町内で、ある女性に声を掛けられた。
顔は覚えがあるものの、さほど話したことはない。
彼女のいうには、吉野の「梶谷さんはお知り合いですか」ということだった。梶谷君は、東京出身ながら林業がやりたいと黒滝村にやってきて、チェンソーアートもしている、わりと有名人。イケメンともっぱらの評判である。私とはいろいろな面でつながっている(イケメンつながりではない)。
なぜ、梶谷君と私の関係を知ったのか。
それは昨年のソトコト7月号に載った特集「森林愛」の記事である。
私は、その中の森林Q&Aを監修のような形で関わったのだが、そこに私の顔写真も小さく載った。そして同じ特集に梶谷君も紹介されていたのだ。梶谷君目当てで読んだ雑誌で、私の顔を発見したわけか。
実は、梶谷君の奥さんとお友達だそうだ。そのきっかけは、彼女が10数年前に黒滝村の温泉のキャペーンガールをやっていた時に出会ったのだとか。つまり、彼女は元キャンギャルであったのだ。
そういや梶谷夫人は、吉野の山村出身だが、大阪に出てキャンギャルではなかったと思うが、MCなどやっていたはず。結構、出たがりである。田舎が嫌いと公言しつつ、田舎好きの都会男と恋に落ち、結局山村暮らし(^^;)。そして元キャンギャルのご主人は、最近までマレーシアに単身赴任していたのだという。私ならクアラルンプールに住めるのなら羨ましく思うのだが、彼女は行きたくなかったとか。
ちなみに、その日は町内の草刈りの日であった。そして彼女の姿といえば、 ホットパンツに半袖Tシャツ。そして素手。動くと背中かおへそが見えそうな(^^;)。
なかなか華やかな顔だちの人なのだが、元キャンギャルかと思うと、妙に納得してしまったのであった。しかし、その姿で草刈りは無謀だ。
なんとレイトショーで「ジョン・カーター」を見てきた。
終わると午前様だけに安いのだが、会場はガラガラ。だって私しかいない(^^;)。あとで一人来たけど、たった二人のための上映会だ。
さて、「ジョン・カーター」が、エドガー・ライス・バロウズの「火星のプリンセス」を原作にしていることは知られている。バロウズと言えば「ターザン」の原作者として有名だが、本当は「火星シリーズ」の方が出世作だし、アメリカでは人気なのだよ。火星シリーズのほか「金星シリーズ」や地底世界の「ペルシダーシリーズ」など、数ある作品はみな波瀾万丈の冒険談ばかり。みんな同じ(^o^)。が、退屈しない。
私も、昔ははまっていた。いずれのシリーズも夢中で読んだものだ。ターザンは付け足し程度。とにかく物語のの展開(冒険)を、ぐいぐい引っ張られるように読み進めるが、実はストーリーはよく覚えていない(^^;)。どの作品も差がなかったりする。むしろシチュエーションの魅力に引っ張られる。
ターザンが類人猿に育てられた人間の物語であり、ペルシダーシリーズの舞台は、空洞地球(地球は空洞で、地中に太陽があり、裏側に大森林が広がっている)。火星も金星も異世界の楽しさだ。そういや、ペルシダーにターザンが訪ねていく(主人公を救出しに行く話もあったっけ。
私は、シリーズものより単品に魅力を感じていた。「月シリーズ(2作)」の、月人に征服された地球の話とか、ボルネオに誕生した人造人間?の「モンスターマン」。野生にもどってしまったヨーロッパが舞台の「失われた大陸」。絶海の孤島の進化が狂った世界「時間に忘れられた国」。カンボジアのアンコールワットが舞台の話もあるし、アパッチを主人公にした小説は、白人を侵略者として描く。そうそう、火星シリーズの最後は、主人公ジョン・カーターは木星へ飛ぶのだ。そして木星シリーズが始まりそうだったのだが、未完。
基本的には大円団で終わるストーリーながら、奔放な世界に連れて行ってくれることに憧れた。今読み返す体力はない(^^;)が、懐かしい青春の読書である。
おっと、映画のことを忘れていた。
映画「ジョン・カーター」は、原作を尊重したつくりだが、ちょっとマニアックかな。同じ宇宙ファンタジーものの「スターウォーズ」が大ヒットしたのに比べてパッとしないのは、せっかくの映像が万人受けしないのだ。ストーリーやシチュエーションも原作を知らないとわかりにくい部分もある。キャラクターは悪くない(とくに火星の緑色人や赤色人、そして動物たち)のに。ヒロインに魅力がないのは残念。
制作費は莫大だったのに、不入りで、ギネス級の赤字映画という評判もある。これでは第2作は無理かな。回を重ねたら味も出てくるように思うのだが……。
ところで最後の最後のシーンに日本語が出てきた。日本公開向きにつくったのだろうか?
