575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

洞庭藍              草女

2008年10月31日 | Weblog
 
 トウテイランは,ゴマノハグサ科ルリトラノオ属の多年草。京都、兵庫、鳥取の日本海側に自生するので、東海に住む者には縁遠い。

 10月中旬山陰地方を旅行していて会うことができた。しかし花期は8,9月だからいい時とは言えなかったが、美しさはよくわかった。
 草の形がよく似ているクガイソウやルリトラノオに比べて、花の色は薄く、水色であり、葉や茎が白い綿毛に覆われ草全体白っぽい。この様子を中国の洞庭湖になぞらえて名前が付けられたそうである。実際に湖を見たわけではないだろうから、憧れ気持ちも感じられる。                          ランは出藍の誉れの藍で、蘭ではない。ドウテイランと発音するはずが濁らなかったのは関西だからかな。
ウエブで洞庭湖を探して見ると観光のお誘いとか洞庭湖が涸れてきているとか2億のノネズミが発生とかの記事が目立つ。日本のトウテイランも自生地が減り、地元では保護活動も行われている。私が出会ったのも植栽されたもの。どちらもこの先長く美しくあれと願う。
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義母の一句   麗

2008年10月30日 | Weblog
先週末、義母の喜寿を祝う旅として
郡上八幡と高山へ一泊してきました。

町のあちこちに水路があり、
いつの日か俳句にしてみたい絵になる風景でした。
町はずれに偶然訪れた慈恩禅寺のお庭が、それはそれは見事でした。
郡上にこんな美しい庭園を持つお寺があったとは。
京都の詩仙堂に勝るとも劣らない空間でした。

さて、郡上の町を散策しているうちに俳句の話になり、義母が
若い頃作ったという俳句をこっそり教えてもらいました。


    秋暑し西窓だけの子の下宿   


というもの。初めての一人暮らし。息子が決めた四畳半の下宿を詠んだもの。そんな息子も五十路を過ぎました。思い出に残る一句を聞き出せた秋の旅でした。
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句集をいただく。    遅足

2008年10月29日 | Weblog
先日、ひさしぶりに会社に顔を出したら
知人に句集をいただきました。
亡くなったお父さんの句集だそうです。

お父さんは、大正7年に名古屋で生まれ、
市役所に就職、その年から俳句を詠み始めたそうで、
俳号は、岡本ひろ路さん。

平成11年に亡くなられるまでに詠まれた句は16000に。
その中からおよそ1割弱を選び出した句集。

タイトルは「花鳥諷咏」。

私の生れるころから俳句を始められたことになります。
その昭和18年の句。

   生涯を女医と言はれて木の葉髪

戦前にどんな女医さんなのかな?

    

デッサンのしっかりした句が多いですが、好きな句を少し。

  娘のスキー転ぶと見えて転びけり
  春愁や祝ぎ終えし服のまま
  黴くさき辞書の最もなつかしく
  一湾に一艇もなし稲光
  鹿の眼に我が穢を見られたる心地
  買うふつもりなき年の市何か買ふ

奥さんを詠った句。

  雛運ぶ子供ごころとなりし妻

猫の句。

  猫の子に少し重たや銀の鈴

いのちを見る目がやさしいですね。

私も一冊は自分の句集をつくりたいと思いました。

     




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祝・首位    鳥野

2008年10月28日 | Weblog
既にご存知の方も多いと思います。
他紙をお読みの方、見落とした方もあろうかと、敢えて。
中日新聞10月19日付けの中日サンデー版、「中日歌壇」で私たちの宗匠・松田さんが快挙です。

