575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

倚りかからず      遅足

2013-05-31 09:18:16 | Weblog
茨木のり子さんの詩集「倚りかからず」。

もはやできあいの思想には倚りかかりたくない
・・・と、淡々と語りかける詩です。
硬質な透明な抒情が伝わってきます。

ベルリンの壁崩壊からおよそ10年後の1999年に出版された詩集。

同じ頃、東京裁判の被告・東條さんの奥さんの手記を軸に
終戦50周年記念番組を制作しました。
この取材を通して、私は、いかに出来合いの思想に
倚りかかっていたのかを痛感しました。
戦後民主主義のシャワーを浴びて成長してきた半世紀。
時代の土台がゆっくり崩れていく時期でした。

できあいでない自前の思想。そんな思想が持てるのでしょうか?

言語学者の金田一春彦さんは、その人のアイデンティティは
思春期に吸収した時代の言葉から出来ている、と言っています。
新しい時代の言葉を使っても、衣装のようなもので、
いつ着替える時が来るのかも分かりません。

失敗からしか得られないモノかも知れません。
過去を知らないということは、現在をおろそかにすることでしょうね。

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清冽    麗

2013-05-30 08:43:49 | Weblog
「清冽」。言葉の意味は清らかに澄んで、冷たいさまと辞書にはあります。
実は2006年2月17日に亡くなった詩人茨木のり子の評伝本のタイトルです。(著者後藤正治)

「汲む」という茨木さんの詩が大好きだったのに亡くなってからこのような本が出ていることを知らずにいました。
改めて生い立ちから亡くなるまでの足跡を知りその清らかな人生に脱帽。
48歳で愛するご主人を亡くしてから一人で暮らし、さまざまな名詩を紡ぎながら最期まで凛として生きた強く美しい女性です。

なんとご出身が愛知県の吉良町だったこともびっくり!茨木はペンネームなのですが私の故郷、茨木市と同じなのでなんだか親しみを感じています。

死後に出版された詩集もあるということでまた追悼の気持ちで読みたいと思います。合掌。


       清冽な人静かに二月逝く    麗
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濃淡のゆらぎ集めて楠若葉   亜子

2013-05-29 16:31:07 | Weblog
この句を読んで、さっそく楠の葉を詳しく見てみました。
たしかに、葉は波のように揺らいでいます。
一枚一枚の若葉が、風によって光の揺らぎとなります。
濃淡のある無数の揺らぎが集まって、大きな揺らぎとなっているようです。

辻井達一さんの「日本の樹木」には、楠について、次のように書いてあります。
春の若葉がことのほか美しい。葉柄が赤いものと、青いものがある。
赤いものが多ければ、全体として赤っぽく感じられ、これをアカグス。
また青い方はアオグスと呼ばれている。

なるほど!
亜子さんの指摘した葉の形のこと。
アカグス、アオグスと2種類あることなど・・・
ぼんやりと見ているだけの私でした。反省。

                       遅足

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蕨の季語は春だけど   鳥野

2013-05-28 17:17:48 | Weblog
蕨の季語は、春。まるで約束したかのように、
立夏の前に、蕨刈りの声がかかりました。
木曽の里山に住む友人からの「出たわよ」の
電話で駆けつけ、目いっぱいの収穫。もう何
年も続いています。

ところが、今年は、立夏が過ぎ、大型連休が終
わっても、まだまだとのこと。

5月になっても、連日のように、霜注意報、残
雪さえも、という具合。蕨は伸び上がってみた
ものの、頭から萎れてしまうと言います。

ようやく出揃い始めたのは、5月も中旬になっ
てから。

季節が何やら変。なにやらおかしい。春を迎え
る溢れるばかりの嬉しさと、ときめき。
そんな季節の喜びはもう味わうことが、出来な
いのでしょうか

 ・ 石ばしる垂水の上の早蕨の萌え出づる
   春になりにけるかも
              志貴皇子
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空を曲げ若葉に消ゆるティーショット   立雄

2013-05-26 09:00:21 | Weblog
若葉の映えるゴルフ場。
ティー・グラウンドに立って、第一打。
思いっきりクラブを振れば・・・
思いとは異なり、スライスしてどんどん曲がっていく白い球。
ゴルフをやったことのある人なら、何方にも覚えが。

それを「空を曲げ」、と言いとめたところが素晴らしいですね。
若葉のなかに消えていったボール。
探すのも大変です。いくつ失くしたかな?

