575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

犬抱いて崖の女は秋の中   朱露

2006年09月30日 | Weblog
同級生5人、恒例のドライブ一泊旅行。
山腹の休憩所で、この句の風景を見た。
私は高い所が嫌いなので落ち着かない。
女は後ろ向き。足下は崖で山と空だけ。



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とんぼうは偉い

2006年09月29日 | Weblog
理系オンチの当方、少しでも知識向上にと視ているのが、お子様向け番組の「科学大好き土よう塾」。
2,3週前のこと、トンボが登場しました。

昆虫採集で手こずったヤツ。なぜあんなに素早く、自由自在に飛ぶことばできるのか。

解明に出演されたのは、航空力学の権威で、東京大学名誉教授の博士。
要するに、4枚の羽を前後別々に、交互にひねって動かすことができるから。強靭な筋肉を持っているのですと。
その上、重量あたりの翼面積が極めて大きいことなどがなど、次々に明かされていきました。

最先端の科学者さんも、トンボにどっさり教えられているのですね。

   とんぼうに真向かう風のありにけり  松田美子

   とんぼうのすいと乗り継ぐ風のあり  伊藤たか子

   水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ     高橋正子

                             鳥野

   


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気になる言葉

2006年09月28日 | Weblog
知っているけど使ったことのない言葉。
好きな作家の小説からすくい上げる作業を始めようと
メモ帳を用意しました。少しはボキャブラリーが増えるかな?

そこで心に引っかかった言葉を575の中に取り込んでみようと
思いました。
まず一つ「こぼれ落ちたもの」。どこか記憶から消えている日々。

     「秋澄んでこぼれ落ちし日いとおしむ」麗

話は変わりますが、恥ずかしながら「論功行賞」という言葉。
今回の組閣で初めて知りました。
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続・悪党芭蕉    遅足

2006年09月27日 | Weblog
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

芭蕉の辞世の句とされるものですが、なぜ芭蕉は大坂で亡くなったのか?
じつは弟子の喧嘩の仲裁のためだったそうです。
晩年になって可愛がっていた酒堂が、近江から大坂に進出。
以前から大阪を仕切っていた之道と弟子の奪い合いの喧嘩に。
大坂に入った芭蕉は、酒堂の家に泊まります。
これは酒堂が医者だったこともあります。芭蕉は体調を崩していましたので。
しかし、之道にしてみれば、面白くありません。はじめから波乱含みです。
   
     

どうやって仲裁するのか?
俳諧の興行を行うことによって仲直りさせようとするのですね。
何回か、今風にいえば、連句の会が催されました。
しかし、結局、失敗しています。
芭蕉は、どうもエコヒイキが強いようです。
悪いことには、ある俳諧の興行で出されたご馳走を食べて、下痢、
病状が悪化します。
酒堂の医者としての腕はたいしたことはないらしく、
芭蕉は酒堂の家を出て、近江から呼んだ医者に見てもらいますが、
結局、帰らぬ人となってしまったのです。
酒堂はこれを恨み、葬儀には出ていません。

     


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
旅に病んでなほかけ廻る夢心

病気で寝ていた芭蕉は、どちらが良いか?と、
枕元にいた弟子の支考に聞いてます。
「いずれもいいです」と、支考は答えそうですが、
本当は両方とも、そんなに良い句ではないと、思っていたそうです。
芭蕉は「言いおおせて何がある」と、弟子に教えていましたが、
この句は言いおおせてしまったと考えたのでしょう。


     


「悪党芭蕉」は、勉強になることが一杯、書いてありますが、
連句がよく分からないので、半分も理解できませんでした。
どうも芭蕉を理解するには、連句を知らないとダメなようです。
なお芭蕉以前には、連句は100句、続けられたそうです。
これだと夕方から朝までかかりです。
そこで芭蕉は36句という短い連句を始めます。
これだと、夕方から集まって、次の日の仕事には差し支えない
時間に帰れるからということです。
なかなか知恵者でもあります。



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悪党芭蕉(嵐山光三郎)を読んで  遅足

2006年09月26日 | Weblog

芭蕉は元禄7年(1694)に、大坂で亡くなっています。
51歳でした。
100回忌には、神祇伯白川家から「桃青霊神」という神号を授けられ
神様に。
300回忌には、奥の細道ブーム、俳聖芭蕉というイメージ商品に。
神様になったり、俳聖とされたことによって
芭蕉の句も、当初とは違った読み方がされるようになります。

 古池や蛙とびこむ水のおと

   

この句の古池は、江戸大火で死体の浮いていた池だったのですが、
枯淡の境地を表す、聖なる池と考えられるようになって行きます。
「悪党芭蕉」というタイトルは、芭蕉を聖人から俗人に戻して
読み直そうという試みで、書かれた本でした。

深川に隠棲したのも、俗世間を逃れてではないようです。
どうも身内に、あぶないことがあって、隠棲せざるを得なくなったとか。
名古屋の俳人、杜国は美青年で、ホモセクシャルだったとか。
うーん!そうだったのか。

    

