前回に続き、戦前の吉野林業の写真館。
これは主伐風景。皆伐ですが、見事に尾根側に倒して、それを谷に集めています。谷に見えるのは修羅(木の滑り台のような運搬施設)かな? また奥に木の堰のようなものも見えるけど、どのように使ったのかは不明。
これだけ多くの木をきれいに並べて倒すのは、やはり相当な技術がいると思います。少しでも伐倒方向が狂えば、重なってしまう。結構システマチックに運営していたのではないかと感じました。
それにしても、木材景気に湧いていた頃の風景でしょうね。多くの人が働き、山村がもっとも輝いていた時代かもしれません。
「鉄砲」については、また明日。
>また奥に木の堰のようなものも見えるけど、どのように使ったのかは不明。
木曽や秩父だと,この手の堰に水をためて決壊させ人工洪水を起こして材を流下させたという資料を(当の木曽なり秩父なりにて)文献で読んだり模型で見たりしたことがありますが,吉野はどうなんでしょう.