今日から蓼科へ行ってきます。
あちらはまだ若葉の頃かな?
残念ながら、ゴルフではありません。

                        遅足

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濃淡の色あり楽し若葉かな    すみ

2013-05-25 08:56:12 | Weblog
若葉と一口に言いますが、木によってさまざま。
かたちが異なるのは勿論、色も微妙に違います。
楠や楓のように最初は赤く、やがて若緑へと色が変ります。
これは太陽の紫外線から若い細胞を守るためだそうです。

あの小さな芽のなかには、一枚一枚の若葉の設計図があります。
スイッチが入ると、あっという間に若葉となっていく様子は自然の神秘です。

作者は、そんな若葉を楽しんでいます。
中七の流れを

   濃淡の色のたのしき若葉かな

としたら、どうでしょうか?       遅足

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死んでも君の話は聞くことが出来る    遅足

2013-05-24 09:50:05 | Weblog
名演の劇、「モリー先生との火曜日」を観ました。
主人公はスポーツライターとして活躍しているミッチ。
ある日、深夜のニュース番組で、不治の病(筋委縮性側索硬化症)に冒された
大学時代の恩師のモリー老教授を目にします。
なぜか気になったミッチは、翌日、モリー先生を訪ねました。

16年ぶりに再会した先生は、ミッチを温かく迎えてくれます。
先生と言葉を交わすうちに、ミッチは自分の生き方に、ふと疑問を抱き始めます。

自分は本当に今の生活に満足しているのか?死とはなにか?

それから、毎週火曜日にモリー先生からの授業を受けることとなります・・・
モリー先生の病状は次第に悪化。別れの時が来ます。
亡くなる前日、先生はミッチに一つの頼みごとをしました。
自分が埋葬される木の下に、好物の玉子サンドを持って、訪ねて欲しいというもの。

ミッチは、約束をするが、もう先生から話は聞くことが出来ないと訴えます。
モリー先生は、こう答えます。
私は、君の話を聞くことは出来る、と。

時々、父を思い出すことがあります。話しかけているという意識はありません。
劇を観て、この世にいなくても父は、私の話を聞いてくれているだと思いました。

実話を元に書かれた劇で、加藤健一さんとその息子義宗さんの二人芝居。
席が舞台に近く、声もよく聞こえて、良い時間を過ごしました。
ありがとうございます。



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なんじゃもんじゃ   麗

2013-05-23 09:09:10 | Weblog
いよいよ夏が来た感じですね。
前回の句会で佐保子さんの

      真白なりなんじゃもんじゃのあるを知る

という句がありました。目をみはる真白な花が目に浮かびます。

さて、犬山市の明治村の近くにはなんじゃもんじゃの自生地があり、週末は多くの方が訪れています。
私も2年くらい前にそこで苗木を購入。
が、花をつけない。

調べてみるとなんじゃもんじゃとはヒトツバダコのこと。木曽川流域と対馬に自生するそうです。育ちきると10メートルの高木になり見事な雪が降りつもったような花を咲かせるそうです。
でも成長がゆっくりで10年たっても3メートルくらいにしかならないとのこと。数年は花も咲かないそうです。

じっくり待ちます。真白な花を咲かせるまで。  

        さみどりのなんじゃもんじゃの若葉かな 麗
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おしゃべりがすぎる若葉を風はやす   郁子

2013-05-22 09:16:35 | Weblog
面白い句ですね。
確かに、若葉はおしゃべりをするために生まれたようです。
それを、おしゃべりがすぎる、と捉えました。
そこを風がはやすば・・・収拾がつかなくなるようです。

まるで小学生の低学年の集団のようですね。
一度、騒ぎ出したら、先生もおさめるのに一苦労。
一体、いつになったら収拾がつくのでしょうか?

  おしゃべりが好きな若葉を風はやす

老人には、このくらいのおしゃべりだと良いですが。

                       遅足

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木曽馬に会いに  鳥野

2013-05-21 14:07:58 | Weblog
「長野県木曽町の開田小学校5年生が、木曽馬の
力を借りて、田起こし体験」。子供たちも馬も楽
しそうな記事を読みました。

耕地の狭い開田高原地方では、小ぶりで力持ち
の木曽馬が田仕事の大切な働き手。
丈夫で気性が穏やか、嫁や子供にも優しく、家
族として愛されてきました。

その木曽馬に受難の時期が。

体格が小さくては戦力にならない、からと外国
種との交配。やがて有無を言わさぬ軍馬への徴
発。地元では泣きの涙の戦時下でした。

戦争が終わってみれば、木曽馬の数は激減。こ
れでは日本が誇る在来種も絶滅という危機が。
僅かに残った純血を引き継いで復元に成功。保
存会もでき、天然記念物の指定も受けました。

今、開田高原の「木曽馬の里」では30頭ほど
が、飼育され、馬房を見学し、放牧の馬とふれ
あい、乗馬体験し・・・と盛りだくさんな楽し
みが待っています。

 ・木曽馬の太き首ねにあらあらと血流の浮く
  若牡のもの

 ・牧柵に首をあずけいる孕み馬 足らいしそ
  の目すでに母なる
                  鳥野 
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