2014/12/26 まったく下調べをしていなかった松江城がとっても素晴らしいお城でしたので、思いのほか時間を喰ってしまいました。松江城が現存天守だったことも知らなかったのですから。
松江にはいろいろと訪ねてみたい場所があるようなのですが、絞りに絞って、もうひとつだけチョイスしました。それが小泉八雲旧居です。小泉八雲の記念館も隣りにあるのですが、そちらは泣く泣くカット。記念館や博物館は観るものが多く、説明もしっかりと読まないと気が済みませんし、時間が際限なくかかりそうですから。
それにどちらかひとつと言われれば、小泉八雲が生活していた実際の場所に触れることの方が小泉八雲に対する理解が直截的で身近なのではないかと思ったからです。
▲ここはまだ松江城内です。城山稲荷神社がありました。11:32ころ。
▲鳥居をくぐると両サイドに狛犬ならぬ狛狐がいました。雰囲気のある稲荷神社なので散策してみたかったのですが、何しろ時間が・・・・ 11:32ころ。
帰京してから、ネットで調べてみると、この稲荷神社には2000体?もの狐がいるとか。中には小泉八雲お気に入りの狐もいるそうで、今度松江城を訪れることがあれば、ぜひぜひ散策してみたいと思いました。
▲松江城はお堀が比較的昔のまま残っているお城でもあります。お城の防衛線としてのお堀の意義は当然あるのでしょうが、それ以上にこの水の風景が街並みと溶け合って風情を醸し出しています。写真の右側は内堀、橋は新橋です。11:37ころ。
▲遊覧船が通りかかりました。でも、お客さんは乗っていません。宣伝のデモンストレーションでしょうか? 11:38ころ。
▲松江城の北、内堀沿いに小泉八雲旧居はありました。
1890年4月、39歳の時に来日したパトリック・ラフカディオ・ハーンは、同年9月から島根県で英語教師として働きました。松江での生活は1年数ヶ月でしかありませんでしたけれど、松江での生活はその後の彼に多大な影響を与えたようです。そればかりか、生涯の伴侶、小泉セツとも出会うのです。
▲この館は旧松江藩士、根岸家の武家屋敷でした。ちょうど空いていたのをハーン(小泉八雲)が借りたのです。松江での生活も10ヶ月ほど経っていて、小泉八雲は庭付きの武士の屋敷に住みたいと願っていたのだそうです。
ここはセツとの新婚生活の場でもありましたから、小泉八雲にとっては特別な館であったに違いありません。
▲小泉八雲はここの庭がいたくお気に入りだったようです。南と西側の庭です。写真左端にちょっと写っているサルスベリも、好きだったそうです。11:43ころ。
小泉八雲は彼の著書『日本の庭園』の中で、次のように表現しています。庭としては決して広くもなく、とりわけ優れてもいない、この可愛らしい小庭園をここまでよく見て、愛おしく表現するとは!
少し引用が長くなりますが、どのような庭か想像してみてください。
『苔の厚く蒸した大きな岩があり、水を容れて置く妙な格好の石鉢があり、年月の為め緑になった石燈籠があり、また、城の屋根の尖った角に見るような―――その鼻を地に着け、その尾を空に立てた、理想化した海豚の、大きな石の魚の―――シャチホコが一つある。古木がそれに植わっている微細画式の小山があり、花の灌木が蔭を与えている。川土手のような、緑の長い傾斜地があり、小島のような緑の饅頭山がある。青々とした斯ういう高みは総て皆、その表面が絹の如く滑らかな、そして川の紆余曲折をまねている、淡黄色な砂の地面から高まって居る。・・・・・・が、その砂地は、まさしく小川を横に渡る踏石のように、次から次とやや不規則な距離に置いてある、荒く削ったままの平たい幾列かの石を伝って、種々な方向に横ぎることができる。全体の感銘は、ある眠くなるような物寂しい気持の好い処にある、ある静かな流れ川の岸の感銘である』
▲玄関を入り、左の部屋へ進み、ひとつ前の写真の庭に面した角部屋は来客の控えの間だと思われます。その部屋から北を向くとこの写真のような間取りになっています。手前は床の間のある座敷のようです。座敷の先はプライベートな生活空間のようですね。11:44ころ。
▲小泉八雲は身長およそ160cm、背は低かったのですが、目がかなり悪く、このような高い机を使用していたのだそうです。11:48ころ。
▲北側の庭には小さな池があります。彼はこの庭園も深く愛おしんでいたようです。まるで広大で高名な庭園を愛でるような調子で著書の『日本の庭園』の中で描いています。11:48ころ。
また長くなりますが、その文章を引用します。
