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森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

織田家の系譜

2010-12-31 00:32:09 | ドーデモ体験談

年末に訪れた兵庫県丹波市の柏原。

少しだけ時間が空いたので、町を観光した。ここは、かつての城下町で古い町並みも少しだけ残っている。

そこで見かけたのが、この織田神社である。その名の通り、織田家を祀ってあるのだ。そう、織田信長で知られる織田家だ。

実は信長が討たれた後も、その一族は秀吉や家康の下で細々と命脈を保っている。この柏原には、信長の弟・信包(のぶかね)が柏原藩を開いていた。ところが3代にして男子がいず途絶える(甥が近隣に3000石の小さな領地を残す)のだが、一度は消えた柏原・織田家を約50年後に再興したのは、信長の息子・信雄の血筋である信休。

この信休は、実は大和の国(奈良県)の宇陀藩の藩主だった。現在の宇陀市大宇陀区である。ところが前の藩主が部下を切って自殺なんぞとんでもないことをしでかしてお取り潰しになった。ただ織田家を残すためか、信休を柏原に転封されたのだ。そして丹波織田家は、明治維新まで続いたのである。

以上、資料館で仕入れた知識(^o^)。

ともあれ、丹波と奈良を結ぶ糸を発見したのである。

ついでに柏原陣屋も覗いてきた。城はなく、ここが藩の執務所だったのだろう。

 


谷山浩子フラッシュバック(^o^)

2010-10-25 00:15:04 | ドーデモ体験談
突然、谷山浩子にはまった。

きっかけはツイッターだったが、もう30年も前に熱烈な谷山ファンであることを思い出させられたのだ。
あの時あれほど熱狂していたのに、不意に離れて忘れてしまった。そこに火をつけられた感じ。

とはいえ、持っているのはラジカセで聞いたテープばかり。今では簡単に聞けない。

そこでyoutubeで聞いてみたら、いやあ、ハマルハマル(^o^)。
書き込みみたら、私と同じように「20年ぶり、30年ぶりに聞きました!」というのが結構ある。

谷山浩子の曲は、いわゆるメルヘンチックなものが多いけど、実はすごく怖い作品が並んでいることに気づいた。そしてメランコリックでもある。

過去の時代を振り返る歌詞が多い。それが心に刺さる。

なかでも、当時はもっとも好きな曲だったのにもかかわらず、まったく曲もタイトルも忘れていたのが、「窓」。
聞いていてドキドキした。
「教室の窓から見る秋は、いつも不思議に光ってた……」と始まるように、これは学生時代を振り返ったシチュエーションだ。
「ギリシャの海も見えた」とメルヘンチックに見せかけて、「もうあの頃にはもどれない」と来る。
窓の内側から見た景色と外に出た違いは、夢と希望を抱いた学生時代と社会人の差か。

名作である。

青春の蹉跌を感じる(^^;)。

youtubeには、谷山浩子の歌う、中島みゆきの「海よ」まであった。
聞いてみると、つい中島みゆきバージョンの「海よ」も聞きたくなった。ああ、私は中島みゆきのファンでもあったのだ。
いや、谷山浩子から離れた後も、中島みゆきは長く聞いていたのだった。
こちらも、聞いていると青春を思い出すなあ。

いかん、どんどん深みにハマル。

サンドウィッチガール

2010-06-18 00:36:38 | ドーデモ体験談
駅前で選挙の演説。人だかりがしている。

が、その陰で、こんな格好で立っている女の子。そしてお店の宣伝文句を大声で張り上げる。
そう、最近オープンしたドラッグストア兼百均ショップの宣伝なのだ。ここんところ毎日立っている。

もちろん仕事である。おそらくアルバイトだろう。お店には、若い女性ばかりで、みんな元気がいい。街に活気が出たようだ(^^;)。
しかし、この姿。恥ずかしいだろうが、そんなことを考えないで声を上げている。見られて恥ずかしいが、注目されなかっても役目を果せない。

