ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

硫黄島4日目 ――― 硫黄岳に大接近して来ました

2017年12月15日 | 島旅

sati2017/3/28  今日もいい天気が続いています。S子の足腰の状態も戻ってきたようです。
今日は硫黄島でのハイライトのひとつ、硫黄岳登山。噴気を常に噴出させている活火山ですから、どこまで登れるのでしょうね? 

 
▲みしまジャンベスクールには病院で見るようなこんなトイレもあります。車椅子の人でも楽に使えるトイレです。テント暮らしでこんなに綺麗なトイレを使えるなんて、実に快適でした。6:43ころ。


▲右のなだらかな稲村岳の西の麓にみしまジャンベスクールはあります。ちなみに左の山は矢筈山。6:48ころ。

こんな小さくて人も少ない島に何故こんなに立派なジャンベの学校があるのか? これまで不思議に感じておられた方も多いことでしょう。

少し長くなりますが、三島村のHPからの引用を読んでください。
1994年夏、三島村は遠く西アフリカからやってきた伝統打楽器「ジャンベ」のリズムに包まれました。
「日本の小さな村の子どもたちと交流したい」との思いだけではるばるやって来たのは、ギニア共和国の国立舞踊団でトップ奏者として活躍していたジャンベフォラ(ジャンベの神様)のママディ・ケイタとそのグループ″セワ・カン″のメンバーでした。初めて触れる異国の太鼓に19人のみしまっ子たちは戸惑い、しかし陽気なリズムと、ママディたちの「うまく叩く必要はないんだよ。楽しんで叩くことができれば、聞いているみんなも幸せになれるんだよ」という言葉に励まされ、演奏する喜びを感じるようになっていきました。練習を積んだ19人の子どもたちは、その夏、ママディと共に広島、岡山、奄美大島と演奏旅行に出かけ、拍手喝采を浴びました。
こうして三島村とジャンベ、ママディ・ケイタは出会い、以来毎夏、三島村にはママディと子どもたちの楽しい歌声とジャンベのリズムが響いています。これが縁で、みしまっ子たちはギニア共和国を訪問し、ヨーロッパ公演を行うなど、活躍の場を世界に広げています。さらに2004年には、ママディプロデュースの「みしまジャンベスクール」が開校し、アジア初のジャンベ講師も誕生しました。2005年に開催された「愛・地球博」の「ギニア・ナショナルデー」では、ギニア共和国から訪れた奏者らとみしまっ子のセッションも行われ、会場を沸かせました。
今や三島村は、ギニア共和国の伝統芸能を真摯に継承する国内唯一の村として、ギニア共和国との友好的な関係を築き上げています。

もうひとつ、以下のHPも参考にしてください。
https://www.ttmjp.net/


▲朝食はちゃんぽん。S子は小食ですから、1個を二人で分けて食べます。具も豊富です。7:54ころ。


▲戸締りもきちんと済ませて、出発! 9:05ころ。


▲稲村岳西麓を進みます。目の前の矢筈山も縦走できれば楽しそうなんですがね。山道情報はありません。9:18ころ。


▲400mほど先に稲村岳への登山口があるようです。初耳です。その後、気をつけながら歩きましたが、分かりませんでした。帰宅後、ネットで調べると、やっぱりあるようですね。いつか登りたいです。9:20ころ。


▲S子がのぞき込んでいる石の祠は何でしょうか? 回りには何の説明看板などありません。でも、歩いて少し手前に「徳躰神社」との説明看板がありました。後になって調べてみると、どうやらこれが徳躰神社のようですね。すぐ横に説明は置いてもらいたいですよね。9:26ころ。

その看板の説明をここに記します。
「徳躰(とくたい)神社
祭神は軽野大臣(かるのおとど)と伝えられている。軽野大臣は、初期の遣唐使として中国に渡ったが唐の皇帝の怒りにふれて毒薬を飲まされ、言葉の言えない灯台鬼にされてしまった。
後年、その子春衡も遣唐使として中国に渡ったが、祝宴のとき、頭に燭台をのせて立っている灯台鬼が、春衡に歩み寄り、目に一杯涙をためながら、こっそり我が指を噛んで傷つけ、その血で、床に、
「燈し火の影恥かしき身なれども 子を思う やみの悲しかりけり」
と書いた。この歌を読んだ春衡は、ハッと驚き、これこそ帰らぬ父の姿よと思い、唐亭に無理にお願いをしてその灯台鬼となっている父を貰い、日本めざして帰国の途についた。
途中船は嵐にあい、硫黄島坂元に漂着した。村里に出て弱った父の看護をしたいと思い、ここまで連れてきたが、衰弱のあまり大臣は息絶えたのでここに葬り、その霊を徳躰神社として祭り、石祠を建てた。  三島村教育委員会」