芭蕉といえば、神様とは思いませんが聖人のように
思っていましたから、面白い本でした。
でも、そうのほうが、句はみじかに感じられました。

    









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何で年よる?                愚足

2006年09月25日 | Weblog
 歳時記の秋の部を読もうと開いて飛び込んだのが

  「此秋は何で年よる雲に鳥」 芭蕉

 の一句。とても気になる句ではないか。
 調べてみると、この句を作ったのは元禄七年九月二十六日「笈日記」に「旅懐」の詞書で記されていて、芭蕉は十月十二日に息を引き取っているので日々容態が悪くなる中での句作。死の直前の句という。
 芭蕉はすでに上・中の「此秋は何で年よる」は出来ており下の五文字を得るために苦しみぬき、死の床で「寸々の腸をしぼる」とまで言ったそうである。
 そして「雲と鳥」を得た時自賛の言葉をもらしたという。
 芭蕉の句作への執念を垣間見る思いがした。

 どうですか皆さん。「此秋は何で年よる○○○○○」 に腸を絞ってみては?

                   
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時刻むカネタタキの音鎮魂歌   郁子

2006年09月24日 | Weblog

先回の会での句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を
務めたことのある桐生悠々。
その悠々に

 蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜

という句があります。

昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書き、
在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。

蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。

    

新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、名古屋新聞と合併して、現在の中日新聞となっています。
この合併も戦争遂行を目的に、言論統制のために行われたものです。

                     (遅足)






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秋の京ライスカレーの不味い店   朱露

2006年09月23日 | Weblog

  京都まで行って何故ライスカレーなのか?
  壬生狂言と新撰組の屯所を見て腹が減る。
  この辺は観光地じゃないから仕方ないか、
  と、不味いカレーに京都の素顔を覗いた。

  
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いただきまーす

2006年09月22日 | Weblog
9月の句会は、和気藹々、たくさんの事を学ばせていただきました。秋刀魚も美味しかったし・・・。
中でも印象に残ったのは、

 宿坊の夕餉の芋に手を合わす 龍

の句と、この句を巡るみなさんのお話。

多くの方が、「いただきます」と「ごちそうさま」は欠かさないとのこと。
「箸とらば・・・」と長い挨拶言葉を全部言い終わるまで食べることを許されなかったという思い出話には花が咲きました。

あるブログには、”夜行列車を待つ間のホームでのエピソード、”立ち食いそば屋で見たジーンズ青年の折り目正しさに心が洗われた”様子が書かれていました。

逆に、嘆かわしい話をマスコミから。
ある学校へお母さんから、「私たちは給食費を払っています。子どもたちに、いただきます、なんて言わせないでください」という抗議があったと・・。

両手を合わせて、多くの命をいただくことや、大勢の人の労働へ感謝する気持ちは、忘れられていく世情なのでしようか。

                      鳥野
 
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芋句会

2006年09月21日 | Weblog
昨日の句会は名付けて「芋句会」。

箸では扱いにくい里芋のかわいらしさやユニークさを見事に
とらえた句や、おいしそうで垂涎ものの芋蛸の甘辛煮。
日本列島を読み込んだ壮大な里芋までいろんなお芋に舌鼓。
いざこざ抱えた里芋だけど、どこか家族の暖かさが感じられるのは不思議な
一品ですね。

長良さんの追悼句集を帰りの電車の中で読みました。
愛されたキャラクターの長良さん。
いろんな場面が思い起こされなんだかしゅんとなってしまったのですが、
天国の長良さん、575の句会は新しいメンバーも増えにぎやかになって
いますよ。合掌。   麗
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句会の結果です。

2006年09月21日 | Weblog
題詠「芋」

芋の畝輝きの玉降り注ぎ(童子)
転がして突いて愛しき小芋かな(亜子)○○○
衣被つるんと出でし玉の肌(ほたる)○○
宿坊の夕餉の芋に手を合す(龍)○○○○○
里芋の面取りをして母想う(麗子)
芋茹でて海の塩振る大八州(朱露)○○○
芋の葉に夢見るような露のたま(郁子)
靴脱ぎに芋煮匂えり孫の声(立雄)○
寝待月芋蛸甘く煮あがれる(愚足)○○○
芋洗ふ月下の水となりにけり(遅足)○
里芋め箸をすりぬけ鉢をこえ(晴)○○○
母の手のコキッともぎる小芋かな(能登)○○
芋名月息子と語る亡夫(つま)のこと(静荷)○
族らのいざこざ抱え八つ頭(鳥野)○○○○

   
    
自由題

秋燕消えて駅舎の古巣かな(龍)○
音もなく大和路の萩咲きこぼれ(麗子)○
酒ついでそのままであり秋の夜(朱露)○○○○○○○
仕舞湯の灯を暗くして虫の声(愚足)○○○○
嬰(やや)泣いて敬老の日の隣かな(静荷)○
新涼や眉ひく筆ののびやかに(晴)○○
白菊やポンポン船の音高し(立雄)○○
手花火や火玉の落ちし後の闇(ほたる)○○
小6に母背負われし運動会(童子)○
秋雷や吉村昭自決せり(能登)○○
土に潜み土の色なす芋の衣(鳥野)○
能管とチェロの合奏月上る(亜子)○
寂寞として夕焼けの口ひらく(遅足)○
時刻むカネタタキの音鎮魂歌(郁子)○