 岡井隆選の第一席。あの歌壇の権威の岡井氏が絶賛しています。

  ・ 満員の電車に私的空間を少しひろげて「定年後」を読む

<評>
「私的空間」をすこしひろげるとは心理的なことなのだろうが、本を支える腕もちょっと力を入れないとならない。「定年後」という書名もいい。

投稿ファンは数多く、選ばれて紙面に掲載されるだけでも、稀有。その中で首位というのは、大変なことです。

575の松田さんが短歌、でというのも興味津々。いずれも短詩型のポエムということの証しかと思います。

日ごろの研鑽の賜物、私たちの誇りです。時には短歌もよろしく。

                           鳥野





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ありがとうございます。  遅足

2008年10月28日 | Weblog
鳥野さんに短歌をブログに紹介していただき、感謝しています。
コメントを寄せてくださった方々、ありがとうございました。


俳句をつくって、どうも575に
治まりきらないものが残ることがあって、
ついつい短歌もと始めました。

私は言葉からスタートするので、
どうしてもコトバが宙に浮いたままに。

あの短歌は、まず実景がありました。
次に「私的空間」というコトバがでてきて
出来あがったものです。

今は「秋風の骨」というコトバと格闘しています。
このコトバに実体を与えてくれる風景はいずこに・・・

写真は一足早い蓼科の紅葉。
(じつは一足遅い紅葉です。)


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「魂の一行詩宣言」で少し分かった。    愚足

2008年10月27日 | Weblog
★角川春樹がこんな姿勢で俳句を作っているとは恥ずかしながら知らなかった。
 「のっぴきならぬ一行詩」なら難解なのもやむおえぬか。
****************************

       宣 言

 私はながく俳句を詠んできた。また、多くの句集、俳論を著してきた。
 現在、私は父・源義が昭和33年に創刊した俳誌『河』を先年亡き母から引き継ぎ、その「主宰」をしている。
 そして私は今、新たに次なるこの運動を提唱し、展開することを決意した。

    - 「魂の一行詩」 - である。

 魂の一行詩とは、日本文化の根源にある、「いのち」と「たましひ」を詠う現代抒情詩のことである。古来から山川草木、人間も含めあらゆる自然の中に見出してきた「魂」というものを詠うことである。
 一行詩の根本は、文字どおり一行の詩でなければならない。
 俳句にとって季語が最重要な課題であるが、季語に甘えた、あるいはもたれかかった作品は詩ではない。芭蕉にも蛇笏にも季語のない一行詩は存在するのだ。私にも季語のない一行詩がある。

   老人がヴァイオリンを弾く橋の上  『海鼠の日』

   泣きながら大和の兵が立つてゐる  『JAPAN』

 ただ、詩といっても五七五の定型に変わりはない。五七五で充分に小説や映画に劣らない世界が詠めるからである。
 また、秀れた俳句は、秀れた一行詩でもある。
 したがって、俳句を否定しているわけではない。本意は「俳句的俳句」、物に託す「物説」、事柄に託す「事説」、あるいは技術論ばかりの小さな「盆栽俳句」にまみれている俳壇と訣別することだからである。

 今、私は「俳句」という子規以来の言葉の呪縛から解き放たれ、独立した。私の美意識は俳句よりも「魂の一行詩」を選択したのだ。
 俳句は「いのち」も「魂」もつぎ込む価値のある器。自らの生き方、生きざまを描くものである。つまり魂に訴えていくものなのである。訴える力さえあるならば、また、心と魂(頭ではなく)で詠めば、定型という枠を自ら破壊するエネルギーをもった一行詩が生まれるであろう。
「魂の一行詩」という名称を提唱するのも、俳壇外のより多くの人にアピールするためでもある。詩眼を持つ若い世代にも門を開きたいと思う。
 この運動は短詩型の「異種格闘技戦」 - K1のようなもの(笑)であるから、詩、短歌、俳句、川柳、それぞれ出身のかたがたにも是非、「魂の一行詩」のステージに上がられることを望む。

 この運動は文学運動である。
 自分の人生を詩そのものとして生きる私の魂を賭けた運動である。
 100年前の正岡子規以来の俳句革新運動である - そのことをここで宣言する。

         亀鳴くやのつぴきならぬ一行詩    春樹

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お早う・・春樹の難解句          愚足

2008年10月26日 | Weblog
トイレのマガジンラックに金子兜太編の「現代の俳人101」なるアンソロジー本がいれてあり、時間のかかりそうな時には無作為に開いて読むことにしている。

 最近2回立て続けに「角川春樹」を読む羽目になった。難解である。

 向日葵や信長の首斬り落とす

 黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る

 晩夏光ナイフとなりて家を出ず

 存在と時間とジンと晩夏光

などイメージとして何か引っかかるモノはあるのだが感性を共有は出来ない。
人種が違うのかな?
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詰碁解く鍋の音する夜寒かな    朱露