庭掃除をした。
繁っていたフキなどを刈り取ると、隠れていたコビトハウスやコビト神社?が姿を現す。
そこで覗き見。
屋根に誰かいる。ちょっとアップする。
おお、熊(♀)と熊(♂)の逢い引きシーンだ。
おおお。メスがよろめいた。
♂も、結構、積極的(^^;)。
……なんて、アホなことを。
なんじゃ、こりゃ。
実は、シュラフ、つまり寝袋である。学生時代から愛用しているのだが、今の主な利用法は、リビングに寝っころがったときの枕(^^;)。
心地よい高さと感触なのだ。
が、本来のシュラフを入れていた袋は早くに破れたので、10年以上も前に自作した。
ちょうど薄手で強い生地の端切れが売っていたのだ。ぞさをシコシコ手縫いして愛用していたが、さすがに愛用しすぎたのか、最近は破れてきた。生地がこすれて薄くなっているので修繕も無理。
そこで3代目の袋をつくろうと考えた。
とはいえ、前回のようにぴったりの生地は見つからず、そこでデニム布を使うことにした。これなら10年と言わず長持ちするだろう。
が、デニム生地でちょうどよい大きさの端切れの出物はなく、改めて布として買えばかなり高いことがわかった。そこで安いジーパンでも買ってばらしてやるか……と考えていた時に、散歩の途中で見つけたのが、古着屋の店頭にあったデニム地のスカート。なんと100円。
思わず買ってしまった。そして、すぐにチョキチョキ。
せっかくだから、スカート部分を活かそうと、ポケットやファスナーを残して、うまく利用する。
とりあえず完成!
なんかシュールだけど、可愛くないか(^o^)。
もう少し、縫い目の補強などをしようかと思うが、3代目もお気に入りになりそうだ。
そのうち、このまま山に持っていこうかな。
生駒山を歩いた。
珍しく大阪側から登り、府立公園内を鳴川峠めざして進む。ほとんど40年ぶりかもしれん。小学生の頃は、気軽な遊び場だったが、公園という意識はなく山登りだった。道だって整備されていたとは言えない。
今回は、広い管理道もあって、苦労せずに進む。「見はらし休憩所」「せせらぎ広場」「つつじの広場」なんて名前もついている。
ただ、道は登ったかと思えば下りになる。せっかく登ったのに下るのはもったいないという心理。
そこに目に入ったのが奇妙な階段だ。遊歩道が下りになったところにふと目に入った、細いが一直線に登っている階段。
これは近道に違いない。絶対、そうに違いない。
迷わず、登る。なに、目的地がずれたとしても、登れば尾根にはスカイラインが走っているのだから、そこに出れば問題ない。
と、登りだしたのだが……。
ここ何年も登る人いなかったのかなあ……。不気味。
が、登りだしたら、後戻りはないのだよ。そんな、もったいない。
しかし、延々と続く登りは、1000段くらいになるかと思うほど。金比羅さんに負けないぞ。
登り切った最後は……なんと藪だった!
