575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

溜池に尻尾を垂らす虎とんぼ  立雄

2017年10月31日 | Weblog
虎とんぼは、オニヤンマのこと。
立雄さんのふるさとでは虎とんぼと呼んでいたそうです。
溜池で卵を産んでいる様子を詠んだもの。
虎とんぼと言われると、虎が尻尾を垂れているようです。

私も短歌で詠んでみました。

 尾にて打つシオカラトンボの水面へカダヤシの群れ集まりてくる

この歌を読んでくださった妻の友人がこんな便りを。

ある工業高校で授業中のこと。トンボが教室へ入ってきて大騒ぎに。
私は「窓を開けろ」と一言いったままで座って
生徒の興奮状態が静まるのを待っていました。
生徒の一人がノートを振り回して机の上に跳びのり
ひつこく叩き落とそうとしました。
その時、大きな声で生徒の一人が
「ヤメロ‼ お前でも彼女とやっている時、ひきさかれるのは
イヤだろう」。
それで騒ぎはおさまり、トンボも窓から出て行きました。

工業高校の生徒は貧しく、困難な条件の中で
健気に精一杯がんばっている子がほとんどで
以前から好きでしたが、なんだか増々好きになりました。

               遅足
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雨の立石寺   遅足

2017年10月30日 | Weblog
みちのく2日目は蔵王へ。この日も雨。
ロープウェイを乗り継いで山頂駅へ。
雨と強い風で一歩も外へ出ることもなく下山。
山頂近くのアオモリトドマツが枯れていました。
何年かのちには樹氷が出来るのでしょうか?

下山して芭蕉の句で有名な立石寺へ。

  閑かさや岩にしみいる蝉の声

奥の細道の旅の途中に詠んだ句。一番好きな句です。

その立石寺は断崖ともいうべき山の上。
目の前には急峻な千の石段。さらに強い雨。
拝観料を払って、外国人の観光客とともに挑戦・・・
私は半分くらいの仁王門を見上げたところでギブ・アップ。
これ以上は足が前へ出ません。涙をのんで踵を返しました。
下山して甘酒を一杯。冷えた身体が温まりました。

芭蕉が訪れた時は夕方も近い時間。
深い杉木立。目の前に迫る岩山。蝉の声は深々・・・
最初に詠んだ句は

  山寺や石にしみつく蝉の聲

その後、

  さびしさや岩にしみ込む蝉の声

そして数年の推敲の後に、

  閑さや岩にしみいる蝉の声

秋雨のなかで詠んだ凡人遅足の句がこれです。

  山寺や巌をあらう秋の雨

  山寺や巌を穿つ雨の秋

推敲すれば少しはマシな句になるでしょうか?
写真は、JRの山寺駅から見た立石寺です。

 

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ほんとうの空  遅足

2017年10月29日 | Weblog
先日、みちのくへ紅葉狩りのパック旅行。午前中に名古屋を出発、昼過ぎには郡山へ。
みちのくも近くなったものです。バスに乗って安達太良山へ。
天は一行に味方せず冷たい雨。ロープウエイから、かろうじての紅葉見物。
さて頂上は雨と霧の中・・・すこし歩くと一本の標識。(写真)

「この上にほんとうの空がある」とあります。

 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとうの空だといふ。

智恵子抄の「あどけない話」の一節。
残念ながら「ほんとうの空」は見えませんでした。

阿多多羅山とは、安達太良山(あだたらやま)のこと。
日本百名山の一つでハイキングのメッカです。
明治時代には噴火、多数の死者を出しています。今も活火山です。

智恵子の実家は麓の二本松にある造酒屋。
東京の生活に疲れた智恵子が思い出すのは、
子供の頃から親しんだ山と空だったのでしょうね。

「あだたら」の語源は古代の製鉄に使われたタタラから、という説。
安達郡の最高峰、すなわち安達太郎からきているとする説。
アイヌ語の乳の意味のアタタからきた説など・・・
アイヌ語だとどういう意味なんでしょうね。

雨が降っていても、そこには空があるのですが、
ほんとうの空と言われると青空のイメージ。
もう一度、行かないとほんとうの空には出会えない・・・
などと思うのは、すでに誰かの罠にはまっているのかも。

  ただの空を「ほんとうの空」と売り出せる みちのくびとのこころをおもう

あなたにとって「ほんとうの空」は?