なんだか健気で、候補者の演説を聞くよりも彼女の写真を撮ってしまったぜ。

庭のほこら

2010-06-08 23:17:06 | ドーデモ体験談
道路拡張工事で破壊された庭の修復ととにも、新しい庭づくりを進めている。

これまでの庭のコンセプトは雑木林。さまざまな草木をいかに生やすかを目指した。見た目はブッシュだが、なかにはハーブあり、山菜あり、いろいろ収穫できた。

今度は、面積が狭くなったので、むしろ広々とした明るい庭を目指す。
まずデッキを建設。そしてほとんど平地になっていたので樹木の幼木を何本か植えた。コンクリートの壁には、ラティスを設置して、将来的に蔓植物が伸ばせるようにする。

そこで問題がある。工事の過程で、石がかなりたくさん掘り返されたのだ。いずれも生駒石と呼ばれるもので、結構な大きさもある。これをどのように処理するか。
最初は石垣のように使うとか、日本庭園のごとく配置するとかいろいろ考えたが、少し多すぎて、どうにも邪魔。そこで思い切って、一カ所に集めることにした。そして、同じく余っていたU字溝も合わせて、石を積み上げたほこら風に仕上げる。土を被せて古びた様子を演出。

せっかくだから、同じく余った木材で、鳥居のようなものを作る。(写真)
穴の中には、茶碗を置く。う~ん、なんだか由来ありそうになる。線香を添えよう。花も供えるか。
次は伝説をでっち上げることも考えねば。
伐られた庭の木を祀っていることにしよう。木の下から骨が埋まっていたことにするかな。

我が家の庭にひっそり眠る祠に隠された謎。知らずにいじると呪いが……。いやその奥には秘宝が……の方がいいかも。いっそ、地の神様の存在を訴えるのはどう?
なんか、私が呪われそう。

太鼓女子

2010-05-16 17:29:28 | ドーデモ体験談
東京の「森林の市」を見学してきたことは、表ブログにかなり書いた。

そこには各出店ブース以外に野外ステージがあり、各種のイベントを行っている。
たまたま覗いたときは、太鼓の演奏だった。「武蔵流 龍神太鼓」と幟にあるから、武蔵地方の団体なのだろう。主役は、子供たちである。

威勢のよい掛け声とともに、大太鼓、小太鼓などが演奏される。で、気がついた。

みんな女の子ではないか。

小学生高学年~中学生くらい? ステージの前面に立って、大太鼓も小太鼓も、たたくのはみんな女の子。
威勢はよいが、少し甲高い声が太鼓の響きとともに上がる。

そうか、女子の太鼓団体なのか。近頃は、そうしたサークルもあるのだな……。

そう思って見ていたら、あれ、隅の方に、小さな男の子もいた。ということきは、男女混成である。

しかし、目立つところ、そして大きな子はみんな女子なのだ。
ということは、男女別ではなく、団員を募集したら女子ばかりが応募したのだろう。男子は、小学生低学年が数人しかいないの?

あとは大人の男子。この人は指導者か。

太鼓の世界にも女力は進出しているらしい。会場の各ブースでも、元気な女性は多く見かけたが、今やイベントを主導するのも女性なのかもね。

もちろん、私は歓迎する(^o^)。



パーティ飯 争奪戦

2010-04-27 16:19:55 | ドーデモ体験談

政治家のパーティーに参加してみた。

なんで政治家の? と思われるかもしれないが、理由は略。まあ、あんまり深い意味はないと思っていただきたい。その場のノリです。

幸い、そのパーティーの参加費は安かった。いわゆる政治家の資金集めパーティーの半額くらいではないか。それとも最近はデフレで、これが相場になっているのか。

とはいえ、しっかり食べて、会費を取り戻すまではいかなくても、多少は元を取りたい。

政治家パーティーと言えば、だいたい参加者数の半分以下の量しか食事を用意せず、そこで金を浮かして収入につなげるというのが常套手段。参加者もおつきあいのパーティー券購入が多いから、出席したことを示したら食べずに早々に退散することが多い。だから、あまり用意しても無駄になるという面もある。それだけに下手すると、十分食べることはできない。

そこで、当初から狙いを定める。

まず、料理の配置を確認。中央のテーブルには、立食向きのお定まりオードブルに、洋食や中華系の点心が並ぶ。おお、なかにはカレーライスもあるぞ。ミートスパと、腹持ちの良さそうなものも。

