俳句は目の前にあるものを詠み、そこから発見や想像、詩情が生まれ読み手とともに世界が広がっていくところに醍醐味があると言われます。
今回のお題「藤の花」今真っ盛りですが、この句をつくる頃は少し早すぎて、私としては花を見ることが叶わずイメージ先行の句となりました。
< 紫ではなく白藤だと思う。清楚な品の良い祖母ではないか。
藤の咲くころになくなられたのでしょうか。
旅立つ際の死に装束、悲しいけれど美しい旅立ちを詠まれた >
句会に参加された皆さんから素敵な感想をいただきありがとうございます。
実はこの句は私の夢で見た景から浮かびました。このあとは「ちょっと怖い・・」という感想が漏れたお話です。
( 祖母が亡くなったのはちょうど50年前、88歳でした。私はまだ高校生、大好きな祖母の顔も正視できない程の涙のお別れをしました。それから〇〇年。第一子を産んで退院した夜、とてもリアルな夢を見たのです。祖母が真っ白の装束で、誰とはわからないけれどニコニコ笑う何人かとともに輝きながら現れました。「お祝いにきてくれたのだ」とすぐわかりましたが、優しい笑顔と襦袢模様である藤の花がとても印象に残ったという夢です。
あとで聞いたのですが、祖母は綺麗な藤の花の襦袢を着せられて棺に納められたということです・・・ )
ここで麗子さんが「寒い~!」と一声。お部屋の温度が下がりました(笑)しかも祖母の旧姓は 藤江寿々といい、ここにも「藤」がありました。
亜子さんからは、襦袢の白と藤の薄紫がしみじみと響き合い、季語が動かない。他の花ではこうは行かず、ぴたっとはまっていると言っていただきました。
「季語が動くか?」句つくりの大事なポイントですね。
日ごと伸ぶる藤の花芽の薄紫 佐保子
垣根をはうように成長する野田ふじを詠まれたそうです。
ご自分のお庭や生活圏に季節の花の成長を見られる暮らしはうらやましいです。句会では九尺藤、野田ふじ、山ふじの名前を教えていただきました。
寿々さんは抵抗の新聞人・桐生悠々夫人です。15歳で嫁ぎ(当時悠々29歳)3か月後に夫は最初の新聞社を退職金ももらわず退社します。その後も喧嘩や筆禍で3年と続かず新聞社を転々とし引越しに次ぐ引越しの人生。その間になんと六男五女を産み育てるという波乱の一生です。規格外の夫を支える気丈な面と、底なしの優しさと豪快さが同居する素晴らしい女性でした。金銭のやりくりには苦労したようで「おんなはヘソクリせなあかん!」と母に何度も忠告し、月末には「生活費は足りているか?」と毎回いくらか融通してくれたという話を聞きました。もう一度夢でも会いたいです。 郁子