硫黄島は今でこそ普通の人からすると、ただの離島に過ぎません。でも、かつては中国との交通の要衝に浮かぶ大切なよく知られた島だったのでしょうね。


▲冒険ランドいおうじまの上の方に出ました。9:33ころ。


▲やっぱり稲村岳へ登る山道があるんでしょうか? でも、見つかりませんでした。9:36ころ。


▲稲村岳遊歩道はしっかりしたいい道です。9:38ころ。


▲ここは「岳之神(たけんかん)」と呼ばれている場所。蔵王権現が祀られているようです。さらにはこの神社が稲村岳登山口だったようです。この鳥居の先に稲村岳への登山道があったのかもしれませんね。探してみればよかったなぁ。9:45ころ。


▲寄進されたもののようです。9:48ころ。


▲これはなんでしょうかね? 9:50ころ。


▲硫黄岳へ登る道に入りました。前方の山腹には細い噴煙がたくさん上がっているのが見えます。10:03ころ。


▲気象庁福岡管区気象台の火山観測施設が設置されていました。10:04ころ。


▲たぶんシェルターでしょうね。10:07ころ。


▲舗装道路ですけれど、車は進入禁止となっています。10:10ころ。


▲沢筋は溶岩などの流路になってるのでしょう。山側の岩(溶岩?)の圧迫感はかなりのものです。10:18ころ。


▲稲村岳との間に流れ落ちていくようですね。この稲村岳も3900~3200年前には火山活動をしていたそうです。専門的なことは分かりませんが、玄武岩質のスコリア、溶岩流からなる成層火山なのだそうです。10:21ころ。


▲さらにその先では、海中で温泉が湧いているようです。10:27ころ。


▲舗装された道を南東面をぐるりと回り込むと、大きな爆裂火口(?)が目の前に出現! 鬼界カルデラ形成後に噴出した流紋岩質の円錐火山。現在もなお活発に活動中。気象庁の火山活動度はレベル2です。10:36ころ。


▲西方向を眺めると、矢筈山が見えます。矢筈山の手前の急斜面こそが鬼界カルデラの北縁の外輪山です。それは南は恋人岬へ連なっています。北から東へは再び竹島でその姿を現しているのです。10:44ころ。


▲どこまで近づけるのでしょうか? 10:48ころ。


▲実際に近くで見ると、迫力満点。本当の火口はこの向こう側にあるようですから、これは何と呼べばいいのでしょうね。10:51ころ。


▲あそこはどうなってるんだろう? とか想像しながら覗き込みました。10:55ころ。


▲ここが展望台です。この先も行こうと思えば行けそうなんですけれど、レベル2ということは火口周辺規制ということですから、自主規制。10:56ころ。


▲雄大です! 10:59ころ。


▲温泉が海にたくさん流れ出てますね。手前(左)の方向に東温泉があるはずです。11:05ころ。


▲手前が見えるようになりました。温泉の色が違ってきましたね。東温泉の色ですね。11:06ころ。


▲海がこんなに色が変わるほど温泉が湧き出している場所を、僕はこの硫黄島しか知りません。すごい! としか言えません。11:07ころ。


▲同じ道を引き返します。矢筈山が前方に。11:27ころ。


▲先ほどの橋の上方にあの火口が。11:34ころ。


▲帰路、あの建造物に寄ってみました。「薩摩硫黄島噴石・遮熱シェルター」とあります。平成28年度地方創生加速化交付金事業で今年3月に完成したようですね。11:47ころ。


▲シェルターですから当然入ることも出来ます。中には懐中電灯やランタンなどがありました。11:49ころ。


▲ランタンも見えています。火山が爆発すれば、火山弾、火山灰のほか、有毒ガスや高熱の大気も押し寄せてくることでしょう。それらから守る仕組みになっているのでしょう。11:52ころ。

硫黄島が火山の島だということがよく分かりました。トカラ列島の中之島や諏訪之瀬島の火山もなかなかでしたが、中之島は活動レベルが低く、下降を周遊できますし、諏訪之瀬島は硫黄岳と同じレベル2ですけれど、直接火口や噴煙等を見るのが難しいので、実感することが困難です。

火山の島を実感できる数少ないひとつだと思いました。


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