575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

火に触れしものは火になる敗戦日   山口優夢

2010-07-31 12:35:17 | Weblog
「新撰21」より。
山口優夢さんは、1985年生まれ。(男性です。)

一句の向こう側に生々しい世界が広がっているという戦慄を
その句を読む人に感じさせたい、とのこと。

同じ作者の句

  戦争の次は花見のニュースなり

「現代俳句最前線」より、もう一句。
  
  舟を洲に寄せて八月十五日

作者は中田剛さん。

山口さんの句が火を詠んだのとは対照的に
水を取り合わせた静的な句。

    

敗戦日、と、八月十五日、では季語としての働きが違いますね。
それぞれを逆にしてみると、一句の力が全く弱くなってしまいます。

亜子さんは必ず夏には戦争を詠んでいます。
見習わないと・・・

                    遅足


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やめること二つ決めたり秋隣    朱露

2010-07-31 09:07:00 | Weblog

    言いたくないがいよいよ戦線縮小に入る。
    昔なら死んでいる年だから文句あるかよ。
    私の次が今年還暦だなんて冗談じゃねえ。
    「秋隣」は夏の季語だから油断出来ない。

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100句つくる!   遅足

2010-07-30 15:54:57 | Weblog
先日の句会で、晴代さんが先生から「夏風邪中」で
100句つくりなさいと言われたと話していました。

なぜ100句なのか?
よく分かりませんでしたが、
最近、これは想像力の翼を拡げるエクササイズでは?
と思いました。

文章には5W1H、何時、何処で、誰が、何を、どのように、
という要素が含まれています。
(俳句では、主語はよく省略されますが)

この5W1Hを様々に変えて、句をつくることによって
想像力を鍛えようというトレーニングではないでしょうか?

夏風邪中なのは、誰か?私、父、母、子ども、友人・・・
それぞれのケースでつくってみる。

これって、短歌でも同じ訓練がありそう。

     

100は無理でも10くらいなら出来るかな?


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キバナノレンリソウ とイブキノエンドウ      草女

2010-07-30 11:11:13 | Weblog
この両者にはマメ科の多年草で、伊吹山にしか存在しないという共通項がある。イブキノエンドウは北海道の一部にも生息しているそうだが。どちらもヨーロッパ原産の帰化植物で帰化したのは中世、信長のころといわれている。そこで、信長が伊吹山に薬草園をポルトガルの宣教師に作らせたとき、これらの種子が付いてきたと言われている。ただ、信長の薬草園があったかどうかはっきりしていない。 無かったの根拠は「薬草園の痕跡が残っていない事、ヨーロッパの薬洋種が現存していない事、信長の薬草園の記述が江戸中期以降に書かれた事」などをしている。有った派の根拠は「イブキノエンドウ、キバナノレンリソウ、イブキカモジグサなどヨーロッパで普通に見られる植物が伊吹で古くから確認されている事」である。心情的に信長なら軍事のためにも経済のためにも立地条件が良く、薬草が豊富にある伊吹に薬草園を作らせのではないかと思っている。
キバナノレンリソウの花盛りに出会ったのは今年。今迄、やっと1つ残っているのを見て満足していたのが可笑しいくらい、春の3合目 でも夏の山頂でも見かけては写真を撮った。小さくて、鮮やかな黄色のスイトピーと思ってもらえばいい。スイピーのように透明感がない 代わりにビロードのようなしっとり感がある。
イブキノエンドウは紫がかったピンク色のカラスノエンドウという感じで地味で目立たない。派手でも地味でも400年に渡って伊吹山に生息してきたことに敬意を払っいる。

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炎昼や飴をしゃぶりて傘をさす    朱露

2010-07-30 09:37:52 | Weblog


        徒歩二分のコンビニへ買い物に行く。
        朝九時だが外は既に炎昼の雰囲気だ。
        紀州梅肉50%配合の生梅飴を噛む。
        玄関先の蜥蜴を蹴散らして傘を開く。

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月下美人  麗

2010-07-29 13:56:24 | Weblog
今日は久しぶりのお湿りでやっと一息つけた感じです。
植木の水やりも必要ないですね。

さて、おととい満月の夜、我が家の鉢植えの月下美人が一輪見事に咲きました。
おととし実家から挿し芽でもらい去年は蕾をつけたものの落下。
それが今年は見事に開花しました。

