575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ゴキブリの育て方   鳥野

2010年08月31日 | Weblog
夏休みが終わりました。

夏休みのNHKにはハナ○をあげたい番組があります。
それがオトナも期待の「こども科学電話電話相談」
科学全般について、先生方が回答するという仕組みです。
回答者の顔ぶれがすごい。

その先生方も保育園児の、あどけない質問に四苦八苦。
やりとりも聞き応えありです。

先日「ゴキブリの幼虫を育てていますが、なかなか大きくなりません。どうすれば」と
小学生の女の子。

「ええっ」と耳をそばだてました。

回答者の昆虫学者、矢島稔さんは嬉しい質問と大感激。

「38億年もの間あの姿のままで生き続けてきたゴキブリは育ち方もゆっくりです。元気に動いて、餌を食べていれば大丈夫」
と飼育の注意点を細かく分かりやすく、説明していました。
途中で何度も褒めたり、感心したり。

生物多様性と言いながら、ご都合で仕分けしている人間。強く反省させられました。

  ・ ショコラよりなおショコラめくゴキブリの億年を継ぐ生甘からず

               (ショコラ=チョコレート) 鳥野

  


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秋水や B S 2 のリオ・ブラボー    朱露

2010年08月30日 | Weblog

     秋水は鋭利な刀、転じて必殺のガン捌き。
     ジョン・ウェイン、ディーン・マーチン。
     1959年製作と言えば安保闘争の最中。
     東京支社に居てデモ中継に明け暮れ・・・

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残念なお知らせ    遅足

2010年08月30日 | Weblog
愚足さんが体調を崩されてしまいました。
当分、ブログに投稿できないとのこと。

はやく良くなって復帰して下さい。

   

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秋暑し正当防衛責任なし     朱露

2010年08月30日 | Weblog
       

    七十六の声を聞きナリフリ構わぬ。
    見え見えの嘘を吐いて蛙の面に水。
    実害さえ与えなければよしとする。
    刑法上正当防衛は責任を問われぬ。

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雲と来て遊ばないかと言うておる    遅足

2010年08月29日 | Weblog

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銀杏散る噴飯ものの不勉強    朱露

2010年08月29日 | Weblog

      校門に至る銀杏並木を思い出した。
      校内の記憶にはロクなものがない。
      どうしてあれほど勉強しないのか。
      滑稽な先生と暗い先生しかいない。
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眠そうな海につかまる海月かな   遅足

2010年08月28日 | Weblog
船団・中谷ドクターの診断です。
見方がおもしろく、くらげが漂う様が目に浮かびました。
表記も、水母でなく海月が、海に映る月のイメージを
持たせることが出来ていいですね。

  ありがとうございます。
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蚯蚓鳴く為政者は髪整えて     朱露

2010年08月28日 | Weblog


        鳴けない蚯蚓が秋の季語にされた。
        ケラと間違えられたひどい濡れ衣。
        為政者たちの頭髪は散髪したてだ。
        それがどうした、ということだが。

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荻原先生の句     遅足

2010年08月27日 | Weblog
東西句会に先生が提出された5句。

 熱田区旗屋町のあたりの立葵
 夏草の向かうにマミー美容室
 佳き音がして空蝉はこなごなに
 ゆつくりと来たのに急に草の息
 くらげ鳴く声かとおもふ昼の波

こんなコメントがついていました。

 自分が俳句で書いてみたいというイメージが
 思いがけずかたちになった気がした。
 とりわけ「夏草」と「空蝉」は、
 出来のよしあしはともかくも、そういう種類の句であった。
 もう一度書こうとしても、と言うか、
 意識的に書こうとすると書けないものだと思うが、
 俳句について、何か少し掴みかけているのではないかと、
 前向きに考えてみることにした。

    

残念ながら、わたしにはよく分かりません。
とくに

 夏草の向かうにマミー美容室

の句は、散文としか読めません。
今はなくなった、昭和の風景・・・
夏草、という季語を踏まえて読むと、
また違った風景が見えてくるのでしょうか?

