575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ヒサカキ             草女

2008年02月28日 | Weblog
 二月の半ば、矢場町の蘭の館の前を自転車で通りかかると、ガスの臭い街の中だからと一瞬戸惑ったが、もう一度かいでこの臭いは「あの木」の臭いに違いないと思った。
 「ヒサカキ」ツバキ科ヒサカキ属の常緑低木~小高木で、山地にごく普通に見受けられ、瀬戸万博あとの海上の森は、ヒサカキだらけと言っても過言ではない。
 地方によっては榊(サカキ)の代用品として使うそうである。だからヒサカキの名の由来がヒメサカキからとかチイサカキと呼ばれていた事からきている。葉はサカキに比べると小さく縁に細かいギザギザがある。
 今頃から花を付ける。雌雄別株であり、海上の森では圧倒的に雄木が多い。その葉腋に小さな花をたくさん付けるが、強い異臭を放つ。これが都市ガスに似た臭いなのだ。
 早春の林や森を歩いていてガスの臭いが漂ってきたら、近くか、せいぜい10m
くらい先にヒサカキが花を開いているのだ。
 好ましい臭いではないが、春が来たことは告げてくれる。

  立ちしより結いの社や花榊         松尾いはほ
  裏庭のさかきの花も卑しからず       阿部みどり
  花榊焦土の区(まち)に売られをり      今井恵美子
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瑠璃色の空   麗

2008年02月28日 | Weblog
今朝の毎日新聞に掲載されていた一句。

夏目漱石の

  瑠璃色の空を控えて岡の梅

今日の空はまさに瑠璃色。ようやく春の気配が漂って来ました。
漱石は1899年に梅の句を105句も一挙に作り
正岡子規に批評を求めたそうですがこの句には点が入らなかったそうです。
私なら入れるけど。。


「空を控えて」がいいですよね。
一青ようが歌う「ハナミズキ」という歌の中に
「空を押し上げて」というフレーズがあり私はその表現が好きです。
そこでお二人のいいとこ取りをして

  瑠璃色の空を押し上げ庭の梅

という句を作ってみました。
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対州は大きな国よ春と海   遅足

2008年02月27日 | Weblog
対州とは対馬のこと。
先日、その対馬に、初めて行ってきました。
中部国際空港から福岡経由で、3時間ほど。

一番驚いたのは、海がきれいなこと。
産業の中心は漁業。
第一次産業だけの世界は実にうつくしい。
まさに「うつくしい国」です。

写真は浅茅(あそう)湾。烏帽子岳(176米)からの眺め。
松島よりも素晴らしいそうです。(私はまだ松島を見ていません。)

韓国まで50キロ。国境の島です。
冬の観光客の90%はお隣、韓国からだそうです。
海岸には、韓国からのゴミが流れ着いていました。
最北端の異国の見える丘に行きましたが、
残念ながら霞がかかって見えませんでした。
韓国の人たちの日本に対する気持ちは複雑。
日本人の気持ちも。

ガイドさんは、対馬美人の?才。
「竹島でケンカするのなら、爆破してしまったら」
と、過激な考えの持つ主でした。


 愛憎や異国はみえぬ春の海  遅足
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そこのけ、そこのけ    鳥野

2008年02月26日 | Weblog
わずか7トンの父子舟に襲いかかって、真っ二つにしてしまった海自の暴挙。
航行する船舶で混雑する浦賀水道へ入るというのに、自動操舵に任せていたという傲慢さ。許せません。

いま一つ、情けないのは、マスコミに度々登場する「そこのけそこのけ」という表現。

この日本語は本来、邪魔者は蹴散らすという、容赦のない意味に使われてきたものでしょうか。

「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」と呼びかけた一茶。危険と見れば人々は、虫にも小動物にも、そう声をかけてきました。

言葉の持つ、優しく、温かな語感を、取り返しのつかないものにしてしまった罪。これは大罪です。

  ・ 雀の子足音にまだ気付かずに  北村貞子

  ・ 雀の子道の半ばに出て飛べり  星野恒彦

  ・ 吹く風を怖れずなりし雀の子  成川雅夫
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鰆             愚足

