575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

鬼ってなーんだ   鳥野

2012年01月31日 | Weblog
立春、その前夜の節分,そして鬼やらいの豆撒きが話題になる頃、きまって「日本の鬼の交流博物館」を思い出します。

丹波の大江山の南麓、静かな山里に、鬼の巨大なモニュメントに見守られて、それは建っていました。
絵画や造形などの展示物は多彩で、「鬼文化研究所」も併設されて、書籍や資料の所蔵も膨大なもの。
しばらくは、異郷に踏み込んだ気分です。

ここ大江は酒呑童子の故郷、鬼とは何者?と考えているうちに、哀しくなってきます。

平安時代、富裕な貴族に抵抗した民衆の象徴、とされた童子は、源頼光らに、騙し討ちにされた時の最後の叫びが「鬼に横道なきものを」・・・。身に沁みます。

 ・ 大江の里は人みな温し千年を鬼の悲哀と共に棲み来て

                      鳥野



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イヴ・モンタンレフイユモルト枯葉散る      朱露

2012年01月30日 | Weblog
   イヴ・モンタンはフランスのシャンソン歌手。
   フイユは葉、モルトは死で、まさに「枯葉」。
   真ん中の「レ」は英語の「ザ」と同じものだ。
   何とか覚えたけどトイレの中でしか歌わない。

              

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大寒や枝切られたる黐辛夷     朱露

2012年01月30日 | Weblog
     大寒は一月二十一日から立春前日。
     猫額の庭にフサワシクない黐辛夷。
     黐はモチで辛夷はコブシという木。
     無口な私の二十年来の無口な相棒。

              



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福寿草可憐な見目に禍根秘め    智恵

2012年01月30日 | Weblog
福寿草は可憐な見目。
しかし、根には禍をもたらす毒が。
一句が論理で成り立っています。

句にリズムを生み出すには、もう少し言葉を
すっきりさせた方が良いかも知れません。
たとえば、
  
 福寿草見目に禍根を秘めにけり
 
とか・・・改悪かな?

荻原先生の言葉。
「頭の良い人は、説明に陥り易い」
頭脳明晰は、必ずしも「詩」への近道ではなさそうです。

                       遅足

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冬晴の出端を挫く血圧計    朱露

2012年01月29日 | Weblog

    何のことを言っているのか分からない、
    という方は嫌われても長生きをします。
    今朝方上177下88で仕方なく蟄居。
    それが何よという方とは口を聞かない。

              


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身の丈に合った日溜まる福寿草    郁子

2012年01月29日 | Weblog
子どものころは、福寿草という花に
それほど惹かれなかったかもしれない。
それほど地味な花だ。
太陽の光をすべて集めて、
「きれいでしょ!」と得意気な花もある。

広げた花弁に受けるその陽光だけで満足。
幸せを感じてほほえんでいるような
福寿草が今は素敵に思えます。

日溜まるを「陽溜まる」にしようかと迷ったところですが、
つつましやかに真面目にくらす日々の意味もいれて
日溜まるにしておきます。

と、作者の自句自解です。
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鐘いくつ宮居着く間を福寿草      結宇

2012年01月28日 | Weblog
年の暮れに鐘の音を聞きながら歩いていると、
ある処まで来て、ふと気づく。
そんな処に福寿草の暖かな感じを得た。
と、作者の解説。

なにかをしていて、ふっと自分に戻る瞬間。
こころは一瞬、空っぽになります。
その空間に福寿草が咲いていた。
想像力が咲かせた一瞬の永遠の花ですね。

                遅足


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福寿草米寿の人の話好き    晴代

2012年01月27日 | Weblog
福寿草、米寿、ともに目出度いモノとコト。
そこに話し好き。初句会らしい良い句ですね。

長寿の秘訣の一つは、ココロにストレスをためないこと。
この米寿の方は、話すことが健康法なのでしょう。
話し終わった時には、ココロはスッキリ。
ただ、聞くほうには、ちょっと迷惑な時も・・・
作者とこのおばあさんの暖かな関係が読み取れます。

きっと笑顔のすばらしいオバアサンでしょう。
そういえば、話好きのオジイサンって、あまり聞きませんね。
ひょっとしたらオジイサンかな?

                        遅足
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1964年   麗

2012年01月26日 | Weblog
先日、映画「三丁目の夕日’64」を見てきました。
1964年は私が生まれた昭和39年。東京オリンピック開催の年です。
どこの家にもテレビが普及し、中にはカラーテレビを買う家も。。。(でもカラーの番組は少ないのです)
映画の内容はこれから見る人のために書きませんが
私は涙、涙でした。でも悲しい涙ではありません。

映画の中で小雪さんが赤ちゃんを産みます。
私が生まれた時の日本はこんな風だったのだと感慨もひとしお。
オリンピック開催で自信をつけた日本はその後、高度経済成長を目指し世界に打ってでます。
この年に生まれた子供たちの将来が、いつも夕日が美しく思える日本であってほしいというメッセージがエンディングにでてきますが
あれから48年。今の日本、特に福島の悲しみを思わざるおえませんでした。