むかつくが、ここで元来た道を下りる気にはなれん。幸い、藪の中にわずかに踏み分け跡が。そこを進むのだよ。きっとスカイラインに出る……。
実は、勝算があった。階段を登っている間に、近くにパイプが走っていて、この上に何らかの建築物があることを読んでいた。それに生駒山の地図は頭の中に入っている。
藪を少し進んで見えてきたのは……塀である。そして、その向こうに建物が。にやり(⌒ー⌒)。
道跡?は、そのまま塀に沿って延びるが、遠回りは面倒なので塀を乗り越える。建物があれば、そこに道があるはずだ。
ありゃりゃ。これは釣り鐘である。お寺であったか。しかし、上には鉄塔が建つ不思議な構造。
ほかにも鳥居に石碑に、怪しげ(失礼)な施設が点々と。
ようやくわかった。これは某新興宗教のお寺だ。実は大昔に来たことがある。もともとは中世の山城的寺院があったのだが、それが滅んだ跡に、戦後になって霊能力者が開いた宗教施設があるのだ。
その団体は、ミニ宗教が多い生駒山の中では大きな勢力を持っている。霊能力を持つ開祖はなくなり二代目が継いでいるはずだが……そのお寺に迷い込んでしまったらしい。(塀を乗り越えて迷い込んだとは言わないかね。)
とにかく脱出を試みる。この釣り鐘堂から山を下って本堂に出るも、人に会わないように門へ。
立派でしょう。いつか、ちゃんと参拝させてくださいませ。
妙なタイトル付けてしまった……。女子高生と書いたら、アクセス増えるか?
いや、元女子高生なのである。何年前だろう? 10年近く前。
とにかく、そのくらい前に女子高生だった女性と初めてあったのである。そんな人、いくらでもいるか。20代半ばの女性と初めて会えば、皆ほぼそうなる。しかし、今回は意味合いが違う。
まだろっこしいか。ようするに知り合ったのは、相手が女子高生だった時ということだ。ただし、メールのやり取りだけなので、直接の出会いではないし、顔も知らない。そのまま延々とメールだけでつながり続け、今回、初めて会ったというわけだ。だから、意識としては女子高生のままだったのだ。
会ったのは、熊本城。彼女は、今は熊本に住んでいるのだ。ただし、かなり熊本市から離れたところである。私が熊本に行くことになったので、それなら会いましょう、ということになった。もっとも決まったのは、当日朝だ(^○^)。
ともあれ、お会いして記念撮影。それが写真。
最初は、彼女から拙著を読んでメールをくれたのだった。その時、彼女は東京の女子高生。卒論?みたいな自由研究に焼畑農耕を選んだそうで、私の『日本の森はなぜ危機なのか』にも焼畑について書いていたからだった。
こうして私は、女子高生とメル友になった\(^o^)/。
その後、彼女は大学に進学するも、折に触れてメールをくれて、近況を交換していたが、彼女の動きは波瀾万丈神出鬼没有為転変……。とにかく行動力抜群。コチラと思えばまたまたアチラ、と動く。私がある農林家を紹介すると、翌週には訪ねて行って、泊まり込みの研修受けていたりする。海外も飛び回るし、いやはや。
そして卒業後は高校の講師として青森だ、神奈川だ、千葉だ……と転々と。
そうかと思えば、結婚しました! 相手は外国人です! もうすぐ子供が生まれます…というのである。実は、お会いしたときも、オナカの中には第2子がいた。
熊本に移ったのは、旦那の仕事の関係かと思っていたら、彼女が熊本に講師の職を見つけたから、というのが理由だった。ついていく旦那はエライ。
もう熊本に居つきます、と言っていたが怪しい(~_~;)。
ともあれ、初めて会ったとはいえ、過去(これまでの歩み)を聞かせてもらうと、懐かしく感じた。彼女は、この10年で大きく変わり成長したのだろう。で、私は老いたのだろう(笑)。