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首塚の先はぬけみち鶏頭花   遅足

2017年10月28日 | Weblog
船団の星野ドクターの診断です。

首塚は非業の最期を遂げた人びとの鎮魂のために建てられたものですが、
時代とともにそんな歴史の記憶も薄れ、周囲の様子も変わってきます。
掲句の場合も、時が移り、首塚の向こうにも田畑が広がって集落ができていたのでしょう。
その風景に鶏頭の花がよく合っています。

ありがとうございます。
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たかがテレビの帯と云うなかれ 竹中敬一

2017年10月27日 | Weblog
今はテレビのニュースやドキュメンタリー番組で字幕やそれを彩る帯は
どんな色でも簡単に短時間で作ることができますが、テレビ草創期の
フィルム時代、タイトルや字幕は" 線画さん" と呼ぶイラストレーターの手書き。
ニュースの場合は、時間が勝負ですから、長い字幕は禁物です。手書のため、
間に合わず、私たち報道部員が下手な字で字幕やタイトルを書いて、放送したこと
もありました。

ドキュメンタリー番組の場合は、更に複雑な過程が待っています。
まず、撮影したフィルム(ネガ)を現像して編集します。
その編集した映像に合わせて、再び、元のネガを編集して現像したものが
放送されます。
字幕スーパーは最後のネガ編集の時、ベースの映像にもう一枚、字幕を焼き込んだ
ネガフィルムを合わせて現像しなければなりません。
ひと手間かかる上、ネガを二枚合わせて現像するため、どうしても映像の鮮度が
落ちます。従って、私たちデレクターは字幕スーパーは最小限に抑えました。
方言など分かりにくい言葉は字幕で補うとよいことは、わかっていても断念せざるを
得ませんでした。
私も関わったカメラルポルタージュ(TBS系)では、放送局名だけで、スタッフなど
のスーパーは出しませんでした。

今はテレビを見る立場から、特に、二ユースやスポーツ中継での字幕を彩る帯や
CGによる特殊加工に興味を持って見ています。
相当、古くからイギリスのBBCニュースの字幕と帯は一貫して変わっていません。
ワインレッドの帯に白い字幕、シンプルですが、どこかあかぬけしています。
これに対して、NHKはじめ日本のテレビニュースは字幕や帯に統一性がなく、同じ
放送局でもニュースの時間帯によってスタイルが様々で、その時々の担当者の好みに
よって、帯の色合いなどを決めているとしか思えません。
自戒を込めて云えば、ニュースの中身ばかりに、集中するあまり、書物でいえば
装丁の部分が疎かになっているのではないでしょうか。

アメリカ、ジヨージア州オーガスタで毎年春に開かれるマスターズ・トーナメントの
テレビ中継 (TBS系)は、欠かさず見ていますが、いつの頃か忘れるくらい前から
画面に表示される字幕や帯の色合いが決まっています。
アメリカ3大ネットワークの一つ、CBSが制作。帯の深い緑色がオーガスタの
美しい自然とよくマッチしています。
帯の上手にゴルフ場のグリーンを形どった図柄が置かれいますが、その図柄の薄い
黄色と深い緑色の配色を私はイギリスのBBCニュースと同様、いつも感心して見
ています。

余談ですがCBSはTBSと創業時から二ユースで業務提携を結んでいました。
TBSの系列局にいた私は在職中の昭和57年(1982)、研修旅行でCBSの
ニューヨーク本社を訪れましたが、そこで見たものは、如何にTBSがCBSの
システムを参考にして創業したか、ということでした。
例えば、二ユースのネットワーク(JNN)を日本の民放局で最初に取り入れたのは
TBSですが、その原型はCBSにありました。
CBSの看板番組にCBSイブニング二ユースがありますが、アンカーマンによる
夕方のニュース・スタイルは日本の夕方のニュースの伝え方に大きく影響しています。




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鎌倉文学館   麗

2017年10月26日 | Weblog
写真は鎌倉旅行で訪れた「鎌倉文学館」です。江ノ電「由比ヶ浜」から徒歩で約7分。緑豊かな石畳の坂道を上がったところにひっそりと存在しています。鎌倉ゆかりの文学者の直筆の原稿や手紙などの文学資料が展示されていました。
多くの自筆の原稿や手紙をみると作家達の息づかいが聞こえて来そうな場所です。

おしゃれな洋館は、旧前田侯爵家の鎌倉別邸だったそうです。
戦後はデンマーク公使や佐藤栄作元首相の別荘にもなりました。ベランダからは相模湾が一望できます。
ここで元首相は演説の練習をしたとか?
三島由紀夫の小説「豊饒の海」の第一巻「春の雪」の別荘のモデルにもなったそうです。

