575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

林檎生る脚立の届く高さかな   等

2016-10-31 09:13:08 | Weblog
信濃のリンゴ園でしょうか。収穫が行われています。
よく見ると、脚立に乗った人の手の届くところにリンゴが生っています。
一見、なんでもない景を詠んだ句ですが、観察の行き届いた写生句です。
なかなかこうは詠めません。

林檎農家では、赤い林檎をつくるために様々な工夫を。
ポイントは、日の光を満遍なく当てること。
林檎のお尻を赤くするのが反射シート。通称「シルバー」。
木の下一面に敷く作業は、最も嫌われる作業だとか。
この他、リンゴの全体に陰をつくる葉を摘みます。
そして、玉回し。光が当たらない裏側を表にするため、
一玉一玉リンゴを回すそうです。
真っ赤なリンゴを好む消費者。農家の努力は大変です。  遅足


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朱の滲み林檎に老ひし歯茎かな   結宇

2016-10-30 09:18:16 | Weblog
林檎に老いし、という中七が上手いですね。
リンゴを丸かじり、赤い血が滲むというCMを思い出しました。
林檎だから俳句になります。トウモロコシではどうかな?
老いと歯を詠んだ句と言えば芭蕉。

  結びよりはや歯にひびく泉かな

結ぶ、は水を掬うこと。冷たい水が歯にしみます。46歳の句です。
そして48歳の時には

  衰えや歯に食いあてし海苔の砂

海苔についている砂を噛んだ時の歯の痛みを詠んでいます。
衰えや、が上五。痛切に老いを感じたのでしょう。
今でいえば歯周病でしょうか。

大昔の人々は、繊維の多いものを食べていたから虫歯も少なかったそうです。
紀元前5千年のバビロニアでは、食前に麻の繊維を指に巻き、歯の清掃を。
歯磨きの習慣は、バビロニア人からギリシア人へ受け継がれ、
ギリシアでは、歯ぐきのマッサージまでしていたと言われています。

           

カープは負けてしまいました。ハムが日本一に。    遅足

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持ち重りして林檎の赤に励まさる   静荷

2016-10-29 09:29:02 | Weblog
初めは、さほどには感じないのに、次第にその重さを感じるようになること。
これをもち重りというそうです。
スーパーで買った林檎。歩いて疲れてくると重く感じます。
ふと、リンゴの赤が目に入りました。磨きこまれた林檎の赤です。
ガンバレ、あと少しと励まされたように感じました。

なんということもないエピソードですが、
俳句にすると不思議な時空がたちあがってくるようです。

敗戦間もない頃、巷に流行したりんごの歌。
打ちひしがれた日本人のこころを励ましてくれました。
と、話したら、林檎の歌って?と聞き返されてしまいました。
昭和は遠くなりにけりです。

        

赤と言えば、今年の広島カープ。元気ですね。
日本一はハムか鯉か?
                 遅足

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松坂屋・伊藤次郎左衛門さんのこと  竹中敬一

2016-10-28 08:41:06 | Weblog
「百貨店・松坂屋 初代社長の伊藤次郎左衛門祐民 (すけたみ ) が、
タイの留学生を名古屋へ受け入れて今年で80年。遺族と日本人同級生 対面へ」
という記事が今年10月19日の中日新聞に出ていました。

祐民が、大正から昭和初期にかけて、自身の別荘「揚輝荘 (ようきそう)」に
タイをはじめ東南アジアからの留学生を受け入れ、支援していたことは、よく知られています。

松坂屋のキャッチフレーズは「生活と文化を結ぶ松坂屋」。
私もテレビ局在職中、ディレクターとして、この文句とカトレアのマークを入れた
テレビCMを、何本か制作した覚えがあります。

昭和30年代初め、私は当時の松坂屋社長、伊藤次郎左衛門氏にお会いしたことがあります。
経済記者クラブにいて、名古屋商工会議所の相談役だった伊藤次郎左衛門氏の招待による
会合に出席したのです。

