575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

映像化と再定義②    遅足

2014-12-14 09:38:41 | Weblog
カウンセリングの第二段階は、問題の捉えなおし。
世の中で生きてゆくためには常識が不可欠。
家族、親子、夫婦、働き方、お酒の飲み方など・・・
さまざまな常識がクライアントを縛っています。

たとえば、母が疎ましい、というケース。
母は疎ましい。しかし、母をうとましく思うのは良くない。
この問題が、夫婦、働き方など様々な常識と関係。
クライアントは、ジレンマにがんじがらめになっています。

母と子のあり方は一つしかないのか?

たとえば、林檎を定義する時、上から見る、下から見る、
右から左から、夜に見る、昼に見る。
触る、匂いを嗅ぐ、産地はどこか、どんな種類なのか・・・
視点を変えることで、見えなかったものが見えてくる。

もちろん、方法は一つではなく、クライアントによって異なるそうです。
この再定義をするためには、カウンセラー自身の懐の深さが必要。
常識をはみ出した、非常識すれすれの見方が必要といいます。

この再定義、俳句にもありそうです。
たとえば高野ムツオさんの句。

  舐られる飴の至福や雪の暮

雪の降る夕暮れ、寒く心細い時です。飴を一粒舐めました。
口の中に広がる甘さ。至福の瞬間。
これを常識をひっくり返して、飴の立場になって詠みました。
短歌・俳句にも、こうした柔軟な発想が必要。

詩歌には、治療効果があると言われます。
こうした言葉による映像化と再定義をに実践しているからかも。

                

応答の一日一句

  鱈の子やこの豊満な肌の色    孝

  柔肌の焦がし加減や鱈子焼く   亜子

今日は総選挙、戦後政治の大きな転換点。さて一票を・・・




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