2008年02月25日 | Weblog
 木に春は椿、魚に春で「鰆」(サワラ)である。文字通り春が旬の魚である。
 鰆は鯖科、中部以南の沿岸にいる。体長は一メートル近くあり、姿や色は鯖をうんとスリムにしたような魚である。痩せ型だが貪欲でイワシなどをバリバリたべるという。
 味はとても良くて塩焼き、照り焼きは最高である。
 貝原益軒も味はすこぶる良いが病人は油が多すぎるので食べさせないほうが良い。と書いている。
 腹の子はカラスミが有名で鯔の腹子であるが、四国高松藩では鰆の子をカラスミとして特産にしていて酒徒には見逃せないと言う。また鰆の味噌漬けもいけるという。
 サワラの語源であるが同じく貝原益軒によると、サは狭いのサにあたり、ハラは腹を意味するそうである。
 メタポリのわたしもせっせとサワラを食して狭腹になりたいものである。

  一匹の鰆以ってもてなさん     高濱虚子
  渦潮の鰆とるふねかずしれず    佐野まもる
  割烹着まっさら鰆一尾かな     里見 梢
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白梅や墨芳しき鴻ろ館(こうろかん)  蕪村

2008年02月24日 | Weblog



鴻鸕館とは、平安の世、外国の使節を接待するために設けられた施設。
白梅の香る鴻鸕館の大広間で、墨の色もあざやかに、
わが国と外国の英才たちが詩歌の世界に遊んでいるという意味でしょうか。
鴻鸕館は、京都の島原にありました。
この句は、島原の角屋の近くの立て札に記されていたものです。

蕪村の時代、島原は花街。
単に遊びの場であるというだけではなく、
和歌や俳諧などの文芸も盛んで、炭太祇や与謝蕪村らが活躍、
島原俳壇が形成された程でした。
蕪村は、自分たちを王朝の人々になぞらえて、この句をつくったのでしょうか。

写真は三重県の結城神社の枝垂れ梅です。(撮影は愚足さん)



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傷つけた人整列す春の闇   朱露

2008年02月23日 | Weblog

 又又思い出して「ギャッ」と喚いて沈思。
 チンしようが死のうが後の祭りの笛太鼓。
 私の心は海底の鮟鱇の腹より冷たいデス。
 「その通り」と頷く女房をはじめとして。

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雀でないかも           草女

2008年02月22日 | Weblog
 一月の終わりに湖北方面に冬鳥の探鳥に出かけた。期待通りに、コハクチョウを始め色々な水鳥に会ったりオオワシにも久しぶりに会えたりして満足した帰り道、湖北の水の駅に立ち寄ろうとして塩津浜に近い田園を走っていて小鳥の大集団を見かけた。数百羽という群れが半円形になって、田に降りたり、飛び上がったりしている。「えっ 雀・・? 違うみたい・・」車なので確かめようもない。そこで引き返してもらって確かめることにした。
 「マヒワの大群だ・・。まてよ、マヒワは田にはほとんど降りる事はない。・・とすると・・そうだ カワラヒワに違いない。」
 この鳥はスズメ目アトリ科の留鳥(一年中ほぼ一定の地域に住む鳥)街の中でもよく見かけるけれど、こんな大群に出会ったのは初めて。緑がかった灰色で黒っぽく見えて目立たない外観である。しかし、羽を広げて飛ぶと脇から背にかけて鮮やかな黄色が現れて実に美しい。
 閉じている時と開いたときに格段の違いがあり、それは蛇の目傘を思い出させ、実にオシャレで粋である。
 ところで、街の中にもスズメ以外の小さな鳥が結構いる。シジュウカラ・ジョウビタキ・メジロ・ウグイス、カワラヒワ・セグロセキレイ・ハクセキレイ・などなど。街で小鳥を見かけたら「雀でないかもしれない。」と思って観察することをおすすめしたい。雀以外の小鳥もけっこう見つかるかも知れません。
 
  紋の黄を晒して歩く河原鶸        櫻井掬泉
  佐保川の水光るなり河原鶸        濱田のぶ子
  河原鶸水を群れ立つ水立てり       都倉義孝
  庭の木に河原鶸くる昨日今日       柏戸知子
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猫の日    遅足

2008年02月22日 | Weblog

2月22日は「にゃん・にゃん・にゃん」で
猫の日だそうです。

我家のコッコです。お化粧に余念がありません。

俳句では、恋猫・猫の恋が春の季語。
いまが恋猫の季節。

 恋猫の恋する顔で押し通す  永田耕衣

      

 恋猫の通りて恋の猫となる  遅足

 主体性のない猫!