鎌倉は明治22年に横須賀線の開通したことで保養地として人気が出て多くの文学者が訪れるようになりました。やがて鎌倉に移住した文学者たちは「鎌倉文士」と呼ばれるようになります。
彼らは新たな鎌倉の文化を築いていきます。
久米正雄や大佛次郎が発案した謝肉祭をまねた「鎌倉カーニバル」と名付けた仮装パレード。また鎌倉文士たちが手持ちの本を持ち寄って開店した貸本屋「鎌倉文庫」は、空襲警報の合間を縫って人々が訪れるほど繁盛したそうです。

川端康成、小林秀雄、吉屋信子など鎌倉に暮らした多くの作家が仲間と出会い、自然を愛し市民とふれあい、多くの作品が生まれました。

多くの作家たちをひきつけた鎌倉という町。鎌倉武士達の哀愁と歴史が感じられる自然豊かな文化都市。
由緒ある寺社も多く見所はつきません。
またゆっくり文学散歩に出かけたいものです。

             秋うらら文学館への散歩道   麗
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一輪の黄菊へこぼす一語かな   遅足

2017年10月25日 | Weblog
この句を栴檀の句会に出してみました。
先生が選んでくださいました。

この菊は、どんな一輪なのか?
野に咲いているのか?亡き人に捧げられてものか?
作者はその花をみて思わず一言をこぼしました。
どんな気持ちだったのか?
具体的な状況は読む人に委ねられています。
そこが上手いという評でした。

  箔を押す指の先より秋の声

一方、この句は上五中七までは良いが季語はダメ。
多分、秋の声の本意にそぐわないという評だと思いました。

秋の声は、中国の古典の引用で、木の葉や秋草をそよがせ、
巌頭を吹き過ぎる風が立てる音。
俳句では、風の音はもとより、秋の雰囲気を醸し出す
あらゆる物音を含む、広い意味合いで使われてきたようです。
秋を感じさせる心に響く音。
指の先より、を変えるか、秋の声を変えるか、ということ。

  箔を押す指の先より秋の音

としておきます。

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生きている生かされている生身魂  静荷

2017年10月24日 | Weblog
季語は生身魂。盆にかかわる季語で、長老をさします。
盆の間、生身魂と呼ばれて尊敬され、大切にされたそうです。
技術革新の速い時代には長老の出番はなく、
今は季語としてだけ残っているようです。

この句の生身魂とは、作者の義母さん。100歳を越えました。
嫁姑の戦いは停戦状態にはなく、嫁への悪口は衰えをみせないとか。
100歳を越えてりっぱに一人で「生きている」のです。
もちろん家族や介護の人などのお蔭で「生かされてもいる」わけです。
音としての「い」の頭韻も効いています。
ちょっとキャチコピーみたいですが。

私の父はよく「人は生かされているのだ」と言っていました。
浄土真宗の信徒でしたから、人様のお世話になっているという他に
「阿弥陀様によって生かされている」という意味だったと思います。
若い頃は「そうかな?」と、まったく関心がありませんでしたが、
齢を重ね、死が意識されるようになって、人間を越えた存在に
憧れる気持ちが湧き、父の言葉も少し理解できるようになりました。
人は自分の力で生きており、また生かされてもいる存在なんでしょうね。
                          (遅足)

こんな句も。

 生身魂ちつともじつとしてをらぬ  山尾玉藻


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575の会の始まり。

2017年10月23日 | Weblog
名古屋は台風が通り過ぎて、ひさしぶりの青空です。
みなさん大丈夫でしょうか?
関東以北は、今が一番大変な時です。くれぐれもご用心を。

選挙という大風も安倍さん一人を残して去っていきました。
これからの日本、どうなっていくのか?