が、部屋の周囲には、壁に着く位置に寿司が並んでいることを発見。さらに隅には、あまり目立たないが、蕎麦の屋台があるではないか。よしよし。

パーティーは、まずオペラ歌手の独唱から始まり、順々に挨拶。支援の言葉が続く。これはちゃんと聞いて、拍手しなければならない。礼儀である。おっと、途中で党の洋食、じゃない要職に就く人が駆けつけて演説。さすがに話し方は美味い、じゃない上手い。

そして最後に真打ち、本人の挨拶。拍手拍手。さあ、これで食べられるぞ。……とまた、別の人が最後に演説。いいぞ、さあ、食べられるぞ。……と、また。(笑) この間、水割りを3杯も飲んじゃったよ。

ようやく乾杯。そこでも挨拶……今度はビールだ。すきっ腹に流し込む。

さすがにしびれが切れかけたが、ついにゴーサインが出た。

スタートダッシュで、寿司台に駆けつける。まずは、ぱくついて腹ごなしすると、すぐに蕎麦の屋台へ。みんな気づいていず空いていた。しめしめ。さらに蕎麦の側にあった寿司なども手中に納めて、自分のテーブルにもどる。

最低限腹に納めたから、ゆったりとした気分だ。案の定、中央テーブルは狂騒状態。あっと言う間に料理の皿が空っぽに。すると人影が減る。そこに悠然と分け入り、わずかに残っているオードブルをかき集め、肉を頬張り、シーフードを奪取。 全部なくなったように見えて、案外、最後の一人分くらいは残っているのよ。

で、ゆっくりと水割りとビールとともにいただく。結構美味いなあ。さすがホテルの食事だ。

意外なことに、これでなくなったかと思えた食料いや食事は、その後どんどん追加された。一度は空っぽになった皿が新たな皿に交換されている。これは奪取、いやダッシュで取りにいく。中央テーブルは、大きく二つあるが、別の方にも遠征。すると、意外な食材が残っていたりして舌鼓。

最後にまた寿司台にもどる。ほとんどなくなり、カッパ巻きとしんこ巻きしか残っていない……いや、その重ねられた寿司桶の下を見ろ。ほれほれ、これまで見逃されていた握り寿司がまだたんまりあるではないか。これもパクつく。

しかし、食いすぎたよ。最後に狙っていたカレーが食べられない。残念だ。お酒も飲み過ぎ。ああ、デザートのフルーツが出たけど、もう……。

こんなパーティーで満腹になれるなんて、あんまりない経験だ。この政治家、いい人だなあ、と高感度アップ(~_~;)。

よいパーティーだった。

 


花見残念会

2010-04-21 00:16:56 | ドーデモ体験談
高齢……いや恒例の花見は、雨で「花見残念会」に。
居酒屋で開かれたのだから、単なる宴会と化してしまったが、一味違うのは、毎年演者がいることだ。もっとも、これも花見の席なら映えるのだが……。

今年は、川柳舞踏という、まったく知らない世界のダンサー・情野千里さん。

当初は店を出て、商店街のアーケードでゲリラ・ライブをしようという声もあったが、結局、居酒屋の同席するほかの客の許可を得て、その場で演じられる。

本当はロウソクの光の元で行われたのだが……。わからない(笑)。

それにしても、20年ばかり続く花見の宴も、そのままメンバーが持ち上がって、今や高齢者集団になってしまっているよ(・_・)。

総理官邸の記者会見

2010-03-27 10:09:57 | ドーデモ体験談

ツイッターを始めてみた。

まだ完全に使いこなしているとは言えないが、フォローする人は大きく分けて3種類。
まずジャーナリスト系
次に森林林業系
そして、見知った人

下から説明すると、知り合いが何をつぶやいているのかは、一定の関心事だろう。とくに収穫があるわけではないが。

森林林業系も、現場の声が聞けたり、通常ならスルーしてしまいそうな情報がサラリと流れていたりするから貴重。

そしてジャーナリスト系は、だいたい有名人だが、取材現場やその裏側が伝わってくる。ただし問題は、彼らが書きたがりなこと(笑)。140字制限のツイッターなのに、続き、続き、と立て続けに5本も6本もアップしている人がいる。画面が彼のつぶやき一色になる。あまりの人は、フォローから外す(^^;)。それにしても取材中、記者会見中にアップしている人は、どんな仕事の仕方をしているんだろうね。