2008年10月25日 | Weblog

   新聞の囲碁認定試験をやっている。
   連続十週で往復葉書十枚の試験だ。
   布石はまあまあだが、詰めが甘い。
   止めを刺さないと生き返るからね。


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アゾラ・クリスタータ・・・赤い池の謎       草女

2008年10月24日 | Weblog
 10月9日、庄内緑地のバードウオッチングに参加。野鳥を探しながら1つめの池に近づく。池が異様に赤い。一面まっかになっている。誰もがこれは何?と思った。
大きなボート池も赤い。ボート池は近くまで寄ることができる。小さな植物が繁茂している。全く知らない浮草である。
 池には気の早いマガモが5,6羽いて「餌にならないか」と赤い浮草をかき分けて泳いでいる。
 カワセミがいる池も隙間なく赤い。これでは魚を探せないし、水中は酸素不足で魚は死滅しているだろう。この日カワセミは勿論、サギ1羽も見なかった。
 調べてみると、平凡社の「日本の外来生物」に記載があり、シダ植物でアカ
ウキクサ科アカウキクサ属のアゾラ・クリスタータとわかった。合鴨農法で用いられて拡がったほか中国から食用植物として導入したハスに付着していたものもあるという。近畿地方を中心に発見されているそうだ。研究者の予測を上回るスピードで繁殖しているらしい。 
 シダやコケの胞子は水中を泳いで受精する。雨などがそのチャンスを作る。それが水中であれば繁殖は無限大だろう。赤い池の理由は分かった。
 在来のアカウキクサやオオアカウキクサは絶滅危惧種で、アゾラ・クリスタータが、それらを駆逐したり、交雑したりするおそれがあるという。また水面を覆いつくすため、水生生物全体への影響は大きい。もちろん水生生物にたよる生物も影響される。
 それにしても庄内緑地は名古屋市に管理されている。市は駆除に乗り出してほし
い。アゾラ・クリスタータは特定外来生物である。

★特定外来生物・・・海外起源の外来生物であって、生態系、人の生命・身体、農林水産業へ被害を及ぼすもの、又は及ぼすおそれがあるものの中から指定されます。国の指定により駆除を呼びかけている。数多くの外来種が日本に上陸し従来の生態系を破壊している。
 特定外来生物は、生きているものに限られ、個体だけではなく、卵、種子、器官なども含まれます。











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時代を詠む   麗

2008年10月23日 | Weblog
昨日は郁子さんとある朗読会を聞きに行きました。
朗読者は皆さん女性で年齢層も高めになっています。

足腰がおぼつかなくなっていても椅子に座ったり工夫しながら
作品を堂々と読み上げる姿に底知れぬパワーを感じました。
作品の選び方も夫婦の機微を描いたおかしみのあるものが多く笑いに包まれました。


その帰り道、郁子さんが遅足さんのブログの
「よその句会」に触発されたという話になりました。
私たちもぼ~っと暮らさずに時代を読み込めたらいいですねと。

さて近頃気になっていること。

夕方5時前になると、あるバス停に長蛇の列が出来ます。
どうやら近くの工場で働く派遣社員の方の仕事帰りの様です。
年齢の幅も広く外国人も混じっています。
バスに乗り合わせるとバス内はどこかしら疲れた様子と
やるせなさを背負った雰囲気が漂っています。
この行列がなくなったときあの人たちはどこに行くのでしょうか?

     初時雨派遣社員がバスを待つ  麗
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秋の暮    遅足

2008年10月22日 | Weblog
今日の荻原俳句教室の宿題は「秋の暮」
王朝の昔から詠みつづけられてきた題。
名歌、名句がゴマンと。

 秋の暮大魚の骨を海が引く  西東三鬼

独断でいえば、これに優る句はない!