ところで、575の会は、いつ始まったのか?調べてみました。
最初の句会は、記録に残っているところでは、1994年6月14日でした。
その時の句はご覧の12句。

 自尊心いわれなき身に梅雨降りぬ
 夏の宵熱気にのった痴話ゲンカ
 ハイと出て悔やむ電話や梅雨の夜
 一周忌いのちおいしくいただきぬ
 傘と傘あじさい坂を下りけり
 父の日に期待もされず言い出せず
 夏の空仰いで見ればウワの空
 平成の猫おしゃべりになにぬねの
 初夏の色水面に写す五条川
 自尊心この梅雨空にかく重く
 佐渡の海空まで続く弾崎
 灰色の雨の街中咲くネオン

作者名が残っていないので、どなたの句なのか?残念ながらわかりません。
一人2句でしたから最初は6名でした。

また、亜子さんが参加されたのは1995年1月。
その時の句は。

 席ひとつゆずりゆずられ老いの春

同じ年の11月にアメリカ帰りの麗子さんが参加。

 おでん種積み木のように見えもする

この句が記録に残っていました。
おなじ年の12月の句会の志考さんの句。

 寝返っても寝返っても独り冬銀河

良い句ですね。
ところで、わたしの句はどれと、どれでしょう? 遅足

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10月句会の最終結果です。

2017年10月22日 | Weblog
難しい題詠「秋収」句会の結果はご覧のとおりです。
台風が接近中です。くれぐれもご用心を。遅足

題詠「秋収」
①秋収鈴軽やかに馬の塔(郁子)結宇・麗子
②爺様にわらじ教わる秋収め(立雄)能登・狗子・静荷・晴代
③不揃いの野菜も盛って秋収め(亜子)能登・結宇・等・晴代・立雄
④配るほど貸農園の豊の秋(静荷)佐保子・遅足・亜子
⑤久し振り擂粉木出だす秋収め(佐保子)静荷
⑥県外のナンバーならぶ豊の秋(遅足)郁子
⑦祝福の光に染まる秋収め(麗子)すみ
⑧秋仕舞ぐずる子を背に帰りかな(結宇)狗子・等
⑨広島の胴上げを見て秋じまい(狗子)能登・遅足
⑩秋仕舞二間続きの膳支度(等)佐保子・結宇・すみ・遅足・亜子・狗子・晴代・郁子・麗子・立雄
⑪秋収め節くれ太き指と笑み(晴代)すみ・等
⑫豊作にホッと安堵の皺だらけ(すみ)郁子
⑬みちのくや七年ぶりの秋収(能登)佐保子・亜子・静荷・麗子 ・立雄

自由題
①生きている生かされている生身魂(静荷)遅足
②あづかりし犬のよく吠ゆ金木犀(佐保子)結宇・すみ・狗子
③満月や地球に生を享(う)けしこと(亜子)佐保子・能登・すみ・遅足・麗子
④両の手に抱く銀河の一滴(遅足)亜子
⑤溜池に尻尾を垂らす虎とんぼ(立雄)静荷・晴代・郁子
⑥木犀の路地にこぼるる弦の音(郁子)佐保子・能登・等・麗子・立雄
⑦爽やかや街踏む靴の新しく(晴代)遅足・狗子・麗子
⑧写真館に小(ち)さき行列七五三(狗子)
⑨地言葉と浅間指さす萩の寺(結宇)
⑩大仏の両肩に乗る秋の空(麗子)結宇・すみ・亜子・狗子・等・静荷・晴代
⑪吾亦紅友の消息口籠る(すみ)能登・結宇・亜子・晴代・郁子・立雄
⑫「吊ししよまい」柿並べ道の駅(等)
⑬かくれんぼ藁堆(にお)は暖かいい匂い(能登)佐保子・等・静荷・郁子・立雄

次回は11月15日(水)午後1時半 芸文センター12階D
題詠は「晩秋」です。

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セイタカアワダチソウ  郁

2017年10月19日 | Weblog
ひとり暮らしの田舎の義母が膝が痛くて歩けないと
SOSの電話があり、お見舞いのため、久しぶりに電車に揺られて
一人旅をしてきました。

JR山陰線、亀岡を過ぎたあたりからは
まさに日本の原風景!
これぞ「豊の秋!」と黄金に染まる田んぼに見惚れていたのですが
稲穂と見えた黄金色は、良く見るとセイタカアワダチソウ。。。
列車が走れど走れど、黄色の帯のように繋がってついてくるようです。

繁殖の強い外来種、
この花にあまりよいイメージはありませんでした。
秋のアレルギーにも一役かっているものとばかり思っていました。
いかにもあのふわふわした花がくしゃみやせきを誘導しそうです。
実は、セイタカアワダチソウは、虫媒花で
花粉を飛ばす植物ではなかったのですね。