ちなみに、昨日、鳩山総理が記者会見をフリー記者、雑誌記者、外国人メディアなどに開放した。これは一大事なのである。これまで頑強・巧妙に大手メディア記者クラブが抵抗してきたことを、首相の一存で開いたのだから。(最後まで抵抗したのは、平野官房長官らしい。記者クラブを手なづけたいのだろう。だから最初の記者会見では、官房長官を解任しないのか、とネット記者が質問した。)

この影響は大きい。今後、新聞やテレビを通じずに大臣の記者会見情報、あるいはインタビューが流れる可能性が高まった。いいように情報を操作し世論を誘導してきたつもりの記者クラブは痛手を被るだろう。

が、この情報は新聞やテレビにはほとんど流れないのである(笑)。私が知ったのもツイッターからだ。


マレーシア映画の女

2010-02-26 02:09:24 | ドーデモ体験談

私は、マレーシア好きの人々の集まるNPO「マンディ」の運営をしている。

かつては毎月例会を開き、マレーシアに関わった人を講師に招いていたのだが、数年前に力尽き、ほとんど休眠状態だった。

それを、私の誕生日に復活させた。

というのは、講師にぴったりの女性が現れたからである。

彼女は、青年海外協力隊などで約4年、マレーシアに暮らしたことがあり、マライ語に英語、さらに北京語や広東語まで少しかじっているという語学の達人。そしてマレーシア映画の大ファンなのだ。

しかし、マレーシア映画と言っても、相当マイナーなのは否めない。それを日本にも広めたいと語っていたのだが、このほど「大阪アジアン映画祭2010」に誘致することに成功したというのである。

私は、それを聞いて,すぐにマンディの講師をお願いした。

なんたって、見知らぬ映画監督にメールを送って応募出展をうながし、それに先方が応じるや、映画祭事務局を動かして、とうとう招待を決めたのである。しかも彼女が映画の字幕づくりや宣伝まで行っている。

上映が決まった作品は「パパドム~パパの味」。昨年10月にマレーシアで公開されたばかりの作品で、海外初上映。しかもマレーシアの映画賞を総なめした優秀作品だ。ほかに昨年急逝したヤスミン・アハマド監督の4作品も追悼上映される。

映画について、そしてマンディの例会の様子については拙HP「生駒通信」に譲るとして、私は彼女のその思いと馬力にほれた(笑)。

いつの世も、そしてどんな分野でも、こうした熱意と努力を持つ人がいないと動かない。彼女がいなければ、日本で紹介されるのは随分先、いやなかったかもしれない。

私も、彼女の話を聞いて、これは絶対に見てみたい! と思うようになった。上映日は、3月11日と12日だ。なんとか時間を作ろう。


30年ぶりの同窓生

2010-02-25 01:17:19 | ドーデモ体験談

東京の某講演会場に姿を見せた、高校時代の同級生。

事前にメールで参加すると読んでいたが、当日は名前が出てこなかった(笑)。なんたって、卒業後初めての再会だ。30数年ぶりになる。クラスも同じだったことがあると思うが、むしろ彼とは山岳部で一緒だった思い出が強い。

終了後、新橋で飲む。サラリーマンの聖地と言われるこの地で飲めるのが嬉しい。が、店は高いだけだったな。考えてみれば、彼は一人会社の社長だから、私と同じ自営業というべきであり、サラリーマンではない。
仕事内容を聞くが、複雑多様というか、隙間ビジネスというか、情報フィクサーみたいな、ようするに私とよく似た立場だった。

いろいろ話したが、これほど年月がたつと、昔話にもならないものだ。それよりも高卒後から現在までの空白が重みを持つ。

なんと、彼は新婚であった。うらやましい(^o^)。思わず再婚かと思ったが、初婚だという。劇的な大恋愛話を期待するも、「見合いだ」。もっとも、正式な見合いというより、世話好きおばあさんの紹介らしいが。