数年前に、先生に意見をいただいた自分の句も
今になって読み返して、ああ、そういうことか!と
分かる始末・・・

前途多難、いや前途洋々か?

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聞くことは身にしむばかり何もせず    朱露

2010年08月27日 | Weblog

      打ち放し練習場、本屋、総菜屋、だけ。
      公共交通機関を使ったことが数年ない。
      こんなことを大声で言って何になるか。
      「身にしむ」という秋の季語を知って。

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虫集く人焼酎を睨みけり    朱露

2010年08月26日 | Weblog
    秋の虫は集(すだ)くしか能がないが、  
    人は眼前の焼酎を飲むこともできるし、
    飲まないことも出来る、という句です。
    人間の栄光と悲惨は選択に掛っている。

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新涼   麗

2010年08月26日 | Weblog
処暑を過ぎても日中の猛暑は衰えません。
句友の皆様、その後お元気ですか?
それでもようやく昨夜はクーラーから脱却、窓を開けて眠れました。
少し風がありました。
そして今朝は朝顔が一輪咲いていました。
やっと新涼に出会った感じです。


今朝の毎日新聞の俳句のコーナーに

    ぶどうにも夢のあること君に説く  中谷仁美

という句が紹介されていました。なんだか心惹かれる一句です。
来月の梨の兼題でこんな俳句ができるといいな。


     新涼や植木に水をやる時間   麗
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満場一致で人間を消しにくる   竹内ゆみこ

2010年08月25日 | Weblog
竹内さんは、昭和48年生まれの川柳作家。
大学の講師、若者に接する中から生まれたのだろうか。
現代の生きにくさを表現しているとも読める。
それが戦争中の空気と通ずる怖さがある。

作者の目標は「やさしい言葉で深い内容の句」を。
ほかに、こんな句があります。

  分別中 燃えるわたしと燃えないわたし

  どうしても右折ばっかりしてしまう

  ただいまと言えるところがありますか

    

昇降機満員通過秋暑し

秋暑しの亜子さんの句。
亜子さんは俳句は「もの」を詠むもの、
私の句は「こと」を詠んでいるが、
川柳では?と言っていました。

たしかにコトですが、立派な俳句だと思います。

しかし川柳もズバリと言い切って、面白いですね。   遅足



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コンビニのお茶握り飯秋の声     朱露

2010年08月25日 | Weblog

      「秋の声」は秋を感じさせる無音の声。
      コンビニ弁当が何故「秋の声」なのか。
      冬・春・夏の声では何故面白くないか。
      「秋の声」の何処が面白いのだろうか。

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荻原教室報告⑫   鳥野

2010年08月24日 | Weblog
酷暑の夏、荻原カルチャーの受講生はみんな張り切りやさん。ほとんどの会はオールメンバーが揃います。
まして先生は元気。教室のほか、二葉館での「中の会の時代を語る」のパネラー、名古屋能楽堂での「NHK・名古屋短歌大会」の選者と講師その他、暑さの中を重ねてのご苦労さまです。
教室で提示された先生の作品。

  「池」

 ・ 母語の池にみづくさふえてゆく春の午後の濁りのなかの国会

  「覚」」

 ・ まだ覚めてないのだろうか夢で見てゐた沈丁花が鼻腔にのこる

  「名」

 ・ どこか奥の方からだれかわたくし名を呼んでゐるように新緑

  「別」

 ・ わたしとは別の誰かがわたくしのなかで虹とか犬をみてゐる

  「園」

 ・ 菜園にゆうかげゆれてさびしさもトマトの赤もただしく実る

  「星」

 ・ 見るたびに位置すこしづつずれながら海星のように午睡の妻は

  「一」

 ・ 八だったゆうぐれが二のよるを経てやがて一へとあけてゆく夏
 
   

 
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