次回は10月18日(水)午後6時 安田屋 
題詠は「柿」です。お願いします。

                   (遅)


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投句がそろいました。   

2006年09月20日 | Weblog
題詠「芋」

芋の畝輝きの玉降り注ぎ
転がして突いて愛しき小芋かな
衣被つるんと出でし玉の肌
宿坊の夕餉の芋に手を合す
里芋の面取りをして母想う
芋茹でて海の塩振る大八州
芋の葉に夢見るような露のたま
靴脱ぎに芋煮匂えり孫の声
寝待月芋蛸甘く煮あがれる
芋洗ふ月下の水となりにけり
里芋め箸をすりぬけ鉢をこえ
母の手のコキッともぎる小芋かな
芋名月息子と語る亡夫(つま)のこと
族らのいざこざ抱え八つ頭
    
自由題

秋燕消えて駅舎の古巣かな
音もなく大和路の萩咲きこぼれ
酒ついでそのままであり秋の夜
仕舞湯の灯を暗くして虫の声
嬰(やや)泣いて敬老の日の隣かな
新涼や眉ひく筆ののびやかに
白菊やポンポン船の音高し
手花火や火玉の落ちし後の闇
小6に母背負われし運動会
秋雷や吉村昭自決せり
土に潜み土の色なす芋の衣
能管とチェロの合奏月上る
寂寞として夕焼けの口ひらく
時刻むカネタタキの音鎮魂歌

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一瞬の天に罅(ひび)入る稲光  絵門

2006年09月19日 | Weblog

この日曜日の中日俳壇。
長谷川久々子選に絵門さんの句が選ばれていました。

天地を走る閃光を罅と捉えた感性。
というのが久々子先生の評でした。


今年の夏は何回、天に罅が入ったのでしょうか。
温暖化が進まなければいいが。
                (遅足)

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「芋茎」に嵌ってさあ大変。        愚足

2006年09月18日 | Weblog
 句会が迫っていますがそうなると益々脱線したくなる悪い癖。
 「芋」より「芋茎」が気になりだして調べてみると。

加藤清正は熊本城築城のとき、戦に際してのあらゆる場合を考慮して、畳の床にまで乾燥させたズイキを使い、籠城の際の貯蔵食にあてたとはたいした知恵者ですあったと書かれています。

また時代は下って江戸の街。池波正太郎の「剣客商売」の一節に、

老僕の権兵衛が、軽い中食(ちゅうじき)を出す。
にぎりめしへ味噌をまぶしたのを、さっと焙(あぶ)ったものと、
芋茎と油揚げを煮た一鉢。塩漬けの秋茄子などの簡素な中食であったが、
「うまいぞ、権ちゃん」
「あれ、また、権ちゃんといいなさると」
「お前のような人に食べるものの世話をしてもらって、
 ここの旦那はしあわせじゃな」

 と書かれていて、芋茎はアクだしをして油揚げと煮付けるのが定番の様。
 一度「芋茎料理」に挑戦してみようと思ったりしています。

 最後は「芋茎」の名句を

山国の日のつめたさのずゐき干す      長谷川素逝
母が切る芋茎は水をためてをり       萩原麦草
芋茎干す歩危には広き岩畳         酒井黙禅
板の間に芋茎一束雨が来る         廣瀬直人
宿坊の深き廂や芋茎干す          塚田かをる

                     
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季語の本意をずらす  

2006年09月17日 | Weblog
季語・岩波新書(坪内稔典)を読んでいたら
季語の本意をずらす、ということが書いてありました。


  たとえば、春風という季語の本意は、そよそよと優しく吹く風のこと。

  春風にこぼれて赤し歯磨粉 子規
  春風や象引いて行く町の中 子規

  この2つの春風はおだやかにそよそよと吹いている。
  もし激しく吹いたら、別の季語、たとえば、春嵐とか春疾風になる。
  季語の本意に、何を取り合わせるかで、季語の本意が
  少しずれるというか、言葉の新しい表情を見せる。
  歯磨粉と取り合わされた春風、象と取り合わされた春風とは
  少し感じが違うだろう。
  その微妙な違いを楽しむのが俳句の楽しみ、あるいは
  季語の楽しみというものだ。
   俳句をつくる人は、季語の本意を取り合わせなどでずらす。
  写生という方法も、今まで気づかなかった何かを見つけて
  季語の本意をずらす。

  方丈の大庇より春の蝶

  この句は、龍安寺、と前書きのある高野素中の句だが、
  方丈の大庇という思いがけないところに蝶を見つけている。


なるほど、と思いました。
あまり離れると独りよがりで、分かってもらえない。
その辺りが面白いですね。


    


さて20日の句会。
題詠は「芋」です。

 芋の露ドロップアウトして銀河  遅足



  




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