ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

硫黄島3日目 ――― 恋人岬なのにS子はいませんでした

2017年09月21日 | 島旅

2017/3/27  今日は硫黄島の3日目。島旅初日からは6日も経ちました。
自覚は出来ないような疲労が知らず知らずに蓄積されているようです。

と言うわけで、S子は今日は休息日。腰や膝に疲れが溜まって、少し痛みもあるようです。

 
▲昨日、お店のおばさんに教わったツワブキとボタンボウフウの下処理をしています。ツワブキは若い茎を摘んで皮を剥いてさっと茹でます。ボタンボウフウも同様。9:07ころ。


▲ちょっと遅い朝ご飯はアルファ米の松茸御飯を雑炊っぽくして食べました。あく抜きしたツワブキとボタンボウフウをきざんで加えます。ボタンボウフウは長命草とも呼ばれている山菜だそうですね。癖もなく美味しいです。9:51ころ。


▲午前中をのんびりゴロゴロと過ごしてから、僕ひとりで島歩きに出かけました。僕たちの黄色いテントが見えています。13:12ころ。


▲昨日は4kmや4.1km先の坂本温泉と平家城展望台に行きました。今日は3km先の恋人岬展望台へ行きます。13:17ころ。


▲三島小・中学校。けっこう広いグランドです。13:24ころ。


▲平家滅亡の地、壇ノ浦で時子に抱かれて入水した、当時8歳の安徳天皇。でも実は、この子供は替え玉で安徳天皇ご自身は別の地で生き延びたという説があります。そんな説の中でも有力なのがここ硫黄島。この島は壇ノ浦の8年前には無念の思いを抱いたまま亡くなった俊寛も暮らした島。京の人々からも少しは知られた島だったのでしょう。
安徳天皇はこの島で結婚し、子ももうけ、66歳の天寿を全うしたのだそうです。周りには従臣たちのお墓も祭ってあります。13:27ころ。


▲少し離れた場所に櫛笥(くしげの)局のお墓があります。櫛笥局は平資盛の娘と言われ、安徳天皇との間に子ももうけたそうです。島には子孫と言われる人もおり、ご子孫は昭和期には「天皇さん」と呼ばれていたそうです。13:30ころ。


▲こちらは島の庶民の墓所。本土のお墓とさほど変わりませんね。13:33ころ。


▲僕は高校生のころ、鹿児島県大隅半島のとある小さな村でお葬式に参列したことがありました。当時その村ではまだ土葬が行われており、前もって掘られてあった穴に棺桶ごと埋めて、埋めた上に家のような、社のようなものを置いたことを覚えています。写真のこんな家です。
そんなことを思い出しながら、「この島では土葬をしているのでは?」と思ったりしています。13:34ころ。


▲ツバキの畑の苔が綺麗ですね。13:39ころ。


▲学校と安徳天皇御陵の先のY字路で左へ行きます。道路は左にカーブし、登り坂になっています。その登り坂の法面はコンクリで固めてありました。港あたりから白く輝く壁がとっても目立っていましたから、何だろうと思っていました。13:47ころ。


▲標高70~80mくらいからの眺望です。いかにも南の島らしく、町並みも樹々に埋め尽くされているようです。これから行こうとしている、恋人岬が港の先に見えています。13:49ころ。


▲右に分かれる道がありました。右に行けば、薩摩硫黄島飛行場です。見えている塔は何の塔でしょうか? 13:55ころ。


▲竹島で出会ったヤツガシラに硫黄島でも会いました。この時期、鹿児島や沖縄の島々を伝って、南へ渡っていくようです。13:59ころ。


▲NTTドコモの硫黄島基地局。トカラ列島でもそうでしたが、携帯電話はNTTしか使えません。14:07ころ。


▲観光地にありがちですね。14:09ころ。


▲下からいつも見えていた橋がこれ。岬橋と呼ぶそうですね。14:11ころ。


▲橋から港や集落を俯瞰しました。硫黄岳や稲村岳も手に取るように見えます。でも、いちばん目立つのは港の海の色ですよね。坂本温泉でも海に白濁した温泉水が流れ込んでいましたけれど、ここも同様です。この港のある長浜の海底から鉄分を多く含んだ温泉が湧いているのです。異様ではありますが、美しくもある光景ですね。14:12ころ。