娘にも、これくらい大胆な人生歩んでほしいと思う。でも、ちょっと怖くもあるけど(^^;)。
福島の林業復興シンポジウム。
私は講演のほかパネルディスカッションのコーディネーターも担当したが、出席者の中に葛城奈海さんもいた。
林業界の人なら誰もが知っている、「森林の仕事ガイダンス」の司会や「みどりプレス」などに登場している林業界のアイドル(笑)だ。実際、全国の林業地を回って、とくに緑の雇用の人に会っている。また東大農学部出身と聞くから、第1次産業に関する素養もあるのだろう。一方、いち早く飯館村なども訪問したと聞いた。福島の林業関係シンポにぴったりである。
ところで、彼女の肩書は、「女優」なのである。レポーターとか司会業ではなかった。実際、ドラマなどに出演経験もあるようだ。
私も、ガイダンス会場(大阪)でよく眺めている(^^;)。間近にいても、話しかけるチャンスはなかったなあ。が、今回は、間近どころか横に座って話もしたわけだ。
彼女は背が高くてカッコいいよ。
コーディネーターなら、葛城さんの方がプロでしょ、話詰まったら、全部振るから、なんなら途中で交代します? と言っておいた。実際、なんで私なんだろう。彼女のギャラが高かったのかも。
とはいえ、パネルディスカッションは無難に終わらせ、その後林業祭の見学に出席者全員で行く。その際は雨だった。私は傘を車の中に置いてきたが、彼女は持参していた。というわけで、彼女と相合い傘したのである\(^o^)/。あとで県職員が傘を持ってきたけど、それはいらんよ。
ちなみに、彼女は、子供の頃奈良県に住んでいたという。学園前だ。おかげで、なくなった菖蒲池遊園地の話で盛り上がる。生駒山もよく登ったとか。また、葛城という芸名は、葛城山から取ったのだそうだ。奈海の奈も、奈良の字だね。海はないけど。
最後に「また、ガイダンス会場で会いましょう」と言ったのだが、あとで「森林の仕事ガイダンス」は、事業仕分けでなくなったことを知った。彼女は仕事を失ったわけだ。もう林業関係に縁が薄くなるのかなあ。
写真撮っておくんだった(;_;)。ちなみに上の写真は、昨年のガイダンス会場で盗み取りしたもの。拡大したら、ぼけていたなあ。
神戸の酒心館で行われた、谷山浩子コンサートに行った。もちろん一人である。谷山浩子は、一人聞くものだ(一緒に行きたいという人がいない……)。
場所は、阪神石屋川駅から南に徒歩で8分のところにある元酒蔵ホールだ。
私が阪神電車に乗って座った前の席に、いかにもオタク風の中年男がいた。ウォークマン?ipod?を耳にし、でっぷり太った姿は、オタクであった(笑)。
石屋川駅で、私とともに下りた。もしや……。
そのままつかず離れずに歩いていると、信号待ち。そこに男が5人くらい滞留した。みんな一人で、中年男。ブレザー姿もあればサラリーマン風、トレーナーにジャンバー……と服装はてんでバラバラだが、みんな同じ匂いがした(笑)。
そして、信号を渡った後の歩くコースはみんな同じ。そう、私も含めて全員、酒心館へと吸い込まれて行ったのである。
なんで、谷山浩子ファンには、独特の同じ匂いがするのだろう。ちょっぴりオタクぽい、孤高の人(^o^)の匂い。もしや、(オタクでも孤高でもない)私も、そんな匂いを漂わせているのか。それは誤解です。
会場は、150人くらい入れるかな。後ろはパイプイスに畳席もある不思議な空間。でも、すでに満席に近かった。かろうじて、隅の方に空き席を見つける。
周りは、みんな男だった。みんな中年。みんな一人客(^^;)。ホールの中には、女性も若干いるし、カップルもいるのだが、圧倒的に男だね。年齢は30代以下は少なくて40代~70代くらい?