なぜ、これまで結婚しなかったのか。問わず語りに出るこれまでの歩みに、お互いくぐってきた修羅場を思い返す。

ただ一つ、自慢したくなったことがある。

彼の頭は、かなり胡麻塩状態だったが、私は黒髪を誇っていることである(^o^)。東京行前に、娘に白髪切りをさせてよかった(⌒ー⌒)。


幻の横浜中華街

2010-01-17 23:23:15 | ドーデモ体験談

東京のシンポに出席。無理すれば日帰りも可能だが、翌日に座談会の話が出たので、一泊することにした。そして夜の会合も決まった。

ところが、直前に座談会がキャンセルされて日延べ。

かといって、いまさらほかの用まで外せない。となると、翌日が丸ごと空いてしまう。
さすがに取材するテーマは思いつかないし、そもそも土曜日で休みが多い。何か楽しめるところはないかと考えて、思いついたのは次の三つだった。

横浜中華街
お台場
ジブリ美術館

そこで横浜ならと、横浜在住の女性に「デートしませんか」とメールで申し込むも、返事はなし。振られた(T_T)。
しょうがなしに(*_*)、男の友人に電話。OKが出たので安心して、その日はホテルに泊まり、翌朝待ち合わせなどを決めるつもりで、また電話。

ところが、彼は二日酔いなのであった(@_@)。
動けないというのでパス。

なにくそ、と、別の横浜の友人に電話するも、出ない。

さすがに万策尽きる。一人で中華街に行くことも考えたが、歩くのはまだしも一人で食事するのも虚しい。東京で誘える人はほかにいないでもないが、直前すぎる。

ジブリも予約制なのであきらめ、結局は一人でお台場に出かけたのであった。

ちなみに、最後の友人は、帰りの新幹線に乗ったところに電話。気がつかなかったのだと。手遅れだよ(-_-)。今度、大阪で会う約束をした。

誰か、私が東京で暇してる時につきあってくれる人、募集します。女性優遇(笑)。

 

 


初詣は辰五郎大明神

2010-01-03 00:05:58 | ドーデモ体験談

今年の初詣に訪れたのは、「辰五郎大明神」である。まあ、ほとんとの人が知らないだろう。

三輪神社から少し山辺の道に入ったところにある。実は三輪神社を詣でたものの、あまりの人でさっさと退散、裏手に回ってみると「きよめの滝」の標識があったので、訪れてみたのだ。

そこは、よくある滝行を行う場なのだが、その社務所?に挨拶すると、「ぜんざい、食べていきませんか」との声がかかる。

ぜんざいと言われたら、遠慮しません(^o^)。上がり込んで、いただくことになった。

餅を火鉢で焼いている間、よもやま話。

「辰五郎大明神」とは、どんな由来があるのかと尋ねると、

「よくわかりませんのや」

なんでも、祖父の代からあったのは間違いないが、いつごろから、そして辰五郎とは誰か、何も記録が残っていないらしい。

ただ、以前「淀屋」のことを調べている人が偶然来たらしい。
淀屋をご存じだろうか。江戸時代前期、随一の豪商だ。当初は材木を扱い、土木工事も行っていたが、やがて米問屋として米市を開き、数々の市場を創設する。大坂を「天下の台所」に仕立てた立役者である。一時は海外貿易にも乗り出し、北前船の先駆けにもなっている。現在、中之島にかかる淀屋橋を掛けたのもこの商家だ。
とてつもない大金持ちとして有名だが、実は5代でつぶれている。幕府ににらまれ、財産を没取され大坂を所払いされたのだ。

武士への貸し付けがあまりの金額になったからだと噂されている。

で、この淀屋の5代目が「辰五郎」だというのである。

まあ、それとつながりがあるのかどうかは、まったくわからない。

だが、大坂の米といえば天下の台所であり、世界で最初の先物相場を作ったところ。淀屋も関係したのは間違いないだろう。先物は、何かと危険視されがちだが、実は金融市場では欠かせないリスクヘッジの手法である。先物抜きに、現在の国際金融は回らない。

「ならば、この大明神も、先物の神様として売り出したら、人気呼びますよ」

こんなことをいう私は、俗物である(笑)。が、あえて、いう。

辰五郎大明神をお参りすると、先物取引で運が回ってくると信じよう。間違っても、財産没収にはされない(^^;)。むしろ、ぜんざいをいただける…かもしれない(^o^)。

ちなみに淀屋は、その後番頭によって松江に再興されて、江戸後期にはまた大坂で活躍する。だが幕末には、倒幕派に全財産を投じるのである。徳川への恨みを晴らしたのかもしれない。