そでまでタランと下を向いていた蕾を支える茎が3日ほど前から直角に上を向き始め
迎えた満月の夜。
夜8時ごろ蕾のさきが割れ始め10時頃には手のひらサイズの白色の花が咲きました。

満開時には濃厚な甘い香りが漂いうっとりしてしまいました。
蕾を包んでいたがくの部分が後ろに反り返るように張りつめその様子は
なんともいえずエネルギーに溢れ
神秘の一言でした。

満月の夜に咲いてくれるなんて、花びらがアンテナとなってまるで月を交信しているかのよう。
明け方には花はしぼみ、大仕事を終えた安堵感からかひっそりと垂れ下がっていました。
もう、あの濃厚な香りは全くしません。

植物とは思えない意志を持った動きに魅了された良夜でした。

      満月と月下美人が交信す   麗
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水加減見に行つたきり敗戦日   佐藤文香

2010-07-29 09:08:22 | Weblog
山口萌人さんの佐藤文香論からです。(遅足)

  

中七「見に行つたきり」と季語「敗戦日」の
表現の上での繋がりを狙ったもの、
しかし、これは多少実感に欠けるところがあり、
所謂「頭の中で作った句」のようだと容易に分かる。
彼女自身も「サライ」二〇〇九年十月号誌上の
金子兜太・小沢昭一の両氏との対談において
兜太氏に「水加減」の句が理屈だと言われて、

「戦争を詠む責任はあると思うのですが、
やっぱり頭の中で消化しきれていない。
だから、金子先生のおっしゃる、
頭で考えた句というのは100%正解です。」
「俳句鼎談」―「サライ」二〇〇九年十月号

           山口萌人

    

戦後の焼け跡の実感のない世代には、
肌で敗戦日を詠むことはもともと出来ないのですから
頭でつくるのは仕方のないことですし、
だから句がよくない、ということにはならないと思います。

知らない世代にしか出来ない句があるはずです。遅足




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同じ蜥蜴毎日走る足の下    朱露

2010-07-29 09:06:57 | Weblog

      玄関を開けると足元は植木が密生。
      地響きがするのか蜥蜴が飛び出す。
      目の前のコンクリートを疾走する。
      夏の終りまで同じことを繰り返す。

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カンバスの余白八月十五日   神野紗希

2010-07-28 10:58:32 | Weblog
作者の神野紗希さんについて、青木ともじさんが論じたものです。

   

最も好きな句であるのだが、これにも根拠なき魅力を感じる。
この句を生かしているのは八月十五日という季語である。
理由を考えるとすると、
終戦の空虚さの中にある喜びとカンバスの白い「無」の環境にある光とが
どこかでつながっているところであろう。

私は海へ向けてカンバスを立てているのかと思った。
カンバスだからきっと油絵を描いているのだろう。
そこにある余白は未完成によるものなのか、
完成した絵の空白なのかはわからないが、
いずれにしても油絵の持つ鈍い光と余白の持つ透き通った光、
それらの間に終戦の思いというものが見て取れるのではないか。

八月十五日という季語は歴史的な季語なだけに
景が偏りがちなところがあるような気がする。
しかし、彼女の句はカンバスというごく身近な明るい題材を
使っているという新しさもあり、
八月十五日という季語の持つ違った一面を見せられたように思う。

                       青木ともじ

    

あの8月15日を境に、日本では、180度価値観が替わった。
教科書に墨を塗り、民主主義という新しい価値へのスタートを切った日本でした。
それから65年。
今考えると、敗戦によってリセットが出来た部分と
出来なかった部分があることが分かる。

日本人は、それまで描いていた絵のある部分を白く塗りつぶして、
そこに新しい絵を描こうとしたのかも?

私には、余白は無地の白ではないように感じられます。   遅足




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戦争が終り天草匂う路     朱露

2010-07-28 10:53:40 | Weblog


   戦争が終わったので海女達が潜った。
   天草を道端に干すので町中が匂った。
   干して固めて煮てトコロテンにする。
   酢醤油をかけて食べたのが戦後の味。

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