ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

硫黄島2日目 ――― 島の中央部の道を北の端へ散歩しました(その1)

2017年09月07日 | 島旅

2017/3/26  昨晩は「みしまジャンベスクール」で快適な一夜を過ごしました。椅子に座って食事ができますし、Wi-Fiも自由に利用できます。蛇口をひねれば水は出ますし、水洗トイレもあるのです。快適でないわけがない!

そして今日、硫黄島での2日目が始まります。

 
▲朝、スクール前庭の小高くなった土手から港を眺めました。堤防で釣りをしている人たちがいました。7:23ころ。


▲「みしまジャンベスクール」の全景です。後ろに見える山は稲村岳236.2m。7:23ころ。


▲スクールの食堂に戻って朝食タイム。熊本で購入したクラムチャウダーが美味しかったです。8:08ころ。


▲海藻サラダの乾燥した海草を水で戻します。それを温めて・・・・ 8:23ころ。


▲海草サラダを具にして、インスタントラーメンを作りました。サラミも入っているようですね。結局、今回の島旅では海草サラダに付いているドレッシングは使いませんでした。8:29ころ。


▲港の方でなにやらありそうなので、行ってみました。島の学校の先生家族が硫黄島を離れるようです。10:00ころ。

昨晩、三島開発総合センターであった宴会はこの先生家族の送別会だったようです。


▲島には小学校と中学校があります。中学生が送辞をしゃべってるようですね。10:01ころ。


▲花束贈呈です。10:02ころ。


▲小学生たちも何かを贈ったようです。子供たち同士いつも一緒に遊んでいたんでしょうね。10:03ころ。


▲「また硫黄島へ来てくださいね」といった意味でしょう。10:04ころ。


▲野口先生は3年間硫黄島で教えてくれたのですね。先生にとっても、先生の子供たちにとっても凄く貴重な素晴らしい3年間だったのではないでしょうか? 10:09ころ。


▲硫黄島の子供たちはみんなジャンベの太鼓やジャンベの踊りが出来るのでしょうね。手前の右から2人目の女の子は野口先生の下の娘さんですよね。楽しそうに最後の踊りを楽しんでいました。10:09ころ。


▲島の若者たちのジャンベはさすがにビートも激しくて、こちらも自然と体が弾んでしまいます。10:20ころ。


▲今でもこういった習慣は続いているんですね。紙テープが人と人とを結びます。10:22ころ。


▲ほぼ島中の人が総出でお見送りです。10:25ころ。


▲港からもうすぐ出て行くフェリー。10:27ころ。


▲今日からは天気がいいですから、スクールの食堂から外に出て、テント生活です。朝食後に引っ越しは完了させていました。そして、いよいよ硫黄島の歩き旅です。
「こっちに行くの?」と、S子。「そうだよ」と僕。10:49ころ。


▲スクールから東へ向かい、稲村岳山麓を北上します。見えている山は矢筈山349m。11:01ころ。


▲道路上にはツバキの花がよく落ちています。11:06ころ。


▲向うに聳えている山は硫黄岳703.7m。手前の立派な施設は鹿児島市の冒険ランドいおうじまです。11:12ころ。


▲矢筈山にはたくさんのピークが連なっています。登山道があれば楽しいハイキングが出来るでしょうね。11:15ころ。


▲このスミレが道端の明るい地面にた~くさん咲いていました。でも、その名前は分かりません。スミレは難しいですね。11:17ころ。


▲途中で『俊寛堂』との道標がありました。11:20ころ。

道標の横には謡曲史跡保存会による立札がありました。その解説をそのままここに記します。
『謡曲「俊寛」は、俊寛僧都(しゅんかんそうづ)、丹波少将成経、平判官康頼(へいほうかんやすより)の三名が流されたここ喜界ヶ島(硫黄島)に都から赦免使が着きましたが、俊寛の名だけが赦免状になく、俊寛は我が目を疑い、筆者の誤りかとも訝(いぶか)り、身もだえして嘆き、赦免船の纜(ともづな)に取り付いて帰りたい執念を見せ、激しく感情に狂う有り様を、名文章で謡っています。
 俊寛は独り残され、孤独の寂しさの中でこの地で没しましたが、今も此処を訪れる人々には、俊寛の無念の形相を偲ばせ、切々とした叫び声が微かに聞こえ伝わってくるように思われます。』


▲俊寛堂へ至る道は何とも雰囲気の溢れた道でした。土の道が緑の苔に覆われているのです。あまり訪れる人もいないのでしょうね。人の踏み跡で苔が剥がされたりもしていません。本当に綺麗でした。11:23ころ。


▲これが俊寛堂。俊寛だけ赦免されずに島に留め置かれたその翌年、絶望の果てに絶食して37歳で亡くなりました。島の人々はその死を哀れみ、俊寛の住んでいた場所に霊を祭る神社を建てたのです。それが俊寛堂なのです。
今でもお盆には俊寛の霊を慰める柱松の行事が行われているそうです。港のある長浜海岸で火が燃やされ、その炎は遠く屋久島からも見ることが出来るのだそうです。11:28ころ。


▲俊寛という人物のことはまだよく理解できていませんが、この俊寛堂とそこへつながる苔の道の、南海の離島とは思えないような、ひんやりと閑かな佇まいは、ここだけが異空間のような感じがしました。俊寛が還りたくて身もだえしていた京都の空気が舞い込んで来ているかのようです。11:37ころ。


▲硫黄岳の荒々しい山肌を見ながら進みます。この辺りが北の海岸へ行く道の峠でしょうか? 峠の標高は110mほどです。11:55ころ。


▲この地層は何を示しているのでしょうか? 柔らかいですから、火山活動の様子を示しているのでしょう。12:10ころ。


▲峠を越えて、明らかな下り坂になりました。先には海が見えて来ます。12:21ころ。


▲途中のY字路を左へ進むと、海岸に人工物が見えて来ました。あれが坂本温泉でしょうか? 12:22ころ。


▲舗装された道路は海岸へとつながっていました。12:25ころ。


▲パッと見はなかなか立派です。坂本温泉。12:26ころ。


▲坂本温泉の反対側から眺めるとこんな感じ。お湯はあんまり溜まっていませんね。12:28ころ。


▲また戻って、脚をつけてみました。いちばん熱いあたりは適温です。裸足で歩くと、足裏が痛いですし、場所によってはヌルヌルしていて滑り易い。12:43ころ。


▲海からの風をよけて、S子は石垣の裏にいます。僕もさっきまではそこに居て、コーヒーを飲み、お菓子を食べていました。足湯の場所はいちばん手前です。12:45ころ。


S子も足湯。ここは海に近い側です。12:53ころ。


▲さ~て、坂本温泉へも「さよなら」です。裸になってのんびりと入れる温泉ではありませんでしたけれど、自然のお湯というだけで癒されますね。13:07ころ。


▲坂本温泉前の海です。湧き出している温泉で海が白く濁っています。13:16ころ。

温泉のある島は最高です。硫黄島ももっと温泉を整備してもらえると、嬉しいのですが。旅行者の自分勝手なお願いですが。


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