だって、奈良と大坂の文化を生みだした揺籃地と言える。

平地からの視点ではなく、山地からの視点の日本史を描くと、山は壁にはならない。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山に造船所 (寺岡勝治)
2007-02-14 09:15:15
私は、富山和子さんから森林に興味を持ったのですが
その著書の中には、古代、山の頂に造船所があった
ということが記されています。

能登半島の山中に、その形跡があった地名や言い伝え
があったりとか、山の尾根に沿ってまっすぐ伸びている
道が日本各地にあるだとか。

鉄道が敷かれる以前の交通路は船。瑞賢の航路が開拓
される前は、尾根にそった山伏道だったのでは。
そもそも現在の平地というものは、土砂や湿地が
多く人間が住んだり移動したりするには地盤が緩すぎた
ところが多かっただとか。

平野の多くは砂地であり、それを植林などで土に代え
田に代え、現在の姿にあるのだとか。
確かに日本の平野は「平ら」なところが多いんです。
それは水を張っていたからなんでしょう。


返信する
Unknown (Sto)
2007-02-14 17:38:41
そういえば、前に古座川の山中深くを歩いていたら、尾根筋に古い歩道をみつけました。裏に「天保○年」とか彫られてあるお地蔵様が、道沿いに奉られていたり。

昔は村と村を行き来する重要な道で、牛も使われてたと案内の方が教えてくれました。山村文化の歴史を垣間見た想いでした。
返信する
昔からの集落は中腹に (青木)
2007-02-14 20:24:49
九州の山村を訪れると、昔からの集落は山の中腹にあることが多いです。当然、集落を結ぶ路は谷底より、山の中腹から峠をとおり向側に抜けています。旧道を利用すると、斜面が急な警告脇より、山の中腹や尾根越えの道の方がよほど歩きやすいと思います。

今は、車移動がしやすい谷筋の道に人家が移動しています。谷筋の集落は意外と新しい(50年くらいですが)ところが多いような気がします。

今は人が通らない旧道には、お地蔵さま、猿田彦碑など残されているので昔の人々の動きを想像させてくれます。
返信する
山の暮らしやすさ (田中淳夫)
2007-02-14 23:33:57
山の頂に造船所とは驚きですね。船の材料となる大木が得られるところ、ということでしょうか。

実は、日本に完全な平地など、ほとんどないんです。都会だけでなく、田園地帯でも水田は平坦な土地にあるように見えますが、それらは人間が土地を整地して平坦にしたんですね。

だから古代は、歩きにくくて見通しの効かない平地には住まなかった。尾根筋こそ、移動に便利だったのでしょう。

そういえば、ソロモン諸島でも、今でこそ海岸沿いに集落があるんですが、昔は山の上だったと言っていました。なぜなら首狩りの習慣があって、襲撃し合っていたから。山の上の方が守りやすかったんですね。
それに風が吹くから病気が少なかったと言っていました。イギリスの植民地になって強制的に海岸沿いに下ろされて、病気が広がったそうです。
返信する

コメントを投稿