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2月句会の結果です。   

2008年02月21日 | Weblog
題詠「梅」

①長浜の盆梅がある豊橋駅(朱露)麗・亜・
②吉の卦をあまた結んで枝垂れ梅(立雄)鳥・能
③問われれば紅梅よりも白い梅(狗)遅・静・晴
④地に骨の還る時間やしだれ梅(亜子)遅・立・郁・狗
⑤紅梅や声を温め集う輪に(晴代)遅・静
⑥梅林に暮雪舞い込む寒さかな(愚足)鳥
⑦白梅や凛と一輪いてござる(能登)鳥・愚・立・晴
⑧平板な日常に咲く梅一輪(麗子)朱・愚・晴・郁
⑨願掛けの絵馬に枝垂るる梅の夢(郁子)麗・能・亜・静・立・狗
⑩あまつぶとつぼみつぶつぶ梅の花(静荷)朱・能・愚・狗
⑪天上のふたりの梅となりにけり(遅足)麗・朱・亜・郁


自由題

①君天に召されてよりの余寒かな(亜子)麗・能・愚・静・立
②春の空女と食べる握り飯(朱露)遅
③踏みしだく豆の多さや鬼やらひ(静荷)能・立・晴・狗
④おば様もバレンタインのチョコ選び(晴代)鳥・狗
⑤寒明けの金魚ゆるりと浮きにけり(愚足)鳥・亜・静・郁
⑥薄髪の地肌にぽったん牡丹雪(能登)麗・愚・晴・郁
⑦二月尽という季語教えてくれた人(麗子)朱・郁
⑧迷惑な靴の来ている雨水なり(遅足)鳥・亜
⑨満月を洗い流して冴え返る(狗)麗
⑩ひっそりと豆を食いをり鬼よ来よ(立雄)朱・能・遅・愚・晴
⑪通過する列車のあとは春の風(郁子)朱・遅・亜・静・立・狗

   

次回は3月19日(水)午後6時 安田屋 
題詠は「春風」です。


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追悼句会  麗

2008年02月21日 | Weblog
志考さんが亡くなられたので偲ぶ会となりました。
キリスト教に入信された志考さんが天に召されて今ごろ奥さまとお二人で梅を見ていることでしょう。
私にとっては「二月尽」始めさまざまな季語を教えてくださった志考さんが
奇しくも2月に亡くなられ命が尽きたことが残念でした。そういう思いを込めて追悼句を作りました。

しんみりの句会かと思いきや
朱露さんの

  春の空女と食べる握り飯

この句で俄然、笑いや反響が勃発。その女に奥様は含まれるのか否か
また、郁子さんにいたっては「夫とはもうおにぎりを食べない」などと
危ない発言まで飛び出しました。
私としては「女の姿をしてるけどもはや女ではない」と解釈してしまいました。

それにしても
郁子さんの

  通過する列車のあとは春の風

なんと気持ちのいい春の句でしょうか。郁子さんの本領発揮。最後にさわやかな春の風が句会にも吹き、志考さんも喜んで下さっていると思います。

        偲ぶ会暖かき風そっと吹く   麗
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2月句会の投句が揃いました。    遅足

2008年02月20日 | Weblog
題詠「梅」

①長浜の盆梅がある豊橋駅
②吉の卦をあまた結んで枝垂れ梅
③問われれば紅梅よりも白い梅
④地に骨の還る時間やしだれ梅
⑤紅梅や声を温め集う輪に
⑥梅林に暮雪舞い込む寒さかな
⑦白梅や凛と一輪いてござる
⑧平板な日常に咲く梅一輪
⑨願掛けの絵馬に枝垂るる梅の夢
⑩あまつぶとつぼみつぶつぶ梅の花
⑪天上のふたりの梅となりにけり


