中七「生きるよすが」が効いている とは須美さんからいただいたコメントです。
遅足さん、佐保子さん、私もいただきました。
「生きるよすが」とは「生きていくための心のよりどころ」や「生きていくための頼みの綱」という意味です。 語源は寄す処(よすか)
身や心を寄せて頼りとする物であったり人であったり、信じるに足りる確かな縁ということかと思います。
逆に言えば、誰かのため、または何かのためにしか人は生きることができないかもと思うこの頃です。
表題の句で福助菊という呼び名を知りました。ボリュームのある立派な大菊は手をかけてこそできるもので、明治のころ流行し品評会なども盛んです。
私の句も福助人形のような大輪の菊を詠んだものです。
菊大輪翁は笑みてセピア色 郁子
須美:笑みてセピア色が好き
晴代さん:精魂こめて菊手入れをなさっていらしたのでしょうね。会心の笑みですね。
亜子さん:一枚の古い写真を詠まれたのだろう。祖父か親戚の高齢の男性が自身の育てた大輪の菊の鉢を前に満足気に笑顔を見せている。そんな写真が目の前にあるかのような実景が目に浮かんだ。
丁寧に読み取っていただきありがとうございます。父が大事に持っていた祖父の写真を題材にしました。
ここ近年、9月10日の命日になると新聞紙上で桐生悠々がとりあげられるようになりました。その際の写真はひげをピンと跳ね上げて斜に構えていたり、すこしお酒が残っているような浮腫みのあるものが使われます。私は、肥桶をかついで笑っていたり、丹精こめて育てた菊をバックに嬉しそうにしている土埃にまみれた祖父が好きです。あの写真は何処に行ってしまったか、行方知れずになってしまいまいした。亡き父が愛しそうに見せてくれた思い出の写真です。 郁子