郷愁という一言ではかたづけられませんが、やはりいい時代に生まれ落ちたものだと両親に感謝しました。
心が暖かくなる映画です。まさに「心の融点」ですよ。親世代にも見て欲しい映画です。
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スーパーの鰤の刺身よ真鶴よ     朱露

2012年01月25日 | Weblog
今が寒鰤で、鰤(ブリ)が美味い時季です。
父母の里が相模湾西端の真鶴で、
冬は鰤漁で明け暮れます。
今も同じかどうか・・・

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福寿草心の融点見つけたり 麗子

2012年01月25日 | Weblog
毎日の生活のなかで、ココロが固くなることはよくあります。
しかし、温かな言葉をかけられた時、
あるいはゆっくりと、お風呂に入った時など、
ココロは温かく溶けていくようです。
確かに、心にも融点はあるのです。

福寿草は小さな花ですが、溶鉱炉のようなパワーを感じさせます。
作者は、福寿草にココロの融点を発見したのでしょう。
                                  遅足




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お地蔵さん頼みで   鳥野

2012年01月24日 | Weblog
村人に鳥や獣が、湯の在りかを教えたのが、発見の始まり、という温泉譚は数多いものです。

「鹿教湯」もその一つ。松本市郊外、三才山(みさやま)トンネルを出て間もなくの山郷の湯です。

温泉街の背後、湯坂を登り内山川の渓流を渡った台地に文殊堂が鎮まっています。

古びた木造建築、精緻な天井画や欄間画は鄙には稀な美しさ。
今にも崩れそうな仁王堂には仁王の木像が、悪行を睨みつけています。

寺内への入り口に並ぶのは、石の六地蔵さん。優しいお顔で遠来の参詣客を迎えます。
地蔵は菩薩という高い仏格にありながら、頭は宝冠なしの円頂、衣と袈裟だけを身につけて、お坊様の姿。

人間を六道の苦から救い出し、安住の地に導くという役割を担っておられます。

あの、3,11の災害の時は、このお地蔵さんのことが、想われてなりませんでした。

 ・ 建て屋にも六地蔵の欲し奥の春  鳥野
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京都のみたらし団子     遅足

2012年01月23日 | Weblog
京都市の下鴨神社の西にある加茂みたらし茶屋。
ここの名物がみたらし団子。
下鴨神社境内にある御手洗池(みたらしのいけ)の
水の泡を模して、この団子がつくられたことから、
みたらし団子と命名されたとか。

団子は、ちょっと小ぶりで、5つ。
一番上の団子が少し大きく、他の4つとは離れています。
団子が、人間の五体を表し、一番上が頭、残りの4つは四肢とか。
無病息災を願ったカタチのだということです。
あぶり焼きにして焼き目を付け、砂糖醤油の葛餡で味付け。

味はかなり濃厚な甘さ。
名古屋のお団子は、こんなに甘くありません。

みたらし団子、関東地方ではもっと大きくて団子は4個。
味も甘くありません。
お団子の味もさることながら、
煎餅も、京都では小麦粉でつくられており、味も甘い。
関東では米粉で、お醤油味で辛口。関西ではおかきというそうです。

東と西では、味や命名にも違いがあるんですね。 

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読み初めやコンビニのチョコ齧りつつ    朱露

2012年01月23日 | Weblog
    四人居た子供が出払ってやっと二人になる。
    女房が一階に住み私が二階を担当している。
    一人欠けたらどうするという心配はしない。
    グラマンの機銃で六十六年前に殺されたし。

               



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春立つや新年古き米五升    芭蕉

2012年01月22日 | Weblog
先日、冬の京都へ。寒牡丹を訪ねて下鴨神社に近いお寺に。
数本の寒牡丹、すっかり花が終わっていました。
そのお寺の近くの阿弥陀寺を覗いてみると、・・・
織田信長父子、さらに森蘭丸ら、
本能寺で亡くなった織田方の武将たちのお墓がありました。

阿弥陀寺は、織田家に縁のある清玉上人が創建した寺。
当初は滋賀県坂本に。のち、京都に移転。
本能寺の変に際し、清玉上人は本能寺へ駆けつけ、
信長の遺骸をいち早く発見し、遺骨を持ち帰ったといわれています。

秀吉が後継者争いで有利な立場に立とうと、遺骨の引渡しを要求。
上人は、主家を乗っ取ることは「人の道にあらず」と拒絶。
これを根に持った秀吉は、天下を取ったあと、寺領を削減、
さらに現在の地に強制的に移転を命じたそうです。

本能寺の変の裏には、こんなドラマもあったのですね。

境内には芭蕉の句碑がありました。

  春立つや新年古き米五升  芭蕉

新春ともなれば、さすがに貧しい草庵も春らしくなる。
昨年、貰ったお米も五升ある。清貧の暮らしには充分。

芭蕉から百年のち、阿弥陀寺の住職に蝶夢という俳人があり、
五升庵と号して芭蕉の顕彰につとめたそうです。
この縁で芭蕉の句碑が立っていたのでしょう。

阿弥陀寺、観光地臭さがまったくありません。
本能寺の変の起きた6月2日に、追善供養を行なっているそうです。

                        遅足


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