ここ1、2年、猛烈の谷山熱が復活している。35年前のファンに成り立ての頃は、金のない学生だったから、なかなかコンサートも行けなかった。あの頃は、若かった。私も、ファンもみな若かったのだよ。そして谷山様も(^o^)。、夢中になっていたのだよ。そして、しばらくの空白を置いて復活したのである。
………………
さて、コンサートを堪能して、帰途に着く。また阪神電車に乗る。途中、急行に乗り換え。そこで座れたので、会場でもらったチラシなどを確認する。
「いいコンサートでしたね」
隣の男から声をかけられた。目をパチクリ。「あなたもコンサートに行っていたのですか」
なんと、その人は前日の京都コンサートも足を運んでいて、2日続けてのコンサートだという。負けた。実は私は、21日に福島へ仕事で行くのだが、その夜に郡山で谷山浩子コンサートがある。私は、こっそり足を運ぶことを考えていたが、あっさり仕事先のメンバーにつかまって「打ち合わせ」をすることになってしまった(T-T)。もし、行けていたら「勝った」のに。
聞くと、彼は1990年代の「みんなの歌」の頃からのファンだという。デビュー時からのファンであった私は、「勝った」と心の中を思いつつ、熱中度は私以上の彼に「負けた」と思う。(- -;)
が、なんたって、谷山浩子ファンだという男と会ったのは、初めてである! それ自体が感動的であった(笑)。そして谷山様のどこがいいのか、あの歌のどこがスゴイなのか、どのように昔のレコードや本を探しているのか……と、まったく見知らぬ人同士で、熱く語り合った(^o^)。
もはや同志! と呼びたい気分である。
よほど、大阪で一杯飲みながら語りませんか、と誘いかけたが、ぐっとこらえて、乗り換え時に別れた。
次は、12月24日の大阪フェニックスホール(コンサート会場)で会いましょう。そう言ってさよならする。彼は、確実に行くそうだ。
それにしても、クリスマスイブの夜に、男一人が大挙集結するのだ。きっと、みんな同じ匂いがしているだろう。すごい(匂いの)コンサートになるぞ。
さっそく翌日、私もコンサート予約をした。
先日、駅前を歩いて本屋でも覗こうかと思っていたら、私の名を呼ぶ声が。
ふと声のした方向を見ると、車の中から女性が手を振っている。おおお、着物姿ではないか……て、まあ浴衣みたいなものではあるが。
近づくと、娘を学童保育に入れていた時分に知り合った保護者であった。おや、懐かしい。
「わかっているわね」
「……はい。お金ですか。今払わなければいけません?」
「そうよ」
私は、黙って財布を広げ、3000円を払った。
実は、学童の保護者仲間とは延々つきあいが続いているのだが、そのなかに医師がいて、病院勤務を辞めて独立したと連絡を受けた。そしてみんなで出資して何かお祝いの品を送ることになったという連絡を受けたのだが、私は賛同したまま、支払っていなかったわけ。
別にすっぽかしたつもりはない。支払い方に、「会って渡す」「振り込む」「夏祭の際に渡す」という選択肢を示されたのだ。わざわざ渡しに行ったり振り込んだり郵送するのもナンだから、夏祭に……と思って早半年(笑)。
もうすぐ祭なのだが、その前につかまったわけである。
ちなみに浴衣姿なのは、特別な理由はなくて、着物の方が涼しいからとのこと。
しかし、思わず「キャバレーのホステスさんにたまったツケを払っているみたいだな」と呟いたのであった。
ちなみに夏祭は、元保護者の有志でフライドポテトの店を出す。こちらも来て手伝うよう、言い渡された。
ご無沙汰である。ま、こちらに更新義務は課していないのだけど。
私がよく行く接骨院は、かなり体育会系だ。入るなり、大声で挨拶。その後のノリも運動クラブのような威勢のよさを売り物?にしている。いや、こちらは静かな方が癒されるのだけど…。
で、施療(マッサージ)を受けているときに、よく話しかけられる。いや、私は静かに身体がほぐされるのを感じたいのだけど…。
話しかける話題に、なぜか私の腰に付けている携帯電話のストラップが上がる。
なんか、珍しい?