ブタクサに似ているため、誤解されたのだということです。
確かに良く似ていて
黄色の色の濃いほうがセイタカアワダチソウ。

長らく誤解をしていてすみません。
よく見れば元気の出る黄色でした。
でもこの増えよう。。
ちょっと強すぎですね。(笑い







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秋収め句会    麗

2017年10月19日 | Weblog
秋雨前線停滞中。貴重な晴れ間となった昨日、句会が行われました。静荷さんもお元気になられた様子で安心しました。

「秋収め」というお題は、農業とかけ離れた生活をしている私たちには難しいお題でしたが、やはり実際に目にしたものを詠んだ句が席巻しました。
それでは一言講評です。


①秋収鈴軽やかに馬の塔

「馬の塔」は三河地方や尾張旭に伝わる神事。馬の背中を飾り付け鈴をつけて神社に奉納します。収穫に感謝し、鈴の音が聞こえてきそうです。失われていく風習を教えてくださいました。

②爺様にわらじ教わる秋収め

日本昔話のような一コマ。囲炉裏端が似合います。思わずわらじ作りの思い出を語った方も。

③不揃いの野菜も盛って秋収め

形は悪くても自分で作った野菜は嬉しいもの。収穫を喜ぶ一場面ですね。

④配るほど貸農園の豊の秋

「貸農園」というのが現代の豊の秋の様子です。「配るほどに」とあえて「に」をいれて、字余りにしては?というアドバイスあり。

⑤久し振り擂粉木出だす秋収め

擂粉木(すりこぎ)が出てくるのは自然薯か、山芋か?おいしそうな一句。

⑥県外のナンバーならぶ豊の秋

道の駅の様子と詠んだ人も。農業を継がず、都会に出た子供たちが里帰りして来ました。現代の秋収めの句。

⑦祝福の光に染まる秋収め

収穫時の太陽が降り注ぐ様子を思い浮かべて作りましたが、具体的なものを詠み込んだ方がいいというアドバイスをいただきました。

⑧秋仕舞ぐずる子を背に帰りかな

収穫を祝う宴も長引き、そろそろ子供がぐずり始めました。家へ帰る時間が近づきました。こんなことありますね。

⑨広島の胴上げを見て秋じまい

今年の秋仕舞いの一句。そういえば、プロ野球セリーグの覇者は広島でした。ドラゴンズファンには淋しい!

⑩秋仕舞二間続きの膳支度

圧巻のトップ賞です。農家の客間。ふすまを外して二間続きにして秋収めの宴会が始まります。ずらっと並んだお膳の支度が目に見えるようです。実際に目にして作った句は説得力があります。


⑪秋収め節くれ太き指と笑み

農業をしている人の手は大きく、顔つきも違います。農家のおじ様をしのんで作られたそうです。

⑫豊作にホッと安堵の皺だらけ

こちらも農家の方の陽に焼けた皺だらけのお顔が、収穫の喜びの安堵の表情に。


⑬みちのくや七年ぶりの秋収

東日本大震災から7年。ようやく収穫できるようになった農家の方の万感の思いのこもった一句。

いかがでしたでしょうか?
農業を忘れてしまっている現代人ですが、食卓に農作物があふれることに感謝して過ごしたいものです。
来月は「晩秋」です。季節は確実に進むことでしょう。どんな晩秋の一コマが切り取られるか楽しみですね。

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10月句会の投句が集りました。

2017年10月18日 | Weblog
今回の題詠「秋収」昔ながらのもの、現代のもの、
さまざまな秋収が詠まれました。
どの句が選ばれるのでしょうか?   遅足

題詠「秋収」

①秋収鈴軽やかに馬の塔
②爺様にわらじ教わる秋収め
③不揃いの野菜も盛って秋収め
④配るほど貸農園の豊の秋
⑤久し振り擂粉木出だす秋収め
⑥県外のナンバーならぶ豊の秋
⑦祝福の光に染まる秋収め
⑧秋仕舞ぐずる子を背に帰りかな
⑨広島の胴上げを見て秋じまい
⑩秋仕舞二間続きの膳支度
⑪秋収め節くれ太き指と笑み
⑫豊作にホッと安堵の皺だらけ
⑬みちのくや七年ぶりの秋収


自由題

①生きている生かされている生身魂
②あづかりし犬のよく吠ゆ金木犀
③満月や地球に生を享(う)けしこと
④両の手に抱く銀河の一滴
⑤溜池に尻尾を垂らす虎とんぼ
⑥木犀の路地にこぼるる弦の音
⑦爽やかや街踏む靴の新しく
⑧写真館に小(ち)さき行列七五三
⑨地言葉と浅間指さす萩の寺
⑩大仏の両肩に乗る秋の空
⑪吾亦紅友の消息口籠る
⑫「吊ししよまい」柿並べ道の駅
⑬かくれんぼ藁堆(にお)は暖かいい匂い
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伊勢湾台風とテレビニュース ③竹中敬一