  

そこへ一句などとは畏れ多いこと。

  美濃尾張分かつ大河や秋の暮
  秋の暮早口の鈴またひとつ
  秋の暮四方八方水走る
  きこきこと顎の骨鳴る秋の暮
  結べどもゆるめる紐や秋の暮

さて、ひとつ選んで提出しないと・・・


    時々

秋の暮大魚の骨を海が引く

先生に読んでいただきました。

まず、海が引く、この表現が良い。
魚が最後は生まれた海に戻っていく。引かれて行く。

次に、大魚。
小さな魚ではなく、魚のなかでも王様クラス。
そういう存在も、やがては骨となる。

秋の暮、の季語がよく効いている。
たとえば、夏の暮とすると、風景を詠んだだけになるが、
秋の暮、としたことで、季節の移り変わりを意識させる。

諸行無常。生命の循環というイメージをも感じさせる。

   

愚足さんが選んでくださった句ではなく、

  秋の暮早口の鈴またひとつ

を、提出しました。

先生の診断。
ふたつ問題がある。
ひとつは「またひとつ」とくに「また」という表現。
「また」は、「も」と同じ働きをする。
意味が拡散してしまう。
この句の場合はイメージが拡散しないほうが良い。
「また」も禁じ手にして作るように。

もうひとつは「早口」と「鈴」、しっくりいない。
鈴の音、としたほうが、はっきりする。
例えば、猫の鈴としたら「通る」と動きがあったほうが良い。

○○○○○鈴の音通る秋の暮

上五を、楽しみながら探すと良いのでは。

    

次回の宿題は「柿」と「秋風」です。







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恋はご法度?    鳥野

2008年10月21日 | Weblog
10月句会の兼題は「恋い」。それぞれ個性的な佳句を拝見しました。その裏には苦心のあとが滲んでいたりして。

古くは相聞歌、現代は恋の歌。短歌にも数多の秀作が見られます。

 ・ 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
                (狭野茅上娘子・万葉集巻15)

 ・ 君かえす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
                (北原白秋・桐の花)

私め、この歳になって題詠が「恋」といわれると、つい「挽歌」と区別がつかず。情けなや。

 ・ 恋う恋うとき聞きわけのなき大鴉あれは夕陽に溶けたというに

 ・ 夕さりの狭庭に口笛ふいてみる呼びもどしたき一人のあれば

 ・ いたずら描きの汽車がゴットン動き出す乗りて帰れな黄泉よりの旅
                          (鳥野)
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秋の願望         愚足

2008年10月20日 | Weblog
秋のとりわけ植物には、極端に言えば滅びるものの愛惜や情緒を読み込みたくなる。古き俳人が名句を残しているのもそうしたものが多い。

  有る程の菊投げ入れよ棺の中    夏目漱石
  わが行けばうしろ閉ぢゆく薄原   正木ゆう子
  萩の風何か急かるゝ何ならむ    水原秋櫻子

 しかしこんな現代風な句も詠んめたらなあとも思うが

  空気銃撃ちし音菊ひやゝかに    山口誓子
  貌が棲む芒の中の捨て鏡      中村苑子
  白き萩消え繃帯の山がある     三橋鷹女
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よその句会      遅足

2008年10月19日 | Weblog
よその句会では、どんな句が詠まれているのだろうか?
ちょっと気になって、亜子さんのご主人が参加されている
「あみの会」の様子をうかがってみました。

あみの会は、15年余の歴史を持つ句会で、
主宰を持たない点は、575の会と同じです。

いったい、どんな句が詠まれているのか?
独断で、私が好きな句を選んでみました。


 ただならぬ背後の気配狐花     斎藤 孝
 梨食めば改憲の音索々と      松ヶ崎敬子
 介護認定受けし人いて茗荷汁    宮崎玲子
 新涼やハンドルを切る曲り角    山下智恵子
 有りの実とわざわざ言ふて噛るなり 池谷凉子
 新涼や白い孔雀の陶壁画      伊藤益臣
 秋冷や小さくなりし夫の背な    高橋美貴子
 膨らみの今日咲くつもり桔梗かな  桜井京子


俳句を読む場合に、いくつかのポイントがあると思いますが、
最近、時代が詠めているのか?
ということが気になっています。

時代を詠むとことは、一人の人間として、どう生きているのか?
という力量にかかっていると思います。

斎藤孝さんは、亜子さんのご主人。
時代の空気に敏感です。

レベルの高い句ですね。私たちも頑張りましょう。





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徳子眠る寂光院の秋のガム    朱露

2008年10月18日 | Weblog

    清盛の娘徳子安徳天皇を産み壇ノ浦行。
    源氏の兵に引き上げられ息子は海中へ。
    京都大原寂光院で死ぬまで生きていた。
    笑えもしない一生なんてとガム噛んで。

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