結構普通に使われている感がある『大往生』と言う言葉。
仏教用語であるこの言葉、本来は“現世を去って仏の浄土にうまれること。特に、極楽浄土に往って生まれ変わること”と言う意味だそうです。
まさに、理想的な死に方を表している言葉です。
ただ、遺族に対して使うのは禁物だとか。
亡くなって仕方のない歳だとは、何歳であっても遺族にとっては思えないわけで。
大往生だったかどうかを決めるのは、遺族だということですね。
先日、満105歳で伯父が亡くなりました。
かかりつけの医師が言ったそうです。
長年医者をしてきたが、ここまで完璧な“老衰による死”に出会ったのは、初めてだと。
持病も無く、そのため服用している薬も無かったそうです。
1/3までは普通に家族と食事をし、翌日から静かに眠り続け、結局、そのまま。
大正、昭和、平成、そして令和までの長い時間を、波乱万丈に、でも、ある時は家族のために、ある時は自分のために有効に無駄なく使いきった人でした。
お葬式は、明るいものでした。
涙は勿論ありましたが、それは温かい涙だったように思います。
これこそ、大往生・・・ですよね。