記者クラブからは、新聞社から中日、朝日、毎日、名古屋タイムズ、それに放送では私一人の5人。
場所は名古屋観光ホテル。このホテルは、昭和11年、伊藤次郎左衛門氏が中心になって設立した
名古屋初のシティホテル。戦後、一時、米軍に接収されていたこともあります。
(私はこんな高級ホテルに入ったことはありませんでした。)

少人数のため、ホテル内のレストランで、まず、商工会議所の会頭を務められたことのある
次郎左衛門氏が挨拶されたのですが、緊張ぎみに立ったまゝお話になるので、
「私たちと同じようなに座ってください」と云ったことを憶えています。

偉ぶったところが全くない紳士という印象で、お話の後、ご馳走になりました。
洋食のフルコース。こんなことは初めての経験でした。
私だけでなく、ほかの記者もナイフやフオークの使い方もぎこちなく、戸惑っていると、
会頭は「そんなに緊張することはありません。ナイフやフオークと決まっているわけではなく、
箸でも構わないですよ。」と云って下さって、皆、ほっといたことを思い出します。

私たちが "次郎さん"と親しく呼んでいたのは、多分、2代目松坂屋社長、
第16代伊藤次郎左衛門に当り、慶応大学で美術史を専攻されたと聞いています。
歴代の伊藤次郎左衛門は文化面でも造詣が深く、名古屋の文化の発展に大きく貢献したと思います。

なお、揚輝荘は、名古屋市・覚王山の丘陵地にあり、平成18年度末に名古屋市に寄贈されました。
現在、南園にある「聴松閣」と北園にある「庭園」が公開されています。


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朗読会    麗

2016-10-27 09:24:48 | Weblog
今年も郁子さんと、鎌田さん指導の朗読発表会を聞きに行って来ました。
1972年に誕生した「つくしの会」。毎年思うのですが、朗読する作品が厳選されており、笑いあり、涙ありでとてもいいのです。

今年は山本文緒作の「庭」。角田光代作の「口紅のとき 79歳」。丘修三作「ダルマ」など。心に染みる作品ばかりでした。
年配の方が椅子に腰かけて朗読される姿にも励まされます。
効果音も照明もよくあっていて、過剰な演出もなくて朗読そのものを味わえます。来年もまたどんな作品に出会えるか楽しみです。
鎌田さんもとてもお元気そうでしたよ。

      秋晴れや朗読会を聞きに行く   麗
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母と子の打ち明け話りんご剥く   麗子

2016-10-26 09:55:00 | Weblog
この母子の年齢は幾つくらいでしょう?
幼い子供と母?あるいは年老いた母と娘?

子供が小さい場合は、打ち明け話をするのは子のほうでしょうね。
「こんなことがあったよ」と目を輝かせている様子が見えるようです。
でもイジメに遭ったことは言わなかった、という方も。
親を心配させたないから、と。子供ながらに気を使っているのですね。

老いた母の場合は、話の中味も時には深刻なものに。
でも老いた母との時間はこころ安らぐひと時でしょうね。
林檎を剥いていく時間がちょうど良い助走となっています。

こうした親密な親子関係は、母と息子の間には稀なようです。

                   遅足



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研ぎぐあい林檎ミシッと香をはなつ   晴代

2016-10-25 09:53:24 | Weblog
切れの悪くなった包丁を研ぎました。
さて具合はどうか?と、林檎に刃を入れます。
ミシッと音がすると、同時に林檎の香りが鼻に。
どうも研ぎ方が足らなかったようです。

 砥ぎぐあいミシッと林檎香を放つ

と、ミシッとは上五に繋げてみました。
どちらが作者の意図に近いでしょうか?