▲みしまジャンベスクールの建物が見えます。そのすぐ左に黄色い点が見えていますけれど、僕たちのテントです。14:13ころ。


▲硫黄岳と稲村岳の南海岸ではあちらこちらで茶褐色や白濁色の温泉水が湧いているのですね。14:14ころ。


▲岬橋から少し進んだ場所から、硫黄岳、稲村岳、矢筈山を撮影しました。山の向こう側の見えない部分も含めると、この景色で硫黄島の9割近くの面積になります。14:17ころ。


ボタンボウフウはあちこちに生えていました。少し緑の薄い若い葉の部分を摘んで食べます。14:22ころ。


恋人岬に到着しました。広場になっています。空気が澄んだ日には屋久島、口永良部島、種子島も望めるそうです。14:27ころ。


▲「しあわせのかね」があります。恋人って本当にこんなものが好きなんですかねぇ? 14:28ころ。


▲硫黄島のほぼすべての住民はこの写真に見える集落に住んでいます。14:32ころ。


▲恋人岬から戻る途中、振り返って見ました。垂直の崖が続いています。この崖は鬼界カルデラの縁になる崖。鬼界カルデラというのは竹島と硫黄島の南海底にあるのですが、過去1万年間で地球上最大規模の噴火を起こした火山なのだそうです。日本では最も新しい超巨大噴火の痕跡なので、多くの研究者が調査をしているそうです。14:48ころ。


▲日差しが強くなって、海の色が鮮やかに見えるようになったので、撮影してみました。実際に見ると、もっと色合いの違いが凄いですよ。14:49ころ。


▲三島村総合体育館と三島開発総合センターが見えますね。左の体育館とさらに左の崖との間に以前はキャンプ場がありました。まあ、確かに落石の危険性はゼロだとは言い切れない場所ですね。
手前の浜が長浜浦。温泉が湧き出しているようです。14:51ころ。


▲紫の濃いスミレ。葉も長いので、正真正銘のただの「スミレ」かなぁとも思うのですが、まるで自信が持てません。葉の形が同じ長い葉でも違うような。14:55ころ。


▲帰り道でも会いました。さっきのヤツガシラなんでしょうね。15:09ころ。


▲坂道を下って、集落のそばに来ました。ツバキ畑の苔が綺麗です。15:22ころ。


▲硫黄島小学校・中学校のモットーは「あかるく、かしこく、たくましく」。15:32ころ。


▲硫黄島駐在所。僕がお巡りさんならこんな島に赴任したいものです。15:35ころ。


▲硫黄島郵便局。島唯一の金融機関でもあります。今回、郵貯の通帳を持って来ています。念のために印鑑も。(でも、結局使わずに済みました。買い物もほとんどしませんでしたし、民宿も予定以上泊まることはなかったですから) 15:36ころ。


▲港の壁には子供たちによるものでしょうか? 島の絵が描いてあります。クジャク、海ガメ、ツバキ、東温泉、ジャンベ、・・・・ 15:39ころ。

テントへ戻り、退屈して待っていたS子と合流。しばらくして、お店へ買い物しに出かけました。


▲冷凍の豚バラスライスを買ってきました。レンジで解凍できませんから、こんな感じで。17:27ころ。


▲芋焼酎「さつま島美人」の瓶を購入。左の紙パックに移し替え、瓶はお店に引き取っていただきました。17:27ころ。


▲トマトもありますね。緑の葉はボタンボウフウ。右下はジャガイモ、ニンジン、玉ネギ。18:18ころ。


▲こんな煮物っぽい料理になりました。美味しかったですよ。18:39ころ。

今日はS子の出番がないですね。腰とか膝とかは昼間休んでましたから、大丈夫になったようです。島旅は島の舗装道路を一日中歩くことがほとんどですから、膝や腰への負担は山登り以上なのです。まだ三島村の竹島にしろ、硫黄島にしろ本土と同様の舗装ですから、まだ弾力があって足腰には優しいのですが、トカラ列島ではセメントで固めただけのようなカチコチの道路でしたから、負担はかなりでしたね。


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