森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

初詣は辰五郎大明神

2010-01-03 00:05:58 | ドーデモ体験談

今年の初詣に訪れたのは、「辰五郎大明神」である。まあ、ほとんとの人が知らないだろう。

三輪神社から少し山辺の道に入ったところにある。実は三輪神社を詣でたものの、あまりの人でさっさと退散、裏手に回ってみると「きよめの滝」の標識があったので、訪れてみたのだ。

そこは、よくある滝行を行う場なのだが、その社務所?に挨拶すると、「ぜんざい、食べていきませんか」との声がかかる。

ぜんざいと言われたら、遠慮しません(^o^)。上がり込んで、いただくことになった。

餅を火鉢で焼いている間、よもやま話。

「辰五郎大明神」とは、どんな由来があるのかと尋ねると、

「よくわかりませんのや」

なんでも、祖父の代からあったのは間違いないが、いつごろから、そして辰五郎とは誰か、何も記録が残っていないらしい。

ただ、以前「淀屋」のことを調べている人が偶然来たらしい。
淀屋をご存じだろうか。江戸時代前期、随一の豪商だ。当初は材木を扱い、土木工事も行っていたが、やがて米問屋として米市を開き、数々の市場を創設する。大坂を「天下の台所」に仕立てた立役者である。一時は海外貿易にも乗り出し、北前船の先駆けにもなっている。現在、中之島にかかる淀屋橋を掛けたのもこの商家だ。
とてつもない大金持ちとして有名だが、実は5代でつぶれている。幕府ににらまれ、財産を没取され大坂を所払いされたのだ。

武士への貸し付けがあまりの金額になったからだと噂されている。

で、この淀屋の5代目が「辰五郎」だというのである。

まあ、それとつながりがあるのかどうかは、まったくわからない。

だが、大坂の米といえば天下の台所であり、世界で最初の先物相場を作ったところ。淀屋も関係したのは間違いないだろう。先物は、何かと危険視されがちだが、実は金融市場では欠かせないリスクヘッジの手法である。先物抜きに、現在の国際金融は回らない。

「ならば、この大明神も、先物の神様として売り出したら、人気呼びますよ」

こんなことをいう私は、俗物である(笑)。が、あえて、いう。

辰五郎大明神をお参りすると、先物取引で運が回ってくると信じよう。間違っても、財産没収にはされない(^^;)。むしろ、ぜんざいをいただける…かもしれない(^o^)。

ちなみに淀屋は、その後番頭によって松江に再興されて、江戸後期にはまた大坂で活躍する。だが幕末には、倒幕派に全財産を投じるのである。徳川への恨みを晴らしたのかもしれない。

 生臭い話になってしまったが、私の初詣には向いていたかもね。


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1 コメント

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もう一人の辰五郎 (田中淳夫)
2010-01-10 17:49:41
ドラマ「仁」の録画を見ていて気がついた。

もう一人、有名な辰五郎がいた。ただし江戸の町である。新門辰五郎だ。

彼は、火消し「を組」の頭領として3000人を率いたと伝えられている大物。数々の大喧嘩を仲裁し、大名家も口出しできなかった。徳川家の上洛も警護したという。
この「辰五郎大明神」とは関係ないかな。
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