2017年10月17日 | Weblog
日本のテレビ界は昭和28年(1953)の2月、NHK東京テレビ局がまず、放送開始。
続いて 、同じ年の8月には民放初のテレビ局、日本テレビが開局。この後、
東京放送(TBS)の前身、ラジオ東京(KR) が昭和31年(1955)に放送を始めています。
当初、テレビは高額だったこともあって、庶民には高嶺の花。放送関係者の間では
テレビが一般家庭に普及するには、限界があると囁かれていたようです。
                             (電通 調査)

テレビの普及を早めたのは 、昭和34年(1959)4月 、皇太子ご結婚パレードを
NHKと民放局が 生中継したことです。「世紀の中継」と云われました。
テレビ受像機は一気に200万台まで普及。このお祝いムードが冷めやらぬ5ヶ月後、
伊勢湾台風が襲来しています。

CBCはTBSの系列ですが、この昭和34年の8月1日にJNN(ジャパン・二ユース・
ネットワーク)協定を結んでいます。
この協定には、ラジオ東京(現 ・東京放送)をキー局にCBCなど16局(現在は28局)
が加盟 。日本初の民放ニュース・ネットワークでした。
協定が結ばれて僅か一か月余り、伊勢湾台風報道は、この協定でその力を存分に
発揮しました。

新米の私も否応なく、放送時間ぎりぎりに追い込まれながら、台風関連のニュースを
幾つも手がけました。情報が乏しくとも、映像がなにも云わなくとも、訴える力を
持っていることを思い知らされました。
この一連の台風報道で私ばかりでなく 、皆んなのテレビニュースに対する取り組みは
以前より向上し、放送する内容も充実してきました。
私は記者クラブにも入って来ないような情報や、新聞が殆ど取り上げていないような
話題でも丹念に映像で追い続ければ、番組になると信じて、ドキュメンタリーの
道を歩むようになります。

一段落した後、現地で取材に当たったラジオニュースの先輩から色々、生々しい話を
聞かされました。
泥海の中に孤立した集落に向かう時には、どの記者も一升ビンに飲料水をつめて持って
行き、大変、喜ばれたそうです。ペットボトルのような便利なものはありませんでした。
ある記者は三重県木曽岬村(現・木曽岬町)の水没を免れた農家の屋根裏に一泊させて
もらい、取材に当たる一方、情報が入らない中、村人を集めて、最新のニュースを
伝えたことで、台風に関するデマ情報を打ち消して、皆んなを安堵させました。
愛知県海部郡飛島村で泊まり込みの取材をしていた先輩は 、ある青年に「女房が産気
づいた。何とか名古屋の病院まで運びたい。」と相談をもちかけられ、取材を中断。
上空に時々、飛来する自衛隊のヘリコプターに2時間近くも手を振り続け、やっと、
願いが叶えられたそうです。

「被災者の苦しみを思えば、2日や3日 、食べなくてもよい 」と、取材と同時に救助
活動も忘れませんでした。(その記者も今は故人です)どんなに時代が変わっても、
取材する者の心得として、しっかり受け継いでいかなければならないと思います。


「中部日本放送社報」(昭和34年11月号)
10月号に続けて11月号も伊勢湾台風を特集しています。
写真は被災町からのテレビ中継の模様。
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秋夕焼職失ひし子とならぶ  遅足

2017年10月16日 | Weblog
栴檀の句会で先生が選んで下さった句。
秋の夕焼けは夏とは違って時間も短く寂しさもある。
そんな季語の本意にそった良い句とのこと。
そして下五は「子と眺む」、のほうが良い。
さらに「子と眺め」すると、読者は再び上五に戻って
夕焼をもう一度見ることになる、と。

  秋夕焼職失ひし子と眺め

とされました。

私がなにげなく置いた季語、秋夕焼。
季語を中心においた読み方を改めて学びました。
いかに季語を大切にするのか。

また、下五の「子と眺め」の当否は別にして、
そう言われて、なぜ「子とならぶ」としたのか?
父と息子、男同士の友のような関わり方をしたい、
そんな気持ちから「子とならぶ」という表現を
無意識のうちに選んでいた、と納得しました。
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