包丁を研ぐ時に欠かせないのが砥石。
古代、鏡をつくる際には砥石は欠かせない道具でした。
鏡作りを専門とした集団の神の名は「天糲戸(アマノアラト)」
アラトは荒砥を意味し、砥石が神として信仰されていたことが分かります。
日本では良質な砥石がとれ、輸出もされているそうです。
研ぎ方もコツがあるようですね。
                    遅足


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鰹焼く土佐の男の眉美(は)しき  遅足

2016-10-24 09:27:53 | Weblog
先日、高知へ行ってきました。目的は牧野富太郎植物園。
日本の植物学の父ともいう人物です。
ざっと一回りして昼食をと、お城近くの「ひろめ市場」へ。
屋台が集まったような市場で観光客が一杯。
一番長い行列のあとにならびました。

店の名は「明神丸」、カツオ船の名が店の名の由来だとか。
U字形の溝のようなモノの中に一束の藁を。
さっと点火して、一度に5人分の串に刺したカツオを焼く。
待こと25分。
味噌汁とお新香付きの定食、870円。美味しかった!
帰りに乗ったタクシーの運転手さんは「あの温かいのがオイシイんですよ」と。

             

アメリカ大統領選の共和党の候補となったトランプさん。
前半生は、貧乏な男の子が冒険をして、お姫様と結婚するサクセス・ストーリー。
智恵と才覚で億万長者にのぼりつめました。
後半は、周りには女性が集まり(集めかな?)・・・
大統領選に出馬しなければ、世界の話題にはならなかったでしょう。
アメリカ・ドリームのその後を見ているような気持ちです。
余談でした。

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「声」の力 ~ボブ・ディランのノーベル文学賞~  竹中敬一

2016-10-23 09:25:27 | Weblog
私は長年、テレビ・ドキュメンタリー番組のナレーションを書いてきましたが、
その文章は、語り手が声にして、初めて評価されるものだと思います。
私の台本などナレーションを録り終えれば、紙くず同然です。

これと同じように、歌詞も歌い手によって、その歌がヒットするかどうか、
大きく影響すると思います。
過去の有名な歌謡曲でも、今では歌い手の名前だけが残って
作詞、作曲の名はすっかり忘れられている場合が殆どです。

こんなことを考えていたら米国のシンガー・ソングライター、
ボブ・ディランさんのノーベル文学賞受賞決定の二ユースが伝わってきました。

この受賞はさまざまに受け止められているようです。
10月14日の中日新聞は「歌詞に文学の息吹」と題して
「ディランさんの歌詞を詩として高く評価することで世界の耳目を集め、
文学賞の影響力や評価を高めようとしている。」と評価。

一方、読売新聞(デジタル)によれば「世界的な読書離れの中で
重要な意味を持ってきた文学賞が、歌手にあたえられたことに
ニューヨーク・タイムス紙は" デイランさんは文学賞を必要としていないが、
文学はノーベル賞を必要としている" と皮肉った。」と伝えています。

そんな中、波戸岡 景太 (明治大学准教授) が、寄稿した
「声・いま文学に必要なもの」と題した文章 (10月20日・中日新聞 )に
共感しました。

波戸岡氏によると、これまでの文学は
「声の文化を抑圧して、文字の文化を偏重して来た」として、
「言葉の生成に立ち会ってきた書き手たちは、そうした風潮に否を唱え、
朗読などを通じて"声"の力を伝えてきた。…文化とは結局、
言葉の力を信じる人たちの芸術であり学問である。」としています。

日本でノーベル文学賞を受賞した川端康成、大江健三郎のような作品が
受賞の対象とばかり思っていたのに、今回のディランさんの受賞は
今後の文学の方向性を示すものと云えるのではないでしょうか。


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屈み込み金木犀の薫り履く   能登

2016-10-22 09:26:40 | Weblog
子供の頃、おやつにスルメを噛みました。
噛んで、呑み込むまで、かなり時間がかかりました。
そんな時は、学校であった出来事を反芻していたようです。
あれは、こちらが言い過ぎたのかも・・・など。

しかし、テレビがお茶の間に入ってからは、
自分のうちを振り返る時間が少なくなったようです。
次々と提供される新しい情報に心が移っていきました。
こうして育った世代には、「熟成」という言葉の似合う人は
少なくなった気がします。

          

靴を履こうと屈みこんだ時、どこからか金木犀の香りが・・・
それを薫り履く、と言いとめた句。
この句には、ゆったりと自分を振り返る熟成した味があります。

今年は天候不順で金木犀の開花が遅かったようです。  遅足
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