自由題

①君天に召されてよりの余寒かな
②春の空女と食べる握り飯
③踏みしだく豆の多さや鬼やらひ
④おば様もバレンタインのチョコ選び
⑤寒明けの金魚ゆるりと浮きにけり
⑥薄髪の地肌にぽったん牡丹雪
⑦二月尽という季語教えてくれた人
⑧迷惑な靴の来ている雨水なり
⑨満月を洗い流して冴え返る
⑩ひっそりと豆を食いをり鬼よ来よ
⑪通過する列車のあとは春の風
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雪が降りました   鳥野

2008年02月19日 | Weblog
立春が過ぎたころから、当地にも雪がお目見え。遅れて来た冬です。

同じ”雪”を詠んでも、短歌の中で印象に残っているのは、やたら感傷的。

 ・ 君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋

 ・ さいはての駅に下りたち雪あかりさみしき町にあゆみ入りにき  石川啄木

それに比べると俳句は潔く厳しい。

 ・ したたかに転んで雪を罵れる  小原啄葉

 ・ 山の雪胡粉をたゝきつけしごと  高浜虚子

 ・ 雪降りてまこと楽しきまどゐかな  星野立子

 ・ 雪片のつれ立ちてくる深空かな  高野素十

学ばねばと、思います。
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読み手にゆだねる手あり            愚足

2008年02月17日 | Weblog
 永き日のにはとり柵を越えにけり      芝不器男
  (そしてどうなったの?)

 淋しさに二通りあり秋の暮れ        三橋敏雄
  (一つは分かったけど)

 闇汁に古女房が入れしもの         京極杞陽
  (えっ?)

 と言いて鼻かむ僧の夜寒かな        高濱虚子
  (台詞だよね)

 ★俳句は読み手との協同作品とか、ずばり、読者に考えさせたら良いのだ!!
  と「ひらの こぼ」さんが提案していました。
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寒落暉 聖なる牛が立ちつくす  桜井志考

2008年02月17日 | Weblog
桜井さんの書いたものを読み返していたら、
寒落暉(かんらっき)の句について、思いを述べた文章が
「象」という雑誌に載っていました。
少し長い文章ですが、転載します。(遅足)

        


「あやまちは くりかへします 秋の暮」
 俳人・三橋敏雄の一句そのままに、
アメリカはベトナム戦争・湾岸戦争の過ちを省みず、
独り善がりの白か黒かの二分法の価値観のもとに、
アフガンへの報復空爆を強行、
日本は平和憲法を踏みにじって自衛隊派遣の過ちを犯してしまった。
多くの一般国民を巻き添えにする無差別テロは、
たとえ、どんな理由があれ許されるものではない。
だが、そのテロの相手は国家ではない。
これをアメリカはビンラディン氏率いる過激派の反抗と決め付け、
これを匿う者も同罪と断じて、
タリバーンの支配するアフガンの殲滅を図ったのである。

 イスラムを信奉する人々は、アラーの神を、
魂の不滅を信じて清貧の中で厳しい戒律を守り、
新月の訪れとともに一ヶ月にも及ぶ断食に入る。
ある意味では、彼らはこの地球上で最もつつましく聖なる民族である。
その貧しい人々に、富める大国のアメリカがこれでもかと
爆弾の雨を降らせる。
すでに飢餓状態にある何百万というアフガンの人々はなす術もない。
これは、もはや戦争ではない。
アメリカとその同盟国による報復という名の国家テロである。


 この人間による他者への蔑視にもとづく傲慢な仕打ちは、
見方を変えれば、いまも自然の摂理に従い中世以来の神学に
深く帰依するイスラムの精神文明を否定し蹂躙するものである。

 科学の力に頼ったアメリカをはじめとする西洋文明は、
さまざまな過ちを犯してきた。
かっては人とともに生きる聖なる存在であった牛を、
人間はその肉を食べるという目的そのもののために、
肉牛に同じ「種」の肉骨粉を与えて狂牛病を発生させた。
狂牛病は共食による異常プリオンが原因とされている。
ヒトの「種」でも脳の硬体移植によってヤコブ病を発生させている。
何れも自然界の摂理に逆らった人間の驕りがもたらしたものである。

 砂漠の落日の彼方に明日はあるのか。
聖書の最終章「黙示録」に書かれているように、
この世の終末に神の国はあるのか。
一瞬の光芒の後に、人も牛も立ちつくしたまま
無明の闇に沈んでゆくのだろうか。
私たちにその答えはまだ与えられていない。

                    (2001・11・20記)


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