『北側の第二の庭は自分の好きな庭である。大きな草木は何一つない。青い小石が敷いてあって、小池が一つ―――珍奇な植物がその縁にあり、小さな島が一つその中にあって、その島には小さな山がいくつかあり、高さは殆んど一尺にも足らぬが、恐らくは一世紀以上の年を経たのも、その中にはある一寸法師的な、桃と松と躑躅がある小型の湖水が一つ―――その中心を占めている。ではあるがこの作品は、そう見せようと計画されていたようにして見ると、目に少しも小型なものとは見えぬ、それを見渡す客間の或る一角から見ると、石を投げれば届くほどの遠さに、向うに真の島のある、真の湖岸の景である。・・・・・・
この池の緑の其処此処に、そして殆ど水と水平に、その上に立つことも座ることも出来、その湖沼住者を窺うことも、その水中植物を世話することもできる、平たい大きな石が置いてある。池には、その輝かしい緑の葉面が、水の表に油の如く浮いて居る美しい睡蓮があり、また二種類の、一つは淡紅い花をつけるもの、一つは純白の花をつけるものと、多くの蓮がある。岸に沿うて、三稜鏡的菫色の花を咲かす菖蒲が生えて居り、それからまた装飾的な種々な、草や羊歯や苔がある。が、この池は蓮池で、蓮がその最も大なる妙趣となって居るのである。葉が始めて解れる時から最後の花が落つる時まで、その驚くべき生長の一々の相(すがた)を見るのは楽しみである。殊に雨降りの日には蓮は観察に値する。その盃形の大きな葉が、池の上高く揺れつつ雨を受けて暫くの間それを保つ。が、葉の中の水が或る一定の水平に達すると、屹度茎が曲ってポチャリと高い音を立てて水を零す。・・・・・・』
▲右に床の間が見えています。座敷です。机のある部屋とその向こう隣りの部屋は普段の生活空間だそうです。座敷の裏側の部屋もそうですね。
小泉八雲と妻・セツとの暮らしはどんなだったのでしょう? 公開されているこの屋敷は一部だけですから、台所やお風呂なども公開して欲しいものです。11:53ころ。
▲小泉八雲の書斎にも床の間がありました。11:53ころ。
▲書斎から居間と控えの間を振り返って見ました。右の窓からは西の庭、左の窓からは南の庭が見えます。11:54ころ。
S子と二人でこの旧居を見ている間、他に二人だけが訪れて来ましたが、その二人もすぐに出て、静かに見ることができました。
来日して1年目、美しい庭のある格式高い武家屋敷に住み、人生の伴侶も得た小泉八雲はどのような心境だったのでしょう。アイルランド人の父とギリシャ人の母、幼くして両親は離婚し、親の愛薄く育った小泉八雲です。人生で初めて心落ち着く安楽の地を得たのではないでしょうか。この館を訪れて、僕はそんな印象を持ちました。
正午になっていましたから、昼食を食べようと、旧居近くの松江堀川地ビール館へ行きました。
▲宍道湖ですからシジミは外せませんよね。しじみ飯セット520円です。12:17ころ。
▲松江地ビールの歴史は知りませんが、小泉八雲にちなんで「ビアへるん」と命名されています。確か、ペールエールを頼んだんだと思います。12:17ころ。
▲S子が頼んだのは「堀川三色そば」920円。出雲地方はそば処としても有名なのです。出雲そばは更科そばではなく、甘皮ごと石臼で挽いた風味豊かなそばなのだそうです。12:19ころ。
▲地ビール館の外観です。レストランは二階、一階はお土産物などが売られています。12:40ころ。
▲地ビール館のすぐ横は堀川めぐり遊覧船の乗船場になっていました。12:46ころ。
いよいよこれから今回の途中旅、メインイベントです。出雲大社へ行くのです。松江ですっかり時間を喰ってしまいました。出雲大社へは一畑電車を使って行くのです。JRではありませんから青春18きっぷは使えませんし、すぐ近くですからもし使えても使う必要もありません。
一畑電車の松江しんじ湖温泉駅へ歩きます。時間があったので、駅の周りをブラブラしてみましたが、何もありませんでした。
▲木をふんだんに使った新しい車両のようです。ネットで調べると、5000系の「出雲大社号」なのだそうです。木は島根県産の木材なのだとか。2014年7月から運航されたようですね。素晴らしい車両です。13:28ころ。
▲4人がけの座席シートはこんな感じです。13:29ころ。
▲2人がけの座席シートでミカンを食べてくつろぎます。13:39ころ。
▲電車は宍道湖沿いを走ります。宍道湖の様々な姿も眺めながらの電車旅。13:58ころ。
▲途中、一畑口駅を出ると、不思議な現象が出現しました。これまで2人がけ座席の窓から見えていた宍道湖が反対側の4人がけ座席の窓から見えるようになったのです。
しばし頭が混乱していましたが、「そうかっ!」と納得できたのです。一畑口駅に出入りする線路は漢字の「人」のようなルートを描いているのです。駅は二つの線が交わる先端にあって、入って来るときと出て行くときの先頭車両がスウィッチバックのように入れ替わるのです。
写真はそういうわけで、宍道湖が見える座席に移ったときのものです。テーブルが広がるようになっています。14:22ころ。
途中の川跡駅で乗り換えて、出雲大社前駅へ向かいます。窓の外にはのどかな田園風景が続いていました。