 生臭い話になってしまったが、私の初詣には向いていたかもね。


ウサギちゃん

2009-12-20 11:21:50 | ドーデモ体験談

忘年会? で神戸へ。

なんと、仮装するよう言い渡されて、用意されたかぶりものを付ける。私はおとなしいものをと懇願して、蛙の目で済んだが、みんなウサギの耳やらカツラが多い。それもイロモノだ。金髪あり虹色あり。

でも、見てみると、男は似合わネエ。みんな違和感ある。(私以外は……)
それに比べて、女性陣は、いずれも仮装が似合うんだな。ウサギの耳やニャンコの耳を付けた途端、可愛くなる(^o^)。なかにはトナカイまであるのだが、それも似合う。いや、元がいいのでしょうが、それにしても違和感なく可愛い。年齢幅はある(20代~50代)が、女性は、基本的にかぶりものが性に合っているのか?

写真の女性たち(+野郎)は、みんな美人揃いなんだけど、未許可なので、とりあえず目伏せだけしておく。もったいないなあ。

ちなみに名札に書かれた名前は、キャサリンにジュリアン、アニータ、チェリー……なんて書かれています(笑)。私は……秘密にしておこう。
お互い素性も知らないままの参加なんだから、それでいいか。

ほとんど初対面同士なんだけど、次第に打ち解けて、なかには見事なボケとツッコミを演じる男女二人がいたりする。私もすっかり仲間入り。いやはや不思議な世界であった。


新人から素敵女子へ

2009-11-30 00:42:01 | ドーデモ体験談

最近、タイトルに「女性に関する言葉」を入れると、アクセスが上がる、ということに気がついた。だから、今回も(笑)。別に、アクセス増えないでもいいんだけど。

 

ここんところ、2年ぶりに逢う女性が相次いだ。しかも、2年前は新人。それが2年立つと、どうなっているか。

まず、某雑誌編集部のYさん。前回会ったときは、ピカピカの新入社員であった。なんでもアメリカ(だったかな……)に留学していて、インターネットで社員募集を見つけて、応募したという。ところが空きがなかったのに押しかけて? 最初は編集長の経営するレストランでバイト生活(笑)。でも、ちゃんと編集部に就職できたというのである。

今回、編集部を訪ねる直前に編集長にメールを送ったのだが、彼は出張中で、彼女が代わりに返事をくれた。そしてテキパキと段取りを組む。おかげで、通常なら編集長に会えないならとキャンセルする訪問を実現させた。

久しぶりの彼女は、すっかりあか抜けて、キャリアウーマンといったイメージではないが、我々の専門的な会話にさりげなく参加したり、情報も提供する、仕事もできる素敵女子になっていた。もちろん、立ち振る舞いもファッションも素敵♪だった。
こうした編集部員とは、一緒に仕事がしたくなる。

 

そして、静岡で再会したKさん。彼女と2年前にあったとき、彼女は学生だった。卒論の研究のために私にインタビューをしに生駒まで来たのである。
逢える時間が限られていて、ホテルで一緒に朝食を取った(彼女とは朝合流したんだよ笑)が、ホットパンツ姿ながら、なかなかあか抜けていた。学生時代とイメージが違う。なんたって彼女はホテルウーマンなのだ。

話し込んでいると、それなりに仕事の上の悩みもあり、今回配置転換が決まったらしいが、そんな姿も社会人ぽい。思わず、「悩むのって、いいことだよ」と人生訓垂れてしまう。そして人生なんて、ものすごくいい加減に、どうにでも転がっていくものか実例を挙げてしまった。

そこで見せられたのが、彼女の卒論に対する教授からの手紙だった。そこには最大級の賛辞が並んでいた。「2軍選手の試合を延々見せられて、飽きてきたところに松坂大輔かダルビッシュ有が登場したようだった」とまで書いてある(笑)。

彼女は、仕事で怒られてめげた時に、読み返して元気をもらうそうだ。

実際、その卒論は実によくできていて、何より自分で調べて自分で考えて書いたことが伝わってくる。

おそらく、その経験は、今後の仕事でも活かせるだろう。その卒論に私も多少かかわったことが嬉しい。

そんな彼女も、素敵女子だったよ。

成長する彼女らを見て喜ぶとは、私も父親気分かなあ……(~_~;)。