これは、信州の上田市に取材に行ったときに手に入れたもの。このマークは、六文銭だ。つまり真田家の家紋(正確には旗印。六連銭という)である。
上田市とは、戦国時代、真田一族の居城・上田城があった。とくに真田昌幸・幸村親子が活躍したところだ。徳川の大軍を2度にわたって撃退したことで知られる。
……と、まあ歴史ファンなら、ちょっと喜ぶのだが、実は治療師の興味は、そこに向いていないように思う(笑)。
彼らが気にするのは、たいてい、この裏。
わかるかな? 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間、そして天上。いわゆる六道が書かれているのだ。仏教用語というか、仏教の世界観を示している。世の中、この6つの世界に別れているのだ。
そもそも六文銭とは、三途の川を渡る代金だとされているし、仏教に縁が深い。
なぜ、ここに興味が集中する(何人も声をかけてくる)のかと思っていたが、先日の人は仏教系の高校を卒業したから、こうした言葉は身近だったそうだ。さらに座禅や読経もあったという。
なるほど、接骨院に勤めるには、柔道整復師の資格を得ているが、彼らは柔道をやっている人が多いのである。
先日の彼は、柔道がしたくて、遠く愛知県の高校に入学したら、そこが仏教系だったのだそうだ。否応なく、仏教用語をたたき込まれたとか(^^;)。
今も柔道は続けているが、先日の大会で生駒大会で優勝したそうだ。実業団の大会でもベスト8まで行ったとか。柔道命!なのである。
これでは、体育会系になるよな、接骨院全体が(笑)。ほかにもボクシングしていたという人もいたし。
ともあれ、私のストラップは、話題を提供し続けている。
昨夜は、静岡(富士宮)で震度6強の地震と聞いて仰天したが、その後何の被害の報告もなく、変な意味で納得。そして、30年も前の大学時代のことを思い出した。
大学に入学して、よくやったアルバイトが世論調査である。その中には、地震に関するアンケートが結構あった。というのも、当時から東海大地震が来る、来ると喧伝されていたからだ。
驚かされたのは静岡県民の意識の高さ。地震予知が間違ってもいいですか、という問いには、ほとんどがイエス。それで発表止めろという声はほとんどなかった。
そして当時の静岡県知事の言葉。「静岡に大地震が来ても大丈夫。心配なのは東京だ。あちらは何の準備もしていない」
静岡ではハードもソフトも震災対策はやっているという自負と、意識の低い東京が壊滅したら地方まで被害が及ぶ、ということを言いたかったように思う。
世論調査で各地の人々を訪ねて回るのは新鮮な体験だった。冬の寒い時期は、一緒にコタツに入れてもらいながら回答を取ったり、アパートを訪ねて気乗り薄の主婦を口説いて答えてもらったら、帰り際に飴ちゃん(^^;)を握らせてもらったり。逆に、訪れた家が葬式明けだったこともある。息子が亡くなっていたのだ。そうそう、伊豆半島まで出かけて温泉に一人泊まったこともあった。初めての一人旅だったかもしれない。
そんな経験が、今の職業に活かされているようにも思う。
先日、東京で訪ねたのは、西武新宿線沿線の下井草。
新宿から20分くらいで、わりと緑地も見える郊外の住宅地になる。
が、駅を下りるといきなりホームにあったのが、アニメの町のポスターだ。
えっ? ここがアニメの町? が、改札を出るとさらに目に飛び込んでて来たのが、ガンダムの銅像!!! ど、どうなってるんだ。
街角にもガンダムのシルエットが街のマークのようにあったなあ。
なんでも、ガンダムをつくったスタジオがこの町にあるらしいのだが……それだけでアニメタウン化してしまうのか。。。
が、驚いたのは、目的の家に近づくと目に止まったコレ。
かの伝説の漫画家かちの梁山泊・トキワ荘を思い出すではないか。
もっとも、これらの要素以外、何も漫画やアニメっぽいものはないんだよね。無理な地域づくりネタにしちゃったんじゃないかなあ。そりゃ、ガンダム・ファンは訪ねてくるかもしれないけれど……。